【荊州考察】関羽が北上せず江陵守備、劉備も援軍派遣できる体制を整えておく、これなら

2022年4月10日

135: 名無し 2007/09/28(金) 22:16:56

極端なこと言っちゃうと
関羽であっても北上させずひたすら江陵守備。劉備も北伐を諦めて危急時にすぐに援軍に派遣できる体制を整えておく。これなら荊州も失わなかっただろうと思う。

逆に北伐を考えるのなら孔明の陸中対ですでにあるように呉との同盟・友好関係が絶対不可欠。それが成しえないのなら、関羽の変わりに趙雲だろうと張飛だろうと魏延だろうと劉備本人だろうと北伐は無理。

 

138: 名無し 2007/09/29(土) 19:09:49
>>135
孟達あたりとの連携が今ひとつ無かったのも痛いな
もし彼らの弁明通り上庸が不安定だったのならば、安定するまでは無理な遠征は絶対厳禁だったと思う。

 

142: 名無し 2007/09/30(日) 02:23:15
>>135
荊州を防備一辺倒にするって感じだね。
同時に上庸を安定させたり、蛮族を帰属させたりしたら北伐が出来るだけの国力が手に入る。
劉備以下の年齢がネックになるけど、それを除けばまずまず良い案だと思う。
ていうか、これ以外に荊州を保持できる現実的な案ってあるだろうか?

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140: 名無し 2007/09/30(日) 00:55:08
関羽は攻めには強いが守りには弱かったんだろうな。
守備ではなく、攻勢に出られる場所に配置すればよかったと思う。

 

143: 名無し 2007/09/30(日) 04:09:13
関羽は攻めは、当時名将の位置に居た于禁を降伏させて、ホウ徳をぶっ殺してますからね。

 

145: 名無し 2007/09/30(日) 17:19:41
カンウとチョウヒの両人が守っていたらだめだったの?
カンウとチョウヒがお互いを補完しあえばよい。
漢中平定後のカンウ荊州統治時代後半ってチョウヒはそんなになんか表立った仕事していたということもないし

 

146: 名無し 2007/09/30(日) 17:23:54
カンウに荊州統治を指示したのはカンウの名声が天下に知れ渡っていたことが大きいだろ。
曹操に仕えていたこともあり、その時には実績も残している。曹操家臣団からも知られていて一目置かれる存在。

 

147: 名無し 2007/09/30(日) 19:22:18

関張、両方手放したら漢中が危ないだろ、魏延は成長途中、黄忠は老体、馬超は夷族に使用途中。

駒が足りんのだよ。駒が。

 

161: 名無し 2007/10/02(火) 10:40:27

魏内部で反乱を起こさせ、反乱と同時に関羽北上。于禁を降らせホウ徳を斬る。もちろん関羽側も呉の方針転換を知らずに北上したわけでもなし、警戒をしていたものの、要注意呂蒙に代わりいまだ名の知れ渡っていない陸遜、当然攻める兵は多い方が良いので守兵を削って投入。でもこれは戦略で呂蒙は南郡に侵入、戦わずして降伏。さらに連絡路を遮断。退路を絶たれた関羽は篭城、突破を試みるも捕まり斬首。

 
ってのが概要だと思うんだけど、関羽よくやったじゃん 
この戦いのせいで関羽が統率70台とか言われるの見ると腹立つ

 

162: 名無し 2007/10/02(火) 16:28:59

>>161
つーか呂蒙が優れてただけ
荊州守ってたのが関羽じゃなくてもあの状態じゃ守り切れないだろ

魯粛が死に、呉の戦略が対劉備強硬路線になった時点で詰んでたと思いますが

 

163: 名無し 2007/10/02(火) 19:14:52

>>161
関羽は基本的に攻撃型の武将なんだよ。
攻めなら天賦とも言える才能を誇っていたのは荊州北上時の破竹の快進撃でも分かるはず。曹操がその武威に恐れて遷都まで考えたのだから、呉の横槍が入らなければ確実に荊州一帯は関羽軍が占領したはず。

