王が趙括起用したくなる気持ちもわかる
俺達は後世から見てるから廉頗に任せとけばって思うけど
ニュース
廉頗と実戦経験の無い楽乗を交代させる辺りが長平での趙括との交代と似ている
閼与の前にも廉頗に次いで諮問されてたりで、趙奢の台頭以前から趙では軍事の枢要に関わってたと思うんだけど
恵文王も廉頗(或いは楽乗)の意見を無視して
趙括を起用、秦との決戦に臨んだわけだし
対秦関係を巡る趙国内の主戦非戦論の対立は代々根深そう
戦国時代は歴史スカスカ、宮城谷小説とか読めばわかるけど
史記読んでもネタ少ないから苦労してはる
戦国時代は領土拡大のために情けや容赦の一切ない本気モードなのがしびれるあこがれる
秦は商鞅は失脚したがその後も改革の中身は継承したのが違いだろうね
斉は楽毅にやられる直前まで歴代の君主が勢力拡大、まさに富国強兵
楚も春秋後期の不振を脱して懐王が秦に大敗するまで衝天の勢い、東西南北いずれも国土を大幅に広げた
韓魏は秦に近かったため調子良かったのは戦国前期だが中期以降百数十年粘った
趙は恵文后孝成王の初期が全盛、北方西方の民族を制し巨大な版図を誇る、上党郡さえ保持できていれば…
燕は良く分からん。ただ北方民族との戦線を押し上げ朝鮮半島に勢力を拡大した国力はなかなか
宋もわりと頑張った
総評:秦ほどではないが、どの国も進化しており他の六国とは互角に、中小国and蛮族相手ならどんどん侵略できる
都市の大きさ兵力多さ桁違いだからね
長きに渡り興隆している印象がある
ただ秦が強すぎたんだ・・・
結局秦以外は春秋的な考え方引きずってて滅亡させて領土を取り込むって所までやりきれない感があるんだが
確かに領土化支配を徹底的にやる秦と比べると他国は及ばないかもな
しかし函谷関まで行く→帰るパターンはしゃーない
函谷関までは秦の植民地だが進めば本国、守りの堅さ背後を取られる危険性が段違い
合従軍は秦軍の東進を抑えて占領された旧自国領の回復するのが精一杯
vs秦限定だと力不足の一言に尽きる
(秦が比較的強くない頃は楚や魏が首都近郊まで迫ったが)
六国も七雄以外の勢力に対しては滅亡併呑を平気でやってるし
まあ秦もいにしえからの大国蜀の併合は鮮やかだったけど六国併呑はてこずったけど
北方に覇を唱えた最盛期
強大なる趙と恐れられ精兵数十万を易々と繰り出す国力を誇った訳だし
秦以外なら押し潰せるだろうな
でも趙括さん元帥はやった事無くても従軍経験はあったんじゃね?
実際そんなに若くないだろうし
一国じゃ秦に対抗できず対立して足引っ張り合って、最後は全部滅ぼされた
晋が最大強国だったのは春秋中期まで
末期は楚や秦の方が強国
だから、みんな君主の立場になってみたいんだよ。
経済学者としては優秀だが、いざ金を与えて株取引任せたら大損した
こういう事だね
趙括が駄目だった訳じゃなく、白起が凄すぎただけじゃないの
少し違うだろう廉頗のままでも相手はジリ貧でなんとかなるが
動いてほしかった動いてくれれば天才白起さんが働きやすい
それと長平より南方にいた白起が来たということは
それなりに秦に援軍がきて戦力が上がった可能性大
長平の秦軍大勝利は王コツが廉頗軍ボコってる間に
上党郡の大半を秦が確保したことがでかい
秦に兵站確保を許したのは痛手
長平はペナントでぶっちぎりの優勝が決まった後の消化試合みたいなもん。
秦の脅威を魏だけで抑えれていれば
北方に雄飛した趙なんかは中原を気にせず
漠北を席巻する超大国になったかもしれないし
この人たちの六国戦力削りが異常すぎた
それまで10万前後の損害なんか無かったのに
・敵は白起
・相手を上回る超大軍だが前任指揮官の連戦連敗後なので状態は悪い
・遠征かつ篭城中なので兵站線は厳しく本国でも兵糧が逼迫
・秦王が新たに徴兵した秦の大軍が長平に向かいつつある
趙括の目標:秦軍を破り、秦が進めつつある上党郡の領土化を阻止する
趙側は兵力を抑えるべきだったよね守りに入るなら
