日米の攻守が逆転した事なのか、兵士の餓死や病死が多い事か、航空機材や搭乗員の損失を避けたいのか
多分、ガ島攻防で消耗浪費した戦力を抑えたいという意味かと思うのだが
まあガ島でなくても、いずれどこか最前線になったとこで消耗戦になる事は変わらんのだがね
兵士の餓死や病死が多い事でよろしく
原因と責任の大半は海軍にあるよな。
飛行場取られた時点で全面撤退すれば米軍視点でガ島に価値なんてねーよ
ラバウル空襲とかPMからやれば良いし
ニュース
まず真珠湾攻撃と南方作戦により、米軍はすぐに攻勢に転じる事はできず
まずは本土~ハワイ間、本土またはパナマ運河~豪州間の連絡線確保と、その中継地点や周辺の確保・強化に着手する
具体的にはトンガ・フィジー・サモア・ニューカレドニア・ミッドウェーなど
蘭印やビルマ陥落までは、これらの確保を目指すが、蘭印陥落により豪州が最前線になる
米豪軍はいざとなれば、豪州南東部のシドニー~アデレード間のみ確保して、豪州の大部分を放棄・焦土化する予定だった
マッカーサーがモレスビーに移るのは珊瑚海戦の後で、それまでは豪州を拠点にFS周辺の強化が優先され、豪州には米軍3個師団が派遣された
更にニューカレドニアの外郭となる、ニューヘブライズ諸島にも策源地を設けたが
日本軍もMO作戦時にツラギを確保、横浜空を派遣して珊瑚海全域を哨戒圏とし、策源地のニューヘブライズ諸島は危機に晒される
これが5/25頃で、ガ島飛行場建設は11航艦~25航戦~横浜空の決定であり、4艦隊の井上に責任を求めるのは間違い
まだミッドウェー前で、当然この時期はFS作戦の中継基地の意味もある
改めてラバウル~ガ島間の飛行場適地視察が行われ、ガ島に飛行場建設が決まるが、当初GFはラバウルから遠いと難色を示した(FSのが更に遠いんだが)
しかしミッドウェー後に基地航空隊の強化が決まり、ラバウルの外郭陣地獲得とツラギ基地の有効活用の視点から、GFも飛行場建設を承認
ガ島飛行場建設は、当然軍令部も承認済みだし、軍令部経由で参謀本部にも伝わっている
マッカーサーは当初、ラバウルを直接衝くつもりだったが、それは拙速と海軍から反対され
まずはニューヘブライズ諸島の脅威となる、ガ島とツラギの攻略が決まる(ウォッチタワー作戦)
ラバウル攻略はガ島・ツラギ攻略含め、三段階の準備を経て行う事にした
従って直接ラバウルの攻略や空襲の為の攻略ではなく、米軍にとって戦略的価値がないというのも間違い
ガ島はニューヘブライズの外郭陣地であり、珊瑚海の制空権確保の拠点、後は攻勢の小手調べ
日本軍が基地航空隊の届かないミッドウェーやFSを、最低限の戦力で攻略しようとした事に比べるとね
個人的には米軍が直接ラバウルを攻略してたらどうなったか気になるところ
ミッドウェーでさえ100機以上の基地航空隊がいたけど、当時のラバウルは4月以降稼働機も少ない
定数では3個航空隊だが、8/8にガ島を空襲したのが零戦18陸攻27艦爆9だったように、稼働機は60機に満たない
守備隊もモレスビー攻略に向かう南海支隊が抜けたら、海軍の第8根拠地隊のみ
要するにミッドウェーより劣る防備体制でしかない
空母3隻と海兵1個師団に軽く蹴散らされただろう
純粋に戦闘による戦死は5000名程と言われてるので、残り1万7000名が戦病死
第二次大戦による軍人軍属の戦没者数は210万人で、その6割が戦病死と言われてるので、戦争全体では約126万人が餓死や病死だ
