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【戦国いい話95】初鹿野伝右衛門の旗指物、加藤嘉明の家臣「河村権七」

2022年11月15日

633: 名無し 2008/11/20(木) 12:20:20

初鹿野伝右衛門の旗指物

武田信玄の12人の使番は「白地に黒のムカデ」を旗指物とするきまりで、彼らは「ムカデ衆」と呼ばれた。
しかし、ムカデ衆の1人・初鹿野伝右衛門だけは白地の旗指物を用いていた。
それを見た信玄は、
「ムカデ衆の中で白地の旗を指している奴は誰じゃ?なに、初鹿野伝右衛門じゃと。またアイツか。伝右衛門を呼び出せ!」とご立腹の様子。
「貴様は、ムカデ衆は「ムカデの旗指物」とする武田家の軍法は知っておろう。なぜ、軍法違反したのじゃ!!」
それを聞いた伝右衛門は、
「ちっとも軍法には違反してません。」と言い旗指物を信玄に見せた。なるほど、旗指物の隅っこに小さなムカデが描いてある。
これを見た信玄は、
「…。でもずいぶん小さいな。なぜ、他のムカデ衆みたく大きなムカデを描かないのだ?」
伝右衛門は、
「他の人と同じムカデを描いたのでは、戦場において、それがしの手柄が他の人とまぎれてしまいます。ゆえに、わざと小さなムカデを描きました。」と平然と答えた。
信玄は、それを聞いて大笑いしたという。
(武者物語)

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634: 名無し 2008/11/20(木) 13:00:51
ユーモアセンスありすぎだろうw

 

635: 名無し 2008/11/20(木) 16:25:33
主君が物わかりが悪いと打ち首になりそうで怖い。

 

645: 名無し 2008/11/20(木) 20:46:08

加藤嘉明の家臣に、河村権七という者がいた。

彼は関ヶ原でも大功をたてた者であったが、生来頑固であり、あるとき、嘉明と行き違いで口論となり、腹立ちのあまり加藤家を出奔することにした。
が、出奔した後「あいつは他の家に、今より良い条件で仕えるために出奔したのだ。不忠者だ」などと言われるのも片腹痛い。そこで、書置きを残した。

「この度お暇を頂くのは、他家に仕えるためではない。例え放浪の身になっても、加藤家以外に仕える事はない。今後加藤家に大事があったときには、何処にいようと掛けつける。」

そうして、出て行った。これを知った嘉明は渋い顔をしたが、そのままほおって置いた。

14年の時が過ぎ、大阪の陣となる。
この時、豊臣恩顧の大名の多くは、江戸に留守居として抑留された。無論嘉明もそうなった。
そしてこんな噂が流れた。江戸に抑留された大名達は皆、改易されるのではないか?

そんな嘉明の江戸屋敷に、汚い身なりをした修験者が現れた。「どうか殿にお目通りを」河村権七であった。

嘉明は驚き、対面した。「加藤家改易の噂を聞き、いても立ってもいられず参上いたしました。」

「…よく来た。書置きのとおりにいたしたな。」

嘉明はそれを喜び、河村を、元のように八百石で召抱える、戻って来い。と言った。
最初権七は恐縮したが、ついにこれに応じた。

「よし…。ではこちらに来い。」

嘉明は権七を、屋敷の一室に連れ出した。その部屋には、紫の布に覆われた、山のようなものがあった。
これはなんだろうと、権七が不思議な顔をしていると、嘉明は家臣に命じその布を取らせた。
その下には、莫大な金銀があった。

「権七、お前の俸禄じゃ。」

権七は混乱した。たった今八百石で仕えるとは言ったが、それが何故このような大金になるのか。
すると、その布を取った家臣が言った。
「これは河村殿が、『見聞の旅』に出ている間の俸禄を、殿の仰せで積み立てておいたものです。14年分で一万一千二百石。どうぞお納めなされ。」

「お前は14年前、言ったな」唖然とする権七に、嘉明は語りかけた

「他家には仕えぬ。わしの一大事には駆けつける。お前の忠心を思えば、わしにはおぬしの俸禄を、横領することなど出来なかった。そして今、その通りにしてくれた。

権七、またこの嘉明に、力を貸してくれ。」

権七はただただ、感涙にむせんでいた。

大阪の陣の後、会津四十万石に加増された加藤家において、河村権七は良く、嘉明を支えたという。

 

646: 名無し 2008/11/20(木) 20:54:18
俺の顔面から今、熱涙が垂直に飛び出してきた・・

 

649: 名無し 2008/11/20(木) 21:43:15
イイハナシだなー!

 

653: 名無し 2008/11/20(木) 23:32:11

>>645
どっかで見たことある名前だと思ったらこれか

401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/02(日) 12:23:21 ID:O1uOsHhC
関ヶ原の、奥方衆を守った話といえば、加藤嘉明のところの河村権七郎が、
嘉明の命で、苦労の末大阪の加藤屋敷に潜入して、屋敷に井楼まで組み上げて武装して
奥方を守り通したのだが、戦後、嘉明がこの功に200石の加増を言うと
河村「オレがどれだけ苦労して奥方守り通したと思ってるんですか!それをたった200石!?
オレの功を関ヶ原で訳のわからん首取った連中と一緒にする気か!あんた何にもわかってないよ!!」

って言って大喧嘩になって、結局河村出奔、ってのがあったなw

 

655: 名無し 2008/11/21(金) 04:48:27
>>645で感動したんだが>>653と併せて読んだら加増は結局200石止まりなのか・・・

 

656: 名無し 2008/11/21(金) 05:13:37
一万石分の俸禄って現代の価値に換算すると数億円分になるはずだけど
いったい河村さんはその大金を何に使ったのだろう

 

657: 名無し 2008/11/21(金) 06:55:08
家を買ったり色々使っても結構残りそうだ

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