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【第二次英仏百年戦争】最近は「名誉革命」て言わないらしいぞ。「1688年革命」が今のトレンドだ。

44: 名無し 2006/02/27(月) 03:03:43 0
おまいら、最近は「名誉革命」て言わないらしいぞ。
「1688年革命」が今のトレンドだ。

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45: 名無し 2006/02/27(月) 09:53:39 0
覚えにくいので3桁にしてください。

 

46: 名無し 2006/02/27(月) 16:06:38 0
エドマンド・バークは「幸運にして名誉ある革命」と呼んでいた。

 

49: 名無し 2006/02/28(火) 03:57:12 0

「1688年革命」でぐぐったら、中国語のサイトが
ビシバシヒットしたけど、「1688年革命」って言ってる
日本語のサイトは見当たらないよ。

本当にトレンドなの?

 

50: 名無し 2006/02/28(火) 04:26:38 0
the 1688 revolutionでググったら1000件ちょっとHIT
しかしin Siamとか書いてあるのが一番上だった

 

51: 名無し 2006/02/28(火) 13:07:53 0
トレンドっていうか、本や論文のタイトルとして、
the Revolution of 1688 とか
the Revolution of 1688-89 とか
言ったりする傾向は増えてきている。
(the Glorious Revolution が使われなくなったということではないけれど)
たぶん Glorious の露骨にホイッグ史観的な、イングランド中心的な含意を避けようと言う意図だと思うけど。

 

57: 名無し 2006/03/18(土) 16:00:25 0

アメリカ独立戦争で、イギリスは何でああまで孤立したんだろうか。
それまでの植民地を巡る戦争でずっと勝ってきたから、仕返しを食らったのか、
少し前のヨーロッパの戦争(オーストリア継承戦争&七年戦争)で
同盟国を軽く扱ったから、誰も味方してくれなかったのか。

二つばかり理由を考えたんだけど、他にあるかな?

 

58: 名無し 2006/03/18(土) 19:26:14 0
>>57
1760~70年代には中東欧諸国は西欧とは切り離されていて、
彼らはポーランド問題やバイエルン王国の王位継承、オスマン帝国との
関係に忙殺されていた。
しかし七年戦争のあとフランスが弱体化してそれほどの脅威ではなくなり、
中東欧の問題に介入する余裕がなかったから、1779年以降、フランスの動きを
警戒する必要があるのはイギリスだけになった。
さらにフランスはハノーファーを攻撃するのをあきらめて、オランダに圧力を
かけるのも断念し、イギリスとは海外でのみ戦い、それによって大陸政策と
切り離し、イギリスの海軍戦略がヨーロッパに向けられるのを防ごうとした。

 

60: 名無し 2006/03/19(日) 16:28:28 0

>>57
フランスの対外戦略の転換もあるんじゃないかな。
狙いをイギリス一国に絞って、ほかの紛争に手を出さず、敵も
なるべく作らないようにした(たとえば、バイエルン危機, 1788)。

フランスは前回の敗北から、いわゆる多数派工作に戦術を転換して
当たったけど、イギリスはその変化に気づいていなかったと。

ていう感じでどうでしょう。

 

62: 名無し 2006/03/26(日) 20:16:08 0
イギリスがアメリカ独立戦争で受けた痛手が一般にはぜんぜん知られていないのはなぜだ?
アメリカが独立したとき、イギリスは2億4290万ポンドの戦時債務を抱えていて、
パリ講和会議ではスペインやフランスにいくつかの領土を与えなくてはならず、
小ピットは「イギリスの光栄の太陽はいまや西に没した」といったほどなんだが。

 

64: 名無し 2006/04/11(火) 23:52:19 0
>>62
フランス革命でヨーロッパ全体(特にフランス)が勝手に疲弊してくれたおかげじゃない?
全ヨーロッパをボロボロの戦場にしてくれたナポレオンには足を向けて眠れない

 

67: 名無し 2006/04/17(月) 20:36:48 0
もしイギリスがヨーロッパに同盟国を持っていたら、アメリカ独立戦争で勝利することができただろうか?
それとも3000マイルも離れた、自給自足ができる植民地が相手では、どのみち制圧できなかった?

 

68: 名無し 2006/04/17(月) 22:20:54 0
どっちにしろ あのメンバーじゃ無理だ

 

69: 名無し 2006/04/17(月) 22:53:10 0

どこが同盟したかによるけど、

それでも難しいと思う。
Brewerが指摘したように、最大の負担はン万人分の兵糧を腐らせずに大西洋を横断
させ(続け)ることで、借金まみれのUKには重荷だったと思う。

それにテキは地元で食糧・物資を調達できたし。

あと、イングランド人にも「島国根性」みたいなのがあって、
「なんでこんな遠くで命張らなきゃならないのか」ていう士気の低下もあった
らしい。

 

70: 名無し 2006/04/30(日) 11:43:42 0
フランスは、第二次英仏百年戦争に敗れた後、フランス的なやり方(コルベール主義など)を改めて、イギリス的なやり方(市場経済など)を導入しようとは考えなかったんでしょうか?

