嘉永6年(1853)
・前菜
お茶
吸い物(花鰹・そうめん・芹)、数の子、蕗
冷酒
肴として、田作、イカ、昆布、
膳を変えて
吸い物、葱の酢味噌和え、玉子焼き、イナゴ、刺身
錦糸玉子、タコ、芹、しいたけの盛りつけ
・本膳
皿料理(千切り大根、刺身、岩茸、鳥、なます)、肴(栗、スルメ、人参など)
汁(田作、大根)、猪口[小さくて深い椀](こんにゃく等)、飯
・二の膳
平[浅くて平たい椀](椎茸、ゴボウ、鱒、スルメ、青板[昆布を干したもの]、ちくわ)、飯
組合(エビ、切り身、イナゴ)、清酒、汁、奈良漬
タコ、ぜんまい、エビ、刺身、蓮根、九年母の果実(みかんの一種)、玉子、羊羹、はも、しらす、吸い物
ニュース
長野なのに海産物多いなあ
イナゴあるのが諏訪っぽいけど
早飛脚の兄ちゃんが頑張ったんだな。
---細井和喜蔵「女工哀史」より、女工の一週間の献立-----
曜日 朝 昼 夕
月 大根汁、たくあん 油みそ、たくあん ヒジキ、たくあん
火 かぶ菜汁、たくあん 金時豆、たくあん 豆腐豚汁、たくあん
水 梅干、生姜 数の子、たくあん 大根、たくあん
木 大根汁、たくあん 大根、たくあん 塩鮭、たくあん
金 菜っぱ汁、たくあん 里いも、たくあん 福神漬け
土 梅干、たくあん 豆腐汁、たくあん 大根、たくあん
日 豆腐汁、たくあん 干物、生姜 千切、たくあん
飯は食い放題でした。
脚気不可避
火曜日の豚汁でビタミン補給
木曜日の大根率の高さが異常すぎる
平日の昼間から数の子かよ
当時は安かったから
ニシン漁の歴史とか知らないと不思議に思うかもね
女工哀史の時代の北海道におけるニシン漁獲量は年間50万トンくらい、今は3,500トン前後
北陸の糞田舎食糧難とは無縁の金沢に進駐軍の白人がやって来た。
ある日キャンプを覗いて見ると白人が質素な物を食っていたので、ひい婆ちゃんに報告。
するとひい婆ちゃんが「可哀相だから、これを持って行きなさい。」と言って鍋一杯の治部煮を渡して持って行った。
味見をした白人からは感謝され、大量のコーンビーフやココアなどをお返しにもらって帰宅した。
肝心の白人が食っていた質素な物はフライドポテトでした。
奮闘空しく捕虜になった英国軍兵士。
シンガポールから佐世保を経て東京大森捕虜収容所に移送される途中、大阪で飯が配給されました。弁当でご飯と焼き鯖・野菜の煮物・漬物・そしてメインの鯨のフライでデザートは鶴屋八幡の干菓子でした。
最初は顔をしかめた英国人でしたが美味いと分かるとがつがつと食べたそうです。
特に小瓶のウスターソースと鯨のフライが好評だったそうです。しかし、汽車土瓶のお茶を飲む時にクレームをつけ「砂糖が欲しい」の一言。英国人は緑茶に砂糖を入れて飲んだそうです。
ちなみに、その弁当を作った会社
↓
http://www.suiryoken.co.jp/
メインに鯨のフライなんかだすとは、もうすでに食料事情が悪かったんだな。