長平の守りは10万ほどでいいじゃん
えっ廉頗が守り切れない?そんなの知らん
廉頗の砦は王コツが普通に攻略していってるから兵力が少なければ危ないと思うな
昭王47年
4月 趙軍の副将茄が戦死
6月 秦軍が趙の2つの砦を落とす。趙軍は部将4人を失う。
7月 秦軍が土城を落とし部将2人を捕虜にする。 廉頗更迭
無理ゲー
>>261
やっぱ国力の差で負けた一将軍では済まなかったと思う
趙括は何も功績が無い
孝威太后→田単の流れで斉と友好関係を築いていたからこそ趙国史上未曽有の戦力を対秦決戦に投入できたのかも
まさかずっと宮廷で論戦無双してた訳じゃないだろうし
一応、武官待遇で出仕してたり、案外指揮官としてとして従軍したり拠点管理、兵站業務くらいはしてたんかね
その割になんか初戦で大敗みたいな書き方が気になるね
チョウシャが死んですぐにBC260年の上党への秦による侵攻が始まったのならちょっと不運だね
チョウシャが評価してなかったから一緒に従軍させてなかったのかもしれんね
司馬遷にとってもかなり昔話だし、史記に不自然なとこが散見されるのは仕方ない
趙に限っても…
刎頸の交わりで有名な上卿の力で秦は趙に手を出せなかった
→嘘つけ!広大な趙の西方領土はズタズタ、斉王建なみの対秦戦消極姿勢じゃねーか!
まぁ長いこと魏冉の近交(攻めないとは言ってない)遠攻策、
恫喝外交にガッツリはまって斉ばかり攻めていた趙に秦とガチンコ勝負する決断は出来ないかもだが。
趙括が廉頗から引き継いだ時の状況が気になる
・(たぶん前衛の?)砦が陥落する
・西の塁壁と陣地を守る趙軍敗績
・趙中軍の布陣する塁壁に秦軍肉薄
趙括軍の正面と西側に秦軍が布陣していたのか?
機動力のある軍を編成して王コツ軍を迂回→太行道を奇襲して塞ぐとかしないと…
西の河東郡からの攻撃もあるし。。
さすがに戦時で兵法の名家なのに、従軍していなかったというのは不自然だね
①趙奢の元で親衛隊の将校あたりを努めていたが、父の死後、一族に誇大に宣伝された
②斉や燕あたりに、千人ぐらい率いて、果敢な戦法で勝利をあげていた
③兵站、城防御、邯鄲での兵法の相談あたりで功績をあげていた
どれかだろうと思うね
趙のジリ貧をよしとし、大軍なのに打って出ようとしない
廉頗・藺相如に、田単・平原君あたりが不満を持ち、趙括登用に持ちかけたと思う
武霊王・田単・趙奢どれも積極策で勝っているからそこまでおかしい判断じゃないな
趙括は名声高い田単・平原君のために戦犯にされた節があるね
この二人が斉・魏・楚から援軍を得ることができなかったことと、
微妙な立場になっていた白起を秦からのぞけなかった外向的敗北だろ
外交に関しては無難に過ごした恵文期が仇になった感があるな
秦に押された分を苦境にある隣国、斉や魏を攻めて補うのが基本姿勢だったから
田単就任後は斉と休戦したけど代わりに燕を攻めた、実は味方がいない趙
穣侯時代から恫喝と僅かなアメを駆使して諸国を制御した秦の方がある意味信用できる
魏趙が単独でも結構粘ったくらいだし
真正面から散々痛めつけられ続けるも隙あらば他国と結んで秦に挑戦する根性は割とすごい
敗色濃厚となった段階で、消極的で臆病風に吹かれた老将をやっと罷免して、国運を背負った秀才青年将校が、乾坤一擲の投機的な戦いを挑んだってこともありえるんだな
で、百年に一度の名将を相手にしてしまったばかりに大敗し、兵をほとんどが殺されて、後世に汚名ばかりが伝わったって感じかもしれない
結果から判断されてしまったが、過程が見えると同情の余地はあるよな
代わりにストーリーが残ってしまう事が多いから考えても無駄なんだよね残念ながら
比較的時代が新しいと俗説では愚かとされていた人物が詳しく調べると実は違うとかザラだけど
こんだけ有名で重要な戦役なのに
趙括や廉頗の発言が一つも史書にないんだよな(父母コメより本人優先しろよw)
廉頗その後が気になる副将として本陣に残った可能性もあり?