それに比べたら、ガ島の1万7000名の戦病死って、それ程多くはないけどな
むしろニューギニアやフィリピンのが余程ひどい
開戦当初、孤立したフィリピンやウェーク島の米軍や英軍はガ島みたいになってないから、日本の国力とか貧弱な補給線とか言い訳にならないよな。
餓死する前に降伏しただけで……
フィリピンの米軍は、開戦前から籠城する方針で半年分の食糧を備蓄していた
それでもバターン半島では、ウェンライト中将は愛馬を処分して食糧に充てた
そして食糧が尽きる前に降伏した
ウェークは攻略されるまで孤立していないし、開戦から攻略まで1ヵ月もたってないから、これも備蓄分でいけた
ガ島の日本軍は攻める立場だから当然備蓄はない
予定の作戦日数を越えると、手持ちの食糧は尽きる
ニューギニアは飛び石作戦により、直接日本軍のいる拠点でなく、手薄な中継点をとられて補給を絶たれた
フィリピンも10月のレイテ上陸以来補給はなく、1月のルソン島上陸以来8月の終戦まで半年以上経過しているから、既に備蓄分は尽きている
結局備蓄が尽きる前に降伏した米軍と、食糧なくても戦った日本軍の違いで、この場合は国力や補給線は関係ない
敵の糧秣を内側から食い潰す捕虜要員を自決させて、アメリカを楽にさせて何がしたいんだよ。
とはいっても、アメリカ側が積極的に捕虜をとっていたかというと・・・?
捕虜が負担になるほど増えてたら、殺処分に踏み切ってたんじゃね?
米軍が虐待した事例はあるが「食料がもったいないから」組織的に捕虜を虐殺するほど腐っても貧乏でも無いだろう
同朋を信用してなかったから
シベリア抑留や中国で捕虜になって、戦後帰国した連中は、アカに洗脳されたと思われてたし
みなが死に物狂いで戦争してるのに、捕虜になればそこから解放される
捕虜を許すと、みんな戦争放棄して逃亡するとさえ疑った
それでは軍紀風紀・団結を保てないと考えた
勝てばチャラになる程度、負けた相手への追い打ちの道具なんだから
本来ならカクタス空軍が進出してきた時点で、一旦腰を据えて考え直す必要があったが
結局慎重な意見は退けられ、強気な意見が通ってしまった
それでも11月頃までは航空戦力も練度も性能も、日本に分があったんだがな
ガ島は連日空襲受けて補給その他も苦しかったが、結局陸戦で負けた
防御側の三倍の兵力と、特に相手に勝る火力、そして航空優勢の三要素がないと勝てない
結局は相手がどれ位の戦力を持ってるのか見誤った、情報戦の完敗が一番痛い
島を航空偵察しても、陸兵が活発に活動している様子は見られず、敵は撤退中と見られた
上陸の目的は飛行場破壊の威力偵察だと見なされたが
そもそも30隻の輸送船団と1個師団で、威力偵察なんてするかと誰も疑問に思わない
海軍の偵察のみで、海軍が陸戦に疎いのもあるかもしれんが、しかし
カクタス空軍進出と一木支隊全滅、第2梯団の輸送失敗は転機だったはずだ
この時点でおかしい、敵は居座るつもりで兵力も予想より多そうだと、方向転換できなかったのが失敗だ
この時点で情報収集からやり直すべきなのに
誰も海兵隊に注目警戒してなかったという嘘みたいな話
一木支隊は米軍規模を2000名と見て900名で挑んだし
川口支隊の段階では米軍を戦闘兵5000名程度、設営隊含め約1万と予想し、6000名で挑んだ
