ならば貴方は項羽を過小評価しすぎです
彼にもう少し経験・穏やかさ・配慮・忍耐があれば滅びは無かった
若さ故の性急さと己の理想に殉じる青さが見え隠れするのが魅力ではあるのですが
>>775
>彼にもう少し経験・穏やかさ・配慮・忍耐があれば滅びは無かった
この「もう少し」がとてつもなく難しいんだよ。
特になまじ才能がある人間ほど。
「もう少し」が多すぎるよ
それじゃあ滅びは必然だったと言っているに等しいな
では筆頭で経験を
若さからくる性急さが最終的に彼を殺したのですから
ニュース
義帝謀殺も楚の臣たる項羽には何のメリットも無いですし(宋義の誅殺には理由はありました)
もしかしたら裏で殺して置いて風評で項羽の仕業に仕立て上げた人間がいるかも知れません
覇王の称号も楚帝が存在しているから戦国覇者の役割を自認する形で名乗ったとも考えられます
六国の独立志向や人間は欲で動くものなのだと言う事実を読み切れなかったのが非常に残念です
項羽を評価しようとすること自体は悪くないが、ここでそういう陰謀論を押し出すのはいただけないな
>>782
基本的に歴史は勝者のモノですからね(硬骨の史官はいるのでしょうが)
語られざる暗闘があったかもしれないという事です(でもIFで話をしちゃあいけないのはわかっています)
陳平を活用したりホウエツやゲイフ等に書状を送ったり使者を送ったりしているのが目立つ陣営ですから
ついそんなことまで考えてしまいます
それこそ勝ったから記録されただけで、項羽陣営ももっとエゲツナイ陰謀を巡らしたかもしれない
実際関中を劉邦に渡さないために約束を捻じ曲げ、親を人質に取り、韓信に誘いの手を伸ばしている
結局陰謀合戦でも負けたから項羽は負けた、という結論になるだけから、やめたほうがいいんだよ
>戦国覇者の役割を自認する形で名乗った
それは義帝に実権は無いと宣言する事で、義帝がそのまま黙ってるとは限らない。
信長と義昭の関係でしょ。
>>787
史書を前提に話をするとしたら関中攻略の一件が試金石になってましたね
あそこで宋義と同じ卑劣な臭いを懐王に抱いてしまったのかも知れません
擁立したのは叔父であり王の命令を素直に受け入れられない分別の無さも
項羽のその若さからです
年月を重ね経験を積んでいれば…その王の立場を理解していたでしょう
そうですね
水掛け論になってしまって収拾がつかなくなりますね
関中はどのみち項羽は取れないですし(「穴埋」が効いているでしょうし)
秦に対する憎しみが彼の原動力でもあり同時に滅びの糸口でもありました
惜しむらくは経験による配慮の無さとその苛烈さです
聖帝、尭・舜の眼を持つ男と書かれた時もある項羽があと10年経験を積んでいれば・・・
その時宜を得ないのも魅力なのですがね
尭はちがくね?
他の地域も地元の実力者にくれてやってしまったら、
安定したんじゃないかな。
項羽の支配力はかなり落ちるだろうが。
しかしそれは義帝の権威を認め権力を与えることになるから、いつか必ず項羽とは衝突する
楚として勝つことにはなっても、項羽はどうなってるかわからんなあ
もし項梁さえもう少し長生きしていれば
項羽の不運はそこから始まったのです
宋義が臭いと言えばそれまでですがね
それは逆かも試練
項梁がずっと健在なら、項羽は若くして死ななかったかもしれないがひと時であっても天下のトップに立つこともなかったかもしれないから
>>791
歴史が示す通り若い項羽には後漢の劉秀の堪忍自重は出来ないですからね
しかしどのみち懐王の側近の楚の旧貴族に除かれるのは確定事項でしょう
その時経験を積んだ項羽がどう出るかに個人的には期待したいのです
多分十中八九感情に任せて暴発必至ですが兵に人気がありますので勝つでしょうw
その通りです
若い項羽が持つ美学では絶対にそんな真似が出来ない
ならばもう少し歳を重ね分別がついていたなら―と言う事ですね
やはりあんたは項羽を過大評価し過ぎている気がする。
例え、その経験とやらを積んだとしても、項羽は一生あのまんまだと思うけどね。
人間の気質や性格なんてよほどのことが無い限り、そうそう変わらんでしょ。
>>797
まあ、それは言いすぎじゃない?
