行ける?行かなければそれなりの罰則を受けることになる。
投下16時間後に入って爆心付近で 1週間作業した賀茂郡北部防衛隊ってのがあるが、残留放射線の事を言ってるのであれば、被爆量は大した事はなかったらしい。(推定最大 12rad、平均 1.3rad。10radは、S50年以前までであれば胃透視 1-2回、最近の胃透視なら3-5回分の線量。)
「ヒロシマ・残留放射能の 42年」(日本放送出版協会,1988)
ゲンで復旧作業に借り出された兵士が死んだシーンがあったがあれってありえないことなの?
その兵士が被爆した食べ物を食べたとしたらあり得ると思う。
落語の名前は忘れたけど、あの人がそれですね。
亡くなっていませんが、二児被爆です。
NHKのラジオでご本人さんの体験記を聞きましたが、
「軍医殿!!患者に水を上げても良いでしょうか?」
「ダメだ!!そんな事をしたらすぐに死ぬ。」
「しかし、どうやっても助かりは・・・・。」
「うむむ・・・。」
黙って、軍医は水をやるように指示をする。
もちろん、患者も水を飲めば死ぬことはわかっているのだが、
水をあげると、「ああ、兵隊さん、ありがとう・・・、ありがとう・・・」と言ってしばらくして亡くなります。
この部分が、ああ、生き地獄だなと思いました。
>>342
あり得ない事では無いと思う。
当時の粗末な食糧事情、被爆者の多くは被爆以来20日間主食以外副食の配給を受けていないと言う報告がある、復旧作業員も同様だと思われる。
炎天下の過酷な作業、水分補給も十分行われたか疑わしい。
鬱な作業で免疫力低下、調査等が行われたとの記録はないようだが。
入市被爆者のデーターがあまり無く、俺の脳内ソースだがこれに少ない量でも放射線被曝したら・・・
あと作業者の中に無傷や軽傷の直爆の人達がおり、その人達の死が混同されたケースも有ると思う。
これも多分に脳内ソースだが・・・
江戸屋猫八師匠は、仲間も後遺症に苦しめられていると言ってましたが、その場で死んだという話はしていなかったです。
ですから、バッタバッタ氏ぬというのは無くて、二児被爆で死んだ人もいたと言うくらいではないでしょうか。
家族を探しに行って、帰ってきた人の話は多いですが、その中ですぐ死んだという話は出てきません。
もし、それが本当に頻繁だったら、私も死んだかもしれないなんて言葉があっていいように思います。
ですから、そんなに多くはなかったかなと思われますです。
ただし、危険な現場ですから、それなりの方が救助作業中になくなったでしょうね。
>>342
被爆線量は主に染色体調査による推定値で、
------
「爆心から 500m以内の直接被爆者では細胞100個に 30-40個以上の細胞に異常が見られるが、2kmになると 5%に減る。賀北隊員はせいぜい 2%で、2.5-4km遠距離直接被爆と同程度」
入市被爆の場合、50rad以上、あるいは数十radと言う被爆はなかったと言う点で一致。
「これまでの経験からして、生物学的な効果として危険性があるとか、そういう問題は考えられない」
------
だそうだ。でもって、フォールアウトの影響は殆ど無視できるらしい。
放影研による早期入市者(約4500名)の疫学調査では「死亡率は遠距離被爆者や非被爆者のそれと変わらなかった」とのこと。
原爆症で急性死亡という隊員はいなかったらしいが、急性症状を呈したという話はあったようで、
------
調査総数 99名中、はっきりと急性症状を示したものは数名見られたが、下痢、歯齦出血、口内炎などは被爆直後の栄養障害、苛酷な肉体労働、精神的ストレスを受けたことを考えれば、放射線に直接起因するものではなく、これらの異常環境要因で起きた事も充分考えられる。
しかし例え若干名であろうと通常この程度では急性症状は無いと考えられていることからすると、特殊環境下における人体の抵抗性の低下による可能性も考えられ、興味深いものがある。
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あと、入市救護活動した医者の日記等には「広島には現在赤痢が流行しているから、原爆症以外に赤痢の混合感染も考慮すべき」
という話なんかもあるので、その「死んだ兵士」の話が事実あったとしても、入市被曝とは無関係の感染症等が原因である可能性が高いんじゃなかろうかと。
おお、ありがとうございます。
そうすると、いろいろな要員が考えられる。
放射線の影響だけとは言い切れないが、不自然な部分があるので放射線障害かも知れないって所ですか。
ゲンに出てくる救援というか遺体焼き部隊は、市内南部の宇品港にいた暁部隊関係者と思われ。
一応彼ら自身も被爆者なのでし。
ニュース
摘出しないの?