中国では数で10倍の相手にも挑んでいたし、南方作戦でも総兵力は連合軍のが上で勝てたからな
少なくとも同数の兵力なら勝てると考えただろう
ただ川口支隊も、ジャングルに阻まれて道に迷ったり、部隊の連携ができなかったり、火砲を揚陸直後に放棄するハメになる
川口支隊は連携なしに各大隊が各自で戦った感じだ
それでも火力で劣る自覚はあったから、正面は避けて迂回して奇襲しようとはしたが
今度はジャングルが手強かった
海でも陸でも空でも歯が立たないわけだ
強いて言えば、よく火力と補給で支援された米軍には歯が立たない感じか
航空戦で本当に歯が立たなくなってくるのは、43年4月のい号作戦頃からでそれまでは膠着状態
これは数の差が顕著になってきたからで、機材と搭乗員の補充の差
海戦は43年8月のベラ湾海戦あたりからで、これはレーダー射撃の差だ
陸戦は火力と兵力が同等なら最後まで割と善戦できてる
陸戦で負けるのは、火力も兵力も補給も圧倒的に劣っている場合だ
>>413
>陸戦は火力と兵力が同等なら最後まで割と善戦できてる
>陸戦で負けるのは、火力も兵力も補給も圧倒的に劣っている場合だ
常に劣ってる状況しか想像できないorz
レイテのリモン峠の第1師団とか、艦砲射撃の影響を受けない山岳戦だったから、陣地戦でない野戦で健闘してる
島嶼戦のほとんどは、陸戦用火砲の他に艦砲射撃や航空支援が加わるから、火力差が圧倒的
軍旗を先頭に飛行場に突入し、数人が海兵隊の師団司令部に切り込んた。
飛行場占領は無理でも、バンデクリフトを戦死させるチャンスはあった。
>川口支隊の総攻撃は惜しかった
どうだろ?日本軍の勝ち目は突破によって米軍の士気を瓦解させることにあったが、
田村大隊が突破したところで米軍は士気が落ちなかった。
瓦解しない場合日本軍は米軍の陣地を一つ一つ潰していかなきゃならんが、
そんな時間も火力も兵員も無い。
岡連隊長直率で舟艇機動による124連隊第2大隊(大隊長は舟艇機動中に戦死)、歩兵第4連隊第2大隊(田村大隊)、他工兵や砲兵など
本隊と別行動になった岡連隊長の第2大隊との連携は望めず、渡辺大隊も消極的
ほとんど国生大隊と田村大隊が、エドソン中佐の大隊と血染めの丘で対決したのがメイン
熊大隊も東側から攻撃して奮戦したが、結局血染めの丘は陥落しなかったし、田村大隊の一部が陣地の隙間から突出しただけ
これで惜しいとは言わんだろ
突出した小部隊は他部隊に包囲殲滅されるだけだ
数人が隙間を縫って突出だけ
>>424
頑張ったって勝たなきゃ意味なんかない
弾薬が勿体無いと敵の輸送船を見逃す馬鹿が多かったしな
日本は本気で戦争なんかしてなかった
日本はワシントンまで攻める力はないし、もちろんロンドンや重慶にも行けなかった
それが日本にとっての本気であり現実だ
内地への石油還送が1943年でも年350万トン(消費量はその倍)、42年と44年は150万トンで備蓄を食い潰す日本
鉄鋼生産量も年産1億トンのアメリカ
鉄鋼生産量が年産500万トンに満たず、減る一方の日本
弾薬生産量で2桁(100倍以上)違うアメリカと日本
こんな相手に頑張れば、本気になれば勝てる、とか思ってるのかね
火葬戦記の読み過ぎなんじゃないか?
頑張れば20倍の国力と100倍の弾薬を克服できるのか?
”日本は本気で戦争してない”
って書いたんだ
それのどこにそうすれば勝てるなんて書いてあるんだ?
