中国の三分の一しか領有しない、弱い弱いと言われている末期の金・宋ですら、旭日昇天のモンゴルに対して十年単位の猛抵抗の後ようやく崩壊している。
明にしても鄭成功のような奴が反抗戦してるし。
バヤジットみたいにティムールが捕らえられる、もしくは戦死するということも十分ありうるぞ。
「もしティムールが勝ったら」という前提で会話を進めているだけでティムールが必ず勝つとは言ってない
その上で支配が長期間継続すると文化が入れ替わるという話をしているに過ぎない
永楽帝は根本的に正統性が弱いから軍事的敗北が国の崩壊に繋がり易いのは状況的に考えられる
>>123
> 永楽帝は根本的に正統性が弱いから
それはあまり関係ないと思う。んなこと言ったら唐の太宗とかだってそうだし、
そもそも劉備なんかはそもそも正当性全くないけど、何度敗北しても臣下がついてくる。
要は本人の器量の問題。
まあ普通に考えて、永楽帝の明は滅ぼせないだろ。いくらティムールでも。
大帝国が滅びるのは、内部に崩壊の原因があるときであって、
そうでない場合には誰が攻めても無理なものは無理。
そもそも永楽帝の政治的求心力の根源が軍事力だから
それで一敗地に塗れるとどうなるかわかったもんじゃないし
北部は元の影響がまだ多少残ってるから後世の視点から見るほど磐石じゃあねぇんだよ
>>126
繰り返すが、劉備の政治的求心力の根源も武力だったけど
何敗地に塗れても、蜀帝国はすぐには滅びなかったけど?
別に明が磐石だったとか言ってるわけじゃなくて、
成立して間もないからとか、永楽帝が甥を殺して帝位を奪ったからとか、
「根本的に正統性が弱いから」とかそういう理由によって判断するのは誤りだと思う、と言っているだけ。
むしろ、長く続いた王朝の末期の、正当性ありまくりな暗君の方が
はるかに政治的には弱いと思う。同じ明で言えば万暦帝あたりとか。
>>127
蜀のケースで語る?
劉備は蜀を得るまでの敗戦は常に自分の中核軍は維持してる
敗走すれども敗戦はほとんどしてない
見事に中核軍ごと打ち砕かれたのが夷陵の戦いだけどこの時は一気に国家存亡レベルで揺らいだ
じゃあ永楽帝は皇帝として出征して勝てないとわかったら
前半生の劉備みたく逃走する?
残念ながら国捨てて逃げるしかねーよ?徐州、荊州捨てた時のようにな
お前の言ってる「負けてもなんとかなった」はそういうことだよ
ケースが違う
ごめん、何度か読んでみたけど、言っている意味がわからないや。
残念だけど。
>>130
劉備の敗戦ってのは自分の保持してる戦力を失わないように
敗勢が見えたら手勢引き連れて逃走するってのがほとんど
その戦力があったから一見すると負け続けのように見せかけて
実は負けと言っても全然勢力を失わない
徐州を呂布に奪われた時も軍を失う前にとっと逃げ、呂布に降伏して勢力は保全した
曹操の元に逃げ込む時もそう
官渡の戦いの直前に徐州で再独立した後、曹操に攻められた時も同様
この時の劉備は数ヶ月後には数千の騎兵部隊率いて曹操の土地に攻め込んでる
こういう負けを繰り返してもそりゃすぐには滅びないけど国は持てないよ
国捨てて軍事力だけは保持するんだから
皇帝はこういうやり方は出来ない
あれくらいが1代で征服できる限界といえる
これだよな。北条得宗体制の日本は元軍ですら歯が立たなかったわけだが、
あれがもし戦国の分裂期の日本だったら、
北九州の勢力Aを元軍が襲撃→Aの宿敵Bがそれに呼応してAを滅ぼす
→上陸して勢力を保った元が一気に九州を制圧
って感じで、元軍にも多少の勝機はあったはず
ニュース
どちらが滅ぼし易いかって言ったら当然後者だわな
「永楽帝は根本的に正統性が弱いから」ってのは全く間違いだと思う。
正統性とかそういう問題じゃない。
これは明らかだと思うので、それ以上は好きにして。
