3: 名無し 2011/04/21(木) 18:52:54.89
名君に挟まれる凡庸君主は忠がついてんな
信忠、広忠、秀忠・・・そう言えば長親の親父も親忠
忠の字は地雷なのか?忠輝は凡庸では無いけど違う意味で地雷だったしw
信忠、広忠、秀忠・・・そう言えば長親の親父も親忠
忠の字は地雷なのか?忠輝は凡庸では無いけど違う意味で地雷だったしw
7: 名無し 2011/04/22(金) 08:28:13.65
>>3
秀忠が凡庸?
秀忠が凡庸?
4: 名無し 2011/04/21(木) 19:51:25.06
長親「俺、実は長忠って名乗ってたんだよね」
5: 名無し 2011/04/21(木) 19:52:51.54
途中で書き込んじまった
要は単に松平家の通字が忠だったことによる偶然じゃね?
要は単に松平家の通字が忠だったことによる偶然じゃね?
6: 名無し 2011/04/21(木) 21:42:14.46
通字は「忠」や「親」、家康以降は「家」が追加された感じですかね?
10: 名無し 2011/04/23(土) 02:19:03.13
>>6
家康が松平元信だったりしたこともあるし、
過去の当主にも散見されるから「信」の字も通字に含まれるかも?
家康が松平元信だったりしたこともあるし、
過去の当主にも散見されるから「信」の字も通字に含まれるかも?
7: 名無し 2011/04/22(金) 08:28:13.65
>>6
康は違うのかな?
康は違うのかな?
8: 名無し 2011/04/22(金) 08:43:16.13
>>7
康は確か清康が初だし、家康も清康を尊敬して康を名前に入れたから通字じゃないと思う
他の松平一族(康忠とか)のは家康からの偏諱だろうし
康は確か清康が初だし、家康も清康を尊敬して康を名前に入れたから通字じゃないと思う
他の松平一族(康忠とか)のは家康からの偏諱だろうし
9: 名無し 2011/04/22(金) 12:21:22.07
信康、秀康、忠康とか見てると康が通字の仲間入りしかけたように思う
11: 名無し 2011/04/23(土) 21:19:27.94
通字といえるほど法則だってないような。
15: 名無し 2011/04/24(日) 01:44:24.19
忠輝や忠吉って、親じゃなくて兄から一文字もらってるのな。
21: 名無し 2011/05/07(土) 19:37:14.60
>>15
忠輝は長澤松平家の政忠、康忠などの「忠」でしょう。忠輝の相続は慶長7年で既に秀忠が後継者とみなされていますから、秀忠の「忠」を貰っている可能性もありますが、まだ、後継者の段階ですので貰うのならば、家康自身からになるでしょう。
忠吉は東条松平家の家忠でしょう。天正9年東条松平家の家督を継ぐとともに忠康と名乗っています。この段階では秀忠はまだ徳川家の跡取りとは認められていないでしょう。
それよりも、「吉」のほうが信吉とともに秀吉の「吉」の可能性があるのではないかと・・・・。
16: 名無し 2011/04/24(日) 09:54:12.20
え? 祖父からじゃないの?
17: 名無し 2011/04/25(月) 22:26:54.85
一次史料に出てくるのは松平信光と松平益親
22: 名無し 2011/05/07(土) 21:11:02.79
「義」とか「頼」とかは、家康の源氏かぶれ
からきてるのか?
からきてるのか?
23: 名無し 2011/05/07(土) 22:53:55.56
「義」と「頼」を相続権のある分家の分家にだけ使うセンスがカギなんだろうな。
25: 名無し 2011/05/16(月) 18:33:00.69
松平清康って結局どの程度の人物だったんだ?あれは松平旧臣達の
死んだ子の歳の数を数える真理と家康の祖父という事で評価されたのか
実際生きてれば織田信秀今川義元を滅ぼせていた可能性もあるのか?
死んだ子の歳の数を数える真理と家康の祖父という事で評価されたのか
実際生きてれば織田信秀今川義元を滅ぼせていた可能性もあるのか?