ただ、戦はそれだけじゃない。守備もまた重要事項。
事前の対応で呉との同盟強化(荊州南部を返還+関羽と孫権の子の婚姻)など
を計り後ろから攻められないようにすればよかったんじゃないかな?
そこまですれば、孫権側としても強行して同盟破棄をすれば節操なき国と評判を落すことにもなる。狼煙台を作り、危急の難に備えたのは見事だったが、そこは呂蒙の方が一枚上手だったというしかないな。関羽には優秀な外交官が補佐に居ればよかったと思うよ。

 

164: 名無し 2007/10/02(火) 20:05:42
>>163
そこまで言うと、贔屓しすぎだわ。
呉と関係なく徐晃には負けているし、後詰で曹操本軍と夏侯惇26軍が来ているのに正直、荊州を取れるとはおもえんが。

 

165: 名無し 2007/10/02(火) 21:03:34

曹仁包囲、于禁撃破までよかったけど徐晃に敗れてるんだよね。
もし徐晃を撃破したらそのあとは夏侯惇軍、おそらくは張遼が出てくるから関羽オワタw
徐晃を撃破して曹仁も斬って襄陽とハン城に立て篭もっても夏侯惇は曹操本軍と合流して包囲して関羽オワタw

仮に呂蒙が攻めてこなくても関羽はどこで戦を収めるのか、それが独力でなし得ないから結局どこかで負ける。

 

166: 名無し 2007/10/02(火) 21:07:37

そもそも演技では関羽の策略とされている于禁軍の水没が違うからな。
正直、ガチ対決だったらそこまで襄ハンを囲むところまでいけたかどうか?

関羽にとっては僥倖だった自然現象だが、結果論になってしまうが蜀にとっては致命的だったな。

 

167: 名無し 2007/10/02(火) 23:55:40

でも、そこまで勢力を結集させると今度は漢中方面がやばくない?
まあ、推測の域を出ないが呉との同盟を強化させていれば魏は関羽を撃つために総力を結集し討ち果たすか、荊州を放棄して全体の守備に徹するかに迫られような気もする。

あの時点では劉備軍にも勝ち戦の勢いがあったからね、軽くは見れないと思う。おまけに魏国内にも反逆を促してるから全軍総力で関羽には当たれないでしょ。徐晃のみならず、夏候惇や張遼までが来るとなると魏の一線級勢揃いで関羽に当る構えだったってのも、よほどの緊急事態だったんだね。

>>166
正史ではたまたま洪水が起きたらしいけど、関羽は事前に水陸両軍で攻めていたから恐らくアドバンテージは関羽側にあったと思うよ。

 

168: 名無し 2007/10/03(水) 00:14:33

>>167
魏は荊州北部を失うことが出来ないから総力戦だったのよ
関羽は南郡北部と南陽の南部制圧で戦が終わる局地戦とでも分析したのか・・・
漢中に動きが無い関羽の単独行動であった以上、魏の総力を相手するのは必然だと思わないか?
夏候惇を動かしたのは明らかに呉侵攻の危険性が少ない、あるいは重要度が寿春合肥方面より荊州のほうが高いと判断したわけで

3つある魏への侵攻路のうち1つが非常事態で1つが危険度低下で1つが小康状態。となれば当然の成り行きでこういう形になる。

 

172: 名無し 2007/10/03(水) 04:18:24
>>166 167 
関羽伝じゃ偶々って書かれ方だけど、温恢伝じゃあ 
「大雨の兆候があるのに曹仁は準備をしてない、利に乗じて関羽が攻めて来たらヤバイ」 
って言ってるから決して偶々じゃないと思うよ。

そもそも自軍を船に乗せて大雨洪水の中を動き回り、そして于禁軍三万を収容出来るくらいの船を用意してるし

さらには于禁軍を収容するとは別に樊城に対して船を使った包囲網を敷いたりと実にスムーズに動いてる訳で、偶然だとすれば準備出来すぎでまずありえない。

 