ただ、項羽の欠点を「美学」とまで言ってしまうのはどうかとは思うな
劉邦が匈奴や項羽に負けたのを「美学が邪魔して」とか言ったら誰だって笑うだろうに
>>798
くっだらない体面とか見栄とか面子とかにやけにこだわる所を「美学」と解釈したんだろ。
欠点と言い切るのは簡単だが、理屈だけでは人は付いて来ないね。
少なくとも最後まで行動をともにしようと言う粋狂な部下が項羽にはいた。
>>800
うん、いたね
劉邦にも身代わりを買って出たり煮殺されてまで項羽を罵ったりする酔狂な部下がいたようにね
見栄や体面にこだわる「美学」は、本人以外にとっては美点じゃあない
特に項羽についていき再起を信じてついていったであろう酔狂な部下にしてみれば、今まで散々逃げ続けて来て、更に逃げる余地もあったのに自殺なんて目が点だろ
本人以外にとっては欠点以外の何者でもない
>逃げる余地もあったのに自殺なんて目が点だろ
俺は前に石田三成を引き合いに出した者で、同意見なんだけど、四面楚歌で望みを失った
って事はあるのかなぁ。楚に帰ってももうダメポって。
四面楚歌の時点で望みを失ったなら、虞氏と共にそこで自殺か投降してりゃ将兵には被害が出なかったかもしれない
田夫に欺かれて望みを失ったというなら、そこで自害するべきだろう
逆に望みを捨てていなかったなら、どこまでも逃げて呉へ帰る船に乗っているべきだった
本当に潔く死ぬことも、最後まであがくことも、どっちも徹底できなかった
これは罪深いと思う
最後まで従った二十数騎や、そこまでに脱落した者たちは項羽の中途半端な自己満足のために命を張ったことになるのかと思うと悲しくなる
その>>805の同情っぽい言い草はかえって失礼だろうと思う。
いやいやついていかされた、というならそうなのだがね。そうではないといえるんじゃないか。
とはいえ、たしかに四面楚歌のときに絶望していれば、という気がしないでもない。
なんとなく悪あがきに見えるし、そして突然やる気を失ったようにも見える。
むらっ気というか。
そのへんのとらえかたは人それぞれだろうけど、好きでついていったといってもその目的は色々だろうからさ
項羽の行くところどこにでもついていくという狂信者状態ならいいんだけど、「再起を信じて」とか「生きて故郷の土を踏みたい」という目的があったとしたら、項羽はその想いを無視したことになる
主君だから結果的にどうなろうが責められる筋合いはないのかもしれんが、
故郷に戻り再起しようとして囲みを破り逃走したはず(少なくとも項羽以外はそう思ったはず)なのに呉行きを断った時は、
項羽本人以外は裏切られたと感じた者だって少なくなかったんじゃないかと思うんだよな
四面から楚の歌が流れてきた時に、すでに楚の領土も漢の手に落ちたと思われて望郷の念が強い配下は投降・逃亡したんじゃないっけ?
それでも付き従った最後の二十数名は、項羽と一緒に死に花を咲かせたかったのではと思いますが。
史記項羽本紀によると項羽は烏江を渡ろうとしていた、と書かれている。
なのに、亭長が船を出そうとすると「天が俺を滅ぼそうとしているのだから、渡っても仕方ない」とか言い出して特攻。
逆に言うとそこまでは死ぬための逃避行ではなかった。
>>817なるほど。
では、渡ろうとしていたのに渡るのを諦めたのは何故でしょうね?
