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【戦国いい話27】立花道雪の最後と家臣の絆、小堀遠州と細川忠興

2022年7月19日

690: 名無し 2008/08/17(日) 21:47:33

 若き頃、半身不随となった立花道雪は身の回りの事を専ら小姓達に任せていた。皆、道雪に見込まれた若達であった。
ある時、道雪の屋敷に客が来た。接客は道雪の小姓達が担当していた。その小姓の一人が緊張のあまり、客の膳を取り落とし、料理を座にぶちまけてしまった。時は戦国である。粗相のひとつで戦になる世である。詫びて腹を切ろうとする小姓を道雪は制し、客に言った。
「私の家臣が粗相を致し、誠に申し訳ない。だが彼は、ひとたび戦となれば、体の動かぬ私のかわりに、真っ先に敵に向かって行く、勇敢な奴です。戦の粗相なら致し方ないが、接客の粗相は主人の責です。どうかお許しくだされ。」
道雪の小姓達も一同に進み出て、「お許しくだされ。」と平伏した。
これを見た客は、立花主従の絆に深く感動し、粗相を許した。

後年、道雪は死を陣中にて迎える。最期の命令は
「私の遺骸に甲冑を着せ、敵陣に向けてこの地に埋めよ。もしこの命に背けば、悪霊となって祟る。」であった。
だが家臣達は道雪の遺骸を敵地に捨て置き、逃げる事など出来ない。皆は決めた。
「道雪様は皆で領地にお運びしよう。もし祟りがあって、道雪様が枕元に立たれるなら、喜んで腹を切ろう。道雪様に見届けて頂けるなら、これほどの幸せは無い。」

生涯三十七度の戦を戦い抜き、主君大友家を支え続けた道雪。
彼が守り抜いたのは大友家だけではなく、戦国の世に稀に見る、主従の絆であった。
その絆は彼が薫育した愛息、立花宗茂に受け継がれていくのである。

 

691: 名無し 2008/08/17(日) 21:50:09
>>690
ちょ、マジ泣きしたんだがwwww

 

692: 名無し 2008/08/17(日) 22:10:26
>>690
男子たるものかくありたいものだ。

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702: 名無し 2008/08/20(水) 20:48:36

>>690
立花道雪は部下との強い絆を物語る逸話が多いね(峻烈なところもあるけど)。
以下、蛇足ながら自分が知っているちょっと違う逸話を(「武田信玄のリーダー学」に載っていた)。

戦場で手柄が立てられず、意気消沈している部下に対し道雪曰く、

「戦場の手柄は運に大きく左右されるものだ。そなたの武勇のほどはこの道雪が誰よりも知っている。わしのような不具者が今日まで生きてこられたのもそなたの忠義あればこそじゃ。決して急いてはならぬ。つまらぬ功を焦って討ち死にするなど愚の骨頂。命を大切にし、長生きして、いつまでもちんば(原文ママ)の道雪を守ってほしい」

その道雪の日頃の口癖(同じく武田信玄のリーダー学」より)

「もともと弱い兵などいない。もしいるとすれば、それはその兵の長所を見抜けていないだけであり、長所を見抜けぬ大将がいけない」

戦国の世にあって、肢体不自由という究極のハンデを背負いながら猛将として名を馳せた道雪。
自身が深い苦悩を抱え、そして克服したからこそ、「不具の自分にはお前たちが頼りだ」とさらりと言えてしまうのだろうか。

 

700: 名無し 2008/08/20(水) 20:25:41

小堀遠州と細川忠興は共に、世に文化人大名として認識されていたが、忠興は遠州のことを酷く嫌っていた。かつて二条城で二人が出会ったとき、挨拶しようとした遠州を忠興は無視して通り過ぎたこともあった。「遠州の茶道は武士のたしなむものではない」
忠興はそのように思っていたらしい。

その、遠州に危機が訪れた。
かれは幕府の依頼で五機内の天領の管理を任されていたのだが、あるときそこに、幕府の財政調査が入り、遠州管理下での財務が、大幅な赤字に陥っていることが判明した。
「遠州は責任を取って切腹させられる」「小堀家もお取り潰しか」
遠州には、大名幕臣にも多くの弟子や友人がいたが、事は幕府天領の問題。幕府を恐れ、誰も、遠州のために動けずにいた。

このとき、一人の大名が声をあげた。
細川忠興である。

「遠州は名高き数寄者である。このような過失により彼を滅亡させてしまっては、天下の名器を失うと同じではないか」

そしてかれは、すぐさま遠州に一千両を届けた。
これを聞いた遠州の友人、知人、そして茶の道を嗜む多くの者たちが、忠興に続けと、次々と遠州に寄付を申し出た。
たちまちのうちにその金額は借財の倍にもなり、遠州は無事、この危機を乗り切った。小堀家は、改易を免れた。

感激し、感謝の念を伝えた遠州だが、、忠興はそれ以後も以前と同じく、遠州の芸術を断固として認めなかったという。

 

703: 名無し 2008/08/20(水) 21:09:15
>>700
忠興かっこいいじゃんw

 

704: 名無し 2008/08/20(水) 22:15:03

>>700

その話後日談があるんですよね。

ある日建設中の二条城の御幸御殿に家光の命で下見にやって来た忠興と息子の忠利。

作事奉行の遠州は後ろの方に下がってうやうやしく腰を低くかがめっぱなしでつき従っていた

そんな遠州を忠興はガン無視、忠利が注意を促してもしらんぷり
結局一言も声をかける事なく検分終了。

後で忠利が「父上は小堀遠州をお忘れなさいましたか」と咎めると、忠興は腰を低く屈めた遠州の真似をしながら
「それは袴腰を背うちにあてたる男か」と嘲笑った。
どうも遠州の卑屈な態度が忠興の気に触ったようです。

遠州を芸術家としては買っていた忠興も人間的には嫌いだったって事でしょうか。
遠州の逸話を調べると大抵上にはへつらい下に威張る俗物って話ばかりで自分もこの人は嫌いです。

 

705: 名無し 2008/08/20(水) 22:31:58
>>704
うーん、個人的にはもうちょっと複雑な、たとえば茶碗について、自分はどうしても気に入らないけど、世間的に名品と呼ばれ大切にされるのは解る、ってのと同じような感覚なんじゃないかな?と、考えます。

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