室町時代

【室町幕府】義尚が長生きしてたらどうなってたかな?明応の政変的なことは起こったんだろうか?

2022年5月2日

133: 名無し 2008/11/08(土) 04:30:02

義尚が長生きしてたらどうなってたかな
やっぱり明応の政変的なことは起こったんだろうか

 

134: 名無し 2008/11/08(土) 12:37:07
山城で細川政元が後ろ盾になってる一揆と
おもいっきり戦ったりしてるからねえ>義尚
どっちが勝つにせよ、いずれ対決は避け得なかったかと。

 

ニュース


155: 名無し 2009/01/24(土) 17:52:30

個人的に興味がある室町将軍は、
10代義稙と11代義澄です。

義稙は明応の政変で、細川政元らに将軍の座を追放されたにも関わらず
将軍復位を果たしている。その不屈の精神を見習いたいです。

義澄は、異母兄茶々丸に母と同母弟を殺されながらも、自分は難を逃れ
明応の政変で上記義稙(当時は義材)に代わり将軍になっています。
人生って塞翁が馬の典型例です。

義稙・義澄・政元らを登場人物として大河ドラマなどにしたら、
面白いと思いますが。

 

159: 名無し 2009/02/10(火) 15:13:48

>>155

義材は面白いですね

 

160: 名無し 2009/02/10(火) 15:50:30
義材の不屈の精神はどこから来るものなのか知りたいw
足利将軍は基本的にバイタリティ溢れる人間が多いけど、
その中でも特筆すべきバイタリティだよねw

 

161: 名無し 2009/02/11(水) 17:27:21
足利 義材って今風の名前だよな
まあ材じゃなく今は樹の方を使うけど。
足利 義樹
Ⅹジャパンみたいだね。
きへんの漢字は大体「き」って読めるもんな。
きへんの中でも材は人材・材料とか
いい意味の有能な「き」だから名前に採用されたんだろうな。

 

162: 名無し 2009/02/12(木) 12:00:15
『材』で「き」と読ませたり
『維』で「つな」と読ませたり
独特なセンスだな。足利一族は

 

164: 名無し 2009/02/12(木) 23:17:08
>>162
徳川家だってイエシゲとかヨシヨシ、ヨシフクって
読んでしまう名前があります。

 

168: 名無し 2009/03/21(土) 01:09:10
>>164
ヨシフクって誰だろ。
無理矢理でもそう読めるのは家茂の初名慶福があるけど
福のフクは音読みだから違うしな。
膨、含、吹、拭、噴、葺、、、

 

169: 名無し 2009/03/22(日) 21:04:24
>>168
福の訓読みって何?

 

170: 名無し 2009/03/24(火) 00:56:26
>>169
字義から浮かぶ常識的な読みは
さち、さき、よし、とみ
だいたいこんなん。
マイナーな名乗り読みは自分で調べてくれ。

 

163: 名無し 2009/02/12(木) 12:46:29
「義熙」とか、「義遐」とか
読むほうからすればほとんど嫌がらせに近いw

 

166: 名無し 2009/03/06(金) 03:46:41

足利義「秋」
足利義「冬」

春と夏は?

 

167: 名無し 2009/03/20(金) 23:22:22
春→義晴
夏…

 

171: 名無し 2009/04/06(月) 15:53:21
義量とか義栄あたりが読みづらいか。

 

174: 名無し 2009/04/15(水) 08:37:24
義昭と書いて「ぎしょう」と読む坊さんがいたな。
義教の籤引きのときは還俗してたはず。

 

175: 名無し 2009/04/15(水) 15:44:11
>>174
いろいろあって薩摩まで逃げたりした。

 

176: 名無し 2009/04/16(木) 05:21:16
義昭の兄弟の周こうは殺されたんだっけ

 

177: 名無し 2009/04/23(木) 14:02:47
>>176
義輝が討ち死にして直ぐに殺害された

 

187: 名無し 2009/06/12(金) 00:28:19
>>177
殺しに行った武将が、御付きの小姓に殺されたんだよな。かなり凄腕

 

180: 名無し 2009/06/01(月) 22:14:39

8代義政

応仁の乱の原因をつくり、幕府弱体化を招く。
戦国時代の遠因を作った将軍。
9代義尚
幕府権威回復を目指すも、近江六角征伐中に陣中死。
10代義材(将軍再任後は義稙)
明応の政変で失脚するも将軍に復職した不屈の人。
11代義澄
細川政元の傀儡で終わりました。堀越公方の息子。
12代義晴
印象ナシ
13代義輝
剣豪将軍、松永久秀に暗殺される。
14代義栄
印象ナシ
15代義昭

