1: 名無し 2018/01/29(月) 18:49:25.42
登場の仕方といい死に様といい。
これほど似通ってる人物もいない。
2: 名無し 2018/01/29(月) 19:11:57.02
両者とも信濃上州の人
3: 名無し 2018/01/29(月) 19:12:17.32
平氏打倒の立役者
13: 名無し 2018/01/31(水) 09:19:30.61
徳川家康は新田源氏
徳川幕府は新田幕府でもある
なにゆえ家康が義貞に共感してたのかは分からないが。
18: 名無し 2018/01/31(水) 18:41:48.33
>>13
家康は超歴史オタクだからな
鎌倉打倒最大功労者が新田義貞であることを他の誰よりも理解してたのである
14: 名無し 2018/01/31(水) 11:19:34.12
新田義貞と木曽義仲は玄人好みの武将である。
楠正成と源義経は大衆好みである。
16: 名無し 2018/01/31(水) 14:37:05.93
>>14
源頼朝と足利尊氏は?
17: 名無し 2018/01/31(水) 18:39:35.03
>>16
粛清マニア。
19: 名無し 2018/02/01(木) 09:24:20.87
たった150旗から打ち上げしたんだっけ?
30: 名無し 2018/02/03(土) 17:50:25.76
>>19
碓氷峠で越後新田党と信濃源氏が追いつき5000騎。鎌倉攻撃の時は60万。
389: 名無し 2020/02/08(土) 12:31:06.42
>>30
そんないないだろ
太平記のドラマ見てるけど2万くらいだったはず
24: 名無し 2018/02/02(金) 09:17:41.20
実際に新田義貞が挙兵しなければ鎌倉幕府を打倒できなかったのは動かしがたい事実
25: 名無し 2018/02/03(土) 09:38:45.92
義貞が大好きだ
26: 名無し 2018/02/03(土) 11:21:24.16
しかし新田義貞も木曽義仲も過小評価されすぎ!
29: 名無し 2018/02/03(土) 15:36:52.69
>>26
もっと評価されるべきには同意
31: 名無し 2018/02/03(土) 18:21:33.81
つまり150→5000→600000か。
木曽義仲もだがここまで破壊力がある武将を俺は知らない。
390: 名無し 2020/02/08(土) 18:34:59.03
>>31
1騎×3くらいの兵力だろ
32: 名無し 2018/02/03(土) 18:33:48.57
太平記の記述は大袈裟すぎて流石に60万はありえないが、
いずれにせよ足利の荷担もあって大軍になったのは間違いない。
37: 名無し 2018/02/04(日) 04:55:19.94
>>32
千早城は100万の軍勢で囲んだとあるね。
33: 名無し 2018/02/03(土) 19:18:12.70
新田義貞。
初期の破壊力だけは日本史上最強
34: 名無し 2018/02/03(土) 19:29:26.42
鎌倉幕府を完膚なきまで絶滅させて消え去っていった新田義貞かっこよすぎ。
35: 名無し 2018/02/03(土) 20:09:23.38
中先代の乱がすぐ起きたから、「完膚なきまで」「絶滅」ではないな。
まあ偉業であることは認める。
41: 名無し 2018/02/04(日) 18:24:26.85
新田義貞も木曽義仲も旧体制を破壊することだけが歴史的使命だった
その後に出家して菩提を弔う後世を送れば良かったかも
61: 名無し 2018/02/07(水) 09:15:11.65
たいてい木曽義仲のファンは新田義貞のファンでもあり
そして武田信玄のファンでもある
木曽義仲の家臣団の子孫が武田信玄の家臣団にもなってる
67: 名無し 2018/02/07(水) 15:12:17.47
>>61
新田次郎なんかそれだよなw
いや俺もだw
69: 名無し 2018/02/07(水) 17:59:32.36
>>67
でも新田次郎は義仲の小説書いてないんでは。
武田信玄、勝頼は書いてるが。
65: 名無し 2018/02/07(水) 12:08:57.88
まあ義仲と義貞のファン層は似通ってる
70: 名無し 2018/02/07(水) 18:06:37.96
長野の諏訪出身だから思い入れはあるんじゃないの?
