蓋無しでは、お粥みたいなの食ってたのかな?
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Yes.
とっ、言う事は
今、食ってる飯はいつごろから食われてるんだろ?
白米が江戸時代以降食われてるのは知ってるけどお粥か飯(炊飯)かの差は大きいよな?
飯は、いつごろから食われてるんだろ?
ふたも出土しているけど、それ使って炊いていたかどうかまではわかんないよね。
お粥っぽいものにはなるらしい。
魚や貝や海草も煮てた(潮汁みたいなもんだな)
味付け味付けは海水を使ってたけど味的にはうまかったそうだ
何時頃から、なんで炊飯になったんだろ?
もち米とか酒米は今でも蒸すけど一般的に食う場合は炊飯だよね
>>294
2.ご飯を炊いても割れたりしない丈夫な道具が製造でき、且つ広く普及したため。
米の固形を生かして食べる調理法としてはそれが一番楽な調理法だとは思うが、蒸したり炊いたりする調理法になったのはなぜなんだろう。
炊干法が一番燃費が良いから。とされてるようだが
米単体で食べる文化と、米に味をつけて、又はおかずと混ぜて食べる文化の違いかと思われる。
握り寿司、ちらし寿司、ひつまぶしなどのことか?
>握り寿司、ちらし寿司、ひつまぶしなどのことか?
これらは、いわゆる「ケ」の料理ではないので、やや筋が違う。
炊飯法の変遷と分布が本筋かと。
町人の「ケ」の料理だと言われている。
にぎり寿司は思いっきり「ケ」の料理だろ。屋台で「つまみ食い」するための調理法だし。
ちらし寿司は基本的には「ハレ」の食だろうけど、ひつまぶしは微妙。とは言っても「ここぞ」という時に食べるようなものではないね。
家庭料理に取り込まれることは無く、その意味では「ケ」とは言いがたい。
>>321
ハレの料理:神饌(祭礼)、儀礼、餐宴。
ケの料理:普段の食、日常食。
学研から出てる子供向けの「食べ物のひみつ」っていう本があるんだけど
それによると卵を食べ始めたのは、江戸時代かららしい。ときつげ鳥(にわとり)を飼う習慣はあっても、あくまでも時計代わりだったんだね
でもって、卵が一般に出回るようになるといきなり卵料理の文化が花開いらいたんだとか。
日本人の創意工夫ってのは凄い勢いがあったんだなって小学生と一緒に感心しちゃったよ
タブーがあるようでないのが日本人独特の感覚なのかもな。
八百万の神を祀る国だし、結局は「何やってもいい」んだろうな。
敗戦以前はタブーも多かった、開国以前はもっと多かった
秀吉の全国平定以前は諸国によってタブーはバラバラ
それ以前は知らない
タブーと言っても、仏教圏、特に日本のタブーはそれほど大きな位置づけではないっしょ。ヨーロッパとかイスラム圏なんかの「絶対禁忌」としてのタブーに比べたら、それほどに厳しいものではなかったのでは?
ていうところが多いし文献とかを見てもやっぱり日本人はもともと鹿とかの動物を主食にしてたんじゃないかな
縄文時代になると里芋も栽培するようになったけどやっぱり動物の肉が中心だった
江戸時代辺りからいっきに肉を食べなくなったけど
日本人の食べ物はまず鹿肉と蕎麦、付随してどんぐり、栗、猪、柿じゃないか
おまけに、解禁になったとたんすばやく全国に広がるのもちょっと意外。
牛乳は知らないけど、卵は食ってたぞ。
高価な食品だから誰もが普通に食ってた訳じゃないが。
農耕の時期に合わせて期間限定の禁肉食だったから
それほど厳しいものではなかったんだよ。
なのに何回も公布しなければならないほど定着しなかった。
>>343
それまでは「非合法」に喰ってたんだよ。都市部では隠語で呼び習わして肉類は珍重されてたらしいし、田舎では野生動物は普通に捕って喰ってた。
明治以降は肉食の正式解禁により流通システムができたから一気に普及という流れなんじゃないの?
家畜の解体などはBの専門。
他の人はやってはいけなかった。
食ってたのはBだろう。
ん?江戸の武家屋敷跡で牛などの骨が大量に発見されているんだが、、、。
しかも骨には包丁の跡が残っているので、食用に解体されたのが歴然。
彦根藩主が将軍に毎年牛肉の味噌漬けを送るのは慣例だったし、薬食い名目でね。
江戸市中には食肉を売る「獣店(けものだな)」というものもあった。
確かに動物の皮を剥いだりする仕事なんかはエタとかの仕事だが、一般の人にも食用としての肉はちゃんと認識されていた。
ちょっとしたタブーに近いものはあったとは思うけど、むしろ珍味のような扱いだったんだよ。
とか言い出したら、全国のペットショップから赤犬が消えたりするんだろうか
犬さばくの、すげえ大変なんだぞ