40代が近づくと「ああ、そろそろ人生も後半かな」などと感じる人もいるかもしれません。ですが、今は人生100年時代。まだまだ未来の可能性は無限にあります。
それを体現しているのが、北条早雲。今よりもずっと寿命の短い戦国時代において、なんと55歳から活躍をはじめて戦国大名になったという超大器晩成の人物です。
もちろん現代とは「時代が違う」わけではありますが、彼の生き方には今にも通じる普遍的な「大器晩成のヒント」がちりばめられています。北条早雲とは、いったいどんな人物だったのか、『超訳 戦国武将図鑑』などの著書を持つ富増章成氏が解説します。
無名の人物から最初の戦国大名となった北条早雲
定年やら年金やらに思いを馳せたり、急に新しいこと(英会話など)を始めては挫折したり……。40代以降というのは迷走しがちな、なかなか難しいお年頃です。しかし、北条早雲は、55歳になってからメキメキと力をつけていき、なんと無名の武人(単なる浮浪人という説もある)から、戦国大名になった人物です。今でいえば、平社員がいきなりベンチャー社長になり、あっという間に成功、関東圏を制覇したというような感覚でしょうか。
北条早雲は、最初の戦国大名とされています。しかし、40歳までは何をしていたのかまったくわかっておらず、その出自も不明という謎めいた人物です。もともとは伊勢新九郎(いせしんくろう)、宗瑞(そうずい)という名でした。ちなみに、鎌倉時代に執権の北条氏が権力を握りましたが、その「北条」とはなんの関係もないので、「後北条氏(小田原北条氏)」といって区別されています。
歴史学者の「定説」は学者が代がわりすると変わるんだぜ
天道あかねの親父じゃねーか
北条早雲、斉藤道三、羽柴秀吉ぐらいか?
備前の国伊勢盛定の三男って言われてない?
本名は伊勢新九郎盛時
北条早雲は、備中葦原庄(岡山県井原市)出身、室町幕府執事伊勢氏の一族
で当人も幕府役人だったことまでは
分かってるだろ
織田信長の親父も結構アレ
親父さん(信長の祖父)が勝幡城主で尾張半国守護代の重臣として仕えてたから万石クラスの家柄だと思うが
一応第二次上田では親父の下で戦ってたらしいわ
高学歴者の家庭は貧困が少ない程度には人生の初速が違う
そうだよね
伊勢氏本家は政所執事の家だし、盛定の家は伊勢氏本家とも仲良かったらしいし
国持になったのはすげえよとは思うな
そして朝廷に一切従わない坂東武者としての生きざまよ
50前から興国寺城貰ってたけどね
今川氏親から
守りの要として
う~ん、名門の坊っちゃんが姉助けに駿河に下向しただけってイメージ
伊勢盛時の時の伊豆も相模も一応今川領扱いだし
だから、今川の全盛期は義元時代じゃなくて氏親時代とも言われるね
早雲が総大将で実行した松平侵攻は失敗しているけど
松平清康は盛時を撃退してるんだな。清康が長生きしていたら家康ももっと高い位置からスタート
できただろう
人生100年時代の日本には刺激になるテーマだと思う。大河でやらないの?
多分、エリートスタート過ぎて大河にしてもね
上杉、武田、今川、徳川などいろんな勢力と絡んでる分、脇としては使いやすいんだろうな
歩いて日本地図を作った伊能忠敬が凄いだろ
ヨーロッパ人が驚くほどの精密さだったからな
日本は時代の転換点で天才が出る国やな
国内限定の小さな天才が、なw
噛み付くつもりはないけど世界的にみても傑物はぼちぼち出てるだろ
日本人が日本人を正当に評価しないのもある意味民族的な精神疾患かも知れんよ
司馬遼太郎の国盗り物語はそれだったと思う。
国盗り物語は坊主→京都の油売り→美濃に行って一代でのしあがった説だぞ
年末に時専でやってたから全部見ちゃったわw
の政所執事(行政府の最高ポスト)を代々務める名門の家柄。
若い頃から奉公衆として出仕していた。今川家で後継を巡る内紛が起きたとき、姉(または妹)
が今川家に嫁いでいた縁で派遣される。戦国PKOといったところか。これが初陣だったようだ。
その後は今川家臣として活躍。氏親は甥に当たる。
若い頃からエリート武将としてキャリアを積んでいて、その結果一国とったのが50過ぎで、いきな
りそうなったわけじゃない
そもそも姉が正室として今川に嫁げる時点で名門って分かるよなw
どの時点かで幕府を完全に裏切ってるはずなんだよなぁ
足利義視が失脚した時点だね
でも、細川政元とは繋がってた
細川政元、この他に長尾為景とも繋がってたらしい
ぶっちゃけ細川政元がフィクサー過ぎる
その後、北条が御相伴衆になってるから伊勢氏の流れだと思うし
早雲の6人の重鎮はことごとく備前国の名字の人ばっかって言う研究結果がある
早雲ってゆーくらいだから伊勢氏じゃなく出雲系じゃねーのか?
詳しく書けば伊勢宗瑞庵早雲
出雲とは何の繋がりも無いと思うよ
ある意味自分が雲のように流れ流れてってイメージだと思う
>>64
すくなくとも大道寺は宇治田原じゃなかったっけ
他は多目以外マイナーでわからん
他の重臣だと松田、遠山、福島→玉縄北条、清水、笠原、太田が思い浮かぶけど
備前に縁ありそうなのは松田くらい?
松田氏の本願の地は神奈川県の小田原市がある足柄平野の北端の松田町
松田氏は秦野市を拠点にした波多野氏の支流で備前の松田氏は南北朝時代に
後醍醐天皇方についたときに賜った領地で一族の一部が移住した。
元々西相模土着の一族だから早雲が小田原に進出したときに備前に移動しなかった本家の人間が
本領安堵で取り込まれたのかと。
北条早雲は素浪人説で書いていて
なのに素浪人の妻が今川の妻なので
子供ながらすごい違和感を感じたのを覚えている
その子供の勘に間違いは無かった訳だ