なかったら不思議だ
72: 名無し 2018/02/08(木) 09:50:17.49
信州人にとって木曽義仲は神のはず
次が武田信玄と真田一族
74: 名無し 2018/02/08(木) 12:07:49.92
新田次郎みたいに先に新田義貞のファンになると木曽義仲には向かわないのかも。
先に木曽義仲のファンになると同類の新田義貞のファンにもなってしまう。
77: 名無し 2018/02/08(木) 16:24:40.66
武田信玄好きは徳川家康も好きだと同じ論理。
武田信玄が好きなのに徳川家康が嫌いだとは余り聞いたとがない。
90: 名無し 2018/02/10(土) 16:52:18.05
たった14日で鎌倉幕府を壊滅させた新田義貞には日本史上最強の戦術家という称号を贈りたい
101: 名無し 2018/02/12(月) 17:11:13.30
>>90
新田義貞の戦術能力はピカイチであった
本当ここら辺が評価されないよね
139: 名無し 2018/02/14(水) 18:02:56.38
新田義貞と木曽義仲より新田義貞と源義経が似てると思うのは俺だけだろうか?
140: 名無し 2018/02/15(木) 07:29:11.07
>>139
義貞の戦死は義経みたいに切羽詰まったもんじゃなかったが。
正成だって湊川で無理して死ぬことはなかったんだがな。
147: 名無し 2018/02/16(金) 10:25:58.69
>>139
あえて源義経と新田義貞の共通点を探してみると。
・平氏の息の根を止めた最大の功労者
・最後まで天皇に従えていたが新体制派に攻撃され孤立して自害
・政治能力は欠けていても戦略的撤退もできて戦闘での騙し討ち謀略は得意
・女に振り回されやすい
あれ意外に共通点が多い?
143: 名無し 2018/02/15(木) 16:49:16.91
よくよく読むと太平記では新田義貞は最大級に賛美されてる
しかも後醍醐は臨終の際に楠木正成への言及はないのに新田義貞を最大の忠臣だと讃えてる
平成時代から下等評価され始めた
144: 名無し 2018/02/15(木) 16:52:14.77
しかし南北朝の武将だけが時代が変わるたびにコロコロ評価が変わり過ぎないか?
しかも坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで時代に否定されると全否定されてしまうのも南北朝の武将のみ。
146: 名無し 2018/02/15(木) 22:19:36.95
太平記を読むと新田義貞はかっこよすぎて落ち目なし。
後醍醐が遺言で直に言及してたのも義貞のみ
149: 名無し 2018/02/16(金) 20:37:12.88
楠木正成との間で何があったんだろう
150: 名無し 2018/02/16(金) 21:25:51.84
>>149
正成は後醍醐に義貞を捨てて尊氏を採れといってるからな。
179: 名無し 2018/02/19(月) 17:22:35.27
義仲の勢力圏は一時的だが信長を上回っているんだよな。
挙兵から僅か数年で畿内を中心に支配したんだからもっと評価されていい。
186: 名無し 2018/02/20(火) 17:28:22.19
>>179
木曽義仲が信濃幕府を創設してたら・・
187: 名無し 2018/02/20(火) 17:50:57.70
>>186
京都を離れて信濃に帰るのか
おそらく周りは付いてこないだろう
平家は西国で盛り返し
頼朝は義仲を警戒して京都に進めず
義仲は北信越で地盤固め
三国志の様相となるか
180: 名無し 2018/02/19(月) 18:16:22.63
スレ違いになるが藤原秀衡が1200年くらいまで生きとったらどうなっただろうか?
