18世紀を代表する卓越した君主である大王を語り尽くそう。
また大王に関する伝記・書籍についても情報あればお願いします。
けどピョートル3世は大王ファンだったんだよね。
ラッキーってだけじゃなくカリスマ性で助かった部分もあると思う。
けどピョートル3世といいヨーゼフ2世といい大王ファンはあんまりぱっとしない印象。
ピョートル3世は、エカテリーナ2世が自分達を正当化するために貶めたせいもあるんだろう。
美人の嫁さんをもらったが、子供どころか全く手を出さなかった。
姉以外の女を見下し、馬鹿にしまくっていた。
士官の膝枕で仮眠をとったりしていた
導き出される結論は・・・・・・・・・・?
ラインハルト・フォン・うんちゃら
赤髭皇帝は情けない最後だし、白ひげ兜は戦争指揮してないから派手さにかけるし、ちょび髭伍長はユダヤが怒るし
結果的に髭無し大王がドイツ屈指の英雄ということになっている
フリードリヒ大王にせよ、
偉大な人物は何故たいてい男色家なんですか?
アケメネス朝ペルシャの王女とも政略結婚をしているよ
男色もしていたならホモではなくバイでしょ
男子をもうけていたら歴史はめちゃくちゃ変わったな
というか当時のヨーロッパ地図がすさまじく変わったろうな。
当時どころか後世にも相当な影響あっただろうな。
フランス革命が起きなかった可能性も結構ある。
少なくとも王妃があのマリー・アントワネットでなかったら、
ああいう形にはならなかったと思う。
フリードリヒ2世VSフランス大元帥モーリス・ド・サックスの
ドリームマッチが見られたな
フリードリヒ大王は大の女嫌い。
女と結婚なぞ政略上も無意味!
私はそもそも彼が言われるほど女嫌いだったかに疑問持ってるけどなあ。
兄弟で一番仲良かったのは姉だと言うし。
ホントに女嫌いだったら姉も嫌いだろう。
マリア・テレジアに関しては「父親が死んだら周辺諸国が戦争始めるのも読めずに
先祖代々の領土も持てない男と恋愛結婚した女」
という意味で見下していた可能性が高いと思う。
彼の合理主義的精神からすれば「よりにもよってフランツと」だろう。
フランツ自体は良い奴だと評価していたとは思うけど、
現代流に言うと「恋愛と結婚は別」みたいな。
「自分との結婚のために、フランツに先祖代々の領土を捨てさせた女」
だからな、マリア・テレジアってのは。
父親の方はフランツに帝王学の教育受けさせたがマリア・テレジアには受けさせず
ならば父親が死んだらフランツに権力持たせるかというとそうはならなかった。
実際にはフランツからの又聞きで勉強していたらしいが、
プロイセンという遠方からでは分からない。
君主としてのまともな教育を受けていないという認識の女が権力握ったら、
十八世紀当時としては見下したくもなるだろう。
当の女性がいる宮廷ではそれを言ったら自分の首が危ないが、
フリードリヒはプロイセン国王だから。
恐らく、内心で彼に喝采送ってた男もいただろうと思う。
勝ち目がねえ。
コリーンの敗戦で俺なら気持ちがおれてるw
ロシアのエリザヴェータ帝はなんで
あんなに大王が嫌いだったんだろう。単なる感情の問題か?
