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【戦国いい話83】前田の両腕「村井長頼」「奥村永福」、結城秀康の槍

2022年11月9日

365: 名無し 2008/11/13(木) 23:34:04

前田の両腕(一)

信長の美濃攻めのころ、若き前田利家の姿もその軍勢の中にあった。
しかし、信長の近習を斬っての逐電から帰参を許されたばかりの利家に従う者と言えば、若党の長八郎ただひとり。

利家「とは言え、わしは初陣の折、父上よりいただいた金子が未だふところにある。いざとなればこの金で人を雇うなり、武具を新調するなりして功名をあげてやるわ。」
長八郎「それは良きお心掛け。実は、わしもいささかの貯えを常に持っております。」
利家「ならばお互い、いくら持っているか比べてみるか」 長八郎「応よ」

利家が4両3分、長八郎が2両1分持っていた。だが長八郎の知行など、利家の1/4も無い。
「すれば長八、割合で行けばうぬの方がわしより金持ちではないか!」 「( ̄ー ̄)ニヤリ」
大いに笑いあった。

それから利家は立身を重ねたが、折に触れ長八郎に
「2両1分を持っているか?わしは4両3分をまだ持っておるぞ」と話しかけ、長八郎こそが自分の一の家臣であることを周りに伝えることを忘れなかった。

長八郎も良く恩に答え、浅井・朝倉との戦では利家をかばって銃弾を受けたり、長篠の戦いで敵に足を斬られた利家のもとに駆けつけこれを救うなど利家の盾となり戦った。
やがて、利家の「又左衛門」より一字授かり又兵衛と名乗り、さらに 村井豊後守長頼 と名乗り、利家の筆頭家老として天下に名を知られた。

長頼の子は利家の娘を妻に迎え、その子孫は加賀百万石の重臣団「加賀八家」にあって松根城代として1万6千石を受け、代々年寄職を務めた。

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366: 名無し 2008/11/14(金) 00:15:09

前田の両腕(二)

永禄12年(1569)、信長は荒子城主・前田利久を「武者道少御無沙汰」の故をもって、その弟である利家に代えることを命じた。
利家が荒子城の受け取りに向かうと、門は閉ざされ、その前に立ちはだかる者がいる。

「織田の大殿がなんと言おうと、この城は利久様のもの。利久様の命あるまで、城を明け渡すこと、まかりなりませぬ!」前田家に代々仕える、奥村助右衛門であった。

利家も事を荒立てず、利久から譲り渡しの誓紙を取り、筋を通して門を開けさせた。助右衛門はなおも己の意地と忠義を通し、前田家を出て牢人した。

天正元年(1573)、利家は、越前攻めに向かう家中に見たようなみないような顔を発見する。
なんと、いつの間にか奥村助右衛門が騎馬武者隊に紛れこんでいた。
利家は黙ってこれを見逃した。助右衛門もこれに答え、刀根山の戦いで功を上げ、正式に帰参が許された。その後、末森城を文字通り死守したのはあまりに有名。

子孫は本家に1万2千石、分家に1万1千石と、「加賀八家」でも破格の待遇を受けている。

時ははるかに過ぎ去り

明治天皇が東京本郷の前田侯爵邸に行幸された時のこと。
侯爵邸の玄関に入ると、いきなり二組の古めかしい甲冑が飾ってある。
天皇が由来を尋ねると、

「これは当家代々の家臣、村井家と奥村家のものです。両家の長年の功労に報い、ともに晴れの行幸の名誉を分かつため、ここに飾り置きました。」
侯爵前田利嗣は、胸を張って答えたという。

 

368: 名無し 2008/11/14(金) 00:34:18
>>366
イイハナシダナー( ;∀;)

 

383: 名無し 2008/11/14(金) 12:17:42
>>366
いい話しだなあ
奥村は末盛の時に利家の黄金烏帽子の甲冑貰ったんだよな

 

369: 名無し 2008/11/14(金) 00:37:21

秀康の槍

結城秀康と福島正則、この二人、気が合ったらしく、よくお互いの屋敷に遊びに行っていた。

さて、ある時正則が秀康の屋敷を尋ねた折の事。奏者が秀康に取り次いでいる間に、正則は玄関に掛けてあった秀康の槍を何気に手に取り、鞘を外し、刃を爪にかけて見入ってしまった。

これを秀康の目付けが見てしまった。彼はすぐさま秀康に報告した。
たちまち、秀康の顔色が変わった。

他人の槍を鞘まで外して勝手に見ることは、武人の礼に外れた事である。しかも大名の槍であればなおさらだ。
秀康もこんなとき、黙っている男ではない。

「わしの愛刀、新藤五三桐を持って参れ!」

これは血を見る。近習の一人が気を利かせ、秀康に黙って御前を離れ正則の下に行き、「あなたが槍を見たことを秀康様がお知りになり、ご機嫌が…」と、耳打ちした。

すると正則
「…うっ!突然持病の発作が!すまぬが今日はこれにて!」

帰った。

さて、問題はまだ残る。主君の槍を他人に勝手に見られたこと、これは重大な管理責任である。
秀康の槍の管理を任されていた金左衛門という侍が、御前に現れた。

無論、切腹を覚悟の上である。

秀康はその槍をじっと眺めながら、金左衛門に言った。

「正則に爪をかけられたことは、恥ではない。だがこの刃に塵の一つでもついているようならお前を串刺しにしてやろうと思っていた。

…が、金左衛門、お前がどれだけわしの道具を大切に扱っているか、この槍を見て良くわかった。お前は、俺が見込んだだけの男だ。」

そう言って、新たに百石を加増した。

さて正則、その後秀康が顔を合わせるたび

「先日はせっかく来ていただいたのに、会えなくて残念だったよ。病気はもう良いのかい?」

と聞くので、ほとほと困ったとか。

 

371: 名無し 2008/11/14(金) 00:55:28
つーか玄関に無造作に掛けてる
秀康にも過失あるだろw

 

380: 名無し 2008/11/14(金) 09:09:01
>>371
なんで秀康に過失があるんだよw
玄関に槍を掛けておくのは当時は一般的なことだったんだろうよ。

 

373: 名無し 2008/11/14(金) 01:05:55
人の家の冷蔵庫を勝手に開ける育ちの悪い友達みたいだw

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