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ちょっとした世界大戦
(というかこれらが因となり果となって)
英国のヘゲモニー確立に至った。
これ以後、イギリスはヨーロッパにおけるバランサーの役割を果たすようになる。
イギリスの敗北には、外交上の失敗も絡んでいたように思う。
フランスだけでなくスペインやオランダも戦線を布告し、
ロシアのエカテリーナ2世はイギリスの対米海上封鎖(中立国船舶捕獲
宣言)に対抗して、スウェーデン・デンマーク・プロイセン・ポルトガルと
武装中立同盟(中立国船舶の航行の自由と禁制品以外の物資輸送の自由を
宣言したもの)を結ぶ始末。
この時期のイギリスは国際的に完全に孤立していた。
>>6
潰されてた。
合衆国史では神聖化されてるけど
実態は飢え掛けで錬度の低い反乱民兵の寄せ集め
それに然るべき物資と調練を施したのは欧州の反英諸国
まさか欧州を逆隷属化するほどの怪物国家の助産をしてるとは夢にも思わず
どうだろ?
ただフランス海軍の役割ってわりと決定的でしょ。
当時は鉄道以前の段階だから、13植民地の南北を繋ぐのは海上運送が中心。
そこをロイヤルネイビーに握られっぱなしになれば植民地側としてはかなり痛い。
結局、北部・中部・南部が別個に戦わざるをえない形勢になる。
ただ英国は英国で、大西洋という巨大な兵坦上の障害があるしな。
フランスの財政にとっては、王室の贅沢よりも、アメリカ独立戦争のほうが
負担だった。
(これがフランス革命勃発の一因になる)
そもそもイギリスが植民地に砂糖法・印紙法によって課税しようとしたのが、
フレンチ・インディアン戦争によって生じた財政危機だったことを考えれば、
この時代の世界は英仏の抗争があらゆるところに影響を与えてるんだな。
プロイセンはもちろん敗北していただろうけど、イギリスの立場は
どうなっていただろうか?
北米にもインドにも、フランスが巨大な植民地を持ち続けることに
なっていただろうか。
>>12
漏れの妄想。
英国としては、プロイセンは容赦なく使い捨てるだろうけど、
ハノーファーに危機が迫った段階で手打ちだろうな。
フランスもたぶんこれに応じる。
(厭戦気分+露墺(特にロシア)の急激な台頭に対する警戒から。)
ただしこの場合、イギリスにとっては史実のようなおいしい結果にはならない。
たぶんカナダとか獲得できない。
よってこの結果、
1.英仏覇権抗争はさらに長引く。
2.イギリスは、オーストリア当たりを対象に、大陸での同盟を再構築。
3.仏露墺の同盟関係は野合だからすぐに崩壊。
4.欧州東部でのロシアの存在感がぐっと高まる。
5.13植民地の独立も先延ばし。つーか不発?
6.プロイセンは滅亡しないまでも、一からやり直し。ただの中規模国に。
7.後のドイツ統一が全く別の形になる。
こりゃ大変だ・・・・
そうすると、ポーランド分割が起こらなかったかな。
あれはロシア・オーストリア・プロイセンの勢力均衡の
ためだったから。
こととして行われている。
たとえば七年戦争で、ロシア軍が東プロイセンに侵入したとき
大勢の商人が軍につきしたがって捕獲物を購入したとか、
ロイヤル・ネイヴィーがフランス海軍よりもフランス海賊に
悩まされたとか。
>>14
18世紀は暴力が国家に独占されつつあるギリギリの段階やね。
というか、国家がまだまだ未熟だったから、
国家機能の一部を民間に委ねることがよくあった。
教育→教会
徴税→徴税請負人、とか。
海軍力→私掠船、もその文脈で考えられる。
フランスの人口は2900万人で、対するイギリスは866万人。
イギリスが大陸へ軍事介入したがらなかった気持ちがよくわかるな。
陸軍が革命で無能な幹部を一掃し、かえって戦力を強めたのとは対照的。
海軍は基本的に技術者の集まりなので、短期間に育成することが難しい。
コルベールの時代にはフランスも海軍の育成を熱心にやっていたけど。
フランス海軍の弱点。
1.陸軍と予算の奪い合い。
2.よってコルベールやショワズールのような先見の明のある担当者がついた時のみ拡充される。
3.大西洋と地中海に戦力が分散されるという宿命。
4.人口は英国の数倍だが、潜在的な船員人口はほぼ同数。
5.相対的に英海軍の方が技量に優れるため、海戦ごとに拿捕・捕獲される船舶・船員はフランス側に多く、戦争が長引けば長引くほどじり貧になっていく。
6.英仏海峡のフランス側には(ダンケルクからサンマロまでで)ロクな軍港が見当たらない。