26: 名無し 2011/05/16(月) 20:40:37.73
若くして亡くなってしまった以上、わからないというしかないな
希望的観測を多分に交えて語る事も、逆に無理に貶める必要もないわけで
希望的観測を多分に交えて語る事も、逆に無理に貶める必要もないわけで
27: 名無し 2011/05/16(月) 20:43:15.72
実際信秀との直接対決も無かったしな
まあ、死んだ原因が信秀の謀略だったら信秀>清康になるが
まあ、死んだ原因が信秀の謀略だったら信秀>清康になるが
29: 名無し 2011/05/16(月) 21:40:30.29
ただ松平清康の場合もし長生きしていたて信秀を滅ぼしていたら
後の信長の出番はないわけでそういう意味で森山崩れってのは
大きな歴史の分岐点だったと言えるような気がするなあ。
実際清康は正直未知数な所もあるけど信秀は隣国三河と美濃の
混乱に乗じて一時的に飛躍はしたけど隣国が安定してからは
東は斎藤道三に負け、西に至っては義元に一方的に嬲られてた感じがするし
尾張内部でも信友如きに滅ぼしきれずに何度も足元すくわれそうになってたし
後の信長の出番はないわけでそういう意味で森山崩れってのは
大きな歴史の分岐点だったと言えるような気がするなあ。
実際清康は正直未知数な所もあるけど信秀は隣国三河と美濃の
混乱に乗じて一時的に飛躍はしたけど隣国が安定してからは
東は斎藤道三に負け、西に至っては義元に一方的に嬲られてた感じがするし
尾張内部でも信友如きに滅ぼしきれずに何度も足元すくわれそうになってたし
30: 名無し 2011/05/16(月) 21:42:05.70
経済力を背景にしてただけで戦はあんまり強く無い。悪く言えば信長の
下位互換、進化前って感じしない?
下位互換、進化前って感じしない?
31: 名無し 2011/05/16(月) 21:54:31.41
13歳で家督を継いで、6年で三河統一している
まぁ只者ではないな
まぁ只者ではないな
33: 名無し 2011/05/16(月) 22:12:00.33
>>31 そこなんだよね。悩ましいのは。いくら昔の人間が今より早熟だった
と言ってもちょっと若過ぎるような気がするんだよ。まして清康の場合
親父も爺さんも普通に生きてたわけだしどこまで実権があったか微妙
なんだよな。親父は暗愚だったと言われてるけど爺さんの長親は普通に
有能の部類に入るだろうし実際家中のパワーバランスはどうなってたの?
と言ってもちょっと若過ぎるような気がするんだよ。まして清康の場合
親父も爺さんも普通に生きてたわけだしどこまで実権があったか微妙
なんだよな。親父は暗愚だったと言われてるけど爺さんの長親は普通に
有能の部類に入るだろうし実際家中のパワーバランスはどうなってたの?
34: 名無し 2011/05/16(月) 22:15:24.54
守山に長親って従軍してたっけ?
してないなら1万余の軍勢を清康が一人で統率してたわけだから
それなりに有能だとは思うが
してないなら1万余の軍勢を清康が一人で統率してたわけだから
それなりに有能だとは思うが
35: 名無し 2011/05/16(月) 22:28:17.44
>>34 いや有能は有能でしょう。無能だったら親父みたいになってるだろう
から。ただいくら何でも13歳で家督相続したら最初の数年間はまともに
実権があったとは思えん。まして上にも書いたけど直系の先祖が普通に
生きてるんだから。
から。ただいくら何でも13歳で家督相続したら最初の数年間はまともに
実権があったとは思えん。まして上にも書いたけど直系の先祖が普通に
生きてるんだから。
36: 名無し 2011/05/16(月) 22:34:16.91
ただ守山崩れの後松平氏が内も外も相当ぐちゃぐちゃになったのは事実で
長親なり信忠なりがある程度力を持ってたならあそこまで混乱するのか?
という感じもするから正直色々な意味で清康って未知数だなあと思ったんだけど。
長親なり信忠なりがある程度力を持ってたならあそこまで混乱するのか?
