日露戦争の最中だった1905年5月28日、島根県江津市の和木真島沖でロシアのバルチック艦隊「イルティッシュ号」は沈没しかけていた。荒れる海の中、白旗を掲げて岸に近づこうとする彼らを地元・和木の住民が救助し、乗組員265人全員が命をとりとめた。日本人が敵国兵を命がけで救ったというこの史実を多くの人に知ってもらおうと、ロシアでドキュメンタリー映画「イルティッシュ号の来た日」が製作され、モスクワの在日本大使館で完成試写会が行なわれた。
ロシアにとってこの映画の意味とは
この映画は、ロシア政府が出資している「祖国の歴史」基金が製作費を出し、ロシア歴史協会の後援で作られた。ロシアにとって負け戦だった日露戦争は、第二次世界大戦と比べて、これまであまり語られてこなかった。ロシア歴史協会専務理事で「祖国の歴史」基金事務局長のコンスタンチン・モギレフスキー氏は言う。
「基金では、年に15本ほど様々なテーマでドキュメンタリー映画を作っています。シネマプロダクションがこのテーマで応募してきて、コンクールを勝ち抜き、採用されました。すでに映画作りのための素材もありましたし、素晴らしいストーリーでしたから。この映画製作に関わった人はみんな、自分の職域・義務を超えて、この映画を完成させるために努力してきたし、私たちも精一杯サポートしました。歴史には明るいページも暗いページもあります。日本とロシアは隣国としてそのどちらも経験しました。良いことが繰り返され、悪いことが二度と起こらないように、その全てについて私たちは知り、語っていかなければなりません。」
和木ってどんなところ?
当時の和木では交通・通信機関が発達しておらず、新聞をとっていた家はわずか一軒で、その新聞さえも松江から3日遅れで配達されるという状態だった。そのため村人らは、前日の対馬沖海戦で日本が勝利したことを知らず、イルティッシュ号が現れたとき、ロシア軍艦が攻めて来たと思い緊張が走った。
しかし助けを求めていることがわかると、海中に飛び込みボートを引っ張ったり、大怪我をしたロシア兵を背負ったりして、懸命の救助活動を行った。海とともに生き、漁に出ること自体が死と隣り合わせだった和木の人だからこそ、敵味方の区別なく、とっさにこのような行動がとれたのかもしれない。
映画には、救助活動にあたった村人の子孫で、和木町在住の小川斉子さんと母親の敬子さんが登場する。小川家は800年以上前から和木の地に住んでおり、ロシア兵が上陸した海岸や真島は、現在も小川家の私有地だ。映画では小川家の由緒あるたたずまいを見てとることができる。
乗組員とその子孫、その後どうなった?
救助された乗組員は、松山を経由してロシアに戻り、それぞれの人生を歩んだ。映画には、イルティッシュ号の乗組員、ウラジーミル・ロジャンコ中尉の子孫にあたるアレクシス・ロジャンコさんが登場する。ロシア革命で祖父母が米国に亡命しニューヨークで生まれたため、現在は米国籍をもちながら、モスクワで在ロシア米国商業会議所会頭として働いている。ロジャンコさんは2019年、小川斉子さんとの対面を果たしている。
バルチック艦隊の司令長官であったジノヴィー・ロジェストヴェンスキーのひ孫にあたる、ジノヴィー・スペチンスキーさんは、映画の中で、複雑な半生を語っている。フランス・ニースで生まれ育ったが、フランスに残りたい父と祖国に戻りたい母との板ばさみになり、母とともにソ連に戻る。しかし曽祖父は日露戦争敗北の「戦犯」扱いされており、墓が破壊されるほど人格が否定されていた。スペチンスキーさんは曽祖父と同じように海に関係した仕事につくことを望んだが叶わず、フランス帰りということで差別され、様々な職業を転々とした。
映画のラストには、沈没したイルティッシュ号の名を引き継いだ新イルティッシュ号が登場する。現在の新イルティッシュ号は、100床を擁するロシア国防省の病院船である。人類愛を象徴するイルティッシュ号が、今は人助けを使命としていることに、ただならぬめぐり合わせを感じる。
https://jp.sputniknews.com/culture/202109068677750/
大黒屋光太夫が江戸時代に漂流してロシアを横断する話が面白いぞ
YouTubeで動画探してくれ
それ吉村昭の小説で読んだ。めちゃくちゃおもしろい話だった。
おろしや国醉夢譚読んだよ。いい本だった。
桂川甫周『北槎聞略』も是非読んでみてほしい
帰国後の光太夫に儒者甫周が聞き取りを行いまとめたもの
悲惨じゃない戦争なんてないんだが?