個人的にこの敗戦は上党を取るという積極策、大軍、消極的な廉頗
趙国首脳が噛み合わせの悪い布陣を敷いた時すでに決まっていた感
馬服君は趙奢の事だけど既に死んでるから息子の事だろうって。
国運を掛けた大軍率いて寡兵相手にじり貧状態とか
趙の首脳部では確実に廉頗に任していたら近いうちに国が亡ぶって認識持ってたんじゃね
廉頗の戦いぶりは底辺レベルの評価だった可能性があるね
当然、現地から情報集めて戦況分析してただろうし
かなり長い間名声は失墜し権勢を失っていたから当時は戦犯の一人扱いかもしれん
>>299
孝成王が死去した後にも将軍を交代させられた事を思えば廉頗って敵を作りやすく趙では嫌われていたんじゃないかと思えてくる
>>301
刎頸の交わりで藺相如との溝が完全に埋まったとは限らないしね
廉頗が趙国内でどういう政治勢力を代表していたかが問題になる
恐らく廉頗は権臣、かつ中山地方の有力豪族出身の可能性高いし
悼襄王は対秦反撃に李牧等を起用したし采配が特別おかしい王じゃない
交代した楽乗の格は十分、後世廉頗の謀反は同情的に語られるが真相は如何に
楽乗からしたらほんと、とばっちりだよなw
廉頗は宮廷派とは対立してた派閥の領袖だった可能性はありそうだな
そんで趙王の側近で反廉頗派の論客だった趙括が、廉頗の追い落としに成功したらそのまま軍を引き継いだと
この時代なら文官が軍を率いることもありそうだし、趙括司令なら宮廷周辺の意向も通じやすい
案外、趙括の以前の軍歴が不明なのは親父の軍功で宮廷貴族化した趙家を引き継いで宮廷につかえてた文官で出自と歴戦の軍人をも論破する机上最強の弁舌から、軍事に精通した文官だと思われてたのかも
まあ実際に他の人は使いこなせてないしな
>>317
趙奢や藺相如を抜擢したのも恵文王だし、廉頗も恵文王の時に将軍になったし
まあカツ丼牛丼親子丼ときて海鮮丼みたいなやつだね
海鮮丼を馬鹿にし過ぎだろ。俺もあんま好きじゃないけど
・嚢中の錐では有能な食客の能力を見落としてるし(その食客のおかげで趙楚同盟締結)
・信陵君が身分の上下に関係なく有能な人物には低姿勢なのに平原君は上辺だけって喝破されて自身の食客からも見捨てられたリ
・秦に滅ぼされそうなのに贅沢三昧して軍人に苦言呈されたり
・韓が上党郡を引き取ってくれと言ったらホイホイ引き取って秦の侵攻を招いたり
ほんとしょーもないよねw
郭開「現実主義者か、ワイと藺相如は同類やな」
こう見ると、平原君って信陵君と比較されてdisられる傾向があるんだなあ
趙の宰相とか重職を歴任して割りと趙王と仲が良かったっぽい平原君と合従軍で秦を打ち破ったけど兄の魏王に疑われて事実上の引退に追い込まれて酒毒で死んだ信陵君
国益のぶつかる敵国に嫌悪される人間、これは秦側メインのエピソードで存在感がない藺相如たち他の趙臣より手強いと思われてたんじゃないかな?
