結局このときの兵力ってそれぞれどのくらいだったの?
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演義設定なんでそこまで頼りには出来ないが
于禁、鳳徳軍は総勢7万6千くらい。
>>175
ハッキリと記述されてる数は
・于禁軍の援軍は7軍、降伏後の捕虜は約3万
・落城寸前の樊城に篭ってる曹仁軍は人馬数千
・徐晃(兵数不明、新兵多し)は徐商・呂建(共に兵数不明)に+して
殷署・朱蓋ら合計十二の軍営を援軍に追加してもらった。
・対する関羽が動かせた、包囲を除く兵数は5000。
以下推測
関羽側は呉との戦の際、劉備の助力ありで3万の軍を動かせた。
そのときと比較して荊州領は減ってるし(後漢の人口調査を基にするなら戸数半減)
それから兵力を増強したとしても1万~2万前後ってところか?
対して曹仁側は行征南将軍の曹仁の管轄が南陽と襄陽なんで、これに後漢時代の戸数を適用すると領土的には関羽より上になる。
全部を総計すると曹仁軍(ホウトク含む)+于禁軍で6~7万、徐晃等を合わせると10万を超えてても不思議はない。
夏侯淵が破れ、曹操も漢中から撤退後という事を考えればかなり深刻な被害を受けてるね。特に于禁軍が全滅して3万が捕虜になってるのは『1割死ねば大敗北』理論で言えば目茶苦茶でかいね。
>>184
その計算のしかたはどうかな?
魏では反乱が起きていて、関羽の援助をしていた者が多数いて、それの討伐もしていたわけだし。
さすがにそれはないだろう。
反乱といっても、兵と呼べるほど上等なものとは限らない。
ただ、内部からの揺さぶりというのは非常に効果的だったと思うよ。
蜀が常に寡兵で戦うのも人口の少なさから必然のようなものだしね。
>>185
侯音・衛開の叛乱は手勢数千程度で梁・陸渾も県レベルの群盗。
また全体的にすぐに鎮圧されてるし関羽指揮下かどうかも微妙であり、全体で数万くらい差がある関羽の方が兵力で多くなる程の数は無い。
元々、孫権が動かないと見て関羽のほうが先に兵力の増強を図ってるわけなんだが。
しかし、夏候惇の二十六軍て凄いな。
于禁ですら7軍なんだから、魏の主力は呉に備えていたんだろうな。
徹底的に中央集権に務めた結果、曹操軍以外の兵の質は結構落ちたらしい。
こいつらが参加してない戦いは勝率が今ひとつだし。
スレの主旨としては関羽以外の人物で荊州を統治させた場合の予想だからね。
まずは適任者を選定する議論に戻ろうじゃないか。
候補者リスト
1、劉備
2、張飛
3、李厳
4、魏延
この4者ぐらいかな?名前が挙がったのは。
自分は劉備の直率以外にないと考えます。
魏延では実績が足りないし李厳では信頼しきれない。
それ、実質、1と2しか選択肢無くねーか?
誰がやろうが、荊北に出ようが、南郡に篭ろうが、外交上、二対一になってしまえば蜀の荊州失陥は確実。
呉と魏がどれだけその縄張りを切り取れるのか、という違いしかない。
掘り起こすべき問題じゃないかな
それは劉備軍閥の重鎮としては関張の二人の存在が絶大であり、劉備自身は益州統治に専念できるように委託したんじゃないだろうか?
劉備にとって関張はまさに飛車角であり、いずれは三方面からの進撃も予期して
まずは関羽に荊州を任せてみたかったんじゃないだろうか?
