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【戦国いい話12】秀吉と虎、井伊直孝と唐犬、高山右近の主張と中川瀬兵衛の主張

2022年7月14日

302: 名無し 2008/04/07(月) 18:19:42
 上杉謙信が北陸から織田信長の領地に攻め入ろうとしていた頃、信長に仕えていた松永久秀が呼応して反乱を起こし、自分の城に立てこもった。しかし、反乱はすぐに失敗し、松永久秀は城を織田の軍に包囲されて絶体絶命の危機におちいった。
覚悟を決めた久秀は息子に
「城を出て、信長を討つ算段をせよ」と命じた。久秀の息子は、父とともに死ぬ覚悟だったのでいやがったが、久秀にどうしてもと頼まれると、必ず信長を討つと誓って城から抜け出した。
ところが、久秀の息子は城を出た後に包囲していた織田軍の兵士に見つかり、あっけなくつかまってしまった。それを知った織田家の兵士たちは
「父親を見捨てて逃げ出した卑怯者」
と悪口を言い合った。しかし、信長が
「父親の久秀に言いつけられてやむなく城を抜け出したのであって、卑怯な気持ちから逃げたのではあるまい」
と、かばったので、皆は悪口を言うのをやめた。信長はたとえ相手が憎い仇の息子であっても、間違った事実によって非難されるのはほっとけなかったのである。

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303: 名無し 2008/04/08(火) 00:24:06

唐入りのおり、停戦協定の時に明から虎が贈られた。
秀吉はこの虎を大層気に入り、自分のペットとして飼うことにした。
餌は何が良いかという段になって、生きた動物が良いと言うことで村々に飼い犬を供出させることにした。
とある猟師某は近隣でも評判の愛犬家だったが、その猟犬を数日後に献じる様に沙汰があった。
それから某は今まで以上に愛情を注ぎいだ。
「お前は日本一の犬、明の虎に破れるにせよせめて一矢報いて来い」と
普段自分が食べれないようなご馳走を犬に与えて最後の時を惜しんだ。

そして某の犬は虎の檻に放り込まれた。
虎はいつも通りのそりと起きあがると悠然と犬に歩み寄る。
しかしこの犬は今まで生き餌とされた犬と違いその虎に臆することなく毛を逆立て威嚇する。
小敵の戦意に構わず虎は犬を食い殺そうとしたその時、あっと犬が素早く虎の喉元に食らいついた。
虎は驚き何とか振りほどこうと暴れ回り、前足で犬を引き剥がそうとする。
犬は毛が抜け皮が裂けはらわたが露わになってもなお、虎からはなれない。
それでも必死に虎は暴れ回るが次第に弱まり、そして遂には息絶えた。

秀吉はこれを聴くと犬を激賞し、飼い主に遺骸と褒美を与えたという。

 

304: 名無し 2008/04/08(火) 01:42:21
>>303
初めて秀吉に殺意がわいた
わんこも虎も可愛いのになんてことしやがる糞猿

 

305: 名無し 2008/04/08(火) 01:43:34
昔から犬猿の仲なんてことを申しまして・・・

 

307: 名無し 2008/04/08(火) 10:12:05
いや当時なら虎は超貴重だろ…愛犬家には申し訳ないが。

 

310: 名無し 2008/04/08(火) 23:02:31
というか、明から虎が贈られたなんて初めて聞いたけど。

 

312: 名無し 2008/04/09(水) 01:04:06
>>310
303だが、
又引用の本がネタ元なので、まあそう言うネタもあるくらいの信憑性かと。

 

313: 名無し 2008/04/10(木) 16:58:59
井伊直孝は唐犬を飼っていたがやがて家臣にこれをあげた。
直孝がその家臣の家に行くとその唐犬が直孝を見るなり大声でほえた。
父譲りの気性の持ち主だった直孝はかつての主を忘れたかと激怒し、
「あの犬はうるさいので耳を切ってしまえ!」と命じた。そこへ岡本半介がやってきて直孝の前にはさみを差し出した。
直孝が「これはなんだ!?」というと半介は「はさみです。」と答えた。
直孝が「そんなことはわかっている。何をしようというのだ?」というと
半介は「殿が犬がうるさいから耳を切れとおっしゃるので殿の耳を切ろうと思いました。」
と答えたので、直孝は半介に免じて犬を許した。

 

319: 名無し 2008/04/12(土) 13:00:10
>>313
これ、下手したら言った奴の耳が削ぎ落とされてもおかしくないな。
半介とやらはどこまで命知らずな奴なんだ。

 

314: 名無し 2008/04/10(木) 17:26:58
激しい逸話ですな

 

318: 名無し 2008/04/10(木) 23:53:43
直孝はぬこ派だったんだよ!!!

