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【戦国いい話69】高橋紹運と斎藤鎮実の妹、大友家臣「吉弘加兵衛」、石田三成の勤勉

2022年8月31日

925: 名無し 2008/10/28(火) 13:41:55

岩屋城で家臣7百余人と玉砕した高橋紹運のエピソード

紹運がまだ若かった頃、兄鎮理が紹運のために、斎藤鎮実の妹を嫁にと約束していた。
ところがその後合戦続きで、紹運の婚礼の儀もままならなかった。

そこで紹運は鎮実に対面したとき、時期を失していることを詫び、近く結婚する旨を告げた。
すると鎮実が、紹運のその申し出に首を振ったのだ。
「たしかに貴殿の兄上とそのような約束をしたが、妹はその後天然痘を患いふた目とみられぬ醜女となった。とても貴殿の妻女というわけにはまいらぬ」
聞くなり紹運は顔色を変えて鎮実に詰め寄った。
「思いも及ばぬことを聞くものです。斎藤家といえば、代々武勇の誉れの高い武人の流れであればこそ、兄者が拙者の嫁にと望んだのです。拙者と致しましても、色好みの浮いた気持ちで嫁にと望んでいるのではござらぬ」

それから間もなくその女性を妻に迎えた。そして二人の間に儲けたのが勇将立花宗茂である。

宗茂は父紹運とおなじく義を重んじ、太閤の恩に報いるために秀頼に加勢し13万石を失った。
しかし家康は宗茂を惜しみ、のち同城で11万石を与えた。

 

932: 名無し 2008/10/28(火) 19:40:48
>>925
宗茂が西軍についたのは主家である大友が西軍だったからじゃない
そうでないなら主家である大友が改易しているのに特になにもせず
自分はちゃかり13万石もらっている宗茂は義を重んじてるとは思えない

 

938: 名無し 2008/10/28(火) 20:38:35

>>932
とっくの昔に独立大名だし戦国時代はそんなもんだと思うが。
あと宗茂は当初大友は東軍だと思ってたんじゃないかな。

というわけでちょっといい話
大友家が改易された後、大友家臣吉弘加兵衛はいとこである立花宗茂の元に身を寄せていた。
しかし上方で乱起こるの報を聞き、加兵衛は今こそ御家再興の時と勇み立った。
というのも、加兵衛はこの戦に勝つのは家康と踏んでいたのだが、大友義統嫡子義延はその頃当の家康の元に預けられていたのだ。
この義延を盛りたてて手柄をあげ、大友家を再興しようという考えだった。
そこで加兵衛は数年間世話になった宗茂に暇乞いする。
宗茂はこころよくこれを許し、その上道中の足しにと多額の金子を贈った。
加兵衛は感激し、先祖伝来の太刀を宗茂に差し出した。
宗茂も加兵衛を非常に信頼しており、引き留めたいが義のために命をかける覚悟とあっては力の及ばぬところであると言って涙を流しながら常に肌身離さず携行していた自分の脇差しを加兵衛に渡した。
これには加兵衛も涙を禁じえなかったという。

その後加兵衛は東を目指したわけだが、大坂まで上ったところで大友義統が中国から上ってきて今は泉州境にいるという話を聞いて急いで義統に会ってみると、義統は西軍につくと言う。
加兵衛はなんとか義統が我が子とともに東軍につくよう説得しようとするが失敗。
一度は袂をわかってそのまま関東に上ろうと宿に帰った加兵衛だったが、滅亡しようとする主君を捨ててこれから世に出る義延に仕えるのは不義であると思い直して船に乗り義統一行に追いついた。
その後も加兵衛は義統に諫言するが、結局義統は当初の意思を通すことになる。
そして石垣原の合戦、加兵衛は義統に自分はこの戦で討ち死にするのでこれでお会いするのは最後ですと宣言してうって出、黒田家の家老井上九郎右衛門と一騎打ちの末に倒れる。
加兵衛を慕って馳せ集まった多くの士卒もまた、一歩も引かずに討ち死にし、加兵衛主従の見事な最後を賞賛しない者は敵にも味方にもいなかったという。
後に里人が加兵衛の墓を立てたが、志ある士は墓の前を通る時には馬から下りて礼をしたとか。

 

926: 名無し 2008/10/28(火) 13:45:49
一応訂正しておくと、11万石を与えたのは家康ではなく秀忠ね。

 

928: 名無し 2008/10/28(火) 14:27:36
>>926 申しわけなくありがたく候

ニュース


983: 名無し 2008/10/30(木) 01:01:09

三成の勤勉

石田三成は休みの日であっても、暴風雨の日などは、深夜に警戒のため、破損箇所などを見てまわり、翌朝秀吉が起床するとすぐにこれを報告した。秀吉は大いにこれを褒め称えた。

が、それは本来担当している普請奉行の報告の提出よりも早く、又詳しかったため彼らが秀吉から叱責されることがたびたびあった。

普請奉行は三成のこの様な勤勉さに、甚だ迷惑したと言う。

 

985: 名無し 2008/10/30(木) 07:25:07
>>983
いい(迷惑な)話だな

 

986: 名無し 2008/10/30(木) 07:39:40
>>983
いい話ではあるんだが、そこでさり気なく普請奉行に教えて顔を立ててやるくらいの気配りがみっちゃんには欲しかったぜw

 

987: 名無し 2008/10/30(木) 08:43:29
その気配りが出来る人間なら武断派に襲われたりしなかったろうな

 

988: 名無し 2008/10/30(木) 08:49:06
幼友達的な清正や長政には気配りしとけばなぁ・・・
だが、正則には気配りしたくないな。バカだし

 

992: 名無し 2008/10/30(木) 10:03:52
風紀委員長は口うるさくて融通が利かずに周りに嫌われるって点で三成のイメージな希ガス。

 

984: 名無し 2008/10/30(木) 05:54:11
悪い話のほうに出ていたんだけど森可成が朝からお汁粉だすお父さんと
「いくらなんでも朝からこれはないでしょう。しかも食前ですよ?せめて食後にしてよ」とケンカする話があるらしいのだが詳細知ってる人いませんか?
気になって仕方ありません

 

989: 名無し 2008/10/30(木) 09:45:37

>>984
可成が浅井・朝倉戦に備えて出発するときに、老父の越後守可行が門出の朝ご飯をご馳走しようとお知らせの使者を遣わしてきた。

可成は「親父は自分の好物だからっておしるこ餅をだして、後からご飯をだすので食べられないんだよね。先にご飯をだしてから、おしるこ餅にしてくんない?料理も夕食にしてほしい。」
との使者を遣わした。使者はお礼かたがたその事を可行に申しつたえた。

可行は「具足の威し初めの母衣幕の仕立初めには先ず鏡餅をそなえて、小豆雑煮にて祝うのだ!武士は”血をつけたい”ということで小豆の赤にあやかるのだ!諺にも”吉日の夕祝いより悪日の朝祝い”というので朝食なのだ。餅が食いたくなければ食べなくていい。」と言う事だった。

可成は翌月20日に討ち死にしたので、これが祝宴納めになった。

だそうな。

 

991: 名無し 2008/10/30(木) 10:02:26
>>989
じーちゃんは一家言持った常識人だったのに
オヤジがあの時代に好き嫌いするようなヤツだから息子たちが…

 

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