信長に担がれて将軍に、後追放され最後の将軍となる。

 

 

181: 名無し 2009/06/02(火) 07:31:48
義輝は暗殺されたってレベルじゃないがな
普通に攻め込まれたというか、公然と殺された

 

183: 名無し 2009/06/07(日) 06:42:17
義晴は個性的な義輝義昭兄弟の親父なイメージしかないな。
あと、のぶやぼだと何故かそこそこ優秀。

 

184: 名無し 2009/06/07(日) 10:46:46
義晴は自分の名前を売りまくって
末期足利幕府の財政をそれなりに潤した人なんだぞ

 

188: 名無し 2009/06/17(水) 15:52:15

足利義教を描いた
岡田秀文の「魔将軍」が文庫化されたので読んでいるのだが、
出てくる義教は、たいして「魔」でも狂気の将軍でも無いのがアレだな。

タイトル負けというか、タイトルの方向性は間違えてる感じ。
内容は、この時代に興味のある人間には悪く無いけど、そうで無い人間には
ちょっとわかりにくいかも。

 

189: 名無し 2009/07/02(木) 15:35:25
どんな人物像なの?

 

190: 名無し 2009/07/02(木) 16:21:20
>>189
将軍の主権確立の為日々がんばるけど
目的意識が強すぎて多少周りが見えていない。
こんな感じ。一言で言えば生真面目。

 

194: 名無し 2009/08/05(水) 15:36:35
義教は生真面目というより やはり狂気だよね。

 

195: 名無し 2009/08/05(水) 17:59:37
狂気と理性が危ういところで融合している感じだな。
非常に頭がよかったのは伺える。

 

196: 名無し 2009/08/21(金) 15:03:51
周りは彼の狂気を、将軍になる前に見抜けなかったのか

 

197: 名無し 2009/08/21(金) 23:03:31
何せ籤だから。しかも割合まじめに籤引きされた。

 

198: 名無し 2009/08/22(土) 16:26:54
くじ引きといえど御神託は逆らえば、天罰がこわい。
この時代、庶民のあいだでは「湯起請」が大まじめに行なわれていた。

 

208: 名無し 2009/09/18(金) 01:07:10
吉川弘文館から出た、日本の中世シリーズの、山田邦明先生の「室町の平和」、
いま読み始めているところだけど、かなり面白いよ。

209: 名無し 2009/09/29(火) 15:19:09
そうなんだ、内容少し教えて

 

210: 名無し 2009/09/29(火) 19:23:53

>>209
あまり語られない
足利義詮~応仁の乱前夜までの室町時代を解説してる。
んで、室町幕府というものの構造の転変や
当時の社会の仕組みなどを詳しく説明してる。

戦国期にいたる流れを知るにはかなり良い本かと。

 

211: 名無し 2009/10/10(土) 15:41:51
面白そうだね。

 

212: 名無し 2009/10/26(月) 15:55:29
不屈の義材が面白い
ただ争いが将軍家を衰退させる原因とはなったが

 

213: 名無し 2009/11/10(火) 15:03:22
義政が悪いのさ。

 

214: 名無し 2009/11/18(水) 20:25:59
足利将軍家の日常生活って、
どのような一日を過ごしていたのだろうか?

 

215: 名無し 2009/11/19(木) 08:27:32
昼間から大酒飲み競い合い吐きまくりの日々
自分の来世の心配をしてお経読む
息子も酒飲みまくりで体を壊して早死にするから息子に禁酒令

 

222: 名無し 2010/01/06(水) 22:27:20

10代将軍足利義材は再就任した時、義稙と名乗った。
しかも結構長生き。

 

224: 名無し 2010/01/07(木) 23:38:32
>>222
第10代足利義材
第11代足利義澄
第12代足利義稙(再任-元義材)

 

226: 名無し 2010/01/14(木) 11:34:12
>>224
その数え方は等持院準拠か? 教科書では12代は義晴となってるはずだが。

 

227: 名無し 2010/01/14(木) 16:53:03
>>224
義材(復職後義稙)は2回将軍になっているが、2回目は代数にカウントせず、
第10代の表記が多いよね!