渡ろうとしていたと言うのは行動を見てなのか、それとも項羽の言動にあるからなのかどちらでしょうか…
たまたま逃避行でついた先が烏江への渡し場(表現違うかな)だった為に、それを『烏江へ渡ろうとしていた』と記された…なんて、亭長が待っていたならそれはないかw
気が変わった。なぜなら気分屋だから。としか言いようが無い。
虞姫の不在に耐えられなくなった、ではロマンチックすぎ?
だからこそ、田横のような好漢の存在を知ると、
「この男に天下を取らせたかった…」
という無念が湧き起こるんだよな
田横だってはたして最後まで好漢だった保障は無い。
多少現実的にはなるだろうが。
結局、鴻門の会で劉邦を殺さなかったのが大失敗。
劉邦という人物の危険性、范増の忠言を無視したのは、天命というよりも項羽の先見性の無さを示していると思う。
戦に(異常に)強いだけで、人間的にも王になれる器じゃなかった。
項羽の戦の才能は、中国史上屈指だっただろう。
残念なのは、その才能が高すぎた事か・・・・・・・戦に明け暮れ、戦の強さに世の中が重点を置く時代背景も、彼に戦以外の面を軽視させた気はする。
「力で解決」という思考の根幹というか。
あそこまで追い詰められた状態の中までついていった人たちというのは
項羽の可能性を信じて自らの富貴をいたすような人らというのとは、いささか毛色が違うと思うんだよな。
そりゃ人それぞれとか言われたら、それまでなんだけどね。
つまり、項羽という人格そのものに感じ入っていて、その思考、行動にすべてを委ねてしまえるほど、その親密度が高い。
別に性的な意味じゃないぞ?w
最後まで残った人らというのは、それくらい項羽個人に対する信頼性が強い。
のではないか。そうでないとまわりがどんどん離反するのに残る理由がない。
故郷に戻りたいだけなら逃げる機会は山ほどあったろう。
ただし、主としての項羽は、そういう彼らを生かす方向に思考する責任が絶対ある。
とはいえ、世の中にはそうやってついてきた連中を半ば無理やり道連れにして死のうとするアホな君主も多いので、項羽がことさら下劣なわけではない。
「自分は悪くない、天が自分を滅ぼす」という考えは、確かに成長のない考え方かも知れないな・・・・・・。
一度は握った天下を失うのは天がそうさせたのだ、というのは超越的存在としての天を信じる古代人としては一般的な考えなんだが、この時代には同時に天人相関説と呼ばれる考え方が浸透していた
「天下人の行為を天が見ており、天はその行為が悪ければ天災等を下して罰する」というもので、これに基づくなら天が滅ぼすのはやはり項羽本人に原因があって天に見放されたことになる
しかし項羽は最後まで自分に問題があって滅んだと感じていないようであるから、司馬遷ら同時代人でさえ厳しい目を向けるのも当然だろうな
どうかな?
欠点だらけで、成功したけりゃその逆のことしてれば、たいていはナンとかなる。
普通、こんな人物は人の上に立てないし、立たない。なのに項羽は違った。
劉邦は決して無能な人物じゃない。
彼の配下の韓信、張良、簫何と比べたら、それぞれの得意分野では遅れをとるが、
そのすべての分野で、彼らより劣ってるわけじゃなく、
トータル的に考えたら、彼らに勝りこそすれ、決して負けてはいない。
項羽は当時、超一流の人物が集結し、ようやく倒した人物だった。
匹夫の勇、婦人の情。そう揶揄された人物でありながら、そう評した人物が
単独で彼を倒すことは出来なかった。
彼の覇権が維持できなかったのは、彼の性格に起因する。
だが、なぜ彼が天下に名を轟かし、その名を歴史にとどめたかと聞かれたら、
それは項羽に天命があったから――としか言いようがない。
ただそれだけじゃないのか?
