【春秋・戦国】中国史上で初の皇帝・始皇帝を語りつくそうぜ!

2022年8月19日

1: 名無し 2006/11/03(金) 01:11:06

中国史上初の皇帝・始皇帝を語ろう

始皇帝について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%8B%E7%9A%87%E5%B8%9D

ニュース


6: 名無し 2006/11/03(金) 06:44:56

真っ先に立ちそうな気がするが今までなかったんだな
政には長生きして扶蘇に継がせて欲しかった

 

7: 名無し 2006/11/03(金) 12:48:33
始皇帝は晩年には自らを買いかぶりすぎたし、つまらない人間に騙されたりしたからなぁ。
中国統一まではよかった。

 

10: 名無し 2006/11/03(金) 14:05:15
扶蘇が二世皇帝になっていたら名君になっただろうなあ。
秦はさらに強大な帝国になり、400年ぐらいは続いたと思う。

 

13: 名無し 2006/11/03(金) 23:42:19
>>10
さすがに400年は難しいと思う。
中国のわりと成功した王朝でも、200年ぐらいが多いし。

 

14: 名無し 2006/11/04(土) 00:56:09
400年は無理でももうちょっと続いたかもね
李斯がどっか行かされて法律が少しはゆるくなったと思われ

 

16: 名無し 2006/11/04(土) 12:31:47
>>13-14
思えば中国統一後、秦は15年くらいで滅びてるんだよな
ユーラシアの西では同じ位の間、ローマとハンニバルが殴り合ってた事考えたらかなり短い

 

17: 名無し 2006/11/04(土) 15:12:22

中国の王朝の平均持続年数はどれぐらい?
200年クラスが一番多いのかな。

政は政治・外交・軍略に長けた天才的な統治者であったと思う。
だが晩年にケチがついたな。宦官なんかを全面的に信用して依存しきったり
中国史上に名を残す詐欺師、徐福に引っかかったり。老いが彼を駄目にした。

 

18: 名無し 2006/11/04(土) 15:46:32
一番長く続いたのは漢かな?前漢後漢あわせて400年。
宋王朝は北宋南宋合わせて300年。
唐も明も300年。
清は250年。

 

19: 名無し 2006/11/04(土) 16:16:27
>>18
逆に統一王朝で短いのは新の15年と隋の30年、西晋も呉滅亡から西晋滅亡までだと35年か
あ、あと則天武后の周が15年になるのか

 

20: 名無し 2006/11/04(土) 18:28:35
漢が長く続いたのは、秦のよい部分をそのまま引き継いだからだ。
劉邦は阿房宮にあった全国の戸籍を、大切に保存した。

 

21: 名無し 2006/11/04(土) 20:15:15
秦を踏み台に

 

22: 名無し 2006/11/05(日) 00:24:19
隋、短けえ!隋といえば日本ではけっこう影響を受けた大国というか唐に次ぐメジャーな国だよね。
漢民族の統一王朝では300年ぐらいが多いところかな。

 

23: 名無し 2006/11/05(日) 01:18:50
日本は凄いよね。皇室は2000年続いている。
やっぱり島国で異民族の侵入が無いのが大きいのだろう。

 

24: 名無し 2006/11/05(日) 01:30:24
だーれも取って代わろうとしないもんなぁ

 

25: 名無し 2006/11/05(日) 18:20:19

中国五大愚朝

秦、新、晋、隋、順

 

26: 名無し 2006/11/05(日) 23:03:48
順朝がすぐに潰れたことを、漢民族はものすごく悔しがっている。
満州族に取って代わられ、風俗を押し付けられたから。

 

27: 名無し 2006/11/05(日) 23:35:48
秦は、天下統一前に数百年も続いているので、
必ずしも短命王朝と言えるかどうか。

 

28: 名無し 2006/11/06(月) 03:46:41

統一してないのを含めると、
王朝の平均寿命はものすごく短くなるね。

平均30年てとこかな。

 

29: 名無し 2006/11/07(火) 19:59:51
おいっ、誰かえーせーの話してやれ。

 

30: 名無し 2006/11/07(火) 23:59:07
仲父殿の子供なの?