169: 名無し 2007/10/03(水) 00:27:16

関羽も荊州北部を取れたら次は魏の首都に狙いを定めたろうな。そうなれば、漢中側と呼応して両面から圧力をかけられた。

で、もし関羽方面に敵を集中できたら、当然、小康状態と思われてるのをいいことに漢中から一気に関中へ攻めあがってくると思うぞ。
やはりあの時点では呉を突き動かした司馬イの大ファインプレーが魏を救ったのかも。

 

170: 名無し 2007/10/03(水) 00:59:36

呉ウンヌン漢中ウンヌン以前に徐晃に敗れてるんだってば・・・

仮に呉が動かなくて、関羽が体勢を立て直して再度、徐晃曹仁に攻勢を仕掛けることができても、そのころには既に夏候惇軍が到着して駆逐されるでしょ。

将棋でいう詰みの状態なのが北上した関羽。

 

171: 名無し 2007/10/03(水) 04:00:22

>>170
徐晃に敗れた後でさえも襄陽は包囲していたし、兵を引いたのは呉の荊州侵攻後だよ。 それに呉と盟約を結べたから楊州から兵力を引き剥がせた訳で、曹操が荊州へと向ったのも孫権からの使者が来た後。

だから呉が協力を約束しないと夏候惇はまず動けないし、徐晃への兵力増強さえも出来ないかもしれない。

 

179: 名無し 2007/10/03(水) 19:01:31

>>170
曹操に派遣された于禁、鳳徳軍は確か関羽軍より大軍だったはず。「数があれば潰せる」なんて思うのは軽率でしょ。仮に夏候惇軍が加わってもそれほど変わりはないと思う。

背後の本拠地を突かれたからこそ、挟撃の体勢を取れて、関羽軍の致命打となったわけだし。討たれたならともかく徐晃に関羽が敗れたなんてのは、決定的な敗因ではなく単なる関羽個人の敗走。大局には影響はないよ。

 

173: 名無し 2007/10/03(水) 06:06:58
徐晃の兵力は北方のだから呉とはあんまり関係ないな。
包囲を続けられたのもに守備兵まで使っていたのがあるしな。
守備兵がなければ徐晃はもっと早い時期に関羽を駆除できてただろうし。

 

180: 名無し 2007/10/03(水) 19:19:22

>>173
徐晃の兵力が北方のかどうかは不明だと思うけど。

それよりは曹操が漢中から帰還した後に徐商・呂建らを派遣し、包囲網に結構近づいた後に殷署・朱蓋等を派遣してることから、北方よりは曹操が指揮する本軍から軍勢を抽出してるんじゃないかと。

徐晃の派遣が8月、10月に孫権からの使者が来て→自分も出発→到着前に徐晃が関羽撃破っていう流れだし、孫権からの使者が来た後に殷署・朱蓋等とかは増強されたのかも。

そう考えると孫権の使者が来ない状況では遷都の可能性を考えて、十分な兵力を徐晃へと回せない可能性も高いと思う。

 

174: 名無し 2007/10/03(水) 08:38:22

徐晃は早期に戦域に到着しながら当初はまったく手が出せなかった。既に敵の兵站は守備兵まで使って一杯一杯だったにも関わらずだ。時間を掛けると劉備本隊が回復してしまうリスクがあるので、かなりギリギリの線だった。

魏の国力からすれば首都圏(河南)の正面玄関(荊北)を守れるのは当然だろう。問題は関羽の陽動で周縁部の関中~西涼や淮南~山東が切り取られかねなかったということ。

その危機の原因は曹仁、于禁、龐徳、徐晃らが頼りないから、曹操や夏侯惇、張遼といった大駒が関羽一人に引き付けられた結果だ。徐晃が相手を駆逐した時点の兵力は曹操本隊のが大半だから、
「守備兵がいなければ~」という仮定は全然頷けない。贔屓と過大評価が過ぎるだろう。

関羽の敗北は本拠をがら空きにしたことと、それによって呉の西進が生じたのが、ほぼ全て。確実に勝てる戦機をものにした徐晃は間違いない良将といって構わないが、それが魏にとってベストの結果だったとは思わん。

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