ただそれだけだったから、名を轟かせただけで終わった。
そもそも秦に対する基礎作りは、項梁の手腕。
項羽が人の上に立てたのは、この基礎があったからこそ。
配下も范増を始め、英布や鍾離昧など充実していた。
韓信も最初は項羽配下だったはず。
こういった恵まれた状況を天命と言うのなら、項羽は天命を
知らずに自滅して行ったとしか言えない。
>>814
項羽は強さで覇権を握った。でも、韓信だって強かったが、覇者にはなれなかった。なぜ?
項羽にあって、韓信にないモノがあったからでしょ?
それを天命とか、天って呼んでんだよ項羽は。
項羽は死ぬまで、人間的な成長の跡が見られない。
狭量で、独善的。復讐心が強くて苛烈すぎる。
およそ人の上に立つべき人格とは思えない。
でも彼は覇王になる前からそうで、頂点に立ってから豹変したわけじゃない。
項羽は悪い意味で、何も変わらなかった。
たぶん、器量とか度量、そういった指導者としての資質的なモノが、概念ごと欠落してるんだよ。
そんな奴なら、天が俺を滅ぼすんだって言うのも、当然じゃないか?
だって知らないんだもん。人の意見を聞けば良かったと悔やむぐらいなら、
むしろ、天に罪を擦り付ける方が、理解できる。
しょうがないじゃん。人の上に立つために必要なことなんて、はなっから知らないんだから。
目の見えない人が、空の青さを知らないようなもんだよ。
で、結局、項羽は自滅したって言うんだろ?
劉邦が倒したんじゃなく、項羽が勝手に転けたんだって。
器量もないくせに天下を握り、勝手に奈落の底に落ちてったんだって。
それって逆に凄くないか?一時とはいえ覇権を握った男で、ここまで狭量な奴はいなくないか?
たぶん、項羽を悪く言う人の方が、項羽を評価していると思う。
韓信は取り立ててもらった劉邦に恩義を感じてて、劉邦配下の斉王で十分と思ったから。
そのまま無事に王で居られると思ったところが甘さではある。
>>820
項羽と韓信を比較しても仕方ない。
何故なら、戦の強さ以前に生い立ちや状況が全く違うから。
項羽の場合、項梁の擁立した帝や反乱軍などの下地を、そのまま継いでいる。
それが、「項羽にあって韓信になかったもの」。
帝の死も、元は配下だった劉邦を始めとする諸王の離反も、有能な部下との決別も
項羽の過失による所は大きい。
だが、項羽はそれを省みたのか?
覇王・項羽の誕生は、項羽自身の置かれた状況が覇権を握るに極めて近く、その道程を
切り拓くのに最も有効な手段が「強さ」だったから。
だから、項羽について評価出来るのは「強さ」のみ。
項羽を「将」としてクソミソにけなす奴いるけど
劉邦も美化されてること忘れてるかそれか余程表面しか見ない奴だろう
項羽は例えるなら水滸伝に出てくる「英雄豪傑」
項羽の生きざまに侠と仁義を見い出した人間が項羽を好きになっていくと思う
劉邦にも項羽にも侠や仁義はないだろ
盟を破ってだまし討ちする劉邦も劉邦なら、
項羽は項羽で人の父母を人質にし、投降した兵士を穴埋めにした
部下にしたって亜父とも呼んだ人物と喧嘩別れ
あえて言うなら、項羽のいにしえの荒ぶる神のような良くも悪くも豪快さに惹かれる人はいるだろうしそれは分からんでもないけど、仁義や侠はないわ
けど、仮に好きだとしても、それで項羽を貶す理由にはならない。
それが理由になるやつは頭がどうかしていると思うぞ。
項羽の将として、というか人の上にたって、多くの人に対して責任ある立場
としての項羽のありようは、足らないところがあったとは思う。
人間的な魅力もあれど、万人がそれを慕わなければならないこともないし
欠点と美点は正しく見定めるのが肝心なんじゃない?
