宮崎市定は、前漢時代には先進国たる漢に黄金が流入し、
後漢時代には西アジアという更なる先進地域が出来たことで
そちらに黄金が流出することによって、
後漢が不景気になって荘園経営による自給自足生活が中心になった、
という考え持ってたな。 ただ、宮崎氏が西アジアというのをどこをイメージしてたか分からない。
普通に考えれば時期的には帝政ローマのシリア属州辺りじゃないかと思うが。
西アジアは昔から先進地域だし、
遠方だから不景気になるほど黄金が流出したとは思えないけどな
インドならまだ分かるけどな 不景気は宦官や外戚による悪政が主な原因だろ
漢代は製紙方や潮汐の発見や名刺の普及とか
科学や文化が発展した時期だから西に比べて劣るってはいないだろう
ただ西ユーラシアは建築や建築美術は中国より優れてたと思うけどね
宮崎市定が生きた時代は
西洋至上主義の時代だから西ユーラシアよりになったのかもしれないな
漢の不景気は因果関係が逆で、
豪族の伸長による富の偏在と貨幣不足が原因だと思うがな。
後漢豪族の特徴として貨幣を抱え込んで放出しない傾向があった。 ついでに言うと、後漢は西域が統制下から離れがちなので
シルクロード経由の貿易は途絶えがちだった。
それで南方経由の貿易が発展するんだけど。
個人的には実を言うと不景気じゃないような気もするんだが。
近代で言えば好景気による財閥の伸長みたいな形に突入していって
だんだん中央政府の統制から離れたんじゃないかと。
漢の画像石関連の美術は後漢になってから爛熟していくし。
景気変動は世紀単位のマクロなレベルでのこととしての話だった。
詳しくは絶版だが、中公文庫「大唐帝国」にある。
ただ、宮崎氏も漠然としたイメージ的な感覚で書いていたと思う。 俺もちょっと今は首肯しかねる考えだとは思うけど、
この本自体が中国の時代区分に関して中世を定義することで、
中国史の世界史的な統合を狙った、かなり野心的な内容だからな。
中央アジアが抜けてしまうのは、やっぱ時代の限界だとは思うけど。
同盟・友好国維持という建前の朝貢で通貨の価値が大暴落していったのは
史書でも考古学的発見でも証明されてるけど
漢朝の場合は豪族の伸張による貧富の格差の方が大きくないか?
あまり外部への通貨流出というイメージはないな。本来ならそういった問題を是正すべき政府が
幼帝・外戚・豪族関与・汚職官吏・宦官等で
無能かつ重税を課すって事で自己崩壊→三国時代突入ってイメージだけどどうかな。
というより、 A「皇帝・外戚・宦官」
vs
B「豪族・地方官吏」
という対立軸と
a「皇帝・宦官」
vs
b「外戚・豪族」
という対立軸があるのよ。
ラージの方の対立軸が皇帝が大人になったあと、外戚排除後の構図。
スモールの方の対立軸が党錮の禁や外戚排除前の構図。
外戚排除後なのに新しい外戚が入ってきたりするのよね。
んで政争の多さで政策が疎かになっての崩壊。
あと「重税を課す」は間違ってる。
地方武力の欠如によって税を課せなくなるのが後漢の崩壊理由。
当時の実相を詳細に書いた名士の崔一族の著書によれば、
「朝廷は収穫の三十分の一税を課すといっているが、
実際は用百分の一にも満たない税になっている」
「これでは豪族が伸長するばかりで、平準化など出来ようはずもない。」
と言っている。
ぶっちゃけた話、
現代みたいなセーフティネットの存在しない&武力が無い事で
その予算の確保が難しい状況で、
新自由主義の欠陥が噴出したという事態に近いイメージを
持っていただければ正しいんじゃないかと。
それで結局地方軍閥の力に頼らざるを得なくなる。 ただ他の国と違うのは、その軍閥のスポンサーに多く豪族がつき、
にも関わらず儒学の建前上から官吏の世襲を否定して、
その矛盾から試験制による門閥貴族とというヘンテコな形態に移行すること。
それと説明し忘れたんで、
なんで地方武力の欠如による徴税不能が直接崩壊に繋がるかという事を説明すれば、
・豪族の伸長によって豪族に隷属する小農民の割合が増えることによる不満の噴出。
・徴税できないのと同時に豪族の不法行為への対応ができなくなる。
・様々な乱の鎮圧が遅れる。
・税が少ないので公共事業が出来ない。
・官吏の給与が満額払い難くなることで、地方官吏の腐敗を招く。
・豪族の伸長によって賄賂の捻出が容易な層が増え、
収入の面で地方官吏と豪族の間の格差が広まる。
これらが複合的に噴出してくる。
(それでもスキピオに大敗しているが)、
大局的な戦略眼がなかったのが致命的だった。 諸葛亮は根無し草だった劉備に天下三分の計という国家戦略を伝え、
最終的には劉備を皇帝にまで登りつめさせた。
国家の趨勢とか時代を冷静に見つめる目は、
ハンニバルよりも諸葛亮のほうが遥かに上。
ハンニバルと劉備軍が総力戦を行ったら、最終的に勝つのは劉備軍。
西欧なのか?
