曹操なんて兵糧に対する執念は凄まじいけど。
敵方の兵糧はもちろん、敵に利用させない為に穀物庫なんか平気で焼き払うし。
講談とかの観点から見ると、三傑のうちに補給担当の蕭何が居るから
補給線やら兵站関係がクローズアップされてる、とかは無いかな?
ニュース
隋末唐初の群雄のひとり李密が洛倉(隋の大規模な穀物庫)攻略に失敗して没落している。
五代~宋にかけての時代は、最終的に大規模な穀物集積地となった開封を首都にしていた
宋が天下を獲ったわけだから、やはり穀物庫の取り合いは非常に大切だと思う
と言うか、項羽の失敗は補給線や兵站の軽視なのか疑問が
項羽は一人で頑張りすぎなんじゃね
部下の実力を評価しないから結果部下がどんどん無能になる
范増は去ってしまうし
仮に項羽が劉邦に勝っても第二の「始皇帝」になるだけだと思う
そして流れを読まずに一言。
紀信て最強ランクのツンデレじゃね?
恥を忍んで教えて欲しい
ツンデレって何?辞書を引いたけど載ってない。
ググれ。
>>266
俺も気になったんでwikipediaで調べてみた
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AC
何故か関係ない板でもみかけるけど、秋葉系のオタクが使う単語みたい
范増はツンデレ
権力者と化した劉邦の粛清劇を見ると「コイツ、項羽にやられてれば良かったのに」と
何故か項羽が生きてた頃とは反対の印象を持ってしまう。
反乱要素を持つ存在も居たけど、そこはお得意の大徳政策でなんとかして欲しかったなあ。
劉邦没後にしゃしゃり出てくる牝鶏もウザいし。
斉で韓信が独立すれば、更に面白くなったと思うんだけどね~。
>>285
光武帝の様な例もあるが、漸く苦労して強敵を倒し、動乱期を生き抜いて建国に
こぎつけた創業の君主が聖人君主でいられるとでも思うか?
不穏分子を片付けておくことは後々を思ってのことだし、牝鶏などと言っているが
戦後の漢の摂政として平和を齎した功績は呂后に帰される点も多いのだし、
物事の一面しかみてない感じ。
>不穏分子を片付けておくことは後々を思ってのことだし
寧ろ不穏分子を作ったのは高祖本人じゃん。
謀反を起こした多くは高祖の異常な猜疑心で追い詰められやむなく背いたケースが大半。
>戦後の漢の摂政として平和を齎した功績は呂后に帰される点も多いのだし、
呂后より蕭何、張良達の働きの方が大きくないか?
(彼らはわざとしたがってた感が強いし)
呂后は自分の一族の勢力を拡大、漢王朝を乗っ取りかねなかった訳だし。
貴方こそ物事の一面しかみてない感じ。
漢帝国の治世の骨組みは内政担当、名宰相蕭何の努力の賜物。
呂后は高祖の妻というだけでおいしい部分を持ってこうとしてただけ。
その上、呂后の専横政治は漢帝国のことなどまるで考えてなかったしな。
不要に宮廷を騒がせ、外敵の匈奴には全く頭が上がらない。
強いものに媚びを売り、弱いものを徹底的に弾圧する姿はまさに牝鶏というべきだろう。
脚本もちゃんとしているし、
劉邦役の人が上手いからその辺全然気にならん。
ただ、やっぱり雰囲気はだいぶ暗くなっているけどね。
ただ人豚はやり過ぎだよな…
そりゃ息子もおかしくなるわ
群臣に強く諫められて思い止まったってのは呂后だっけ?
まあ、劉邦軍でも完敗だったんだから
冒頓単于から見れば、呂后程度なんぞ赤子の手を捻るようなもんだしな。
そりゃ、群臣も止めるわ。
匈奴に頭が上がらなかったのは名君とうたわれる文帝も同じだったわけで、そこは非難されるような所じゃあない
漢としては時間をかけて実質的な郡県制を定着させるため、
漢に従う諸侯→劉邦恩顧の将→劉氏の血縁→皇帝の直系子孫→領地の分割削減
と段々と諸侯王を従順にし弱らせていった
劉邦時代の諸侯王潰しは諸侯に劉氏を送り込むのに必要だったわけで、国家百年の大計のためには是非とも必要な措置だったと言える
まあその百年の大計はすぐ頓挫する訳だか・・・
寧ろ漢王朝を衰退の原因となったし、諸王侯潰しはやり方がよろしくない。
宋の大祖・趙匡胤が明君中の明君と呼ばれるのは
功績があった諸将軍を平和的に引退に導いた為である。
百年の大計がすぐに頓挫ってなにをさしてるの?
結果的に、郡国制から郡県制に移行することに成功し、
百年以上続く中央集権の統一帝国を作ることが出来たわけだが。
>>297
君の脳内の歴史年表は一般のものとかなり違うのではないかな?
