コロッケとかカレーライスが学食にあったって言ってたな
農村の人は昔ながらの食事だろうけど
昭和27年生まれでも田舎ではハムやソーセージなんて見た事なかったそうだ
昭和5年生まれのじっちゃはベーコンは鯨しか認めなかった
>>199
学食にあるレベルなら、普通に家庭料理としては浸透してるレベルだな。
今とあんまり変わらんかもな。
>>199
へぇ学食にカレーあったんだ
クリームシチューも明治から食ってたみたいだな
ハウス食品のルゥが発売されたのは昭和41年で結構遅いけど
東大生をスタンダードみたいに言わないでくれよ
ニュース
ラーメンが伝来したのはそのあとなの?
来々軒は明治からラーメン出してるな
おやつも手作りで、フルーツポンチ、プリン、パウンドケーキ等、現代とあまり変わらないかな?
カルピスもサイダーもケーキもあったしトンカツもコロッケもあった
漁師村の豪農だったけど基本物々交換で魚と米と野菜には全く困らんかったと言ってた
洋食は戦後になってから
それまではずっと米と雑穀混ぜたのと野菜と魚ばっか食ってたって
戦時中や戦後も山に隠して作った畑のおかげで食うもんに困ったことはないって言ってたなー
もう庶民でも普通に食える大衆料理だったんだな
カレーうどん、カレー蕎麦も明治から食ってたわ
お前ら、たくあんとみそ汁だけで白米食ってみろ
結構うまいからw
刻んだたくあんだと黄色い汁が白米に染みてまたうまいんだわw
>>270
白米って飢餓になったときの最後のセーフティフードよな
昨今は飽食だから相当忌避されてるけど
週一で大阪に野菜を運んでカレーライス食べるのが楽しみだったらしい
魚は干物があったわw
いや干物すら毎日食う認識が無かったぞ?
道路だって昔は、限られてたからな。しかも砂利道ばっかだぞ?
買い物するのも昔は、おおごとなんだから
田舎なんて未だに寿司って言うと干瓢や稲荷だからな。
生寿司なんか正月、盆ぐらいしか食った事ない。手作りコロッケが、今の手作りハンバーグみたいな地位だったんだからな。
蕎麦食いに行くのが昔は、贅沢だろ
蕎麦なんてもっと昔から屋台出まくってるファーストフードだろ
江戸なんかだと白米ばっかり食ってる人は脚気になって、蕎麦好きは脚気になりにくかった
>>280
戦時中まで、一般人が貨幣の価値すら田舎なんか殆どわからなかったんだぞ?
一般人は、カレーやコロッケですら贅沢だったんだから
肉や魚が食えたのは、一部だけ。
貨幣の価値知らないとかありえないだろw
>>288
田舎じゃ普及なんてしてないんだよ。取引きの基本は、物々交換が基本。
だから嫁に行く時に着物とタンス買ってたんだろ
仕事だって親戚のツテ以外、昔なかったんだからな。その名残りが親戚に未だにある
戦争がなきゃ貨幣が普及なんて田舎じゃしなかったよ
>>297
物々交換してたと
貨幣価値を知らないは全く違う
だいたい納税は現金だろ
医者にかかるにも金はかかる
街で買い物するにも金が必要
現代でクルマを運転したこと無い人は一定数いるがクルマを知らないものはほとんどいない(赤ん坊くらいか?)
それは冷蔵技術の発達してなかった田舎だけだな
魚が食えなかったのは山の中だけ
といっても今では少し内陸部に行っただけで食えなくなるけどな
海岸線から10キロ入った程度
移動手段と冷蔵手段がないから
魚が食えたのは沿岸部に住んでる者だけだった
山の中の人間はクッサイ川魚を食ってた
>>292
山の中の連中は、川魚食ってたけど
水がキレイだから臭みなんて無いぞ?鮎や鯉や岩魚食ってたからな。
未だに親戚が下に降りてくると、水が不味いってみんな言うからなw
肉食う文化は、以外に無いな
オマエずいぶん適当だな
蕎麦は贅沢品じゃなくて米の出来ない痩せた土地でもそれなりに収穫出来る雑穀
江戸時代に蕎麦切りが発案されて武家も嗜む食い物に昇華された
>>451
地域差があるんだよ。うちの地域じゃ蕎麦なんか滅多に食わない。
さつまいもが入るまで米、大豆、小豆が中心だったんだよ。
日本だと蕎麦じゃないと育ちにくい地域があった場所だと安価だっただけで、食えない地域だと珍しいだけだぞ?
それこそ麦しか適応出来ない地域もあったりな。
金になるのは、米だったから蕎麦が獲れる地域でも無理して米作ってただけの話。
こんなもんしか食えなかったのか?