ここでいうのもあれだけど、どこぞの孔明スレみたいに、他方を貶したいがための
極端な持ち上げ、えこ贔屓は見てて気持ちのいいものではないのだから。
京劇で「覇王別姫」たり昔から項羽は何故だか民衆の間で人気が高いね。
逆に劉邦は現代中国では悪玉扱いらしいけど。
俺ならキョ鹿のタイミングで放り出されても逃げる。
項羽ごときでも勝てた、とかいうのは後知恵。
また、食わせられない捕虜を埋めるのが一概に断罪すべきこととも思えない。
項羽のミスは多いが、劉邦のゴキブリじみたしぶとさがなければ、
それまでにいつ破滅してもおかしくなかった。
勿論、項羽が統一王朝を築けるとも思えない。
下手すると北支那の大半が冒頓の匈奴に蹂躙されるんじゃないかと。
食わせられないんだろうがなんだろうが、一度投降して受け入れておいて後から殺すのは当時の価値観から見て重大な不義理であり残虐行為
現代の価値観ではなく、当時の価値観で見ても民心を一気に失いかねない悪行だったと考えるべきだよ
劉邦陣営は、充実してるなぁ
項羽陣営で、これに代わる人材を上げても見劣りしそうだ
簫何:補給・兵站
張良:外交系戦略
韓信:戦争全般
彭越:ゲリラ戦
陳平:謀略系戦略
項羽陣営の方がかなりスタッフが優秀だったと言える。
スタッフはトップを立ててナンボの世界。
スタッフの方が有名になったら終わり。危険視されて粛清される。
項羽を全面に押し出しておけばスタッフは自由に活動出来た。
やはり項羽が覇王になったのが痛いかと。
(支えていたスタッフが目的を達成して抜けていく=六国・故国へ戻る)
もし項梁が定陶で討ち死にしないでそのまま秦を倒して楚を立てた場合
項羽は生涯そのまま仕え続けたのかな?
確かに項梁には子供がいなかったから自然と権力は項羽が引き継ぐんだろうけど。
あと、項羽の項梁に対する忠義心(?)ってどれほどのものだったんだろう
ただ…思慮が足りない若者なので呂布のように謀略の餌食になること請け合い。
まあ項羽が項梁を裏切る理由はないな
血の繋がった叔父と甥だし、項羽は肉親が大好き
ただ呂布如きと項羽を一緒にしないでください
呂布じゃ劉邦とその有能な臣下たちに簡単にやられてお終いだろう
部下に裏切られ曹操に捕まって斬首された呂布と、戦闘中、旧友に
功績を与えたくて自決した項羽じゃ余りにも違いすぎる
だいたい項羽が捕縛されて斬首される事なんて全然想像出来ないし
いとも容易く反間の計を食らってるから一緒にされてんだろ。
確かに項羽は陳平の離間の計を食らって范増を麾下から失ったし
最期まで自分の間違いを認めず、敗北を天命のせいにした
それでも烏江の亭長ように項羽を見捨てず
江東王になるように勧められるのが項羽
それを謝辞して、亭長の好意に報いるように
名馬騅を与え、徒歩のまま漢兵数百人を
一人で討ち取った挙句、旧知に恩賞を取らせる為に
自刎なんて凄過ぎるの一語だわ
子供がこれから生まれるかもしれない。それ以外にも、より大人しくて守成に向いていそうな甥がいたかもしれない。
更に言うなら、項梁よりも戦場では活躍するであろう項羽は、劉邦にとっての韓信のような立場となるかもしれない。
項梁健在のうちに項羽の方が功績をあげ人気が集まるという状況は、逆にとても危険。
項梁を項羽が引き継ぐような形になったのは、史実のような中道で横死したからこそ。
秦を倒し覇を唱えて以降まで項梁が健在だったら、骨肉の争いが起こる可能性のほうが高いと思う。
権力が肉親や友人の間でも破滅をもたらすのはよくあることだ。
ここにも書いてあるとおり、所詮項羽は英雄の器だったのさ。
それは芥川がそう書いたってだけで、劉邦がそう評価した訳ではない。