昔の戦争への考え方、戦い方を今の技術や常識で裁くなよ
日清日露戦争までは良かったっていう現実
司馬遼太郎がそんなこと言ってたな。でも単に勝った戦争を肯定して負けた戦争を否定してるだけのような気もする。
>>56
> 司馬遼太郎がそんなこと言ってたな。
>でも単に勝った戦争を肯定して負けた戦争を否定してるだけのような気もする。
同感だね
日米戦も日露戦も日本がやってることに大差は無いと思う
少数の兵力で多数の兵力を相手にしつつ
ポイント稼いで有利な条件での講和狙いの戦争
それを最後までうまく凌いだか、途中で破綻したのかの違い
日露戦争までは大日本帝国の安全保障上の自衛戦争という側面にも納得出来る
開国以来、最大の脅威は常にロシア/ソ連の南下であったから
満州事変以降の侵略戦争についてはかけらも擁護出来ない
結構、奥が深いよ
おそロシアだけじゃないです
音楽と文学の感性は日本人に近いと思う
日本人には英語よりロシア語の方が向いている。ロシア人も日本語の発音は難しくないという。実際に完璧にできるようだ。
ロシア語の勉強始めた。ようやく筆記体に入れそう。
坂の上の雲の受け売りだけど。
あとロシア兵と日本兵がなんかラブラブで仲良く追いかけあう当時の絵を見たけどあれほん
とにあったのかなあ。
>>46
松山の捕虜収容所の話か?
後年アメリカ相手でも勝てるなんて謎の無敵信仰に至らなかっただろう。
ネルソンのように東郷もあの戦場で戦死していれば後年軍縮条約の時に
老害化して日本海軍に亀裂を生むことも無かった。
勝てるとは思ってなかったんじゃね?開戦前に山本五十六だったか、「1ヶ月や2ヶ月ならアメリカがビビるくらい大暴れしてやるけどそれ以上長引いたら無理ゲー」みたいなこと言ってたはず。
「半年や一年」だろ、確か。
日露のときは貴族くらいしか黄色差別してなかったのが第二次辺りになると民間まで差別主義に変わるからな
この事件関連のことはスプートニクではたまに出て来る
・敵国兵を救った人類愛、絵本に:日露友好のシンボル、イルティッシュ号(18/10/05)
・武道フェス「ロシアの翼」で、日露戦争時に島根県民が敵国兵を救助した史実を紹介:子孫も発見(19/08/13)
・114年の時を経て、人類愛と日露友好の奇跡が生んだ歴史的対面「人を助け、助けられることは素晴らしい」(19/11/27)
・日露戦争中に敵国兵救助、人類愛の象徴イルティッシュ号をテーマにした映画がロシアで完成(21/09/06)
>>89
というか「戦争のルール」みたいなのが辛うじて息をしていた最後の戦争かな
相手側が捕虜にして手厚く看病してくれることを期待して退却時に動けない重傷者を敵に委ねるのも普通にあったし、日本側もロシア側も捕虜として収容した重傷者を実際にきちんと面倒を見た
捕虜になった将兵も、その事を責められることはなかった
これ以後は、総力戦の名のもとに民間人を巻き込んでの殺戮や、救助せずに放置するのが全世界で横行する
そんなんだから舐められて北方領土に居座られるんだよ
シベリア抑留をやった国だぞロシアは
シベリア抑留をやったのはスターリン率いるソビエト連邦
あぁ みたことあるわ ロシア兵捕虜が温泉でくつろいでる古い写真
地元にあるロシア人墓地は小中学生がボランティアでいつも綺麗にしてるわ
今の国際関係とは全く関係ない話だけどね
満州利権を日露英で米に対抗できなかったんだろうか
ロシア革命が悪い
日英露で組んで対抗はしてたけどね、米が計画した満州鉄道並行線の計画を、出るたびに3国でスクラム組んで潰してた
当然、日米の対立は深くなっていく