三十年戦争のさなかのこと
ティリー将軍は、ローテンブルクの街が降伏するまで、
さんざん手こずらせてくれたことに腹を立てていた
市の参事たちは全員処刑してやる、
それから街を焼き払ってやると宣告した
ローテンブルクの元市長ヌッシュが、ティリーの機嫌をとり、
せめて町だけでも救おうとして接待する
その時にでっかい3リットル以上も入るジョッキを出し、
そのジョッキいっぱいのワインを自分が一気に飲めたら
街を焼くのは撤回してくれませんかと頼み込んだ
どうせできないだろうと思ったティリーはまあいいだろうとやらせてみた
ヌッシュはみごとにワインを飲みほした
街を救おうという元市長の心意気と飲みっぷりに感心したのか、
ティリーは街も、参事たちの命も助けてやった
ヌッシュはぶっ倒れて眠ったが、
命に別状はなく、その後天寿を全うしたらしい
ニュース
漢だな
直前に裏で試しに同じ量を飲んでいた、ってオチがつくのに
その落語の題名 なんだったけ?
そんな程度で皆殺し令とかだすわけないだろ
作り話はもっと人物調べて作れよ
話の内容がフィクションか史実かはともかくとして、
ローテンブルクという都市でそのように
伝えられていることは事実だ
その都市には、その場面を再現する祭りや仕掛け時計もある
「ローテンブルク 一気飲み」でググってみ?
あと、ティリーがしようとしたのは、「皆殺し」ではなく、
参事の処刑と、町を焼くこと(住人はその前に退去することができる)だ
カトリックと新教が血みどろの
争いをしていたこの時代には、「聖職者」こそが最も残酷だったんだぞ
信仰心が強い者ほど、
自分が正しいと信じている信仰を否定する信仰を持つ者を異端者として
弾圧することに熱心だった
異端審問や魔女狩りがあれくるったのも、まさにこの時代だ
聖職者に喩えられるほど敬虔なカトリックのティリーだからこそ、
逆に、新教側の町を焼き払うぐらいのことはする
十分信憑性のある話だよ
1940年、パスツール研究所の門衛をしていた老人に、
パリを占領していたドイツ軍がパスツールの墓を開けろと命令した
老人は毅然として拒否し、自殺した
その老人こそ、
1885年に、パスツールによる狂犬病ワクチン接種の初の成功例となり
命を救われたジョセフ・メイステルだった
自死の是非はともかく、この門衛の老人には畏敬の念を抱くな。
自殺はしたそうだが自宅でだそうだよ
でもドイツへの抗議の自殺ではあるようだ
>>581
1940年、ドイツ軍によるパリ占領。
エッフェル塔は前年50周年を迎えたところだった。
この時、ドイツ軍のパリ入場とともに、
エッフェル塔のエレベーターは、一斉に動かなくなった、という。
戦局はやがてドイツに不利に転換していく。
1944年8月25日正午、エッフェル塔に再び三色旗が翻った。
旗を掲げたのは、1940年6月13日、
ドイツ軍の占領を前に三色旗を降ろした消防隊員サルニゲだった、とか。
ちなみに4年間動かなかったエレベーターは、
一人の老人がエレベーターの機械室でいくつかのネジを締め、復活させたという。
おそらくは、動かなくなったのも彼の仕業だったのだろう。
恐妻家で有名な中国ネタ
昔、中国の将軍が精鋭部隊を作るとととなり、
全国から一騎当千の勇者500人が集められた。
兵営前の広場に整列した勇者達に恐妻家の将軍はこう宣言した。
「これから隊長を決める。
自分の女房が怖いものは 列からはずれ、広場の右手にに移動しろ」
ほとんどの勇者は右手に移動してしまったが、列の後方に一人だけ留まった者がいた。
将軍はその男を隊長に任命し、こう尋ねた。
「女房が怖くないのは本当か?」
男は照れくさそうに答えた。
「実は、将軍の話がよく聞こえなかったんです。
で、『他の人とは違う行動をとれ』と女房に言い渡されていたもので」
将軍の話が聞こえた上で残ってても良さそう。
というか皆自分の女房が怖いて
貴人お忍び話のひとつ。
神聖ローマ皇帝のカール5世は、
お供一人を連れて急ぎの旅の道中、日が暮れてしまった。
案内人を探そうと村に入り、一軒家の戸口を叩くと、
酔っ払って寝入りばなを起こされた農夫が出てきた。
農夫は道案内を頼まれて、不承不承カンテラに明かりを灯し、頼んだ人に話しかけた。
「お前さんは誰だい」「カールだ」
「そうか。おいカール、このカンテラ持っててくれ、用を足してくる」
農夫が戻って来てカンテラを受け取ると、
お供が「この方は皇帝陛下であるぞ」と一言。
仰天した農夫は平謝りしたが、
皇帝は彼の税と賦役を生涯免除するよう指図したという。
>>588
カール五世がイスパニヤ王カルロス一世となるべく港に上陸した時に
通り掛かりの漁師が言うに
「王様、そのだらし無く開いた口を閉じた方がよろしゅうございますよ。
この国のハエは大層無礼ですからねぇ」
後年、カルロス一世が一介の農夫に
「この国では誰が立派な王かね?」と尋ねると
「そりゃ一番はイザベル女王様ですわ。
それに比べて今の王様はまるで駄目だね。
暇さえあれば新教徒をやっつける戦争ばかりしてる。
そんな事やらなくても世界で多分一番強い王様なのに、
全く困ったバカですわ」
この二つの話は史実かどうかは判らんが、
カール五世はこんな小咄が語られるような
ユルい一面を併せ持つ性格だったんだろうね。
景公が酒宴を催した際に、晏嬰と共に現れた晏嬰の妻を見て、
愛娘が晏嬰に嫁ぎたいと願っていた事を思い出して、
妻はずいぶん老けてしまっておるな。
私の愛娘は若くて器量良いなので貰う気は無いか?