漢当初のように巨大な異姓諸侯王が各地にいる状況のままでは項羽の失敗の再現か、もしかすると血で血を洗う戦争の連続であった戦国時代に戻る可能性すらあったと見るべき
俺がさっき書いたような手順を踏んで旧六国(旧秦以外)を直轄下したからこそ、秦の失敗も項羽の失敗も犯さずに漢四百年の支配を成し遂げられた
当時の諸侯は哀れと言うしかないが、劉邦や呂后は大局的な観点から正しい事をしている
同じ建国の功臣でも、斉や楚全土を支配するような大諸侯をどうにかしなければならなかった劉邦らと、功臣粛清をしなかったと誉められる光武帝やら宋太祖なんかでは状況が違いすぎて比較にはならないんだよな
それだけでもう悪とみなされるから、呂后も実際以上に悪人扱いされてる面は大きいと思う。
色々マイナスの面もあっただろうが、もめたのは基本的に朝廷内で、
民にまで害を与えることなく、善政が行なわれてたってことが史記にも書いてある。
それこそ、この人も一面だけ見て悪女とかたづけるわけにはいかないと思う。
大局的な目線なぞ備わっちゃいなかっただろう。
亡き劉邦の目から見れば、とんでもない裏切り行為。
始皇帝(劉邦)張高(呂后)みたいな間柄になってるな。
劉備がもし生きながらにして全国制覇していたら粛正劇していただろうか…
脅威になるとして義兄弟まで粛正したりしたら今までの劉備のイメージが変わったろうなぁ
まーやるとしたら諸葛亮の方が先にだろうな
仮に天下統一を果たしたら、荊州組とそれ以外の軋轢が表面化していくだろうから
百姓夫婦が何かと面倒なことに俺に持ちかけてくるんだよ!!
後の時代ではほとんど項氏を見かけないけど、項羽の一族は絶えてしまったのかな
項羽に子供はいないよ
子孫を残すことが氏の大きな役目って感じの古代じゃ珍しい気がするけど。
名前は劉氏に変更してもらって
劉邦、字は季、父は大公と言い、母は劉媼と言う。
劉兄ぃ、字は末っ子、父は爺様と言い、母は劉婆様と言う。
ただ庶民の礼で息子と話してて、それを群臣に咎められた事くらいしか
エピソードが無い(あとは項羽に煮られそうになった事くらい)
張良には張良の陳平には陳平の得意分野があるし、
両人とも政治手腕・韜晦術も超一流だし甲乙付けがたいね。
まあ漏れはどちらも名軍師だと思うよ。
つ 張良、陳平共に大好きだし。
タイプが違うので、好みによる部分はある。
ただ、張良は後世の「軍師」「王佐の才」の典型的なモデルとされ(太公望は過分に伝説化してるので、より歴史的な人物の中では)、もっともメジャーな存在。
陳平の策は謀略っぽいが、高い成功率を誇るので危機的状況の時には心強い存在。
張良、陳平のどちらを欠いても漢帝国誕生は無かっただろうなぁ
そう考えると二人を手にした劉邦はすっGEEEEEEEEEE!
更に軍略の韓信、内政の蕭何という至宝の群臣まで備えてるからなあ。
醜聞なら陳平だって負けてないぜ!
他の配下もかなりの面子が揃ってるな。
陳平って「背徳の名軍師」って感じだよね。
儒者のレキイキや陸賈あたりはどう思ってたんだろうか・・・
多分その辺は割切っていたと思う。
孟子みたいな遊説の徒の流れだったんだろうか
レキ食其を儒者って書いたけど、まだこの頃の儒者達は戦国時代の遺風が残ってて、まだ諸子百家の説客っぽいよね。
儒教がメジャーになってからの儒者とちょっと気風が違う感じがする。
なんか、布教と宣伝に情熱を燃やす宗教家に通じる物を感じるのよね。
そして成功報酬として布教活動を後押しして貰ったのではないかな?
此奴の所為で田横が斉を失う事に成ったのかと思うと、
今にも反吐が出そうに成る。
どっちっかっつーと斉侵攻の正犯は劉邦と韓信だからレキ食其よりこの2名怨みなよ。
横山の項羽と劉邦を今日読み終えた
最後の項羽はすごい、圧倒的少数の兵なのに項羽の武力でもって漢の包囲網を突破
項羽のやってきた残虐行為には嫌悪するが英雄らしい最後だね
項羽ってなんだかんだ言って時々気まぐれだけど
基本的にはスゲーいいヤツで敵には容赦ないけど
味方や部下には畏怖されて尊敬されてたんじゃないかな
垓下であんだけの状況になっても、逃げ出すヤツは居ても、
張飛みたいに裏切られて寝首かかれなかった訳だし
いくら項羽が鬼神の強さでも泥酔したり寝込んでる最中は無防備だからね
項燕の末裔で自身にカリスマがあり確かに部下には優しいんだけど、
范増が言ってる様に中身は子共なんだよな。
だから陳平や范増は愛想尽かしたが、
龍且や周殷とかの武人や兵士は項羽に欠点が有っても心底慕っていたんだろうな。
だから殺意までは抱かなかったんだろうね。
漢文の授業で鴻門の会をやったんだけど、おもしろすぎ!!
このスレに名前の出てる人はあまりでてこなかったんだけど、
項伯 ハンカイ 虞姫 ハンゾウ
が一番有名なの?
韓信の記述に関してはお互いに多少差があって面白い。
前者は原作が司馬遼太郎の「項羽と劉邦」で小説を読んだ人にはなじみが深いけど
後者は史記が原作でなじみのない人は「へえ、実はこうだったのかぁ」と思わされる所が多い。
特に項羽を追い詰めるシーンでは前者は項羽の帰り際に裏切って追い詰める形だが
後者は項羽が一旦帰国してから韓信が項羽をおびき出すために策略を張り巡らす。
でも後者は漢の正史だから劉邦の悪口を書く事が出来ず
あえて裏切らなかったと念を押したかったのかもしれない
さらに後者の高祖本紀では劉邦が子供達を馬車から突き落とすという有名なシーンが収録されてないらしい。