領土が拡大すれば必然的に方面軍の総督を養成しなければならないし、その筆頭には文句なしだろう。
全権ではない。
太守はじめとする内務の任命権もなければ外交権もない。
関羽は荊州の軍事統括であり責任者。
孫権との姻戚関係だって、(虎の子がどうのとか抜きにして)関羽からしたら越権行為にも取られかねないから蹴ったのはあたりまえ。そういう話は劉備抜きには出来ないことだったことなんでしょ。
それはその通りなんだが、同時にいつも出される反論が
「提案を蹴るにもやり方があるだろ」
というもの。
やはりこの話は
・対呉政策
結果的に二正面作戦になってしまったが、これを修正するにはどうするか、戦略的な施策
・北上作戦
魏内部の乱に呼応するために北上したのだが、これが是か非か・・・
是なら是の関羽が実際に取った行動よりベターな案を、非ならどのような代案があったのか、戦術的な問題
・防御作戦
関羽(もしくは他の誰か)が北上するとして、どのような守備配置・迎撃案が考えられるのか、 これに付属する人事問題はどのように処すべきなのか戦術的でもあり戦略的な問題点
この三点から思考して議論しないといけないことは、いままでの流れから確実だと思う
このスレタイの趣旨である関羽のポジションに誰が就くのかという議論はおおよそ絞られている
・現実的であり可能性が高い
関羽
張飛
・可能だが問題点が多い
劉備
魏延
黄忠
・ほぼ不可能
馬超
趙雲李厳など
次にこのスレの話題の副趣旨であり語られている・・・
誰が太守などの地方行政長官であるべきか
誰が関羽軍に属する軍事関係者(部将・参謀・兵站等の後方支援←これは太守の関わりも多い)であるべきか、という話題
・士仁/麋芳問題
・馬良/黄権/法正等の「参謀」問題
(馬良は知られている限り外交官であって軍務には疑問が大きい)現実には趙累が所謂「軍師」
なおこのスレでは突発的に「法正」「諸葛亮」など大御所の名前が出るが、
一体どういう役でどのような任務を担うのかがまったく触れられないのは厨レスとして無視される傾向が高い。
219年の荊州のまとめ
・同年予ねてから返却(譲渡)要請していた荊州に呉が侵攻
・同年劉備は長沙・桂揚・零陵を電光石火で奪われる
・後に零陵は返還されて劉備の荊州領地は南郡の南部と合わせて三郡になる
・215年時点で関羽の総兵力は3万である
・216年呉は合肥方面からの侵攻を諦める?
・217年呉は魏に対して表向きは臣従する
(ここで呉の対外政策に大転換があったのは確実)
・同年に親劉備と言われる魯粛が死ぬ
(親劉備と言われる魯粛が存命中ですら劉備攻撃を開始してることは特筆すべき)
・218年前後に侯音や吉本が魏領南郡北部で乱を起こす
・同年関羽がこれに呼応?
・219年関羽が北上開始
・呂蒙が病気と称して陸遜が後任につく?
・関羽が守備任務の兵までも攻勢に動員する
・関羽は襄陽と樊城を囲み、于禁を捕らえて?悳を切るが徐晃に敗れる
・呂蒙が帰ってきて侵攻開始、公安江陵などはほぼ無抵抗で降伏
・関羽麦城から突破を試みるが敗れて切られる
・荊州は完全に劉備の手から離れる
220年
曹丕が襄樊から宛へ曹仁を撤退させる
孫権が襄樊を占拠
陸遜が魏?の鄧輔、郭睦を撃破
秋、魏の梅敷、住民三千戸が呉に帰服
襄陽を守っていた呉の陳邵が曹仁に駆逐
221年
四月、曹仁が襄樊を巡る戦功で大将軍に任命される。
地図を探してみたけど高低の地形が表されているのは少ない・・・
それがないと「長安を攻めれば」と安易にレスつけたりする人が一向に減らないし、益州と荊州の連絡の難しさや、河の交通がよく理解されないと思う。
これみて州の広さや陸の孤島という意味がよくわからないなら実際の世界地図と合わせてくれい
>>205-210
まとめ乙。
対呉は江陵を渡すか敵対かって状況じゃないの?
呂蒙・陸遜を抑えられる何かがあればまた別だけど。
呂蒙は置いといて、陸遜対策に山越でも扇動して足止めしてみる?
北上時点で扇動できても、制圧された直後だから大して効果は望めないし、それ以前に蜀に扇動できるかって問題もあるけどね。
北上は非だと思う。
確かに絶好の機会ではあるけど、呉の突発的侵略からの荊州情勢を軽視し過ぎだし後背を信頼し過ぎ。
3郡なら3郡で良いから、残った領地を確実に統治する事が最優先だね。
侯音・吉本は関羽が使者を送るなりして、軽率な行動に出ない様に宥める。吉本とは連絡取れないか?