最初に
「頑張ったって勝たなきゃ意味なんかない」と書いて
「弾薬が勿体無い」「日本は本気で戦争なんかしてなかった」と続けたからそう受け取られたんじゃなかろうか
いずれにしろ、戦争全体はスレ違いだ
ここはガ島の破滅を回避するスレなんだし
最前線につくると何で本気を出してない事になるんだろ
それまでは、航空基地同士の連携が容易な距離で基地建設してたのに、ガダル
カナルはラバウルから遠すぎ、本格反攻は1943年以降で攻撃は無いと甘く
考え過ぎてた。
>それまでは、航空基地同士の連携が容易な距離で基地建設してた
そうでもないと思うけど
台湾からフィリピン、仏印からマレー、トラックからラバウルとか普通に遠い
トラックからクェゼリンやサイパンだって普通に遠い
更には陸攻すら届かないミッドウェーやFS行こうってのに
何を根拠にガ島がそれまでより遠いと言ってるんだ?
ラバウルからガダルカナルは1000㌔以上離れてるよ。南方作戦でもこんな
事してないよ。
マラソンランナーだって、ゴールまでのペース配分を考えて体力を温存する
マラソンランナーに、本気出せば100m10秒切れるはずだ、だから42kmを70分で走れるはずだって言ってるようなもんだ
42kmを70分で完走できなかった、倍の140分かかったから本気出してない、なんて誰も言わないぞ
最前線に土方を連れてったり
本気で戦争しているのかと思う
アメリカは珍しく平等の精神を発揮して工場から熟練工を引き抜き徴兵してしまい、
工場長から直訴を受けて工場に戻したりしています
さすが不平等の国アメリカ
まあこれに関しては日本も同じことをしていますけどね
女性の熟練工なんか少ないだろうけど
スターリングラード攻防戦だね
その話は凄すぎる
日本の学徒出陣は遅すぎる。1943年の終わりだもんな。
嫌々徴兵され、ろくに訓練されずに特攻とかで死んでいった。
日本のエリートはダメだなwアメリカには戦力だけじゃなく、戦意も圧倒された。
それが軍需工場の工員が徴兵されるんだな
GFが、ラバウル=ガダルの距離が長い、
中間基地を探せ、との意向を、
適当にあしらったのは、
塚原二四三司令長官・酒巻宗孝参謀長を始めとする、
11航艦のメンメンだね。
11航艦が南東方面艦隊に組み入れられたのは、
昭和17年12月であり、
この当時の塚原の上司は、山本五十六。
そういう意味では、4Fの関与度は意外と低い。
坂井三郎を始め、多くの搭乗員が、
ガ島上陸部隊の船団数の多さを目撃してるにも関わらず、
本格反攻と判断せずに握り潰したのだから、
この当時の11航艦司令部の面々は、
基本的には戦勝ボケしてた、って見てよいだろう。
それは違う
まず11航艦司令部は当時テニアンにあり、21~25航戦が各地に展開してる
ラバウル方面は山田定義少将の25航戦の管轄だ
ガ島はツラギを補完する意味で、7月から飛行場建設が始まり、ミッドウェーやFSに送る予定だった設営隊を充ててる
キエタやブカも飛行場建設の話はあったが、地形的にガ島より工期がかかるので放棄された
それと手持ちの設営隊は、ラバウル・カビエン・ブナ・ガ島等にあらかた派遣済みで、もう空いてる設営隊はない
どっちにしろ、ガ島の工事を終えて手が空かないと、他の飛行場建設に充てられない
25航戦のレポートラインは、25sf→11AF→GF→軍令部、だろ?
25航戦がしくじった、ってことは11航艦がしくじったってことだね。
決して情報を握りつぶしてなどいない
むしろ坂井等の8/7の空襲部隊は、天候不良で雲が厚く、輸送船はチラ見程度で確認していない
輸送船が見えないから、巡洋艦を攻撃して当然失敗してる
しかも8/7・8/8とも空襲部隊の報告戦果は過大である
そして8/8夜の第1次ソロモン海戦の結果、米空母も後退し8/9には輸送船も全て引き上げてる
なので8/10~12に入念に航空偵察して、12日には参謀まで偵察に便乗したが敵を見ず
小規模な舟艇群は見たが敵機もいないし、敵は撤退中で今いるのは逃げ遅れて取り残された部隊だと結論された
>>463
>8/7の上陸当初に25航戦は偵察機を出して、ほぼ正確な敵情をGFや軍令部に伝えている
敵情報告の記録って残ってるのかい?
