平安時代はてんこ盛りの玄米と数切れのお漬物
魚の干物に汁椀がお貴族様のお食事だったらしい
保存食中心になるのは仕方ないよね
調理方法も煮る炊く焼くくらいしかなかったと
某オカルト系のマンガに描いてあったw
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平安貴族は結構品数だけはすごいよね。
強飯は粥に対する今で言う普通のメシに近いものだと読んだ記憶があるが。
もちろん品種や精米技術、炊き方の違いはあるが。
飢餓画なんかには、泥とか草の根っことか人とか
食べてる図があるけど。
>>37
山間部だと粟稗等の雑穀といくばくかの野菜の雑炊ってとこではないかな?
食材や調味料の流通もほとんど期待できないし自給自足か、せいぜい近隣との物々交換とか、ではなかったかと。
海沿いだともうちょっとバリエーションが増えそうだな
肉を食べることは意外にタブーではなかった。
仏教も、初期は貴族の間でファッションのように流行っていただけだし
アラスカのキビヤックみたいなもんかな
「今昔物語」にすしを商う女が商品たるべきすしの上に嘔吐したにもかかわらず、それをこそげ落として商売を続けたという話があるが、この話から、すしは嘔吐物のも似た物体に覆われていた事や、相当な酸臭を放っていたことなどが想像され、かなり長時間にわたって発酵させられていたと考えられる。
おこわみたいなのを想像すればいいのかな?
確か、洗ってから干していたはず。
>>49
それは干飯(ほしいい)のことじゃないかな。
洗って陰干しして作るやつで米粒がくっつかずパラパラで水につけると戻るらしい。
乾飯は纏めてあるみたいだから粘りを洗い落とす必要があったのかな?
「こんなうまいものがこの世にあったのか」
とコメントしたらしい。いくら流人だったとは言え貴族だし、それなりのものは食っていたはずだが。
ただ、関東では猟が盛んに行われたので、肉は結構食べていたようだ。
日本人の平均身長って、肉食の習慣が失われるにつれ、どんどん低くなり、江戸末期が一番小さかったはず。
>>48
>日本人の平均身長って、肉食の習慣が失われるにつれ、どんどん低くなり、江戸末期が一番小さかったはず。
食事よりも「正座」という生活習慣の影響がはるかに大きい
>>48
貴族だからこそ、ろくなのを食べなかった。
平安時代あたりから、仏教の影響で動物性タンパク質の摂取が
少なくなる。食べるのは、上で出てる蒸した米だとか、干物ばかり。
当時は貴族より野武士や豪族のほうが、栄養価の高いものを食べていた。
まぁ、塩鮭は産地と輸送の問題だと思うが。
頼朝と鮭だけど
親父さんは従四位だったから塩鮭の恩恵をあずかっていたかも
知れないけど、ガキの頼朝まで鮭を食べれたのかな?
鎌倉に定住後、利根川あたりから送られた新鮮な鮭を食べたの
が鮭初体験だったんじゃないかと想像するけど。
昔はあの辺でも鮭が取れたのか?
そうではない、
利根川から何日もかけて遠路運ばれてきた、生の鮭と
前浜であがった、ぴちぴちの鯛ならどっちの料理ショー。
利根川に鮭が遡上してるなら、鎌倉や伊豆で漁獲されても不思議は無いんじゃ・・・
>>131
えーと、
現在でも伊豆を含む静岡県の河川では、
鮭の遡上が確認されています。
ただし当時、業として成り立つほど漁獲が有ったかどうかは疑問です。
鮭については、塩(当時大変貴重な物だった)に価値があり、
ただの鮭は無価値だったと思われる。
江戸時代の九州ではめったに取れない鮭を何年も保存して、
その脂を金創や火傷の薬に珍重していたらしいよ。
「延喜式」によれば、越中、越後から様々な加工したもの
(鮭楚割、氷頭、背腸、鮭子)を出し、
若狭、越前、丹波、丹後、但馬、因幡から生鮭を都に出していたとか。