・プロイセン貴族時代に王宮のサロンとかで女嫌いの大王に嫌味を言われた
・夫が大王大好きで戦争止めて講和までしちゃって周囲から突き上げくらって肩身の狭い思いをした
このへんだと思ってるが真相は知らない
つか何で外人はあそこまで個人名に無頓着なんだろね
「東洋と比べると、家名よりも個人名を大切にする~」
みたいな事習ったけど絶対嘘だわ
何でも先祖との連続性を確認するために
先祖と同じ名前にするんだとか。
ハノーヴァー朝のジョージ王連続とか
ブルボン朝のルイ王連続も原因はこの辺でないかと。
日本で言うなら徳川氏が歴代「家」の字を引き継いだのと似てる。
古代ローマに比べたら個人名増えた方だから文句なしな。
あっちには個人名8つしかない。だから姓やあだ名で呼ぶ。
フリードリヒ=ヴィルヘルム大選帝候
フリードリヒ1世
フリードリヒ=ヴィルヘルム1世
フリードリヒ2世
フリードリヒ=ヴィルヘルム2世
フリードリヒ=ヴィルヘルム3世
フリードリヒ=ヴィルヘルム4世
ヴィルヘルム1世
フリードリヒ3世
ヴィルヘルム2世
こんなに受験生にとって覚えやすい王朝もそうそう無いですよ
同じ名前ばかりでも、かえって区別がつかないような…。
男子は全員「ハインリヒ」と名付けられる
一族のハインリヒ72世は序数が最も大きい君主としてギネスブックにも掲載されている
ちなみにヴィルヘルム2世の後妻がロイス家の姫
フリードリヒ大王たちは(北ドイツ諸侯)はドイツ系の君主を帝位につけたくていろいろ画策してたし
アンナ女帝なんかにも軍事顧問団(マンシュタインやヴィンターフェルト)を送って影響力を及ぼそうとしてた。
つまりロシア宮廷内では反エリザベータ勢力を支援してたのさフリードリヒ(大王)は
だからエリザベータに好かれるわけがない。
エカテリーナはアンハルト・ツェルプスト家令嬢で
プロイセン軍騎兵大佐ゲオルグ・ルードヴィヒ(・ヘルツォーク)
フォン・ホルシュタイン・ゴットルプ公爵に嫁ぐはずだったのに
フリードリヒ2世自体がロシア皇帝(この人もホルシュタイン・ゴットルプ家)に嫁入りするように
計らったんだから態度が違って当然だわ。
志向も才能も違うけど有能な親子だった、というだけでは?
どっちが有能かなんて本格的によくわからんし、特にこの2人
でも名実ともに「プロイセン王」にしたのも、
肥沃なシレジアを手に入れたのも大王だからなあ。
さらにカトリック貴族もすこぶる日和見主義だったのが功を奏したね
鉱山を制した邦がドイツを制したのだね
シュレジエンの場合、ハプスブルク家はそこまで先祖代々の主君ということでもなかったからね。
もともとホーエンツォレルン家によって領有されていたり、相続される予定だった諸侯領を、ハプスブルク家が三十年戦争やその後の法令違反を理由に分捕ったという話なんだよね。そこがベーメンと違うところで、だからプロテスタント貴族も多かったんだと思う。
ちょっと斜めに構えてるだけな意見はいくない
それは大王も同じだけど
オーストリアもベーメンがあったけど、あそこはチェック人が多い被支配地域だったからな。
だからフリードリヒも、オーストリア継承戦争の最初はというか途中までは、シュレジエンの一部である
「もともと自家所有だったり相続協定結んでたりする諸侯領」しか要求してないんだよね。
恐らくシュレジエン全体からすれば半分行かない程度。
オーストリア宮廷で「その程度なら譲ればいい」という声が多く出たのも
一理あるという微妙なライン。
緒戦で負けた時点でマリア・テレジアが当面の奪回を諦めてれば、恐らくプロイセンも当初の要求領土しか取らずに終わって、史実よりオーストリアが取られた面積は少なかったと思う。
財布に三万円+色々カード持ってる金持ち相手に、一万円恐喝しようとしたら拒否されたんで,ぶん殴ってカードとか含めて財布ごと持ってったみたいなもんだからなあ。
言うなれば恐喝から強盗に変わったみたいなもんで、泥棒呼ばわりも無理ないとは思う。
ただ、相手の方も恐喝時点で応じてれば、被害が少なかったってのも事実。
これ以上の話については、その協定結んでた諸侯領がシュレジエン全体でどれくらい重要だったか、ってのにも寄るからどっちがどうとかは言いづらいと思ってるけどね。
ただ、フリードリヒの当初の要求に関しては、オーストリア側にも交渉の余地はあったはずだと思ってる。
父親同士の話になるけど、プロイセンが要求していたユーリヒ=ベルクをオーストリアがフランスに獲得させた事情もあって、フリードリヒの当初の要求は「ユーリヒ=ベルクの代わりを寄越せ」的な意図が含まれていたという見方も出来るんだよね。
プロイセン王国の人口のがシュレジエン獲得で1.6~1.7倍程に膨れ上がったし
シュレジエンは鉱工業が盛んで単なる人口増ではなく鉱工業力まで一気に手に入れたことになる
以降のプロイセンの拡大はシュレジエンによって大いに支えられた
それは例えば北海道をロシアに占領されて、どうしようもないからそのまま和平条約を結ぼうかと言うようなもの。納得できるかよ。
まちがいない。