>>128
永楽帝時代が滅ぼしにくいのは永楽帝が最強の軍隊持ってるからだけどな
それが失われたらって前提だからもうどうなるかわからない
統一から日が浅いから政情も不安定だし
ついにモンゴルを征服できなかった愚将だな
正面からぶつかれば土木の変みたいになる可能性が高い
あれは何なんだろう
輸送路
大都はフビライの政策で中華全土へ水運、陸運の輸送路が繋がってる
なるほど
ティムールの老いといい、支配領域の全てをつぎ込んだような軍隊といい、失ったり遅れたりしたら取り返しのつかないものばかり。
退却や停滞はありえず進むしかない。
まあ永楽帝のことだから寿命という「天」をあてにすることはないだろうが、国境の城市や長城線をフルに生かした遅滞・消耗戦術を展開するだろうな。
その遅滞消耗戦術を展開するための前線が北京なのに
そこに遷都しちゃったからなぁ
自分がその前線の軍事力で簒奪してるから他の誰かを同じ場所において
自分が南京行くことが出来ないってのが永楽帝の弱点
ティムールのような大敵を迎えたからこそ、皇帝が北京に居ることの利益は大きい。
最前線との連絡、指揮の伝達に便利だし、なにより将兵の士気が揚がる。
南京に引き篭もり、前線の実情も知らず将兵を腐らせていた建文帝の失敗を繰り返すとは思えない。
南京に逃げろってわけじゃない
領土的縦深を生かすって発想が>>138で出てるんだが
その領土的縦深の前線が北京だから、それやるの無理っすよ?って話
長城線をフルに生かしたっていうけど肝心要の首都北京がその長城線の最前線だから
遅滞とか消耗戦術って相当無理がある
靖難の変でも戦力の小さかった初期、その手を使って勝利してるし。
それは作戦としてはアリだよね
ただ本来、洪武帝の頃のように南京に首都があればそこまで博打せんでも
順当に後退できりゃ勝ちとまではいかなくても余裕を持った対処が可能だったろうに
結局、後の無いティムールと同じく決戦しないといけなくなるという・・・
するけど、永楽帝の純軍事的能力ってティムールに匹敵するほど高いか?
確かに当時の明では一番最強の軍事的能力を持ってはいるだろうけど、あのティムールと匹敵するほど
強いかと聞かれるとちょっと疑問だな。
靖難の変では粛清の結果南京にロクな人材がいなかったから成功したという面も強いし。
永楽帝が名君たりえる要素は、永楽大典の編纂等の文化事業や内政、更に鄭和を使って東南アジア
諸国を朝貢国とした事だろう。
雷光王はでたとこ勝負の鉄人で、イェニチェリ含む当代の精鋭をもって挑んだが、それでもティムールに完敗した。
しかし永楽帝はもともと、敵陣を前にして神算鬼謀とか機略縦横とか、「猛将」とかいうタイプではない。
「算多きは取り少なきは敗る」「まず勝つ可らざる為し」という「孫子」に忠実なタイプ。
江南に衝撃が走るような気もする
実際に英宗の時に建文帝自称した偽者が出たけど明の朝廷はスルー。
ティムールがそういう工作をしないはずは無いと思う。
南宋が朱子学を推奨しまくったおかげで江南では正統性について
やかましい土地柄になってしまってるし「洪武帝の嫡流が還ってくる」
ってのは今の想像以上に大きいと思う。
まあ、永楽帝がティムールに勝てば霧散するレベルでしょうけど…
それに協力しようとする者もまた。
永楽帝としてはむしろ願ったりかなったりだろう。
姚広孝が乱後に故郷の蘇州に帰ったら実の姉にまで拒絶された。
別人を仕立て上げるのは無理があるんじゃないの。
そんな怪しげな自称建文帝がさらっと正統とされるとは思えんし
中国の話じゃないけど、ロシアにイヴァン雷帝の忘れ形見を称する偽ドミトリー
とかいたなあ、そういえば。
それも三人も。
んで、そのうち一人は、モスクワに入城して正式にツァーリとして即位するという
おまけつき。