 

228: 名無し 2010/01/14(木) 17:30:44
>>227
天皇は重祚した場合代数にカウントされてるね。
内閣総理大臣もかな。

 

225: 名無し 2010/01/08(金) 06:19:57
義材(義稙)って唯一2回将軍になった人だよね。

 

229: 名無し 2010/01/22(金) 00:44:50
>>225
義材(義稙)
2回将軍になっているということは、その人生にドラマがありそう。

 

232: 名無し 2010/02/13(土) 06:24:53
足利将軍と室町殿ってのは別物らしいね

 

233: 名無し 2010/02/13(土) 17:10:44
>>232
いまさらな話ではありますが。
義持が将軍に復位することなく権力を行使したのは有名。

 

234: 名無し 2010/02/14(日) 00:43:12
>>232
天皇と「治天の君」の関係とほぼ同じ

 

236: 名無し 2010/02/18(木) 21:52:39
日本昔ばなしに出てくる話は、なぜか室町時代に感じてしまう

 

237: 名無し 2010/02/18(木) 21:55:47
お伽草紙とか昔話の元ネタの多くが、室町時代の本だからな。

 

238: 名無し 2010/03/14(日) 07:35:00
東山文化もそうだけど 文化面で今の日本と直結してると言われるね

 

240: 名無し 2010/10/31(日) 06:52:18
まだ妖怪がたくさん住んでたんだよ。

 

241: 名無し 2010/10/31(日) 13:19:59
妖怪というか、霊的な世界が現実の世界に大きく影響を与えていた。

 

242: 名無し 2010/11/13(土) 21:28:50
足利て栃木の出でしょ?

 

243: 名無し 2010/11/13(土) 23:36:05
元は河内源氏だから猛虎魂を内蔵した一族だね

 

259: 名無し 2011/10/31(月) 16:56:58.61
室町から指示出せた将軍て、数少ないんだろ?

 

260: 名無し 2011/10/31(月) 18:52:16.21
少ないねえ。
一般には義昭が信長に京追い出された時を室町幕府滅亡の時とされてるけど、
時の実力者に将軍が京から追い出されるなんて毎度のことだったわけで
ぶっちゃけ当時の民からしたら
「またかよ。次の帰り何時になるかわからねえけど将軍様乙」
って感じだったんじゃねえの。
庶民の認識としては室町幕府が終わったなんてその当時は考えてもいなかったと思う。

 

261: 名無し 2011/11/01(火) 09:45:20.25
一度も京に入ってない14代義栄もいるしな
義昭は鞆幕府のつもりだったのだろ
出家するまで将軍職を辞職してない

 

272: 名無し 2012/08/05(日) 06:59:45.87
日本んを戦国時代という
大内戦時代にした
今でいうところの失敗国家にした
最悪の足利家

 

273: 名無し 2012/09/03(月) 21:22:04.48
>>272
どちらかといえば、日野冨子が悪いよ。
あれが義材を捕まえて廃位してから余計おかしくなってるんだから。

 

274: 名無し 2012/09/03(月) 22:39:58.75
室町幕府中枢全体が病んでたのでは
足利家と日野富子のどっちが悪いとかいう比較に意味がないくらいに

 

275: 名無し 2012/09/04(火) 19:11:04.98
>>274
一応明応の政変までは
どこかしら将軍を立ててたけど、それ以降はねぇ…。
足利義稙も、最初は命令書だが
あとは要望書みたいな書き方になってるし。

 

277: 名無し 2012/09/28(金) 12:23:12.35
権威・権力の脆弱さは
結局のところ尊氏が協力してくれた武家に大盤振る舞いしすぎたのが原因なんかね?

 

278: 名無し 2012/09/28(金) 19:38:42.16
弱小勢力が神輿にされただけだから

 

279: 名無し 2012/09/29(土) 09:16:27.79
尊氏が権力を掌握しきれなくても、
義満がその気になれば、相当なところまで行けたはずだ。
義教で中央集権国家完成!は無理か

 

283: 名無し 2012/12/04(火) 01:14:35.08
>>279
義満は土岐山名の守護国は削いだけど
それを他の守護大名に分配したからなぁ。
直轄領を増やさない事には中央集権は無理だろう。

 

280: 名無し 2012/10/15(月) 01:42:42.45
せっかく日明貿易で稼いでも守護大名の力を削いでも
パパ大嫌いな足利義持がなかったことにしそう

 

281: 名無し 2012/10/17(水) 22:00:03.33
義持は義満の貴族趣味が嫌いなだけで
義満の路線を全否定した訳じゃないぞ。

 