 

321: 名無し 2008/04/13(日) 14:57:01

ちょっといい話というより、ちょっと考えさせられる話

羽柴秀吉と柴田勝家が争っていたころ、勝家配下の武将佐久間盛政が突出して秀吉方の砦に侵攻して来た。
砦を守っていた武将は高山右近、中川瀬兵衛の二名で、それぞれ300人ずつ手勢を従えていた。

高山右近は敵の侵攻に対し、
「こちらは合わせて600人しかいないから、ここで無駄死にするよりも一時撤退して本隊と合流してから戦おう」
と主張し、
それに対して中川瀬兵衛は
「敵の進撃を少しでも遅らせるためにここで籠城しよう」と主張した。

結局、二人は喧嘩別れになり、高山右近率いる300人の兵のみが砦から撤退した。
残った中川瀬兵衛の軍勢300人は佐久間盛政の攻撃を奮戦して受け止め、全滅するまで戦い、進撃を遅らせることには成功した。

世間の人々は命がけで戦った中川瀬兵衛を勇者としてほめたたえ、戦友を見捨てて逃げた高山右近を臆病者として非難した。
だが、部下の命を無駄に死なせたくないと撤退を選んだ高山右近と、部下を死なせることになっても全体の勝利に貢献したいと思った中川瀬兵衛。
本当に正しかったのはどちらなのだろうか。

 

323: 名無し 2008/04/13(日) 17:59:25
>>321
当時なら中川。現代なら高山が正しい…だと思うけど。
ただこの戦いに限れば、戦死しても無駄死にでは無い気がする。

 

327: 名無し 2008/04/13(日) 22:19:53
>>321
両方とも残って籠城していても、
両方ともに撤退していても全滅する可能性が高いんじゃないか?
2つに分かれて片方が籠城して時間稼ぎしたから
結果的に高山の撤退が成功したんだと思う。

 

328: 名無し 2008/04/13(日) 22:21:30

>>321
中川思考の武将
道雪、宗茂、紹雲、家久、義弘、元春、左近、幸村、謙信

高山思考の武将
信長、秀吉、義久、宗麟、隆景、元就、家康、氏康、政宗

 

329: 名無し 2008/04/13(日) 22:49:44
>>328
中川思考でなおかつ佐久間ごときレベルなら勝っちゃいそうなメンバーだなw
柴田も敵数を誤認して撤退しそうw
このまま後詰めに敦賀で待ってるよ~って伝令出して勝手に追撃戦に移りそうだわw
高山思考のメンバーは確かに残っていたら全滅しそうなメンバーだから撤退して後詰め待ちした方がいいな。
まーこの後に秀吉は神速の行軍しちまったわけだが。

 

322: 名無し 2008/04/13(日) 16:25:35
俺としてはどちらも悪くない判断だとは思う

 

324: 名無し 2008/04/13(日) 18:02:37
上司にしたいのは高山で、部下に欲しいのは中川だな

 

325: 名無し 2008/04/13(日) 20:15:16
高山も残って損害を与えすぎると、陣取らないで素直に撤退していた可能性があるからな。
高山の選択で正解!

 

326: 名無し 2008/04/13(日) 21:17:58
小牧長久手で羽柴秀次が家康に補足された際に堀秀政は攻めてきた徳川の一軍を撃破したが
その後さらなる敵軍に包囲される危機が迫っていたので、先陣の援軍要請を無視してほぼ無傷で撤退してしまった。
急を聞いて駆け付けた豊臣の援軍が現れてた時には先陣の池田や森は討ち死に。
戦上手の堀はこんな感じの行動をしてる。
やはり一戦して小勝でも良いからポイントを稼いで一気に撤退するが解答だろう。
秀吉に激怒された秀次が堀を恨んだかどうかは知らんがな!

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