防御については、まず呉との国境線を明確にする事。
上の地図を見る限り、湘水以西が蜀らしいので、そこを重点的に守る。
最悪でも、3郡は確実に保持できるだけの兵士と兵站を準備する。
更に、山越と連絡が取れる様なら出来るだけ好条件を出して手懐ける。
同時に荊州の人士を馬良辺りに推挙させる。馬良の直属扱いにでもしておけば関羽も何も言えないだろ。
関羽がどうしても嫌がったら、劉備と孔明辺りが正式な命令を出す。
駒はこれで揃うと思うので、その中で軍事・政治どちらにも長けた奴を適当に重要拠点に置けば良い。
後は、魏・呉両国が隙を見せる時期を待って山越と侯音達に反乱をさせつつ、北上。
220年辺りが妥当かな。
以上、魏・呉両国の事をあまり考えずに荊州と関羽が勝てる方策を挙げてみた。
おかしい部分がかなりあると思うので、どんどん指摘して下さい。
ふと思ったのですが、呉と不可侵を確約するために人質を交換するのはいかがでしょう?
確か孫権の嫡子は孫登ですよね?
それを太子の礼で隅して人質として預かるのですよ。
もちろん人質である事をお互いに納得のうえで。
ええ、劉備側からは劉禅を出しますがw
政略結婚ってそう言うことだと思うんだ。
で、関羽が断ったんだ。
孫策、曹操間では似たようなことやってるね。
互いに相手の親族の娘を自分の親族の男に嫁がせてる。
関羽の時に同じことは出来たんじゃないかとは思う。
効果のほどは不明だけど、両国のトップ陣の不信感を拭うことができれば案外荊州侵攻の抑止力になったかも知れない。
人質交換をして何がどう変わるの?
いつ頃それをやるの?
それをして得るものと失うものは何?
蜀呉両方が納得できる理由は何?
でも意味ないと思う。
同様に、不可侵の証左として呉蜀で王子を交換するという事です。
強大な魏に対抗するには呉蜀の同盟が必要ですし、連携が密になれば自衛のため呉が荊州を領有する理屈も薄まります。
春秋戦国のそれって、相手側が強大な勢力に対して行ったんじゃないの?
仮に呉蜀が不可侵の証左の為に王子を交換してたとしても、もし呉が蜀の王子を手土産に魏に講和とかを求めたりしたら、目も当てられない結果になりませんかね?
それを行えば孫権は人主としての信望を失います。
同盟を破棄して関羽を攻め殺すのは戦国の習いですが、劉禅を魏に差し出すのは卑劣極まりない行為であり、孫登が報復として殺されるのは明らかです。
信義を失い、父親としての仁義をおとしめる様な策を呉の家臣が建策する事はないでしょう。
呉には孫登がいなくても確か213年に孫慮が生まれているし、孫権も彼に期待を寄せていた。
仮に孫権や孫一族が孫登を惜しんだとしても、孫登<荊州の情勢になったらためらいなく攻めるだろう。
蜀も、劉永が210年に、劉理が212年に生まれている。
こちらも、状況によって呉に攻め込む事はありうるだろう。
そもそも、親のために子供が死ぬ事は儒学で言う「孝」の体現だしね。
それを否定する家臣はいないと思うな。
春秋戦国の時代とは違い、三国時代には儒教の精神が生活の末端まで行き渡っている。
その儒教では子供は親の小道具にしか過ぎないよ。
終戦直後に日本を訪れた中国人が、食糧不足で親が痩せ衰えてるのに子供は健康そうだったのに驚いている。
儒教的観念では子供は親の犠牲となる事が当然なのだが、日本では逆に親が子供の犠牲になっていたから。
自分の子供を差し出すのなら恭順の意を示す事になり意味が出てくるが、他人の子供なんてカスみたいなもんだし、差し出して和睦なんて無理な話。
話がややズレているようだけど、頭に入れておきたいのは
孫権が関羽の娘を求めたのは劉備に話を通して無い時点で離間を狙ったものだろうということ。
仮に関羽が差し出せば
「なんと関羽は劉備に無断で他国の指導者と姻戚関係になりおった!異心有りに違いない!」
劉備に話を通して差し出せば
「関公ともあろうお方が人質を差し出すとは・・・昔孫呉が曹操(曹彰)に娘を差し出したように力関係は孫>劉に違いない!」
劉備を通して断れば
「劉備は孫呉と友好関係を保つつもりはないのか!やはり荊州は永遠に返さぬつもりだな!」
結局現場独断で上げずに関羽という立場で断るのが一番いいんだよね。
いずれにしてもこの話は友好を繕っているが、かなり一方的であり裏があると考えるべき。
>>223
かつての孫と劉の結婚は、孫<劉だからなわけ?いやたしかに漢朝における官位身分としてなら劉備の方が上だがね。勢力として見た場合。
>局現場独断で上げずに関羽という立場で断るのが
その結果「劉備(関羽)は孫権を侮辱した。友好関係を保つつもりはないのか!やはり荊州は永遠に返さぬつもりだな!」となって以下略。
>>223
だから劉備に話を通した上で呉からも姫を出すように要求すればよかったんじゃないの?