それが無いというのはとても変な話で、おそらく捕えられて兵士にでも殺されたんだろう。
燕王も知ってはいるが、聞こえが悪いから行方不明にしたんだろ
ティムールの情報収集力はさすがというべき
「挙兵までに時間をかけすぎだ」とでも思ってたのだろうか
そこまで詳しくは伝わっていないと思う
弟が長兄を破って、兄が宮殿に火をかけて死んだことは聞いていたみたいだけどね
このことはカスティーリャのクラヴィホが書いているから数年後にはイベリア半島に伝わっていたと思われる
1400年頃なのにある意味驚異的
レコンキスタ以前はイスラム世界のネットワークがイベリアまで行ってるから
そのくらいは普通
ネットワークはいっているけどバットゥータの中国についてのことやマルコのジパングみたいにうさんくさいのではなく
かなり正確な情報として伝わったって点が驚異的という意味ね
ティムールが洪武帝に送った書簡も明側史料に記録されているし
そういや洪武帝が大都にいた東方正教の司教に書簡を持たせてビザンツ帝国へ送ってるんだよね。
http://www.fordham.edu/halsall/eastasia/1372mingmanf.asp
「漢王陳友諒」や「呉王張士誠」を倒したなどと妙に細かい事まで書いてある。
※機械翻訳
第一明皇帝としての加盟宣言、1372年(ビザンツ皇帝に送られる)
ウーの王、チャン・シーチェンを縛った。南部では、ミンとユエ[福建と広東]を鎮圧し、パとシュウ[四川]を征服しました。北部では、YuとYen [Chih-li]で秩序を確立しています。私たちは帝国に平和を確立し、中国の古い境界を復元しました。私たちは、現在4年目となる朱元璋を皮切りに、「大明」という王朝の称号で中国の皇位を占めるように国民に選ばれました。西海で隔てられているフーリン[ビザンチウム]を除いて、このマニフェストですべての外国に将校を派遣しましたが、まだ発表はありません。あなたの国の出身であるNieh-ku-lun [Fra。ニコラウス・デ・ベントラ、北京大司教]、このマニフェストをお渡しします。私たちの知恵は、宇宙全体でその美徳が認められた古代の支配者と同等ではありませんが、四つの海の中で平和を維持するという私たちの意図を世界に知らせるしかないのです。私たちがこのマニフェストを発行したのは、この理由だけです。」
明実録の洪武4年8月癸卯の条の記事の英訳だな
華夏を the Empireと訳してる
モンゴルがローマ教皇に書簡を送ったのを真似したのかな
しかし先方にきちんと届いたのかどうか一抹の不安が・・・
ビザンツ帝国=東ローマと聞いて、かの「大秦王」の如く強大な皇帝、帝国と思って出したのだろうか。
元史には断片的ではあるが地中海の地理や十字軍に関する情報が出てくるから
洪武帝もある程度の情報はつかんでいただろうね
外交使節のやりとりを通じて情報はかなり伝わっていたはず
>このことはカスティーリャのクラヴィホが書いているから数年後にはイベリア半島に伝わっていたと思われる
>1400年頃なのにある意味驚異的
これ読んでみたい、なんかの本にある?
>>171
遥かなるサマルカンド チムール帝国紀行
カスティリャの外交使節がティムールに会いにサマルカンドへいったときの報告書
&旅行記で内容はほぼ同じだと思う
アンカラの戦いやティムールがインド王やトクタミシュを打ち破った戦術的なところも少し書かれている
靖難の変の内戦でそのとき朝貢やめたこととかもでててこの時代好きなら読んで損はない
その辺までは順調だったんだが
ほとんど明国境じゃあないか
東チャガタイ汗国をティムール勢力圏とするなら明とは隣接しとることになるわな
ティムール本人は油断するような人物ではないからその裏でしっかり攻略準備していただろうが
その頃の中央アジアの軍団は中国と戦ったことあるのか?