284: 名無し 2012/12/04(火) 04:22:40.11

でも別に中央政権がジャスティスって訳じゃないし
地方分権でもいいんじゃねぇかな

人口が多く、経済文化の中心地で
朝廷を押さえている京都を中心に畿内が将軍家のもんであれば

つーとやっぱり六角征伐の途中で義澄がぽっくり逝っちゃったのがなぁ
将軍家の軍事力が霧散しちまって畿内に睨み効かせられなくなったし
そもそも将軍家が京都に居ずに流浪するのがデフォになって……

 

286: 名無し 2012/12/05(水) 03:22:43.79
義教が守護大名の粛清に成功していたら
安定した体制になったかもしれん

 

287: 名無し 2012/12/05(水) 08:51:52.92
義教の性格が安定してないからw

 

288: 名無し 2012/12/05(水) 11:48:05.48
たしかに問題はそこだよな
嘉吉の乱も義教のやり方が極端だったせいて起きたわけだし
ただ鎌倉公方や寺社勢力への対応など
基本的な方針は間違っていないと思う

 

289: 名無し 2012/12/06(木) 00:23:08.79

鎌倉公方を基氏系による継承にしたのが間違いだった。
そりゃいつかは敵対するのが目に見えてる。

六波羅探題みたいに一定年数毎の中央からの派遣制にすべきだった。

 

290: 名無し 2012/12/09(日) 18:03:12.55
3代目で絶頂期とか早すぎだよな
義満の頃は打つ手打つ手が面白いほど決まってたのに
どうしてああなった

 

298: 名無し 2012/12/20(木) 20:08:05.69
>>290
その義満が強すぎたのがよくない。
それを息子が反発して、
義教の暗殺でかなり揺らいでしまって、義政が投げやりになって、
義稙が将軍解任されて流浪し始めるあたりでほとんど詰んだと思う。

 

299: 名無し 2012/12/21(金) 00:19:38.49

>>298
かといって仮に義満が凡庸だったら幕府が潰れてたかもしれんし
そのへんの匙加減は難しいな

よく指摘されるけど、室町幕府の脆弱性はやはり尊氏が蒔いた種だよ
あまりに大きく育ちすぎて子孫が刈りきれなかった

 

291: 名無し 2012/12/10(月) 08:25:05.05
鎌倉幕府も江戸幕府も初代が頂点だぞ。

 

294: 名無し 2012/12/14(金) 01:01:29.48
>>291
鎌倉は執権が頑張った(というか殺りすぎた)し
源氏将軍は3代までだから妥当じゃないか

 

295: 名無し 2012/12/14(金) 21:32:16.94
>>291
組織完成機は家光の時代
最盛期は綱吉の時代と見るのが普通だわ

 

297: 名無し 2012/12/19(水) 09:07:31.27
>>295
だよね。

 

300: 名無し 2012/12/21(金) 08:51:20.29
初代からして世間を巻き込む兄弟喧嘩してんのに、
鎌倉公方なんか置いたから...

 

308: 名無し 2013/01/02(水) 19:14:30.10
>>300
鎌倉公方置かないと関東が南朝方もしくは大乱になるんじゃ?
当時の判断としては正しいと思う
義満さんの南北朝合体時に東国に移るか
鎌倉公方を廃するかして強力な中央集権にしてたらもしや…

 

301: 名無し 2012/12/22(土) 19:29:46.83
でも関東に幕府置いたら鎌倉幕府に逆戻りで
京都に幕府置いたら御覧の有様だよ!だからどのみち詰んでるとしか思えない
東西の亀裂は兄弟喧嘩がなくても起こりえただろうし

 

302: 名無し 2012/12/22(土) 23:25:03.29
いや、南朝が無ければ鎌倉に幕府を置いていただろう。
結局、南朝の軍事力を牽制するには拠点を京都に置かざるを得なかった。

 

303: 名無し 2012/12/23(日) 02:24:15.58
いや経済や社会構造が西国を中心に変化し始めている以上
南朝を打倒したからって鎌倉に幕府は置けなかったろ
悪党や寺社勢力を無視・不干渉を決め込んで鎌倉に引き籠もるならまだしも
でもそれやったら鎌倉幕府より衰退してる罠

 

304: 名無し 2012/12/23(日) 13:32:11.70
じゃあ、なぜ家康は江戸に幕府を開けたのじゃ?
足利は三河に縁があったから、あの辺でもよかったんじゃないか

 

305: 名無し 2012/12/23(日) 17:42:58.89
三河に本拠置いちゃうと
関東と京周辺二箇所抑に大規模な出張所置かにゃならんくなるから

 