という感じもするから正直色々な意味で清康って未知数だなあと思ったんだけど。
37: 名無し 2011/05/16(月) 23:03:34.52
守山崩れは信定もいたからね。
将としては有能でも、家政を誤った人なんだろうよ。
将としては有能でも、家政を誤った人なんだろうよ。
38: 名無し 2011/05/16(月) 23:10:06.52
まあ誤ったといえば誤っただけどやりたかったのは安城松平家の完全主君化だったんだろうね
それで一族厳しく取り締めたらあぼーんという
いや、守山崩れが信定の差し金かどうかわからないけど
それで一族厳しく取り締めたらあぼーんという
いや、守山崩れが信定の差し金かどうかわからないけど
39: 名無し 2011/05/16(月) 23:19:15.43
完全主君化すなわち信忠本流路線で桜井に信定を入れて戦国大名化を図るという思惑から始まったとして
信忠不肖、清康頓死となれば、長親は広忠よりも信定に肩入れしたくなるだろうよ。
信忠不肖、清康頓死となれば、長親は広忠よりも信定に肩入れしたくなるだろうよ。
41: 名無し 2011/05/16(月) 23:39:55.77
>>39 いやーでも信定ってさバカだよね。長親が消極的に味方してくれてんのに
最後四方八方みんな敵になって自滅してる。根回しの能力とか全く無いような
最後四方八方みんな敵になって自滅してる。根回しの能力とか全く無いような
43: 名無し 2011/05/16(月) 23:51:17.05
>>41
いや、それは彦左とか江戸の過剰な改竄もあると思うよ。
桜井は碧海郡だから周囲の状況をさっ引いてやらないと。
いや、それは彦左とか江戸の過剰な改竄もあると思うよ。
桜井は碧海郡だから周囲の状況をさっ引いてやらないと。
44: 名無し 2011/05/17(火) 00:24:39.45
だからさあ上に書いてある通り全てが眉唾臭いんだよな。まず第一に
長親の隠居が早過る上その理由が不明。信忠にしろ大きな失点がないのに
隠居させられる。しかも後継者が13歳の子供。こんな例はそうないぞ。
普通はもうちょっと大きくなってからだと思う。そして最初の数年間誰が
実権握ってたのか不明。長親にしてはイマイチ説明つかず。
そして守山崩れ。普通下剋上って人生下り坂の時家臣に狙われると
思うんだが何故か勢力拡大中に暗殺される。これも真相不明。
さらに信定に至っては広忠は暗愚で且幼君な為本来最高権力者で
おかしく無い筈の長親が味方してるのに何故か四面楚歌状態になってる。
一体だれが反信定の司令塔になったんだ?
そして何故かその広忠も暗殺され、家康は三河に帰って来たそうそう大規模
一揆。どう考えても色々胡散臭い。江戸期になって誰が意図的に歴史を
書き変えたんではなかろうか?俺が思うのは長親末期辺りから松平本家を
隠れ蓑にした影の実力者当たりがいたような気がするんだよなあ。
畠山における遊佐みたいなのが。その人物が邪魔な松平家の人間を次々
暗殺したり失脚させたりしていったなら説明がつく。でないと色々不明な
点が多過ぎる。そして江戸期に入って意図的にその一族ないし人物の
存在を抹消したのでは?
長親の隠居が早過る上その理由が不明。信忠にしろ大きな失点がないのに
隠居させられる。しかも後継者が13歳の子供。こんな例はそうないぞ。
普通はもうちょっと大きくなってからだと思う。そして最初の数年間誰が
実権握ってたのか不明。長親にしてはイマイチ説明つかず。
そして守山崩れ。普通下剋上って人生下り坂の時家臣に狙われると
思うんだが何故か勢力拡大中に暗殺される。これも真相不明。
さらに信定に至っては広忠は暗愚で且幼君な為本来最高権力者で
おかしく無い筈の長親が味方してるのに何故か四面楚歌状態になってる。
一体だれが反信定の司令塔になったんだ?
そして何故かその広忠も暗殺され、家康は三河に帰って来たそうそう大規模
一揆。どう考えても色々胡散臭い。江戸期になって誰が意図的に歴史を
書き変えたんではなかろうか?俺が思うのは長親末期辺りから松平本家を
隠れ蓑にした影の実力者当たりがいたような気がするんだよなあ。
畠山における遊佐みたいなのが。その人物が邪魔な松平家の人間を次々
暗殺したり失脚させたりしていったなら説明がつく。でないと色々不明な
点が多過ぎる。そして江戸期に入って意図的にその一族ないし人物の
存在を抹消したのでは?