と晏嬰に尋ねると、晏嬰は、
今は老けましたが、若くて器量の好い頃もあったのです。
人間は最初にこういう風になる後々のことまで約束いたします。
わたしも一度約束した以上はそむくわけにはまいりません。
と言って断った。
戦国時代の魏の国で西門豹という男が知事に任ぜられた
彼は地元の農民達を集め、どんな苦難があるか聞いた。
当時鄴では地元に伝わる迷信で、
毎年河に住む神(河伯)に差し出すため、若い女性と多大な財産を
巫女や三老と言われる長老や儀式を管理していた役人に差し出し、
それらを河に沈めるという人身御供の儀式がしきたりとなっていた。
これにより集められた金銭は膨大なもので、
民衆の生活が困窮するほどであったが、儀式に使われるのは一部で、
残りは巫女達が山分けしていた。
また年頃の娘がいる家は逃げ出し、その田畑は荒れ放題となっていた。
これを聞いた西門豹は
「横取りされているのが解っているならば、止めればよいではないか」
といったが、
農民たちは
「そんなことをしたら河の神のお怒りを買います」と恐れた。
西門豹は「なるほど、わかった」と答えた
(続く)
西門豹は巫女・三老・役人が迷信に付け込み肥え太り、
農民達が困窮したので土地が枯れたと考えた。
更に灌漑が必要だが、迷信ある限り河に手を付けられないと判断し、
まずはこの一掃に着手することにした
儀式が行われる日、河辺には巫女達と多数の見物人がいた。
そこへ西門豹は見学したいと護衛の兵士を伴って参加した。
そして生贄の女性を見せられるや、
「これでは器量が悪すぎる。
『もっと良い娘を連れて行きますので待ってください』
と河の神に伝えられよ」と言い、
「お怒りを買わぬためにも、使者には最も河の神と親しい者がよかろう」
と巫女の老婆を河に沈めた。
しばらくして「巫女が帰ってこない。様子を見てこられよ」と言い、
弟子の女性たちを河に沈めた。更に
「弟子達も帰ってこない。女では河の神への願いが難航しているようなので、
次いで河の神に貢献している三老に手助けをお願いしよう」
と言い三老を河に沈めた。
(続く)
「おかしい、三老も帰ってこない。更に次いでとなると、
多額の金銭を集めた役人であろうか」
と役人達を沈めようとしたが、
役人達は「その任は何卒お許しください」と平伏して詫びた。
その顔色は血の気が引きすぎて土のような色で、
額を地面に打ちすぎて流血するほどであった。
西門豹はしばらく待った後、
「どうやら河の神は客をもてなして帰さないようだ。皆も帰るがよい。
もし誰かが儀式をやりたいならば、私に話すがよい」と言った。
役人も民衆も度肝を抜かれ、これ以降生贄の儀式は行われなくなった。
西門豹は河の神を信じている風にして、
儀式の中心人物を反論できなくしたまま一掃し、迷信も一掃したのである。
この結果、貢物を搾り取られなくなった民衆は貧しさに苦しまずに済み、
年頃の娘がいる家は逃げなくなった。
迷信と権力者達は一掃され、
役人も民衆も西門豹の言うことに従うようになったのである。
古代中国の伝説の大盗賊「盗跖」の話
9000人もの部下を率いてあちこちを荒らし回り、
盗みを働くときは壁を壊すなど荒っぽく、
女はさらい牛馬は奪いとやりたい放題で、
彼らが近づくと皆砦へ逃げてしまうほどであった。
それでいて大変に知恵の働く人物でもあった
あるとき盗跖の部下が彼にこう尋ねた。
「お頭、聖人君子になるためにしなければならない道はありますが、
盗人にもあるんですかい?」
すると盗跖が答えて言うには、
「もちろんあるとも。君子と同じように盗人の五徳といって、
それぞれ"聖"、"勇"、"義"、"智"、"仁"がある」
「それはいったいなんです?」
「聖とは盗むものをよく吟味することだ、
金にもならないものを盗んでは儲けにならない」
「勇とは盗みに入る度胸のことだ。
これがなければもちろん物を盗むなんて出来はしない」
「義とは仲間を先に逃し、自分が最後に逃げることだ。
自分が真っ先に逃げるような奴に仲間はできない」
「智とは盗めるかどうか判断することだ。
警備が厳重になったのに無理に盗もうとして捕まっては無意味だ」
「仁とは盗んだものを仲間と公平に分けることだ。
独り占めをしたり不公平では、仲間に恨みを持たれてしまう」
「君子も盗人も、五徳を持って道に従わねば立派にはなれない」
と語った。
>>607
「智」が足りてないので、いつも捕まってるぞ
毎回のことですくに逃げ出すがww
「仁」も足りないでいで、次元と不二子の仲が悪い
韓国で漢江の奇跡を成し遂げた朴正煕の発言
日本の朝鮮統治はそう悪かったと思わない。
自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、