306: 名無し 2012/12/23(日) 19:07:40.32
江戸時代までいくと貨幣経済も東国まで浸透してるしな
品川の当たりは商業地域だったし

 

309: 名無し 2013/01/03(木) 10:49:01.02
足利氏満なんかは
鎌倉公方の存在感を示すために小山氏を挑発して
小山義政に反乱を起こさせたとも言われているな。

 

312: 名無し 2013/01/10(木) 14:00:59.92
>>309
あれで小山の嫡流滅亡になったのはやりすぎの感もあるが
名族で所領広い以上、狙われるのは避けようがなかったのかねえ

 

313: 名無し 2013/01/11(金) 00:48:28.79
>>312
小山は滅びぬ
何度でも蘇るさ

 

310: 名無し 2013/01/08(火) 19:40:25.46
歴代の鎌倉公方がなまじ優秀だったために京都に目をつけられたのが運の尽き

 

311: 名無し 2013/01/09(水) 01:43:33.65
だって早くも2代目にして幕府に従う気ナッシングですもの

 

314: 名無し 2013/01/13(日) 21:20:35.69

交通網も通信網も発達していなかった武家政権では東国と京都を一つの組織が一元化して統治することが出来なかったからその克服に頭を悩ませた。

室町幕府と類似した体制を取って結局滅亡してしまった豊臣政権と比較すれば、鎌倉公方に上洛を許さなかった室町幕府は意外と優秀だったとも言えなくもない。

秀吉=足利将軍
家康(一応妹婿)=鎌倉公方
佐竹・上杉=関東扶持衆

 

319: 名無し 2013/11/14(木) 18:05:49.81
>>314
京と鎌倉がいざ開戦と成ったら
関東管領以下守護大名達はほとんど京方につくから
鎌倉府に伺候していても
本当の主君は鎌倉殿ではなく室町殿ということだろ

 

321: 名無し 2014/01/03(金) 02:46:32.85

足利が京都に幕府を開いた最大の理由は
朝廷の首根っこを押さえることだったろう
室町時代が始まる頃までは
まだ二頭政治状態で朝廷の所領や力もそれなりにあって
武家政権への対抗心も強かったからな

現に後醍醐天皇みたいな強者が現れて鎌倉幕府が滅ぼされたわけだし
室町幕府は鎌倉幕府の二の前にならないように京都に幕府を開いたんだよ
後醍醐天皇は実権のあった最後の天皇だったけどね

鎌倉幕府が開かれて
すぐ全権が幕府に移行したと勘違いしてる人が多いけど
実はそうじゃないんだよな
外交権は朝廷にあったし当初はまだ幕府に劣らないほど朝廷の力も強かった
みんな勘違いして覚えてしまうのは学校の教科書や教え方に問題があると思う

 

316: 名無し 2013/03/03(日) 16:45:27.65
義量と義勝と義栄
一番空気なのは誰?

 

317: 名無し 2013/08/24(土) NY:AN:NY.AN
義量 酒の飲みすぎ
義勝 細川家の跡継ぎに一文字与える
義栄 堺公方?だったっけ?

 

336: 名無し 2019/03/15(金) 18:00:18.43

室町幕府第4代将軍・足利義持
no title

室町幕府第6代将軍・足利義教
no title

 

337: 名無し 2019/03/15(金) 18:05:34.70
足利義栄
no title

 

341: 名無し 2019/05/10(金) 11:59:05.17
徳川慶喜が15代だったな
徳川将軍家と同じ代続いたと思うと意外だ

 

342: 名無し 2019/05/10(金) 13:34:06.54
いや天皇の代の数え方と同じにするなら
足利将軍家は16代(15人)だ

 

344: 名無し 2019/07/23(火) 12:37:36.98
足利家の姫君っていたのかな?
婚姻政策が盛んな時代なのに話題にならないよね。

 

346: 名無し 2019/11/28(木) 15:35:53.38
そういえば聞かないなとおもってwikiみて驚いた
足利将軍家の姫って、幼少から出家させられる人が多かったみたい
そういえば男子も跡継ぎ以外は僧侶にさせられたし
かなり厳しいな 南北朝時代は家督争いばっかりだったからかな

 

347: 名無し 2019/11/28(木) 16:36:09.04

>>346
姫は嫁がせたらいいのにしてないのが理解に苦しむ。

男子の方は、後継争いを避けるのと
仮に武士としても分ける領地が無いからじゃないか?

 

最新記事

© 2024 知識の城 群雄割拠 Powered by AFFINGER5