150: 名無し 2014/02/26(水) 21:02:06.62
>>44
なかなか鋭い指摘ですな。
だが、黒幕に特定の誰かがいたのではなく
司馬遼太郎氏が指摘
していたように
三河の後進性による寄合所帯的な
軍団の性格によるものだと
思われます。
なかなか鋭い指摘ですな。
だが、黒幕に特定の誰かがいたのではなく
司馬遼太郎氏が指摘
していたように
三河の後進性による寄合所帯的な
軍団の性格によるものだと
思われます。
48: 名無し 2011/05/17(火) 00:48:00.26
>>44
三河物語そのものが、陰の実力者一族の弁明の書と考えられなくもない。
大久保一族の没落の凄まじさは、古参譜代の中でもあり得ないレベルだろう。
長安みたいな怪しげな技術者を身内にしたり、一応太閤ご指名となっているが
徳川のサラリーキャップの上限を超える4万5千石に要衝の小田原拝領といい、
家康にとっての最高功労者、鳥井元忠の4万石を超える高待遇。
井伊、榊原、本多の三傑に次ぐ、功績を挙げてるとは思えないというか、真田に
敗北して、徳川の武名を鳥居元忠ともども下げてるのに、明らかに優遇されてる
のも怪しい。案外、大久保一族が黒幕じゃないのか?
三河物語そのものが、陰の実力者一族の弁明の書と考えられなくもない。
大久保一族の没落の凄まじさは、古参譜代の中でもあり得ないレベルだろう。
長安みたいな怪しげな技術者を身内にしたり、一応太閤ご指名となっているが
徳川のサラリーキャップの上限を超える4万5千石に要衝の小田原拝領といい、
家康にとっての最高功労者、鳥井元忠の4万石を超える高待遇。
井伊、榊原、本多の三傑に次ぐ、功績を挙げてるとは思えないというか、真田に
敗北して、徳川の武名を鳥居元忠ともども下げてるのに、明らかに優遇されてる
のも怪しい。案外、大久保一族が黒幕じゃないのか?
49: 名無し 2011/05/17(火) 00:55:50.29
しかしそんな大層な黒幕をなんで家忠が愚痴に書かなかったんだろうという
そういえば家忠もこのスレで語っていいのか……特にネタないけど
51: 名無し 2011/05/17(火) 01:07:06.02
>>49 そりゃ1555年生まれの家忠が元服するころには普通に
その人物は死んでたか力無かったんではなかろうか?
もしその時代になってもそんな人物がいたのなら信長公記だの
なんだのに記載されてるだろうから徳川だけの遺志では抹消できんだろう。
その人物は死んでたか力無かったんではなかろうか?
もしその時代になってもそんな人物がいたのなら信長公記だの
なんだのに記載されてるだろうから徳川だけの遺志では抹消できんだろう。
52: 名無し 2011/05/17(火) 01:13:50.14
>>51
んー、そこまで権力握れるやつがいたら家忠の時代まで一族ぐらいは残ってるはずだし、
一族皆殺しとかになってたらそれこそ抹消できないレベルっていう
あと、大久保党じゃなかったら流石に彦左が書いてるはず
大久保党が黒幕だったら家忠が「大久保もすっかりしょぼくれたなー」とか書いてそうじゃない?
んー、そこまで権力握れるやつがいたら家忠の時代まで一族ぐらいは残ってるはずだし、
一族皆殺しとかになってたらそれこそ抹消できないレベルっていう
あと、大久保党じゃなかったら流石に彦左が書いてるはず
大久保党が黒幕だったら家忠が「大久保もすっかりしょぼくれたなー」とか書いてそうじゃない?
53: 名無し 2011/05/17(火) 01:19:02.73
>>52 三河在住の譜代の人物ならそうだろうけど北条早雲とか
斎藤道三みたいな他国から流れついてきた人物が1代で権力を
握ったパターンならその人物亡き後一族が残って無くても
不思議じゃ無くね?