181: 名無し 2018/02/19(月) 18:52:05.99
いずれにせよ鎌倉軍は奥州に侵攻していきそう。
でも秀衡がいれば奥州も一枚岩で結束するから史実のように簡単には倒されることはない。
義経は山岳地帯を利用した遊撃隊で鎌倉本隊を翻弄する役割かな。
もちろん平泉側が勝利ってことはないだろうけど。
よくて和睦、悪ければ数年後に完敗ってところか。
201: 名無し 2018/02/26(月) 22:32:17.08
義仲は最期がもうちょっと何とかならんかったかと思う
兼平の見事というしかない自決ぶりに完全に食われてしまってる
平家物語だと、巴御前と兼平の今井兄妹が最後全部持ってったみたいな感がある
202: 名無し 2018/02/27(火) 22:08:22.18
巴は和田義盛の妻になった?
203: 名無し 2018/02/27(火) 22:13:37.08
そう言われているけど根拠は何もないんだよな
ちなみに朝比奈義秀はその息子だという伝説がある
205: 名無し 2018/03/01(木) 17:53:06.04
木曽義仲は源義経に惨敗したのが痛かった
もう少し見せ場はなかったのか
206: 名無し 2018/03/01(木) 22:03:12.58
西に平家 東に源氏
南に小粒の新宮行家
義仲包囲網が出来ていた状態ではどうにもならんじゃろ
207: 名無し 2018/03/01(木) 22:28:35.15
最期は義経も似たようなものではある
寡兵劣勢もはやこれまでというところで、義仲は田んぼにはまり、義経は寺にこもった
粟津に小屋でもあれば、兼平は弁慶と同じく義仲の自害まで絶対死守したかもしれん
もはやこれまで、という場面で総大将たるもの自決するか、最後の突撃で戦死か
捕まって刑死するかだが、日本では自決が一番多い感がある
義経、正成、勝頼、信長、久秀、信長、吉継、秀頼、隆盛に旧軍の司令官たちと各時代に満遍なくいる
義貞、義仲、光秀らは少々特殊な感がある
最期まで戦って死ぬというのは意外と珍しい気がする
足利義輝、天草四郎、山崎大佐とか、海外だがコンスタンティノス11世の突撃の
話はさすが最期のローマ皇帝と思う
211: 名無し 2018/03/02(金) 13:19:23.83
>>207
湊川の戦いで楠木は逃げようと思えば逃げることはできた。
209: 名無し 2018/03/02(金) 00:15:50.46
自決を選ぶのは、日本は晒し首という習慣があるからじゃないの?
真田幸村も最後まで戦った派かな
208: 名無し 2018/03/01(木) 23:47:06.16
義経は逃亡説が現実味をおびている
212: 名無し 2018/03/02(金) 15:54:55.93
光秀、秀頼、隆盛も生存説があるな
だからこそ首実検して本人確認したことを満天下に示さねばならん
213: 名無し 2018/03/02(金) 16:10:40.08
源義経と真田幸村は最期から生存説に至るまでの経緯が似すぎてて転生者かもよ
214: 名無し 2018/03/02(金) 16:45:05.10
>>213
為朝も似とる。
215: 名無し 2018/03/02(金) 22:59:06.26
源為朝は木曽義仲以上の暴れ馬
216: 名無し 2018/03/03(土) 06:41:56.26
>>215
義平っていうのもおりまっせ。
219: 名無し 2018/03/03(土) 16:43:28.82
源為朝はもっと有名になるべき
源 為朝は、平安時代末期の武将。源為義の八男。母は摂津国江口(現・大阪市東淀川区江口)の遊女。源頼朝、義経兄弟の叔父にあたる。
身長2mを超える巨体のうえ気性が荒く、また剛弓の使い手で、剛勇無双を謳われた。生まれつき乱暴者で父の為義に持てあまされ、九州に追放されたが手下を集めて暴れまわり、一帯を制覇して鎮西八郎を名乗る。保元の乱では父とともに崇徳上皇方に参加し、強弓と特製の太矢で大奮戦するが敗れ、伊豆大島へ流される。しかしそこでも国司に従わず、大暴れして伊豆諸島を事実上支配したことから、追討を受け自害した。