 

73: 名無し 2006/04/30(日) 13:32:13 0
>>70
商業を守るための海軍力をもつことは、
1.フランスは大陸の国で、海軍にばかり気を遣っていられなかった
2.税収がいっこうにあがらなかった
3.無用な官職で国庫が圧迫された(人口比でイギリスの10倍?)とかの理由で無理があったらしい。
財政改革に乗り出しても、既得権層の反対で頓挫してしまった。それでにっちもさっちも行かなくなって、革命になってしまった。と思っている。

 

74: 名無し 2006/04/30(日) 14:53:44 0

>>73
>フランスは大陸の国で、海軍にばかり気を遣っていられなかった

現在の中国は、明代の「鄭和の南海遠征」を持ち出して、「わが国は海洋国家だ」と主張し、海軍の増強に乗り出しているが、フランスの二の舞にならなければいいけどな。

ナポレオン帝国が崩壊したのは、結局それが他国の犠牲の上に成り立っていたからかな。軍事費は敗戦国や征服地から取り立てた資産や賠償金や税収でまかなわれ、一方、フランス人納税者の戦費の負担は軽くなった。
パックス・ブリタニカの時代のイギリスは自由貿易を主張し、それは確かに強者にとって有利な政策ではあったけれど、自国の市場は完全に開放したので、他国もある程度の利益をあげることができた。

 

71: 名無し 2006/04/30(日) 11:53:43 0

自由貿易は一番競争力が強かった言い出しぺの英国が有利な話
で仏がしたら英国の工業製品に自国の産業乗っ取られる

ってばっちゃが言ってた

 

72: 名無し 2006/04/30(日) 13:04:17 0
ナポレオンの大陸封鎖令は、欧州大陸諸国にとってプラスとマイナス
どっちが大きかったんだろうか。確かにイギリスに輸出できなくなって
困ったが、その一方、イギリス製品から保護された状態にあった。
(フランスのリヨンやストラスブールは大陸内貿易の中継点として
栄えたし、ドイツのライン川流域やベルギーでは繊維産業が発展し、
シュレジエンでは製鉄業も広がった)
ナポレオン戦争後、障壁がなくなったらイギリス製品がどっと流れ込んで、
これに対抗することができなかった。
それとも大陸封鎖令が無ければ、大陸諸国はもっと早く産業革命に
突入していた?

 

73: 名無し 2006/04/30(日) 13:32:13 0
>>72
フランス以外の諸国にとって、ということなら、政治的な意味でのプラスはあったの
ではないかと。大陸封鎖令でフランス帝国が弱まって解体の一因になっただろうか
ら。経済的にも(予測は難しいけど)封鎖令で保護されなかったら、より徹底的にイ
ギリスの独壇場になったと俺は予想する…けど、このあたりはあんまり知らないんで
何とも。

 

75: 名無し 2006/05/05(金) 07:59:30 0
ナポレオンがヨーロッパ大陸での覇権を長続きさせるにはどうしたら
よかったんだろうか。
スペインとかロシアとか、よけいなところに手を出さなければ良かった?

 

77: 名無し 2006/05/20(土) 09:55:56 0
>>75
ナポレオンが死んだらやっぱりフランスの覇権は崩壊しただろうな。

 

89: 名無し 2006/09/11(月) 21:13:05 0
大陸封鎖時のモロッコ、トルコ、ペルシアの動きはどうだったのでしょうか?

 

92: 名無し 2006/09/12(火) 05:47:55 0
>>89
モロッコは鎖国してたよ。

 

90: 名無し 2006/09/11(月) 21:23:53 0
ペルシアはカージャール朝がロシアとイギリスに圧迫されていた。
トルコはエジプトの事実上の分離と国内の政変に追われていた。
モロッコは知らん。

 

91: 名無し 2006/09/12(火) 00:08:38 0
18世紀のフランスの輸出に占める割合は、自国産の繊維製品やワイン、ブランデーよりも、
西インド諸島のプランテーションで生産された砂糖やコーヒーのほうが上回っていた。
この時期のフランスの輸出額を調べてみると、ジョージ王戦争、七年戦争、
アメリカ独立戦争の時期にがくんと落ちている。
つまり、フランスの貿易は植民地の物産に依存していたので、国際政治の動きに
左右されやすかった。

 

93: 名無し 2006/09/27(水) 05:50:22 0
ペルシャを南からイギリスが圧迫し出すのはもっと後では。
第一次アフガン戦争の過程で1839年からバルチスタン地方が英国の影響下に置かれる。
パキスタン南東部のシンド地方が英国の保護領になったのがその5年前。

 

96: 名無し 2006/10/29(日) 12:53:45 0
>>93
ナポレオンに協力しない様に圧力掛けてたと思うけど

 

78: 名無し 2006/05/20(土) 20:57:40 0
大陸封鎖令で英国は結構打撃を受けたらしいけどね・・・BoBといい、しぶといよなあの国。

 

79: 名無し 2006/05/20(土) 21:40:54 0
>>78
ナポレオンがロシア遠征で自滅してくれたからな。
ヒトラーのときもまったく同じパターン。

 

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