てか普通そうするでしょ。ぶっちゃけ呉も関羽からこんなリアクションされるとは思ってなかったんじゃないかね。
1.丁重に断られる >対蜀融和派の発言力ダウン、強硬派アップ
2.関羽が受け入れる>離間策成功? 融和派発言力アップ?
3.劉備経由で受入 >融和派発言力アップ
4.劉備経由で断り >融和派発言力ダウン 強硬派アップ
ってところだろうけど、結果は
5.関羽にコケにされる
だぜ?孫権の面子丸つぶれじゃん。
最高の一手を考えた。
暗殺で皇帝になった者も多いので、暗殺を提案してみる。統一皇帝では無いが…
劉備が、曹操の王即位の後に、献帝暗殺&漢皇帝を僭称実行すれば、魏は史実より凶悪な反乱に悩まされるのは確実。そこで、関中、荊州、合肥、三面を攻める。
劉備が、献帝を暗殺する。曹操は傀儡を立てるだろうが、劉備認めず、漢皇帝を僭称する。関羽を楚王、張飛は趙王に即位させ上庸に配置。馬超を涼州王に即位させる(ここの地域だと王号は何王だっけ?)
呉には呉王の位か、出来れば斉王の位を与える。領土的には呉&斉を約束させる。荊州も欲しがったら仕方がないが、魏、殲滅後に完全譲渡とする。
問題点
1.暗殺は不可能では無いが、無理が有りすぎる。
2.反乱の規模がどの程度になるか、予想出来ない。
3.反乱の程度により、呉は味方にならない。その逆、中間もあり得る。
4.暗殺する時期を見極めるのが難しい。
5.暗殺が露見した段階で、劉備軍閥消滅。
6.悪役が劉備になるw
さすがに「最高の一手」は言い過ぎだろう。
まだ政略結婚、人質交換のほうが現実的だ。
まあ、極論過ぎるのは認めるしかないわなw
1:
呉軍が無難に淮南~山東に進出し、呉の対魏路線が本格化。魏の猛烈な反攻が予期され、必然的に呉蜀の協調は強まる。魏にとって難治の地でプライオリティの低い関中~西涼は蜀の手中に落ちる可能性大。 復漢滅魏の機運は一層強まり魏の結束は弱まる。呉がそこから更に勢力を伸ばすか、守りきれるかどうかは全く不明。
2:
3:
蜀が罠を張って西上してきた呉を返り討ち。夷陵クラスの殲滅戦で呉の反蜀派を完全去勢。どっちにしても魏が漁夫の利を得て、大局的な戦力差は史実とほとんど変わらない。最終的に共倒れ。
つまり隆中対の構想通りに進めるには呉蜀同盟の堅持が必須。その為には呉が合肥、寿春を下して、淮南~山東の権益を得なければ成らない。が、孫権がそのエリアで采配を振るう以上それは絶望的に不可能。だから呉の西上は史実通りどうやっても不可避となる。
もし関羽が北上を断念して専守防衛に徹しても、対魏戦の継続が困難になり、三国鼎立が恒久的なものになった可能性もある。
ちょっとトンデモ案を出してみる。
張飛を遠征に派遣してみるとか。ルートは江夏から長江北岸に沿って合肥方面まで。呉には南岸からの兵站線の確保と支援をお願いしておく。魏は全力で張飛を攻撃するだろうが、そうなれば関羽が北上できる隙が生じる。
皮算用すぎるかw
私見では以下の布陣を。
荊州…劉備、関羽
成都…孔明
漢中…魏延
遊軍…張飛、馬超
劉備率いる主力が江陵に駐屯していれば呉も迂闊に手出しできない。
孔明らに内政を任せ、新規に徴発した兵を張飛らに訓練させておき
いったん緩急あれば関羽を北上させる戦略。
おそらく魏延がナイスなタイミングで長安を突いてくれる(ハズ)
3人とも荊州派閥だし適任だと思うが・・・・
呉に娘を贈呈した方がよっぽど効果あると思うよ。