日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、
親は仕方なしに大事な労働力だった自分を学校に行かせてくれた。
すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。
さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、
首席で卒業することができた。
卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。
日本の教育は割りと公平だったと思うし、
日本のやった政治も私は感情的に非難するつもりもない、
むしろ私は評価している。
日本が外地に作った大学(城大・台大)は、
学生の過半数が日本人だったし。
もっと公平であればよかった。
そりゃこの手のことを持ち出す方が偏向してるから…。
インドやフィリピンにだって大学があったことや
外地の帝大よりも
はるかに現地人向けだったことは無視されてるし。
大江健三郎がノーベル賞やレジオン・ドヌールは受けつつ、
文化勲章を辞退した、とかあったっけね
北大路魯山人だっけか(うろ覚え)
人間国宝指定だかを拒否したとき
「北宋の徽宗みたいな文化人からなら貰ってもいいけど」
と言い放ったり
それが良いとか悪いとかいうつもりは毛頭ないが
俺だったら喜んでいただくけどなぁ、
いらないなら俺にくれないかなぁ、とか思うw
天皇制理由に文化勲章拒否したのに
スウェーデン王から接待うけるノーベル賞を拒否しないのは
まさに「虚栄のための受賞拒否」てかんじで
非常に俗物という印象を受ける
大江健三郎が俗物以外の何者だと言うのだ。
そのくせ、息子がレコード大賞企画賞を貰った時は、
「ノーベル賞よりうれしい」と
発言してレコ大授賞式会場と日本国民を失笑させたw
いかなる人間も生前に神格化されるべきでないとして
ノーベル文学賞を辞退してた
ベトナムのレ・ドク・トも、
まだ真の平和はもたらされていないという理由で
ノーベル平和賞を辞退している
政府の圧力などによってではなく自分の意思でノーベル賞を辞退したのは、
今のところこの2人だけ
サルトルも安心して受賞しただろう…
受賞してなんだ権力になびいたかとか言われて
俺は受賞による年金が欲しかったんだと答えたとかいい潔さを感じる
>>636
士族であることに誇りはあった様ですし、
反天皇制でもなかったですからね。
むしろ古い(明治以降普及したよりももっと古い江戸の)
価値観の持ち主。
北大路魯山人だっけか
ロックフェラーにアメリカに招待され、夫人から
「貴方にはもう御目にかかりたくありませんが、
貴方の作品とはまた御目にかかりたいです」と言われた人。
この際、海外でシャガールやピカソとも会っている。
日本にも住んでいた張大千もピカソと会っているし、凄い時代です。
魯山人も竹内栖鳳(この人も外遊経験あり)と会っていますし。
魯山人の若い頃の雅号が「大観」だったのを初対面の冨田渓仙に
「たいそうな名前やな」と言われて嫌いになったのもこの頃の話。
フィールズ賞をはじめ片っ端から賞を辞退して、懸賞金100万ドルも蹴ってる
美談というか、全体的に頭の構造が凡人と違うのかな
何年か前のNHKBSでやってたけど
困窮の極みで世捨て人になってたな
金が無いから研究しかできない。
という感じに自分を追い込む
田単の話を思い出しますね。
ある寒い日に数人の兵士たちが工事で木材を積み上げていた。
しかし木材は重く、何度も後少しで落ちてしまう。
すると見ていた伍長が怒鳴る。
「何をしてる!もう一度だ!」
そこに外套を着こんだ男が通りかかった。
男は兵士たちに加わって一緒に木材を持ち上げた。
するとようやく木材は上がった。
その後男は伍長に向かって言った。
「何故手伝わなかった?」
伍長は言った。
「貴様俺を知らんのか!俺は伍長だぞ!」
すると男は外套を脱いで言った。
「ならば私はただの司令官だ!
兵士諸君、人手が必要ならいつでも言いたまえ!」
ジョージ・ワシントンの逸話。
中間管理職の仕事やりにくくしたら、
司令官の仕事にも差し支えが出るんじゃないか?
そこは、伍長の上司にさりげなく注意しなきゃ。
実社会ならそうだけど、
そうするとワシントンが普通の人になっちゃうだろw
アリストテレスは、
「教育の根は辛いが、その果実は甘い。」と言った。
また「すぐに古びてしまうものは何か?」との問いに、
「感謝である。」と答えた。
また「希望とは何か?」との問いには、
「目覚めている者が見ている夢である。」と答えた。
ジーンと来た。