それとも元朝の頃の南宋兵の弱体ぶりが伝説になって伝わってたのか
マンジの成り上がりものというニュアンスだったのでは
チンギス裔を推戴する姿勢を取り
最後までハーンを名乗らずキュレゲンで通したティムールからすると
明朝は身の程知らずの豚皇帝だと内心では思っていたのかも
逆に永楽帝にすればティムールは
「山狗は所詮山狗、死せるチンギスの猟犬がせいぜいよ」
だったかもな。
実際ティムールが死んだ途端に起こった大動乱は、彼が大ハンはおろかハン、スルタンやシャーですらなかったことも原因だろう。
チンギス裔に対して恭謙だったと言えば聞こえはいいが、自分を絶対権威に押し上げる度胸はなかったとも言える。
永楽帝はフビライの走狗にもなれなかったわけだが
永楽帝のモンゴルの真似をしたような対外拡張政策はほとんど後に続かなかったからな
朱元璋は即位すると「天命はチンギス家から去った」とか宣言してるんだよな。
よく考えるとモンゴル帝国の旧版図で「チンギス統原理」をラディカルに否定した最初期の例かもしれない。
しかしそのエセンの「僭称」ですら、モンゴルの半分は認め追随したんだよな。
まるっきりダメだったわけじゃあない。
ティムールだったらもっといけたろうに。
婿養子に過ぎないティムールとは格が違うんだよ
そのトゴン・テムルには「南宋恭帝の血をひいている」という伝説がまた存在する、と…。
この話といい建文帝生存伝説といい、中世の人の想像力、創造力は大したもんだと思う。
予知夢どおりに国を失って悲歌を残してモンゴルに逃げていくくだりは
歴史劇にできるぐらいにロマンチック
岡田によればキタイのハーンと呼んでいたって部分に関してキタイとはかつての遼や金の領地の事だと
だからキタイの皇帝とは明ではなく北元でなければいけないと主張してる
明の事ならばキタイではなくマンジのハーンと呼ばなければいけないのにそう言う主張がない時点で明は眼中になかったと
この説は岡田がティムールの制服先は本来明では無く北元で有るとの主張を推し進めてるが
その岡田の説を採用してる人は皆無だし岡田自身も学会は腐敗が激しく正統な主張を聞く場ではないと断言して
民間に向けて自分の著書で強硬に主張してる状態だと
流れ的に豚皇帝は明の皇帝だよな
最近出たティムール帝国本でもキタイに触れながらも明国でないと話が通らないと書いてあった
それにサマルカンドでの明の外交使節とのトラブルを見る限り、明としか思えない
>>195
どうだろ
「北元皇帝」や「ハーン」はチンギス統原理によって継承されるもんだから
「漢人が皇帝になる」という発想そのものがあるかどうか怪しい
だからこそキュレゲンなのがティムールなんだし
相手を「皇帝」「ハーン」と認めてるというのは
クラビホはキタイの皇帝がchuyscanと呼ばれていて
九つの帝国の意味であると書いてるけど
これは中国の総称である九州を指していて
chuyscanは九州のカンの音写だろうな
チンギスハーンをはるかに越えて、史上最大、空前絶後の英雄になってたな
一瞬の一代帝国の建国者としてもな
70で馬にもろくにのれなくなってからの死亡だから
あんまり夢は見られないな
とはいえ永楽帝に一撃あびせて北京を略奪するくらいは十分
明側が南に退避して持久戦にできれば寿命が尽きて明の辛抱勝ちって感じじゃないかな
その一撃が可能なのか?
永楽帝時代の明は強勢だぞ
おそらく可能というより普通に戦えば永楽帝に勝ち目はないと思われる
オスマンやジョチウルスの軍事的天才がそうだったように並の英雄でどうにかできる相手ではない
1代で大帝国を築き上げ、この世の栄華は思いのまま
しかし、齢はすでに70に迫り、体ももはや昔のように言うことを聞かない
そんな状態で、なぜ大遠征なとを実行したのか
凡人には理解できない英傑の征服欲のなせる技という話がよくきかれ
私もそんなふうに思っていたけど
ホントは、1代で大企業を作り上げた創業者のように
会社と部下やその家族のために、簡単に引退ができず
明遠征という新たな大事業を立ち上げて、仕事を作っただけだったのではないか
とはいえモンゴルでティムールと会戦して勝てるとは思えんので
大規模な焦土戦か南京で南明政権を一足早く立ち上げてしまうか、しかないかな
率いているのは永楽帝で、靖難戦争を戦い抜いた勇将勇卒ぞろいなんだけど。
ティムールがそれまで戦ってきたインドとかトルコとか、各ハン国の残党とかとは質量ともに核違い桁違いの相手だぞ。
火力でも明が当時最強だったんじゃなかろうか、つまり永楽が守りに徹したらヤバいよね
ただ永楽帝は中華屈指の名将だから寿命が尽きるまで耐え切れると思う
北部はとられるが耐え切ってティムール死後の後継者争いの混乱で北部を取り戻すみたいなのが一番ありそう
ピュロスの勝利の連続で撤退を余儀なくされたんじゃないかな
なんだかんだ言って宦官が色々やってるときですら、
北元や日本の猛攻を凌ぎ切ったわけだし、
満州の攻撃だって李自成が内部から国を崩壊させるまでは防ぎきってた
永楽帝の時点で無理
>>221
圧勝ってのは単に結果
どっかで致命的な破綻すりゃ実力拮抗した者同士の戦いでも結果としての圧勝は起こりえる
「戦果」は能力だけで左右されるもんじゃない
>>231
漢字そのものがなくなるだろ
単に元は中国植民地において漢字を使ってただけで
公用語はモンゴル語、その表記に使った文字はモンゴル文字で
これはアラム文字の流れを汲む表音文字で分類上はアルファベット