>>283
内陸部は、結構そんな家が多い印象だな。爺さんとかほっとくと未だに肉も魚も食わないから、そのおかげで骨粗しょう症になった。
婆さんの実家だと川沿いだから魚と山菜文化ある。川海老や沢蟹も食うけど、肉を食う文化が全然発展してない
父方の海沿いの地域は、魚売りがよく来てた話を聞くし
毎年味噌作ってたらしいからな。
うちの田舎は海にも山にも近くて大阪へ丁稚に行く習慣もあったから、貧しくもなかったし米も魚も肉もよく食べてたと聞くが
10キロ程度離れた親戚の田舎は広い田んぼや畑が作れず貧しくて母乳がわりにヤギの乳を飲んでたらしい
そうだよね
今の交通手段で考えるのがおかしい
>>325
百貨店に食堂併設されたのが明治の終わり頃
当時では結構ハイソなスタイルじゃないかな
一般的になるのはやっぱWW2復興後な気がする
街へ出るまでが大変なのもあるけど、そのへんは交通手段の変化で
乗合馬車→バス車両
馬車鉄道→汽車電車
地元(愛媛松山)だと明治20年に私鉄が誕生
港湾までの6kmを走って、下等(三等)車両で3銭5厘だったという
昭和はもんぺにかりあげおかっぱになっちまったの?
恐慌があって戦争もあったからな
大正末期から昭和初期の写真見ると街を歩いている男女がみんなオシャレだよね
それからデブがいないw
>>326
地域格差があっただけだろ?一般人の大半が農民で、散財出来た連中なんか限られるし
今みたいに経済奴隷なんか殆どいないからな
農村から省かれた物が、船乗ったり炭鉱やってたんだし
ってくらい塩入れててビビる
食塩も大正期と現代じゃNaCl純度が違うから、単純に量で比較できるもんでもないが
なんぼなんでもその純度が3倍はないでしょ
まぁ、あとは現在の「小匙5cc、中匙10cc、大匙15cc」って昭和の戦後に作られた基準だから、そのへんもあるかもしれん
明治大正のレシピは概ね、なんなら「塩:適量」とか経験と勘にマカセターの世界だし
ブロイラー無い時代だからね
若鶏肉なんか希少な高級品で牛肉より上よ
例えば佐賀県唐津のイカの活造り
透明でコリコリしたイカの食感を楽しんだあと他の部位を焼いたり揚げたりしてくれる大満足の一品
10年くらい前から築地、いまは豊洲か、活きたまま運べるようになったけどとんでもない値段だな
イカなんて一杯100円以下だし唐津でしか捕れないわけでもない
わざわさ遠路活かして運んでくる意味がわからない
麦、あわ、ひえを混ぜて炊いたご飯
魚の干物
梅干し、沢庵
具のあまり入ってない味噌汁
肉はたまに食べるくらい
じゃないのかな
冷蔵庫もまだ無いよな大正時代は
大正12年に日本で最初の家庭用冷蔵庫が輸入されたみたいだな
家庭用とはいえ相当な値段だったと思うけど
ただ、氷箱という氷で冷やす冷蔵庫はあってそちらは結構普及していたような
地震に弱いそうだな
>>401
あまり関係ないけど
俺は植木屋として従事してるんだけども
樹木は樹齢何百年という長い歴史がある
中には何千年という老樹もある
大正時代から、いやもっとさかのぼって
今の時代を生きている人は愚か大昔の人らよりも
長生きしてる樹木も存在する
たかが、人間の寿命はせいぜい100年が限度。
樹木はその何倍も何十倍も生きている
そんな遠い昔の古い時代に植樹された樹木が
今の世に現存してたりする
木に携わる、普段木に触れている俺は
手入れをするときに、ナウシカみたいな
そこに生えてる木々の歴史のような
こうしたことを考えたりするので、
感慨深くなったりするんだけども
街並みを見て素敵。と思うように、
人にはもっと樹木に着眼点を持ってほしい物だなぁ
出前で盛り蕎麦頼んだり、お土産でせんべいもらって食ったり。
?
東京タワーは1958年竣工で大正時代には存在しないんだが。。。??
和紀ちゃんのギャグに突っ込むとは無粋だな
セレブってほどでもないけれど都市部限定だろうね
大正14年の東京市立の公営食堂のメニュー
定食 朝10銭、昼15銭、タ15銭
うどん 種物15銭、普通10銭
ミルク 牛乳1合7銭
パン ジャムバター付半斤8銭
コーヒー 5銭
大正13年に神田・須田町食堂がライスカレー8銭で提供開始しているっぽい
今の価値で1銭が50円ぐらいの感覚かな?
公営食堂は貧民救済だから相場の半額程度
しかも大正14年て震災復旧最中だからかなり安く設定されてるはず
大工の日当が3円50銭、石川島造船所の日当が2円50銭、女性事務員の月給が30円程度のようだ