アフリカ出身なのに。
しなくても良い戦いをローマに対して挑んで大敗して、
カルタゴの国力を大いに落としたのがハンニバル。
ただでさえ弱小国の蜀を北伐によりさらに疲弊させ
結果的に王朝の寿命を数十年分縮めてしまった諸葛亮
凄まじい勢いで拡大し続けるローマを散々に荒らし回り
多くのレギオンを壊滅させカルタゴの寿命を何十年分も伸ばしたハンニバル
司馬懿すら討ち取れない程度の軍事だろ(笑)
王朝の開祖扱いを受けている故微妙な問題ではあるな。
だがまぁ、遼東戦の手際を見る限りでは軍事常識は豊富とみえるが。 まぁ、ろくに領土を広げることが出来てないと言われれば、
否定出来る要素はないわな。
大体にして、春秋の時代から軍略が研究されてきた中国相手にして、
硬直した戦略しか取れないローマやカルタゴが勝てる要素がない。
作戦を見破られて終わり。 ハンニバル=バショク
何倍もの敵を戦術で屠り、10年以上も敵地に居座って荒らしまわり、
首都にまで迫ることができたらハンニバル級。
一次カルタゴ戦役で格下のローマにシチリア島西部を奪われ、
しかも本土侵攻も受けた屈辱的事態 弱小で実質属州扱いの周辺国家に陰で嗤われ、
反対勢力はローマの威を借りて不穏な動きを見せる
カルタゴ議員は半ば承知の上で、目先の利権確保と事なかれ主義の消極的姿勢
西地中海を中心とした全域での商業的覇権が一次ポエニで失墜しつつある状況
その階級に属する純粋で相応の権力基盤を継承したハンニバル
属州を含めると倍近くの人口差もあり、
ガリアゲルマンとローマとの「敵の敵」の関係で
彼らの敵対関係はアルプスを越えたローマ側になる
ハンニバルが議会での数少ない憂国派を説得しての行動が読み取れる
ただ残念と言うべきか、事なかれなのか、理性的なのか、主流派は現実主義
ハンニバルの不幸と言うより、リスクを天秤にかけた議員たちの理性的で当然の結果
長老たちは似通ったシステムで半島を統一したローマの地力を熟知している
同時に各個人としては有力な取引先でもあるからね
長期的リスクや万一のことを考えれば、ハンニバルは「独断専行」で
たまの援護も「しょうがないから」
これで双方の面目が立って和平交渉で穏便に済ませられる可能性が高くなる
共和制において、議会が義や情や愛国心よりも実利優先の判断を下すのは歴史の必然
王制なら王や側近が有利になる=不利にならない判断が理性的なんだよ
楚漢戦争―ポエニ戦争
光武帝―アウグストゥス
三国時代―軍人皇帝時代
ってことはアラブ小アシアがインドで北夷蒙古月氏がゲルマンケルトで
南蛮越がカルタゴになるのかな? 同時代で一般的な比較での時代としての共通性をはあげているようだが
一口に3世紀の軍人皇帝時代と言っても、ポストネロから既に実質軍人皇帝化しているよ
権威者が権力を持つ時代はローマじゃ少ない
ヴェスパシア初代2代に五賢帝時代の半分にセヴェルス・・
軍人皇帝時代と言われる遥か前から危機はミリタリーで乗り切ってて
ミリタリー以外のシビリアンや非ミリタリーの血統が継承したら暗殺続き
例外は養子としての五賢帝4.5番目のみ
そしてポストネロは日本の感覚では幕末と現代ほどの年代差がある
そもそも「穢れた血も500年で、千年で・・」の中国思想と
市民と貴族から権力や権威を無期限で受託した存在のローマ皇帝=元首は
根本から異なる
比較したがるのも無理はない
細かいところは忘れたが、学生時代に法制史の教授が、家父長権の強い所とか