斎藤道三みたいな他国から流れついてきた人物が1代で権力を
握ったパターンならその人物亡き後一族が残って無くても
不思議じゃ無くね?
55: 名無し 2011/05/17(火) 01:24:51.67
>>53
そんな人間がいたら確実に口伝として残ると思う
あと、そんなのがいたらここぞとばかりに彦左が
「我が大久保家はあのような者にいじめぬかれても変わらぬ忠節を御家に尽くし……」とか書くんじゃないかな
そんな人間がいたら確実に口伝として残ると思う
あと、そんなのがいたらここぞとばかりに彦左が
「我が大久保家はあのような者にいじめぬかれても変わらぬ忠節を御家に尽くし……」とか書くんじゃないかな
56: 名無し 2011/05/17(火) 01:30:39.92
>>55 じゃあもし俺の説が正しいとするとやっぱり該当する人物は
大久保党の誰かだったのかな?それとも俺の妄想?でも長親から
広忠に渡って最後が不自然過ぎる上に、反信定の旗頭になれる人物が
存在しなくなるんだけどなあ。
大久保党の誰かだったのかな?それとも俺の妄想?でも長親から
広忠に渡って最後が不自然過ぎる上に、反信定の旗頭になれる人物が
存在しなくなるんだけどなあ。
57: 名無し 2011/05/17(火) 01:48:48.95
>>56
残念だけど妄想だと思うな
そこまで出来る人物が何十年も後継ぎを作らずに死んで、しかもあらゆる記録に残ってないとなると奇跡のレベルだし
残念だけど妄想だと思うな
そこまで出来る人物が何十年も後継ぎを作らずに死んで、しかもあらゆる記録に残ってないとなると奇跡のレベルだし
58: 名無し 2011/05/17(火) 01:55:41.54
でも広忠の時代に長親に対抗できる人物が家中にいた事は事実だよね?
でなければ信定の簒奪計画があそこまで失敗する事は無い筈。
誰だったと思う?
でなければ信定の簒奪計画があそこまで失敗する事は無い筈。
誰だったと思う?
59: 名無し 2011/05/17(火) 02:01:17.80
それこそ家臣団じゃないかなあ
いくら長親が宗家長老といったって信忠飛び越えて孫の代。
三河物語とかの話に基づけば清康は家臣によく懐かれてたみたいだし、
すでに分家筋になった桜井ごときに従うくらいなら広忠様を盛りたててやるわ!みたいな感じだったんじゃない?
よくも悪くも三河武士は勝手だし
いくら長親が宗家長老といったって信忠飛び越えて孫の代。
三河物語とかの話に基づけば清康は家臣によく懐かれてたみたいだし、
すでに分家筋になった桜井ごときに従うくらいなら広忠様を盛りたててやるわ!みたいな感じだったんじゃない?
よくも悪くも三河武士は勝手だし
60: 名無し 2011/05/17(火) 06:27:54.05
岩瀬松平氏じゃないの?
63: 名無し 2011/05/17(火) 12:04:20.22
>>60
岩津な
確かに何故か消えた謎の惣領家は怪しいかもしれんなあ
岩津家については京に上って伊勢氏に直接仕えたという話も聞いたがどの史料に残ってんだろ
岩津な
確かに何故か消えた謎の惣領家は怪しいかもしれんなあ
岩津家については京に上って伊勢氏に直接仕えたという話も聞いたがどの史料に残ってんだろ
151: 名無し 2014/02/26(水) 21:04:37.07
>>63
残念ながら消えたのではなく
滅亡しました。
残念ながら消えたのではなく
滅亡しました。
65: 名無し 2011/05/18(水) 01:37:21.03
しかし三河物語の清康が長生きしていればという意見だが例え守山崩れが
無くても尾張を領国化するか最低でも信秀を滅ぼしとかないと
史実の義元のポジションが清康になるだけな気がするなあ。一向一揆も
手つかずだし果たして尾張を領国化できる目はあったんか?
案外史実の家康と氏真のポジションが入れ替わって今川幕府なんて
もんが出来てたりして。
無くても尾張を領国化するか最低でも信秀を滅ぼしとかないと
史実の義元のポジションが清康になるだけな気がするなあ。一向一揆も
手つかずだし果たして尾張を領国化できる目はあったんか?