7.各戦争中の序盤で海軍力が破壊されると(7年戦争中のキベロン・ベイ海戦、ナポレオン戦争中のナイル海戦が典型例)、通商破壊戦という消極的かつ弱者の戦略に頼るというお約束パターンに。
力を注いで、強力でありイギリスにも脅威だったといえる。しかし、造船技術と戦略的海軍力増強に消極的であり、大陸国としての
特徴が全面に出て、海洋への関心がイギリスに比べ、天と地の差が付き過ぎていた事にある。
海軍力、会場航路開拓が貿易の新たに市場開拓する一歩として、気付かなかったのにも要因といえるだろう。
最強の陸軍国は、最強の海軍国にはなれない。
>>32
第二次百年戦争の間、ブリテンはおおむね、
陸戦は同盟国の資金援助でまかなって、
海戦は自前の艦隊で戦った。
フランスなどとの圧倒的な差があるとすれば、それは財政能力
というのが今のところ学説として有力だね。
某アニメによれば「戦略・戦術や質の差は、まず物量で補えてしまいます」
らしい。
三角貿易に都合のよい位置にあったにもかかわらず、
国王のきまぐれな収奪のおかげで、リヴァプールやグラスゴーのような
繁栄を築くことができなかった。
物量で補えるほど英国の財政能力が圧倒的だったわけじゃないでしょ。
人口比で言うとそれこそ圧倒的だったフランスと、互角以上に戦えるという点では、
確かに英国は財政軍事国家化に相対的に成功したけど。
フランスはフランスでそれなりに良好な財政的パフォーマンスを見せていた。
(同時期、ほぼ同面積・同人口のオーストリア・ハプスブルクと比べると、税収は数倍上)
もちろんハプスブルグ国家よりはマシな状態だったみたいだね。
人口では英仏で4倍以上の開きがあったとか。手元に資料ないからわからんけど、
国家の規模ではフランスは当時一流だったみたい。
ところが、たとえば封建領主の力が強くて税収があがってこない地方が
多かったり、売官制ていう仕事のない役職
(これを売って一時的に金ができるが、半永久的に給与を払わないといけない)
がイングランド以上に広がってたり、
徴税を行うための行政機構が未発達だったり、
そういう点で、いわゆる国力が財政能力に結びつかなかったと。
ルイ14世に代表される絶対君主で集権化が進んでいたように捉えられがちだけど、
その絶対的な権力を行使する機構が伴わなかった。
当時の絶対王政国家はたびたび破産してるが、それをやると国債の信用が落ちて、
資金集めが難しくなるし。
いっぽうで、イングランドでは議会の決定が(異常なほど)正統性を持っていて、
議会を通った税制度にはおおむね文句は出なかったし、
それを集めるためのExchequer(財務省)の発達が著しかった。
1720年代までは英仏両国の財政的方向性はそれほど大きくはかわらないと思う。
ただフランスでは、ミシシッピ・バブルでジョン・ロー・システムが破綻した後は、
公的信用制度の確立路線(同じ時期英国で南海泡沫→ウォルポール改革後に見られたような)は放棄され、
完全な徴税請負業者(俗に「40家族」と言われる)依存に陥ってしまう。
以後、両国の資金調達コストの差がじわじわと響いてくる、と。
なんでこういうことになったのか?
というと一つには>>36が言うように、英国では曲がりなりにも議会主権が成立していたという経路依存性の問題。
王様の信用よりも議会という機関の信用の方が上だという理屈ですね。
(17世紀で言うと、スペイン王とオランダ連邦議会の対抗関係にも同じ理屈が当てはまる。)
もう一つはオランダ資金という歴史的要因。
オランダの金融資本(やナント勅令廃棄後に追い出されたユグノーの国際金融資本)は、
英仏どちらを投資先に選ぶかと言えば、それは英国の方を選ぶ。
このオランダ資金が英国の戦債を買い支えるという構図は、少なくとも7年戦争までは極めて決定的だった。
結局名誉革命による英蘭提携がここでもやはり重要だった、と。
そういえばイングランド銀行創設にもオランダ金融資本の人脈やノウハウがかなり生かされているんだよね。
英国人としては忘れたい過去だろうけど。
>>40
なるほどなるほど。勉強になります。
オランダ・マネーのことは、ブリュア(「財政軍事国家」の提唱者)もあまり触れてなかったように記憶しとります。
ところでみなさん、「バリー・リンドン」見ました?
当時の戦闘が忠実に再現されてるらしいけど、
お ま え ら あ ほ か
と言いたくなるような戦闘で…。
ただ長い映画なんでしんどいけど。
「パトリオット」もそうだけどこの時代の戦争ってすごくマヌケに見える…
ところでイギリス陸軍には「ロイヤル」がつかないんだよね。