 

31: 名無し 2006/11/08(水) 23:53:49
当時から、噂はあったんだろうか?

 

32: 名無し 2006/11/09(木) 07:31:33
史記が書かれたころは噂されていたんだから、当時も当然噂されていたであろう。

 

33: 名無し 2006/11/09(木) 14:40:33
秦で、「どこの馬の骨とも知れぬ者を王に戴けるか」って反抗する者はいなかったのか?

 

34: 名無し 2006/11/11(土) 13:12:22
政の父が人質から戻れて、王位についた事も奇跡的かと。
呂不韋の努力(賄賂?)の賜物ですかね。

 

36: 名無し 2006/11/13(月) 01:32:58

秦を滅ぼしたのは始皇帝ではないよ。子の胡亥。
始皇帝は宦官に騙されたりして駄目な所もあったが
総合的に考えたら100点満点中95点位の凄い人だと思う。

つーか歴史上で初めて統一国家を創造and皇帝に即位したのは凄すぎる。
始皇帝が統一国家を作らねば、
中国は一つと言う概念すらできずにヨーロッパの如く多極化が進んでいたと思う。
始皇帝が毛沢東や明太祖より偉大なのは統一国家創造という概念すらない時期に
初めて統一国家を作り上げた事。
後の皇帝は始皇帝の猿真似に過ぎない。
始皇帝は中国史はおろか全アジア、全世界に勝る英傑です。

 

37: 名無し 2006/11/13(月) 03:22:31
始皇帝の遺勅が握りつぶされてなければねぇ・・・

 

39: 名無し 2006/11/13(月) 17:13:43
始皇帝は好きな人物だが、やっぱり晩年の仙術かぶれが痛いなあ。
まああの時代の人だから当たり前なんだが、前半生からは
飛びきり合理的な人物に見えるからつい期待してしまう。

 

38: 名無し 2006/11/13(月) 03:58:19
>>36
どうだろう?
世界初の帝国はアケメネス朝ペルシャだし、ヨーロッパも時代は下がるがローマがあった
いまオリエントや環地中海世界がどうなってるかはご存知の通りだ
中華地帯が統一されていた期間が長いのを始皇帝が「統一」した事だけに求めるのは問題だろう

 

40: 名無し 2006/11/13(月) 23:48:46
>>38
そりゃ、ローマやペルシャは始皇帝のような「統一政策」は行わなかったからなあ。

 

41: 名無し 2006/11/14(火) 03:37:17

>>40
そりゃ状況が違いすぎる
周も秦も楚もそのアイデンティティとなる神話は同じだったのに対して
オリエントは各種様々な宗教が入り乱れていた場所だ
ぶっちゃけると統一難度で言ったら中華は当時からその辺に比べたらだいぶ下がるよ
(始皇帝はツメの部分をやればよかったとも言える)

まあそういう見方をしないんであれば、
始皇帝はダレイオスやアウグストゥスのようなバランス感覚が無かったので
帝国ごと吹っ飛んでしまったが、逆にその後の王朝の助けになったって感じになる

 

42: 名無し 2006/11/14(火) 12:43:30
>>41
いや、それも「神話の統合」が行われたから、現在からするとそう感じるだけ。
例えば伏儀や女カが南方の神話だということはすでに証明されているし、皇帝や
神農も西方渡来が確認されている。

 

43: 名無し 2006/11/14(火) 16:57:40
>>42
しかし、楚辞の天間では楚の神話は語られず、中原の事が語られていたりする
これなんかをみても、中原とは民族を異にした楚でも、
戦国時代末期には神話なんかでも中原化されてたのではないだろうか
まあ秦が統一した民族の神話の統合が、統一前の事なのか後の事なのかはよく分からないから触れられないが

 

44: 名無し 2006/11/14(火) 17:48:41
あんなバカでかい土地が二千年以上まとまるなんて、それだけの素地がなけりゃあね。

 

45: 名無し 2006/11/14(火) 20:14:35
>>44
まあ他にも
・宗教に比較的情熱を持っていなかった
・近隣地域に匹敵する文明圏がなかった
・表意文字の漢字の使用により口語が通じなくても行政が出来た
辺りがざっと考えつくけどね
で、始皇帝の業績の内最も偉大なのは漢字の統一ということになると思う
これは間違いなくその後の各帝国の統一維持に大きく貢献してるよ
(正直、他に始皇帝の統一事業の内ダレイオスがやっていないことが思いつかない、ってのもあるが)

 

47: 名無し 2006/11/20(月) 15:24:00
母親がああで、父親がああで、
やっぱり少年時代は精神的に荒れていたんだろうか?