ガラスがジャリジャリはマズイかと・・・。
粉になるからね。
すでに粉末上になっててジャリジャリするんだって。
で、1~2年に一回くらい小指大の大きさになって出てくるんだよ。
何回か見せてもらったけど赤か黄色のアメ玉みたいな真ん丸の玉なの。
ああ、それって取れないんですね。
一二年に一回って、結構な頻度ですね。
それが出てくるというから、人間の体って、ものすごいですなぁ。
>>360
女の子被爆してから、時々発作のように頭が痒くなって、結局15年後ぐらいによく調べたらガラスの欠片が刺さってた、という話を思い出した。
たしか「絵本で」読んだんだっけ
枕崎台風で洗い流された事になっている。
それって放射能とカンケーあるの?
爆心直下だもん。爆圧でゆがんだんでしょ?確か欄干がだるま落しみたいにズレたのも元安橋でなかったか?まあどちらにしてもそれは先代の橋の話だが。
相生橋じゃありませんでしたっけ?爆風で曲がったのって。
ほとんどは直後の枕崎台風で流されてしまいましたが
中沢先生がコラム出してなかったっけ。
中沢さんは昭和天皇が…んだとき喜んだのか?
そこまで鬼畜じゃないだろ
漫画では命狙われてもおかしくない位
非難してたよ
作品と人格は別だろ。
あの世代に天皇やアメリカを心底憎む連中がいても不思議じゃないよ。
漏れの回りにもいっぱい居る。
それだけの体験をしてきた世代を、今の平和な時代の価値観で評価するのはちょっとな。
俺の知る限り、戦前教育を受けてきた
じっちゃん方に、そんな人はいなかったなぁ。
年に数回ある戦友会の旅行に、楽しそうに参加していたよ。
戦時中子供で、戦後にアカの影響を受けた団塊世代の話じゃないの??
俺のじっちゃんは 戦争で自身死にかけて 弟も死んじゃったけど
戦争イクナイ って言ってただけで 国は大切にしなきゃいかん っていってたよ
まあ 田舎だったから 街の人とかと比べると戦後の苦難とか少なかったせいかもしれないけどね
んにしても 福井市(漏れの田舎は更に山奥なんだが)なんか空襲する必要なんか ほんとにあったんかいな
あんな なんもない田舎町
誰か福井空襲について 理由とか知ってる人いたら 詳細キボンm(_ _)m
俺の実家の前の山の向こうが福井市なんだが 空襲の夜は昼間のように明るかったらしい
翌日避難民とかがゾロゾロやってきて そりゃあ気の毒だったって ばさまが言ってた
原爆に関係ないのでsageとくね
>>410 一応、張っときます。
http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/zusetsu/D23/D231.htm
↑リンク切れ
原爆の模擬弾(パンプキン爆弾。)
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu-mogi.htm
>>411
興味深い資料 ほんとにありがとうm(_ _)m
死者1500人 ってどうなんだろ・・・ 多かったのか 少なかったのか・・・
まあ でも 壊滅率は相当高かったようだな・・
敦賀にも空襲があったとは驚いた
米軍は重要性があったから空襲したって発表してるようだが 信じられるか!!
なんせ人体実験で原爆おとすような国だからな
ひとつ気になることが・・・
日中戦争での 日本軍の重慶への空爆って ほんと?
なんか この解説の言葉の節々に 自業自得主義的な言い回しがあって 胡散臭いものを感じたからさ
まあ 本当だったら日本軍の非も認めるべきだとは思うが・・・
なんせ教科書に大大とのってる南京大虐殺でさえ(ry
本当もなにも、都市への無差別爆撃の嚆矢のひとつが日本軍の行為なのですが。
順番的にはゲルニカのほうが早いのでは?
まぁ先駆者では有ると思うけど。
そうですか すいませんでした
南京大虐殺の真偽や詳細は知らんが、
海軍航空隊によって昼夜を問わない無差別爆撃があった事は確か。
当時の日本海軍がアメリカ並に物量作戦できたとでも?
たしかに、日本海軍航空隊による”渡洋爆撃”は有名だが、
目標に着弾した爆弾が少ないことは、あまり知られていない。
>>450
要するに外したってこと?
第2次世界大戦時の爆撃ってあまり精度は良くなかったらしいが、
日華事変時も同じようなものだったってことか。
そういう意味じゃ、アメリカって実に正しい攻撃の仕方をしてるよな。
攻撃精度より数の力。
なんとその人は8月6日に広島で被爆した後、実家の長崎に戻ろうと
列車を待ってやっと3日後に実家に帰ったそうだ。
それで玄関を入って「ただいま・・」と言ったとたんまた被爆。
もう70近いおじいさんだったけど未だに生きてるかな?
