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【戦国いい話91】守銭奴「岡左内」、徳川家康とたんはんの鬼ごっこ

2022年11月13日

526: 名無し 2008/11/17(月) 17:32:11

岡佐内それから

質実剛健の上杉家の侍ながら、守銭奴と罵られるほど金を貯め、しかし関ヶ原の時その金を全て主君景勝に差し出した。

こんな逸話で有名な岡佐内。彼は関ヶ原の後、減封された上杉家から身を引き、牢人となった。

この左内には関ヶ原での武勇から、召抱えを望む大名は多く、特に、直接に戦った伊達政宗は熱心に誘った。

「三千石でどうか?」

破格の条件である、が、左内は断った。「わたくしには多少のたくわえもあります。今後は仕官することなく、悠々自適に暮らしたいと思います。」

この言葉が世間に伝わり、恐慌に陥った家があった。上杉家である。
上杉家には、ただでさえ左内から借金をしている者が多くあった。しかも関ヶ原の敗戦による減封、転封で、みな、経済的に苦境に立たされている。

「左内の”たくわえ”とは、われらの借金の事だ。左内が借金を取り立てに来るのだ」

領内の動揺は大きく、ついに家老、直江兼続が直々に左内の元に訪ねて行く事態となった。
兼続は、佐内に聞いた。「わが家中の者達の借財を、どのようにするつもりか?」

佐内は兼続を、屋敷の庭に案内した。焚き火が焚かれていた。

「こうします」

その火の中に、借用書をことごとく、投げ入れた。
また、自分が仕官しなかったことが、上杉家の人々を不安にさせたことを恥じ、蒲生家への仕官を決めた。

兼続は、「何故あれほどの男を手放してしまったのだろう。彼のような男こそ、本当に必要なのに。」と、後々まで語ったとか。

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528: 名無し 2008/11/17(月) 17:38:53
かっこいーなー
普段は締めて(でも同僚に金貸してやってる辺り、守銭奴っていう評価はひどい)
本当に必要なときには直接自分のためでなくても金を惜しまないって
言うのは簡単だけど実行するのは簡単じゃないよな

 

529: 名無し 2008/11/17(月) 17:54:48

うは、いくつか佐内に変換ミスしてる。”左内”に直してください…orz

>>528
自分の部屋に大量の銭敷き詰めて、その上でゴロゴロ寝転がる、なんてことしてたからねw
守銭奴呼ばわりされても仕方ない部分もある>左内

 

531: 名無し 2008/11/17(月) 18:11:43

左内は自分の部屋に大量の銭敷き詰めて
その上を裸でゴロゴロ転がる趣味があるので
同僚達から気持ち悪がられていた反面
大事が起きたという報告が入ると敷き詰めた銭をそのままに駆け出すという一面もあり。
お金が大好きで大好きで仕方ないが
お金より大事なものもちゃんと分かってるって感じだな。

左内は松川の戦いで政宗に斬り付け陣羽織を奪ったという逸話もあったりして、関ヶ原のあと景勝から「越後」の名を貰う。
そんな左内さんは元々蒲生家臣なので蒲生転封に際し会津に入ってきた上杉家に仕えたが蒲生家に出戻ったということさ。

 

532: 名無し 2008/11/17(月) 18:21:37
>>531
なんだとw
それはあれか、ちょっとお金貯まっちゃってテンションがあがりすぎたとか
周りの評価は守銭奴だけど、実際は趣味と実益を兼ねたお金限定蒐集家w
その後の行動といい、良いキャラだなあ

 

533: 名無し 2008/11/17(月) 18:42:05
妙に濃ゆい人材が集まる上杉
類は友を呼ぶのか

 

535: 名無し 2008/11/17(月) 18:52:03
金持ちになったら、全財産を一円玉に換えて銭の海で泳ぎたい
そんな夢を子供のころに持っていた

 

536: 名無し 2008/11/17(月) 18:57:29
直江が政宗の渡した大判を手で取らなかった理由が分かった。
左内が大判小判の上をマッパで転がってたのをつい思い出して
「誰が触れてるか分からないしキモい」だったんだな。

 

537: 名無し 2008/11/17(月) 19:00:36
今の硬貨や紙幣なんかも誰がどんな汚い手で触れてるかなんてわからんよね

 

541: 名無し 2008/11/17(月) 19:33:37
>>537
海外旅行いくと紙幣の汚さに驚くよ。
日本じゃありえないレベル。落書き(メモ?)とかしてあるのも普通だし。

 

543: 名無し 2008/11/17(月) 19:47:11
お金の為だからって
犯罪は岡左内

 

550: 名無し 2008/11/18(火) 00:45:06
>>543
お前の勇気は認める

 

546: 名無し 2008/11/17(月) 22:06:16
ジンバブエだっけか?何処かの国でお札の金額がもの凄いことになってるんだよね

 

547: 名無し 2008/11/17(月) 22:17:35

戦国時代の日本にも、実は通貨危機があった。

正確に言えば、明の国力衰退がはじまり。明銭の質が落ち、独自に通貨を発行せず中国からの輸入に頼っていた日本で明銭への信用不安が起き、その分過去に輸入してあった宋銭の価値が高まってその交換率やなんやらでかなりの経済混乱が起こった。
何処の大名も通貨政策でえらく頭を悩ましている。

江戸期になって土地の生産量をあらわすのに、それまでの貫高から、米の生産量を基礎とした石高制になったのは、貨幣価値が安定していない現実を踏まえ、主食である米を基準とした方が全国統一の規格としてふさわしかったため。

その後徳川幕府の統治下で、独自通貨の発行が進み安定した貨幣経済が復活するんだけどね。

 

553: 名無し 2008/11/18(火) 05:17:13

小判と言うと、家康の話でこんなのがあるな。

家康のお伽衆で、「たんはん」と呼ばれる男がいたんだけど、この人が、家康が戯れに投げた
黄金を巧みにキャッチしたので、家康が面白くなって、手元にある黄金袋から次々に投げてみると
たんはんさん、それらを全てすばらしい守備力でキャッチ&ゲット。
家康が「もう良い、ここまで。」と言って奥に下がると、側にいた本多正信が、

「黄金袋の中にまだ黄金が残っているぞ!たんはん、上様を追いかけるのだ!」

承知!とたんはん、家康を追跡!それに気がついた家康、「捕まってなるか!」とダッシュ!城の中で家康とたんはんさんが猛烈なデットヒート、

「上様は敵に後ろを見せられるか!」との、たんはんの挑発にも、一気の逃げ切りを図る家康だったが
ついに行き止まりに追い詰められ、「年寄にあまり無理をさせるな」と、黄金袋をたんはんの前に放り投げ

「全てお前のものだ」

と、負けを認めたとか。
大喜びのたんはんを背に家康、けしかけた本多正信に向かって、「ま~さ~の~ぶ~」、と文句を言いまくったとか。

非常に珍しい、はしゃぐ家康の逸話。

 

561: 名無し 2008/11/18(火) 11:06:39
>>553
家康も正信もなにやってんだwww
なごむわーww

 

554: 名無し 2008/11/18(火) 06:21:03
けしかける本多正信も随分はしゃいでるよなw
これが本当だったらなんとのどかな江戸(駿府?)城

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