そう、だから親父の兵隊王の方が堅実で、王らしい王なんだよ
何故かこのスレでは兵隊王の偉大さが支持されて無いけど
言葉が足りなかった、偉大さにおいて
兵隊王>大王 が支持されて無いと云いたかった
大王が功績を残せたのは最終的に幸運、大博打を打って大勝ちしたようなもの
兵隊王の功績は着実に積み重ねた、運に左右されない堅実なもの
君主として必須の内政外交の素養は明らかに兵隊王の方が優れている
大王が優れている、戦術や文化的素養は君主必須のものじゃない
運頼みでも、一歩間違えばプロイセンの滅亡だったとしても、結局は最終的に残した功績が一番大きな評価のし所じゃないかね。
オーストリアからシュレジエンを分捕り幸運まで含めて七年戦争を生き抜き
さらには大国ポーランドを分割した大王の功績を考えると
軍人王は所詮と言ったら語弊があるかもしれないが、所詮自分で戦わなかったからな
準備はしたが、最終的に物事を成すことの出来る人じゃなかった
礎になる人は尊いけど、実際に成功させる人はもっと偉いと思うよ
その成功の礎を作った人を忘れべからず、という警句は必要だが
成功者より準備者の方が偉い、というのは当時の欧州の状況考えると
より有名でない方を評価する楽しさで公平性を欠いた視点だと言わざるを得ない
大王>大選帝侯>>>兵隊王>>>>>その他よくわからん
国王としての評価と個人的な行動のと評価は別なんだろうけど、後者への嫌悪感から全社へも厳しくなるって人は多いよな。
逆も良くあるけど。
カッテ処刑は当然だろ、王位継承者である王子を潜在的敵国である英国に連れ出そうとしたんだから国家反逆罪が適用されて当然
兵隊王自身は妾も持たず、夫人一筋子供14人も作った愛妻家
大王への虐待も多少過剰なスパルタ教育ってだけで、問題視する事じゃない
ケチで巨人兵好きは御愛嬌
軍人王なんだけどちょっと軍事苦手かもしれないんだよなぁ
軍を養うだけの基盤を用意するのは得意だったのだろうけど
軍を組織することはともかくその中身がgdgd
完全に内政の人だったんじゃないかと思える
巨人兵もさることながら通常部隊もオーストリア継承戦争で
軍人王の整備したものをそのまま使ったら問題続出
戦争初期に大王が刷新して何とか戦える形にしてったわけだし
いや、カッテの件はともかく子供への虐待は多少過剰ってレベルじゃないぞ。
大王は首を絞められて窒息しかけたことまであったし、軍人王自身が自分が父親にこんな目にあわされたら自殺すると息子を皮肉ってる。
大王の姉も満足に食事も与えられなかったとか一日中罵られたとか言ってる。
カッテのしたことは確かに罪だが、逃がさないと王子が死ぬと思ったとしても不思議のないレベル。
文官化した江戸時代の武家教育でも
虐待としか思えないぐらい鍛えるのはよくあったと聞く
あの時代、親父に殴られるずに大人になる男なんぞいないわw
教育として殴るのと虐待、ある程度の暴力と過剰な暴力とは全く違うだろう。
軍人王のそれは明らかに行き過ぎ。
暴力に関して異常な話は大王以外に対しても残っているし、後年に至るまで娘から批判されている。
軍人王を褒めるなら、大王にも認められている東プロシアの件とか、実際に残した他人にも認められている功績がちゃんとある。
欠点や暴力的な面を、無理に美点にして褒めまくっても反感買うだけだぞ。
なりゆきで軍人王の暴力性について擁護したんだが
まぁ、家庭人としては確かに問題があった人だけど、君主必須の素養じゃないし問題無い
農奴解放とか魔女裁判廃止、ユグノー難民の植民とか民政家としても良い事やってんだよね
殖産興業にも成功してるし、一方で軍政改革もしてるに国庫を閏わせてる
王室費を大幅カットしたりして兵隊王自身も国や国民の為日々苦労してるのに、その国民達からは怖がられて嫌われるなんて、チョット兵隊王が可哀想でさ
フリードリヒ・ヴィルヘルムの虐待は暴力暴言だけじゃなく食事にまで及んだ。
ヴィルヘルミーネ王女は「私たちは痩せこけていました。満足に食事を与えられなかったのです」と言っている。
子供たちの身体が虚弱になっていたとすれば、それは逆に虐待のせいでは。
フリードリヒ・ヴィルヘルム自身が、性格も趣味も正反対の父王とは不仲だった。
父親と不仲で親子の愛情を構築できなかった子供が、自分が親になった時にも子供とは上手くいかないのも、元々の暴力的な性格から、それを暴力で発散したり息子を抑えつけようとしてしまうのも、現代でもあるような、悲しい虐待の連鎖の形のひとつだろう。
無理に殴られる息子が無能だったとか死んだとしても弱い息子が悪いみたいに擁護するのは
それこそフリードリヒ・ヴィルヘルムが哀れに思える。
完璧でない人間を無理矢理完璧にしようとすれば、どんどんフリードリヒ・ヴィルヘルムの真実から遠くなるぞ。
フリードリヒ・ヴィルヘルムのために擁護してやりたいと思ってるなら、ちゃんと本当の姿をみてやりなよ。
無理矢理完璧にしちゃったら、それはもうフリードリヒ・ヴィルヘルムじゃなくて別人だぞ。
マムルーク朝のような世襲を行わなかった王朝以外で
そんな為政者って誰がいた?