坂井三郎は「海面一杯の輸送船団を見た」って証言残してるが、
>天候不良で雲が厚く、輸送船はチラ見程度で確認していない
とは明らかに矛盾してるな。
どっちがウソをついてるのだろうが。
当時の日本の常識では、3日程度では兵員はともかく物資資材の揚陸は大してできないと考えられた
トラック島でさえ、輸送船は沖合に停泊し、艀でバケツリレーして揚陸作業に1ヶ月位かかった
だから米軍も大して揚陸できなかっただろうと考えられた
実際米軍は兵員は大部分を揚陸できたものの、食糧は60日分のうち25日分、弾薬は10単位中4単位の揚陸だった
つまり兵員以外は予定の4割程度の揚陸だった
それでも1ヶ月は補給なしで粘れる量ではあるが
宛名は第8・第4・第6艦隊、第25航空戦隊、GF参謀長、大本営海軍部第1部長
0412敵猛爆中
0425敵機動部隊20隻ツラギに来襲、敵空爆中上陸準備中救援求む
0430空襲により大艇全機火災
0435敵空母1巡洋艦4見ゆ、敵はツラギに上陸を開始
0529我艦砲射撃を受く
0535戦艦1・巡洋艦3・駆逐艦15その他輸送船
0610敵兵力大最後の一兵まで守る、武運長久を祈る
守備隊はこの時点で通信機を破壊し、撤退したものと思われる
因みに米軍と守備隊との戦闘は8/9まで続いている
しかしツラギからの緊急電により、敵攻略部隊の全力攻撃に変更する
まず0710に状況確認の為、117度120度170度、進出距離700浬の三本索敵線を出す
続いて0730に25航戦の全力、零戦18陸攻27艦爆9を出す
攻撃隊は1020頃戦場到達、空母は発見できず、輸送船は微かに視認できたが攻撃照準は困難
陸攻隊は高度3700mで巡洋艦を水平爆撃、1発も命中せず
零戦隊は敵機60機と交戦、戦闘機48爆撃機5中型機1撃墜、我が方損害陸攻5零戦2を報告
しかし実際の米軍損害は、戦闘機11艦爆1であった
救助された艦爆隊により、戦艦1巡洋艦2軽巡8駆逐艦4輸送船約30という敵情が報告される
一方の三本索敵線のうち2機は敵を見ず、1機がガ島泊地を偵察、大巡3駆逐艦7輸送船27の存在を報告
8/7夕刻に25航戦山田司令官は、これまでの敵情報告をまとめて
ガダルカナル敵上陸中
ツラギ沖、甲巡3駆逐艦数隻輸送船13
ガ島沖、駆逐艦数隻輸送船17
敵機60~70機泊地上空にあり
ツラギより南東方、天候不良の為索敵し得ず、空母は未だ発見するに至らず
以上の報告が、午後6時に11航艦司令部他、GF及び大本営に報告された
8/8夜の第1次ソロモン海戦の戦果報告が、大巡2軽巡1轟沈、大巡2駆逐艦6撃沈
8/7以来の基地航空隊戦果報告とあわせ、8/9午後大本営発表
戦艦1大巡4軽巡4輸送船10以上轟沈、大巡3駆逐艦2輸送船1以上撃破となる
米空母は発見できず、8/9以後艦隊も輸送船も敵機も姿を消し、敵を過小に見積もった大本営
8/12の政府連絡会議では、一応川口支隊と青葉支隊も投入できるよう、配船の手配はするが
なるべくなら一木支隊と陸戦隊だけで解決してくれ(意訳)という決定
すね。日本陸軍がノモンハンで、最寄駅までの距離から自分が有利、と判断を
したのと同じだね。
第1次ソロモン海戦と基地航空隊の大戦果により、敵は壊滅して撤退中
陸軍はモレスビー陸路攻略を優先してたから、川口支隊はそっちに使いたい
敵は敗走してるし、残存兵力がどの程度かわからんが、海空戦の勝利で勢いに乗れば、一木支隊だけでやれるだろと
中央はまだ敵の本格反攻はない、まだ自分達が攻勢に立っているという先入観があった
揚陸能力も、現代みたいなコンテナ船はないし、ガントリークレーンもない
6000トン輸送船を15トンの大発4隻で荷役作業すると、1往復60トン分で100往復必要だ
更に大発の15トン分の物資を、人力で岸に揚陸する
そして30隻の輸送船が一度に揚陸作業はできないので、順番待ちが生じる
1個師団の上陸は1日でできるもんじゃないよ