人生で二度も被爆体験がある人ってあのおじいさんくらいしかいないんじゃない?
三菱造船関係者が3人広島・長崎の両方で被爆している、
その内の2人が手記を書いているが。
ウチの会社の創業者兼社長(広島県民で被爆者)が酔っぱらうと必ずでる口癖。
「キミィ、なんで広島に原爆落とされたか知っとるか?広島は地侍の国じゃきいのう」
スミマセン社長、意味不明です。
しかし1年後にはすでに「仁義なき戦い」だし…
トルーマンの声明として7日にアメリカのラジオで放送されたんだよ。
たしか75年だったと思うが。
「無差別」爆撃なんだと思うが…
全然違うぞ
少なくとも日本軍のは戦略目標だけを狙った
アメリカ軍はわざと下町の住宅街を狙ったんだ
兵隊を撃とうとして隣の民間人に当たってしまったのは
過失だが初めから民間人を殺そうとして撃ったら殺人だ
だから、米軍のアレは「戦略爆撃」。
日本軍のアレは「無差別爆撃」。
を示している。さらにグローブス少将は目標選定の時点で原爆の損害をはかるため
いまだ空襲を受けていない都市・軍事施設と住宅街が隣接していることなどを条件
に挙げている。それと原爆投下目標を相生橋に選んだのはT字形の橋を見て都市部
の中心と判断したため。実際は風でそれて島外科病院上空で破裂したわけだが。
「もう侵略戦争はしません。安らかに眠ってください」と非戦の誓いを全世界に誓ったはずなのに、有事法制整備や住基ネットやイラク侵略賛成など恐ろしいことを次々と実行しています。
時計の針を逆転させる動きにアジアの国々がおびえています。
暗い時代がまたやってくるのでしょうか・・・・
>>466
心配すんな。平和記念碑にも書いてあるだろ「あやまちは繰り返しませんから」って。
同じ過ちは繰り返さないのが日本人だからな。次の戦争は勝つから心配ねえよ。
>同じ過ちは繰り返さないのが日本人だからな。
ノモンハンやインパールで同じ失敗を繰り返してるような。
まず爆心地の違い。広島の爆心地は市の中心街(島外科病院上空)なのに対し、長崎の爆心地はテニスコート上空(当時は芋畑)上空でした。おまけに爆心地付近の地点は中心街から離れていました。もうひとつ投下時刻の違い。広島の8時15分という時刻は通勤・通学ラッシュだった。つまり最も人が中心街に向かって移動している時間であり屋外にいる人も多かった。
長崎の場合は昼前であり屋外にいた人は広島よりはるかに少なかったと思われる。
あとついでに広島の地形に問題がある。広島市は山に囲まれた地形ゆえに爆風が山に跳ね返り二次的な爆風を生み出したといわれている。
>>470 誤認が多い
>テニスコート上空(当時は芋畑)上空でした。
仮に広島の爆心地がテニスコートでも被害は変わらないよ。テニスコートの広さを知ってるのか?
それに当時既に芋畑ではない。爆心地は病院で刑務所もあったが周りは住宅地。
半径1.5km以内ではごく一部の鉄筋コンクリート建物以外は屋内屋外は関係ない。
>広島市は山に囲まれた地形ゆえ
長崎の方が山に囲まれて複雑な地形だよ。山の陰で直撃を免れた地区も多い。
長崎は第一目標の小倉を雲であきらめ長崎でも雲が多く原爆投下をあきらめる寸前だった。
当初予定の爆撃点(市街地中心部)を外れて市街地の北端である浦上地区に落としたのが被害が少なかった原因。
ここは明治時代までは長崎扱いされてない場所なんだから。
広島は爆撃地点が予定に近かったので被害も大きかった。
根本的な違いは作戦予定通りだったかそうでなかったかということになる。
広島は官公庁・軍隊・商店街のど真ん中に落ちました。一方長崎の投下地点はそれとははるか遠く。
広島市の場合はその山に原因がある。つまり二次的衝撃波を生み出して市街地に再び跳ね返ってきたのだ。
もし原爆が落ちてたら俺生まれてないかも・・・。
たしか小倉の雲って前日の八幡空襲の煙が流れてきたものらしいね。
もしボックス・カーと観測機との合流が遅れなければ
計算上煙が小倉上空にたちこめる前に到達してたことになる。
運命ってわからないもんだなあ。
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