 

49: 名無し 2006/11/20(月) 22:46:15

親の教育に問題があった、というのも大きいが、人質生活でいじめにあっていたのも大きい。

そのために全国統一した後、人質時代いじめた人間を皆殺しにしたとか。

 

50: 名無し 2006/11/20(月) 23:12:11
でも、少年時代に養った冷酷さが、
天下統一の原動力になったかもね。

 

51: 名無し 2006/11/20(月) 23:35:30
>>49
人質時代に過ごした村(?)だかを
消滅させたんだっけ?

 

52: 名無し 2006/11/21(火) 00:27:56

>>51
趙の都邯鄲で人質生活を送っていた。冷たい待遇を受けたこともあったようで、
後に王となって趙を攻め邯鄲を落とした際、母親の家と仇怨がある連中をことごとく穴埋めにした。

なお邯鄲の破壊はこのときではなく、秦末動乱の際に章カンにより破壊されている。

 

46: 名無し 2006/11/14(火) 23:27:15
始皇帝の成果は、まんまと劉邦の手に落ちた。

 

53: 名無し 2006/11/25(土) 18:59:02
始皇帝って親征してないよね?
なんかそれなのに、武ばったイメージを持ってしまう。

 

54: 名無し 2006/11/25(土) 21:28:35

>>46
劉邦は事実上の始皇帝の後継者とも言えるんだからあまり無碍に扱うのも考え物だけどね
もし項羽が勝ってその方針で中華世界を治めたら、
始皇帝の功績が奪われるどころかすべて無駄に成ってたかも知れないし

>>53
武帝なんかもそんなイメージだね
ああいう自分の軍事能力を出さないで征服業を成すっていうのは凄いことだと思うが

 

55: 名無し 2006/12/02(土) 16:55:35
漢が繁栄したのは、秦の遺産を上手く受け継いだからだな。

 

57: 名無し 2006/12/06(水) 23:21:29
始皇帝は子供の頃から経済学を学んでいたのかな?

 

60: 名無し 2006/12/10(日) 23:52:55
>>57
帝王教育は受けたんだろうけど、当時の経済への認識ってどうだったんだろう。

 

61: 名無し 2006/12/12(火) 23:02:17
呂不韋がいたから任せっきりだったとか…。

 

62: 名無し 2006/12/12(火) 23:27:22
餅は餅屋だよね。

 

63: 名無し 2006/12/15(金) 23:41:31
母親のことはやはり憎んでいたのかな?

 

64: 名無し 2006/12/18(月) 23:58:32
複雑な心情だっただろうね。
憎しみは呂不韋に集中したと思う。

 

65: 名無し 2007/01/02(火) 23:44:18

秦って結局戦国の六ヶ国を滅ぼす過程で数百万の兵士を
殺しまくったから、恨みを買いすぎたからでしょう。
数万の首を挙げただの、数十万を生き埋めにしただの・・

呂不韋とかの話、恨みや反感を持つ遺族とかが、秦や政王の
正統性を壊すために尾びれを付けたスキャンダルで、その話は
当時から出生のことはまことしやかな言われていたらしいしね。

 

66: 名無し 2007/01/03(水) 23:43:46

それに、役人とかはやっぱり秦人中心で、旧六国の地域を支配する時にも、
威張りまくっただろうから、それで恨みを買っただろうね。

秦崩壊、楚漢戦争の過程で、旧六国地域じゃ秦人が報復の襲撃を受けただろうと思う。

 

67: 名無し 2007/01/04(木) 22:47:58

そんな役人も始皇帝が死んで反乱が多くなると
自己保身のために秦を裏切ったりするので

民衆や落ち武者は天を仰ぎ大儀の意味について
問うのであった・・・・

 

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