司馬遼太郎のよんでるんだけど
紀信(何故か一発変換)が劉邦に言った、
豊邑の人間のすべてが~、ってとこで泣きそうになった。
つーかツンデレっぷりが泣けた。
今まで吉川三国志しか読んでなかったけど凄いおもしろい。
あぁ、あと一冊で終わりだ・・・。
チラ裏でごめん。
司馬遼の一流作家たる所以だね。
でも紀信の話は事実ではない。
元々将軍だった。
また、周苛と一緒に紀信が劉邦軍に参加したのは創作だろうね。
周苛は周昌とともに劉邦軍に参加した。
周昌(中尉)、周苛(御史大夫)のコンビは活躍し出世した。
ニュース
紀信はケイ陽城での劉邦の身代わりになる前に鴻門の会で活躍をしてた。
劉邦の身代わりの条件として劉邦のために平気で命を捨てられる人間というのが
絶対条件で樊噲・夏侯嬰・靳彊などでも構わなかったが
背格好が劉邦に最も似てるのが紀信だったので紀信が選ばれた。
また彼の子孫は漢帝国成立後も活躍をしている。
上のほうにもあるが
項羽は豪快な武将であるけれど
ある種子供っぽい頑迷さもあって、それが欠点でもあり魅力でもある
才があっても彼の美意識に合わない者は疎んじられる
自分で敵を増やしている面もある
劉邦は男気もあるが
結果を出しさえすれば認められるから色々な人材が集まる ( 項羽が追い出した人材を拾っていけばいい ? )
自分の抱負を実現するために劉邦を担ぐ者もいる ?
最近こんな風に考える
晩年はちょっと自暴自棄になってましたけど・・・
幼馴染のロワン討伐や義弟のハンカイ処刑を命じるなど
もう凶器の沙汰。秀吉の晩年に似てる。
自暴自棄というのとは少し違うかも。
反乱者や匈奴と通じた疑いのある諸侯を潰したり、
自分の死後に皇太后の縁戚として権力を握り国を乱す恐れのある奴を先に消しておくのは、
為政者としては常識的な判断
別に自暴自棄になってないよ
寧ろ苦笑いしてたw
周昌にだな。劉邦のその後が知りたくて横山史記の「後継者争い」を買って知った事だけど知らない方が良かったな。皇帝になる前からショウカを疑っていたなんて。
ああそうだ周昌だったねサンクス。
そいで劉邦は「ショウ何は偉大な宰相で、自分はその宰相を獄に繋いだどうしようもない暴君だよ」とかヤケクソ気味に言ってたよね。
王陵は確か項羽と比べてボ劉邦の事をボロクソに言ってたよ
その時は苦笑いしてた
(念の為)
擬いなりにも西楚の覇王だから司馬遷は項羽に敬意をはらったんだろうな
武功少なき臆病者、自分の子供を投げ落としてまでトンズラしようとするほどの情愛の少なさ、男と男の信義を簡単に破り捨てて背後を襲うあまりに少ない騎士道精神。
その生涯の負け戦数を知らず、実質ほとんどただ1度の勝利だけでなぜか大帝国の皇帝になってしまった無学蒙昧なドン百姓。
そんな劉邦がなぜか好きだ。
ひどい言い様だな。ほとんど良い所がないじゃないか
>>460
>男と男の信義を簡単に破り捨てて背後を襲う
項羽に押し付けられたんじゃなくて双方納得の上で交わした和議を一方的に破棄して追撃かけるって、儒教道徳普及以前の当時でもカナーリ卑劣なやり口だと思うんだが、この件で劉邦を非難してる人って古今の有名どころじゃちょっと思い当たらないな。
何故だろう?
>>460
元々百姓なんだから、騎士道精神なんて期待する方がおかしい。
戦争だからきれい事だけでは済まないし。兵は欺道なり。
まあ、劉邦を批判する人って以外とあんまりいないけど。でも、項羽好きって人は結構昔からいたようだね。"捲土重来"もその絡みで出てきたし。
>>468
批判はできるのか・・・・・
いや、記録に残すという意味でなんだが
つまり約束を守るに値しない相手だから裏切りではない、となるんだろ
非難されないのは劉邦が勝ち組だからさ
司馬光あたりなら批判してもおかしくなさそう
他を入れるとそれなりに勝ってると思うんだな。
生誕時には今川家と戦う力すらないので人質となり
今川家の武将として初陣だった尾張攻めでは、ほとんど戦わずに負け
織田家と戦うのは分が無いとして6:4くらいの条件で講和同盟し
三河内の一向一揆では負けたが講和により引き分けに持ち込み
三方ヶ原の戦いでは信玄に惨敗し、高天遠城の戦いでは勝頼に負け
続く勝頼との小競り合いでは遠州三河の支城をいくつも取られても小敗し続けても我慢し
武田信玄が病死して長篠の戦いで勝つも、信長死後の天下取り合戦では
光秀討ちに関し秀吉にスピード負けし、天下獲り合戦も秀吉に戦略負けし
結局、信玄・信長・秀吉という天敵が病死するまで華々しい大勝に恵まれず
どちらかといえば小競り合いの引き分けばかり繰り返してた。
あまり悪く言われないね
項羽も項伯の事を責めてないし。
センター試験の漢文に出たよ。
おかげで、読まずに満点(50点)とれた。
十数年前の話だけど。