米軍は23隻の輸送船で1.9万人を輸送、1隻あたり平均823名の海兵隊を積んだのが実績。
艦爆隊員が目視した輸送船は約30隻。
軍令部が予想した上陸米軍の兵員予想は5000~6000名。
輸送船1隻あたり200名前後しか輸送できない、という計算。
さて、ぼすとん丸と大福丸の2隻で1100名を積んでガ島に向かった日本軍、
550名×30隻=1.65万、規模で米軍が上陸してた、
と試算すること自体は出来るんだよね。
輸送船に200名ぐらいしか搭載できない、って大甘の計算を行ったのは、
どこの誰か、というところが最初のキモかな?
>輸送船に200名ぐらいしか搭載できない、って大甘の計算を行ったのは、どこの誰か
誰もそんな計算しとらんから
上陸参加部隊が1個師団規模だってのは正しく予想してる
ただその全てを8/9までに揚陸できたとは限らないし、第1次ソロモン海戦の結果から敵は撤退中
多くは輸送船と共に後退したものと判断された
それと敵残存兵力を5000~6000名と見積もったのは、軍令部でなく8/13の第17軍だから
あと輸送船には人員だけでなく、戦車や火砲や弾薬食糧や野戦築城資材も積んでるって、忘れないでね
ぼすとん丸とかに積んだ、一木支隊第2梯団とは違うのよ
第17軍 山内豊秋参謀の回想。
http://www.geocities.jp/syo_suke_jiji/senki.html
>現実の情報として、敵の上陸船団が30余隻と報告されており、
>これがほぼ揚陸を完了しているから、1コ師団程度は上陸しているとみるのが基本的であろう。
>それが次々と過少評価され、
>これは希望的観測かもしれないが、おまけにソ連側の「米軍ガ島撤退」という怪情報に飛付いて、
>現地に通報したりしている。
>海軍機の報告も敵の撤退を思わせるものがあったが、
>陸軍参謀も人手不足とはいえ、海軍機に搭乗して偵察の一つも出来なかったものか。
>ガ島は海軍の戦闘で、他人事であるような気持があったことは否めない。
>一木支隊は敵機のガ島進出に先立ってその奪回を急ぎ、更には敵の撤退前に捕捉せよという向もあり、
>駆逐艦輸送により、1コ大隊の兵力がさらに2分されて駆け付けた。
>支隊の壊滅の主なる責任は、中央はじめ上級司令部にあると思うがいかがであろうか。
>一応白紙的に考察を加えてみたら、
>「これは米軍反攻の初動であるかもしれぬ。来攻の船舶30余隻といえば、1コ師団ぐらいは来ている。
>軍としては、何をさておいてもガ島に全力を指向すべきである」といったことぐらい言えなかったものか。
>手前の目玉は何のためについているのかと、口惜しくてならない。
>上官やら年長者だのということは別にして、とにかく自分で当面の情勢を熟考すべきだ。
>補佐役の幕僚とし ては、盲従しては絶対にいけないと、骨身にしみて感じた。
>これらの実情や経験からすると、
>公刊の戦史の記述は誠に現地軍に親切で、あまり人を傷つけていないようだ。
>事実を曲げているわけではないが、
>現実はもっとお互いにへまをやっているように思うのである。
>>476 興味深い回想録だね。
途中、こんな記載もあった。
>一木支隊は 歩兵1個大隊基幹の小部隊である。
>大本営海軍部の中には、あまりの過少兵力に、不安不満を表する者もあったが、
>陸軍(多分辻さんあたりだろう)は大丈夫であると言いきった。
>しかし陸軍内部でも、陸軍省軍事課長西浦 進大佐から
>「わが兵力は過少であり、ノモンハンの二の舞を演ずる虞あり」
>との卓見が出されたことは注目される。
>しかしこれらを再考する慎重柔軟さがなく、いわゆる当時の空気の中で無視されてしまう。
この方面の指導、つじ~んが出張ってたか…
モスクワで聞いた米軍撤退等の ぁゃしぃ話しを持ちこんだのも、
つじ~んクサいなぁ(w
ノモンハンの二の舞、って話しが出てカチンと来たのだろうか?