ローマの家族制度はヨーロッパより中国のほうが共通点が多いって言ってたな。 確かに、契約だの洗礼親だの、生活が倫理的宗教で規制されてるキリスト教世界
よりもローマのほうが感覚的にしっくり来るところはある。
個人的には劉秀だが、二祖四宗なら誰が最高と言っても問題ない気もする。
ちなみに
二祖
・高祖=劉邦
・世祖=劉秀
四宗
・太宗(文帝)
・世宗(武帝)
・中宗(宣帝)
・顕宗(明帝)
「最後の二つはちょっと格落ちじゃね」とか思った奴は屋上な。
そういえばコーカソイドで思い出したんだが、
明帝って顎ががっしりしててうなじの毛が赤毛だったんだよな。
個人的な評価(二祖四宗)
劉秀≧劉邦>文帝=宣帝≧明帝≧武帝
文帝・宣帝・明帝ってやった事は地味だけど
(というか、劉邦・劉秀・武帝が派手)、名君クラス。
ただ、こういう皇帝って、いつも二番手・三番手なんだよなぁ。
一番にはなれない。
個人的な評価(ローマ帝国側)
アウグストゥス>コンスタンティヌス=ディオクレティアヌス
>トラヤヌス≧アウレリアヌス>ウェスパシアヌス
両アントニヌスや、ハドリアヌス、ティベリウス、
クラウディウス2世あたりも名君かな
セウェルスは卓越した軍人・政治家だが、名君としては評価は難しいな
あと漢帝国公式でも二祖四宗に比べると微妙扱い。
なんというか、後漢で言うと章帝枠。
清で言うと雍正帝枠。 やってることは十分凄いのに周りの派手さに隠れてしまったり、
人格やら、ごく一部の欠点やらからあまり好かれていなかったり。
リアルファイトに発展する糞餓鬼なところがちょっと……
景帝のほうが名君と呼ぶにふさわしいと思う
景帝=雍正帝
武帝=乾隆帝 文帝は康熙帝と似て、この3人の中では一番の名君。
景帝は雍正帝と似て、この3人の中では影が薄いけど、名君。
武帝は乾隆帝と似て、治世の前半は名君で、治世の後半は老害だった。
遠征せざるを得ない状況を作った前政権が悪い
ローマ帝国と漢王朝
属州へ丸投げ : 郡県制による直接統治
年賦金でどんぶり徴税 : 戸籍を整備して田畑や店舗資産に課税
裁判権すらない下級民と自力救済の上級民 : 普遍的に与えられた裁判権と警察組織
鎖帷子と剣と盾と弓と投槍で武装した歩兵 : 金属鎧と刀と盾と機械弩と槍を装備
鎖帷子と槍と盾で武装した騎兵 : 金属鎧と騎兵用長刀と戟を装備
広大な農業適地と低い農業生産性 : 整備された灌漑設備と高度な乾地農法
普通の弓も秦にあったんじゃないの
呉子の時代にだってあったし
もちろんあったけど、機械式弩や刀はローマに無いので対比のため
何倍もの敵を戦術で屠り、10年以上も敵地に居座って荒らしまわり、
首都にまで迫ることができたらハンニバル級。
それ劉邦がやってる
ちなみに劉邦は首都の彭城も落とした
すぐに奪い返されたけどなw
高祖ってなんだかんだで軍事の天才なんだな。
あの関中も落としてるわけだし。
戦国時代の英雄たちがなんだかんだで落とせなかったあの関中を。
函谷関じゃなくて武関だったけどな
軍事の天才は言いすぎだろう
凡将ではないのは確かだが良将ぐらいの評価でよくね? >>323
>何倍もの敵を戦術でほふり
劉邦はそれできなかったけどな
項羽は19倍の敵を粉砕(彭城の戦い)
韓信は10倍の敵を粉砕(井ケイの戦い)
ま、誇大報告の匂いがプンプンするけどな!
劉邦は過小評価されてるよな。
劉邦は天下人を2回も倒し、項羽、章カン、韓臣、冒頓単于と
世界史級の名将と戦って生き延びている。
東西のローマ帝国がずっと繁栄している、そんな世界が私は良かった
現実にやるとして可能だったのかも気になる