案外史実の家康と氏真のポジションが入れ替わって今川幕府なんて
もんが出来てたりして。
66: 名無し 2011/05/18(水) 01:46:19.87
調べたら信秀との直接対決はないにしろ織田に対して無敗だな
1529年7月 品野郷・岩崎郷・小島城をそれぞれ制圧
1533年3月 広瀬城・寺部城の将が岩津城を攻めたのでこれを迎撃して打ち負かす
1534年6月 広瀬・寺部両城を制圧
1529年7月 品野郷・岩崎郷・小島城をそれぞれ制圧
1533年3月 広瀬城・寺部城の将が岩津城を攻めたのでこれを迎撃して打ち負かす
1534年6月 広瀬・寺部両城を制圧
67: 名無し 2011/05/18(水) 02:03:00.56
花倉の乱が翌年起こってるから確実に東進するだろう。と言っても
西から松平が攻めてきた場合今川自体滅んでた可能性がある。
そうすると駿河は武田と北条が分割して遠江を掻っ攫ったとして
50万石ちょっとか。信秀がどこまで耐えられるかだな。
信秀も凡将ではないけど、良将止まりで名将とは言い難いから
清康の尾張支配部分が10万石くらいで耐えられるかだなあ。
それ以上だと流石の信長でも逆転不可能だろうし、あとが一揆次第か。
西から松平が攻めてきた場合今川自体滅んでた可能性がある。
そうすると駿河は武田と北条が分割して遠江を掻っ攫ったとして
50万石ちょっとか。信秀がどこまで耐えられるかだな。
信秀も凡将ではないけど、良将止まりで名将とは言い難いから
清康の尾張支配部分が10万石くらいで耐えられるかだなあ。
それ以上だと流石の信長でも逆転不可能だろうし、あとが一揆次第か。
70: 名無し 2011/05/18(水) 08:10:01.83
>>67
信秀の強みは、商業地からの収入だから、一概に石数では測れないが、まあ
どこまで耐えられるかだよなぁ。
信秀の強みは、商業地からの収入だから、一概に石数では測れないが、まあ
どこまで耐えられるかだよなぁ。
68: 名無し 2011/05/18(水) 02:15:50.81
まあ、信秀もまだ全盛期じゃないだろうからな
32年が名古屋城乗っ取りだし
一揆もどのタイミングで起こるか、だからなあ
関係ないが信秀って三河守に任じられてたのか
家康があれほど家系偽造して任じられた官職をよくもまああっさり……
71: 名無し 2011/05/18(水) 08:47:12.87
>>68
松平でも多分、三河守はもらえたと思う
勅許による改姓が問題だったはず
松平でも多分、三河守はもらえたと思う
勅許による改姓が問題だったはず
72: 名無し 2011/05/18(水) 10:38:54.54
>>71
ああ、そうなのか
対今川や十八松平用に改姓して、尚且つ三河守にならなきゃならなかったから苦労したわけね
……というか何故徳川だったんだろうな?
世良田なら先祖に三河守いるし、だから清康は世良田名乗ったらしいし
ああ、そうなのか
対今川や十八松平用に改姓して、尚且つ三河守にならなきゃならなかったから苦労したわけね
……というか何故徳川だったんだろうな?
世良田なら先祖に三河守いるし、だから清康は世良田名乗ったらしいし
69: 名無し 2011/05/18(水) 02:25:19.18
まあその辺朝廷の基準てようわからんような。
しかしそうすると松平家の人質に出される信長とか松平家臣団の信長とかいう
可能性もあったわけか。何だろう。松永久秀より家臣にしたくないなあ。
思いっきり死亡フラグな気がしてきた。
しかしそうすると松平家の人質に出される信長とか松平家臣団の信長とかいう
可能性もあったわけか。何だろう。松永久秀より家臣にしたくないなあ。
思いっきり死亡フラグな気がしてきた。
75: 名無し 2011/05/18(水) 16:35:00.26
今谷の受け売りなんだけど、織田信秀は伊勢外宮仮殿に
7千貫寄進していて、それで三河守に任官されたらしい。
このころの朝廷は、金で官位を売って生活していたようだ。
7千貫寄進していて、それで三河守に任官されたらしい。
このころの朝廷は、金で官位を売って生活していたようだ。
79: 名無し 2011/05/18(水) 20:50:37.18
一つ聞きたいんだけど清康の三河統一ってどの程度の統一?