つじ~んはノモンハンの当事者だしね。
第25軍参謀だった辻はシンガポール攻略から戻り、42年3月に大本営陸軍部作戦班長に返り咲いてる
前線視察の為に第17軍に同行して、ダバオからラバウルへ
そこでリ号研究に過ぎなかったモレスビー陸路攻略を、私的に命令文を捏造して研究から実行に移してしまう
駆逐艦朝凪に便乗して、7/26にニューギニアのブナ付近で、B-17の至近弾により頭部を負傷
ラバウルに帰還している
辻がガ島戦に参加するのは10月からで、第2師団と一緒にガ島に上陸し、意見が対立した川口少将を罷免しようとしてる
モレスビー作戦で戦力回復期の米豪軍に大損害(日本軍の損害7に対して米豪軍は5)を与えているし、
またモレスビー作戦は7月から翌年1月まで続く長期のキャンペーン。
しかも増援兵力や物資もまだあった。
制空権がなくて運べない&運んでも沈められただけ。
一木支隊を突撃させずに敵状を偵察させたら良かっただろ。
ぼすとん丸/1919年進水5438総トン/速力10kt
ガ島上陸に参加した兵員輸送艦
バーネット(APA-5)/1928年進水/9600総トン/速力15kt
日本陸軍便覧によると、迅速な揚陸が重要な場合、積み荷をなるべく軽くして
兵員1人あたり平均9総トンになる
ぼすとん丸程度の輸送船なら、兵員600名軍馬150頭貨物1200トン程度を積むのが平均的
バーネットは兵員輸送艦なので、人員輸送がメインであり、士官88名兵員1207名貨物1700トンを積んでいた
歩兵1個連隊1万4000トン
野砲兵連隊2万4000トン
輜重兵1個中隊5500トンという具合
迅速な揚陸を必要とする戦闘目的の輸送船は、一般貨物の場合で
埠頭や大発を使用すれば1日(24時間)平均1500トン、艀船使用の場合1日800トンを陸揚げできる(日本軍の場合)
なので6000総トン分の物資は、不眠不休であれば4日で陸揚げ可能となる
因みに食糧を米のみとして、1人1日6合とした場合、1個師団の60日分なら約1000トンになる
日本軍はそんなに食糧を携行しないし、一木支隊も2週間分の食糧で上陸したけどね
まあ仮にガ島を占領しても、エスピリッツサントからの
B17の定期便に悩まされるだけだろう
駆逐艦で1日で揚陸した一木支隊で攻め落とせるワケないな。
・(^)(^)ミ「信長の野望地元勢力でやったろ!!」←結果www
・ワイ「チノちゃん!独立運動激しくしないで!」チノ「うるさいですね……」
・ワイ「毛ちゃん!雀駆逐しないで!」毛沢東「うるさいですね……」チュンチュン
・富山県民「三井金属ちゃん!カドミウム垂れ流さないで!」三井金属「うるさいですね」
・もし伊達政宗が本当に20年早く生まれていたら天下取れたのか?
・太平洋戦争末期、米軍が本土侵攻を企てた幻の「オリンピック作戦」
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