藺相如は経歴から察するに連衡派よりでしょうたぶん
>>327
推察の通りだと思う。
藺相如はこんな感じだと思う。
…完璧のエピソードや、秦の昭王(昭襄王)に酒器をたたかせて趙の面目を保ったエピソードが燦然と輝いているけれど、商鞅⇒張儀⇒甘茂⇒穣侯(そして長平の戦いのB.C.260年には范雎もいる)と、敵ながら秦の脅威を十分理解していた賢者。実際、完璧のエピの前後はいくつか城を攻略されていたから、十五城との交換を断るのを得策じゃないと考えた現実主義者ってところ。
廉頗は、秦にはからきし勝てていないイメージが強いが、燕や魏には勝ち続けている。相性もあるのかな。長平の戦いは2年の長期戦で、逸を以って労を待つといった感じで語られることも多いけれど、秦はすでに遠征に耐えられる領土を確保しつつあったし、趙本拠から地理的にも離れていることもあって、籠城するしか手はなく白起とガチンコで戦ったらどうなっていただろう…、分が悪かったかなとも思う。(趙括が45万の犠牲者を出して惨敗したから、廉頗の持久戦が評価されてしまった感はあるかも。)
平原君。戦国四君でも抗秦姿勢を貫いたのは確かだろうけど、司馬遷も言う通り時勢を見極める眼は持たなかったというのが当たっているだろう。食客の数あるエピソードも残念賞ばかりだ。
郭開「現実主義者か、ワイと藺相如は同類やな」
ほんまに宗家潰すなんて地下の先代泣いてるだろうな・・・
趙って国自体に問題があるよなぁ
廉頗は追放
李牧は処刑
救いようがない
楽乗「廉頗=サン、貴方は追放じゃなくて自業自得の出奔ですよ!」
武霊王の時がピークだったんだろ
達人伝とかキングダム見ると武霊王の後の王様は暗君ばかり
>>405
武霊王の息子、恵文王は名君だぞ
藺相如・廉頗・趙奢を抜擢して活用し趙を守った
趙が暗君だらけになるのは恵文王の後
統一した秦だって始皇帝死後は
李斯、蒙恬処刑して滅亡に向かってるしね
人間のやることだから完璧な国家なんてないよ
>>351
逃げ帰っていたら、母親や一族の命は助かっても、本人は処刑の憂き目に合うか、秦との戦いでは使えないと対燕戦へと配置替えだったかもな。
45万の趙兵が、数百の年少さんだけ帰らされて、あとは穴埋めでほぼ全滅だもん。
藺相如も重い病がさらに悪化して、多くの兵士とともに亡くなったような感じだろう…。
そんな中でも、趙の衰退を目にしながら、さらに10年余りも戦い続けた廉頗と楽乗などは大した人物だよな。
廉頗結構高齢の割には黄忠ビックリの老いてますます盛んの老将
刎頸の交わりの時には藺相如が先に逝くとか想像できん
でも実際はそれなりに実績を積んだ上での抜擢だったのではと思うけどね
なによりまずいのは廉頗が更迭されるや軍法からなにから変更させてるところかなとも
それまで慣れていた兵士も居心地の悪さや動揺はあったろうし
昔の大軍勢ってのは逼塞したらみるみるモラル低下するから危うい衛生環境最悪だし
近代の国民革命軍すら主力温存図って退却しまくってたら将兵が美帝最新兵器担いで逃亡が仕事の無能と化した
廉頗軍の死者と逃亡者の多さは重臣廉頗の信用を失墜させるレベルなので軽視はできない
古代中国の秀才は単に文系の丸暗記だから、兵法書丸暗記してても優秀とは限らないし、親子で兵法論議というのも尾ひれが付いてるだけで、実際はより丸暗記できてただけかも知れないし。
韓信も丸暗記出来てたらしいけど、用兵の巧みさとかは完全にセンス。
最終的な地位は丞相府の参軍(参謀スタッフの1人)でしかなかったし
>>402
いやいやいや、馬謖は郡太守の経験があるから
実務経験ちゃんとあるから
その上で劉備が孔明に注意したという話よ?
それはともかく、長平の戦いは趙が魏・楚を味方に引き込もうとしてたことを
勘案しなきゃダメなんじゃね?
一度は魏・楚を引き込むのに失敗したけど、それで両国と没交渉になることは
ありえないわけで
「趙一国でも勝てる!」と行く訳ないから味方増やしたいんだしね
個人的には、特に魏に対する交渉材料を作るために、帥将交代があった可能性を疑ってる
廉頗の戦功って魏相手が大半なのよ
魏からすれば、そんな大将と共同戦線張るのは難しいでしょ
まあ、これが交代の理由のすべてということは絶対にありえんけども、理由のひとつとして考えるのはアリだと思う
廉頗は負けなければいいとわかってた
趙括は勝つことしか考えてなかった
戦の駆け引きを経験で理解してるかどうかの差だね
殷周は明らかに北西部の山地を拠点とする異文化勢力に手こずった
押し込まれることもしばしば
あとチベットに広大な異文化圏が存在することからわかるように中華王朝は西部の山岳を拠点とする勢力に代々苦戦しているよ
攻め切れないだけでなく大敗することも多かった(唐vs吐蕃とか)
朝鮮もその類いで侵攻しても結局征服できず撤退に追い込まれがち
険阻な山や丘陵地帯に築いた要塞で守り切るのはテンプレだが数が多いと逆効果なんだよね
補給出来ない上に本国から援軍を送りにくい
長引くと確実に物資が枯渇するのでタイミングを見て撃って出る必要がある
>>414
山岳地帯を活かして何回か魏軍を撃退している