信秀の尾張統一くらいの名義だけで国内に守護・守護代だの
色々残ってますよ的取り敢えず最大勢力です的統一なのか。
1569年の信長的な概ねまあ統一って感じなのか?
桶狭間後の対外勢力の介入も許さないほぼ統一状態なのか
信清滅亡後の誰も反抗する気さえ起きない完全統一なのか
どれ?
信秀の尾張統一くらいの名義だけで国内に守護・守護代だの
色々残ってますよ的取り敢えず最大勢力です的統一なのか。
1569年の信長的な概ねまあ統一って感じなのか?
桶狭間後の対外勢力の介入も許さないほぼ統一状態なのか
信清滅亡後の誰も反抗する気さえ起きない完全統一なのか
どれ?
80: 名無し 2011/05/18(水) 21:04:09.52
西三河から日進市とか、ちょっと不思議な勢力圏の動きだとは思う。
81: 名無し 2011/05/19(木) 08:11:45.30
清康自体がぱっと出て、ぱっと消えてしまったから、線引きは難しい気がする。
でも、松平一族は取りあえず押さえていたのではないかと思う。
松平党って、それこそ清康が出てくるまで、党としては絆が強いみただけど、主従
関係は結構曖昧じゃないか?
でも、松平一族は取りあえず押さえていたのではないかと思う。
松平党って、それこそ清康が出てくるまで、党としては絆が強いみただけど、主従
関係は結構曖昧じゃないか?
82: 名無し 2011/05/19(木) 23:24:56.77
>>79
吉良家が家康時代まで生存しとる
一向一揆にも加担して打倒家康をしようとしてたしね
ただ、実力・勢い的に周囲が反乱できない所までは持ってったみたい
吉良家にも清康の妹が嫁いでるし
吉良家が家康時代まで生存しとる
一向一揆にも加担して打倒家康をしようとしてたしね
ただ、実力・勢い的に周囲が反乱できない所までは持ってったみたい
吉良家にも清康の妹が嫁いでるし
83: 名無し 2011/05/20(金) 03:57:35.22
……って吉良家は守護じゃないのか
そもそも三河は1511年以降守護・守護代は混乱により不在のようだ
そもそも三河は1511年以降守護・守護代は混乱により不在のようだ
84: 名無し 2011/05/20(金) 07:07:38.62
その混乱の一端が松平一門の蚕食
85: 名無し 2011/05/21(土) 15:51:10.93
松平忠吉は家康が西上するまでは、東海道の豊臣恩顧大名の城に配した
諸将の総大将という立場だった
諸将の総大将という立場だった
86: 名無し 2011/05/22(日) 00:01:07.61
忠吉が長生きすれば御三家は違う形になっていただろうしなあ。
88: 名無し 2011/05/25(水) 00:29:31.01
尾張・甲斐・越後の御三家。
全国にほとんど睨みが利かないが江戸への防波堤にはなる。
89: 名無し 2011/05/27(金) 07:00:24.68
徳川連枝と久松系を除いたら、江戸時代をのりきった
大名松平家ってほとんどないんじゃないか
大名松平家ってほとんどないんじゃないか
90: 名無し 2011/05/27(金) 15:55:45.73
意味不明基本松平家は徳川家の一門
譜代の松平氏はほとんどの大名家が改易されておらず江戸時代乗り切っている
越前松平家ですら改易何回もされてるけど将軍の兄の家ということで津山10万石で幕末まで乗り切っている
外様の大大名も江戸時代は松平氏だからたしか江戸時代の3割の大名は松平氏だから余裕で幕末まで続いている
譜代の松平氏はほとんどの大名家が改易されておらず江戸時代乗り切っている
越前松平家ですら改易何回もされてるけど将軍の兄の家ということで津山10万石で幕末まで乗り切っている
外様の大大名も江戸時代は松平氏だからたしか江戸時代の3割の大名は松平氏だから余裕で幕末まで続いている