同性愛寄りバイだったアレクサンドロスでさえ子供は作っただろ
バシレイオス2世がいるじゃん。
軍事、外交、内政、いずれにおいても偉大な実績を残している。
スウェーデン王カール12世を挙げてみる。
生涯独身で王妃すら娶らなかったんで、王位は妹が継いだ。
まあクラウゼヴィッツに酷評された人なんで、そんな第人物でもないのか?
戦争以外に功績あったか?
本家アレクサンドロスにしろ、カール12世にしろ、大王にしろ
共通する匂いがするわ
無能な息子を世継ぎにするくらいなら
娘に有能な番頭手代(部下)を入り婿に迎えるんだそうだ
血統も守られるしな
日本の大阪商人と、ヨーロッパの国王とじゃ違うだろう…。
男子が早世して、娘しか生き残らなかったオーストリアはどうなったよ。
サリカ法の影響が色濃く残るドイツでそれやれってか?
大阪に限らんが、まさしく商人風情だから許される話。
第一子に継承権とか、女系天皇など、形を変えた共和政運動。
剣術道場とかも代々弟子の中から実力者を選んで入り婿にし
剣術家としてのDNAを精錬していったって話を聞いたな
だから子供は息子よりも娘が望まれたんだとも
天然理心流なんかが代々道場主は養子だった
しかも民間の商人や剣術家なら、もっと血統には拘りが薄い。
だからって欧州の血統重視の王族を同列にするのは無理過ぎるぞ。
無能でも時の運とか有能な家臣に支えられて乗り切れてる
ただしヴィルヘルム1世帝とビスマルクのタッグ以降は、
「ホーエンツォレルン家」自体を繁栄に導いたとは言えんような気がする
ヴィルヘルム1世帝自身がそのことをよく自覚していたようだが
しいてあまりに無能というか、ガバナンス能力が欠如していたのを挙げれば
ゲオルク・ヴィルヘルム選帝侯(大選帝侯の父)くらい?
ゲオルク・ヴィルヘルムを無能だとするのは後知恵過ぎる
かの人は単に三十年戦争の当事者としては極一般的な物の見方をしていただけだ
つまりは戦争がそんなに長く続くとは思っていなかったってだけなんだ
欠点があっても、別の所で有能だから無能なだけの君主ってのもいなかったしなあ
自己弁護が多くて、意外と人間臭い
弟はガチホモ
残ってる文章とか見ると自己愛が強い感じはするよな
>国王としては愛され過ぎ
なんで国民から愛されたんだろう?
7年戦争なんて無茶な戦やって、人的被害も大きかっただろうに
反対に、兵隊王なんて殆ど人的被害を出さずに国威発揚させたのに
国民から嫌われてるし、理不尽だ
当時の戦争の勝利は君主の栄光であるとともに国民の栄光でもある
さらにフリードリヒ大王は「国王は国家第一の僕」と言って滅私の精神で国を運営したし
当時の貴族権力や様々な既得権益持った連中を啓蒙専制君主らしくぶっ叩いたり
裁判でも(同時代的なレベルでは)非常に公平に行った人なので人気あった
実利的な話を言うと戦後は国庫から財政出動で公共事業とかしまくって
国家経済は非常に景気良くなったというのもある
兵隊王は逆にケチって国に金は残したし、その金が大王の戦費になったのは事実だが
国民経済にとっては微妙な国王だった(不況ではないので悪いというわけでもないのだが)