・折角の理念も政治的社会的状況から解離してると意味が無い
・法は結局は人が過去の経験から定めた社会的ルール(宗教的妄信は反って害になる事もある)
>>626
ラテンアメリカの歴史で顕著な傾向
人民投票・発案は、地方自治レベルの方が無難
ビスマルク後でも、帝国宰相の在任期間は、そこそこの長さだな。
第二次大戦後の、東西ドイツの首相の在任期間も長い。
ワイマール体制での首相の在任期間の短さが際立つ。
どうして、すっきりと大統領制にしなかったんだ?
ある意味、首相が大統領の人心御供だった面もある
んでもエーベルトはえらい死に方してる気がするんだが。
現在のベルリンのエーベルト通は彼から来てるのか?
>>642
あのゼークトが一応認めていた位だからねぇ。
通りは本人か東で市長やってた息子かのどっちかだと思うけど分かんない。
(フリードリヒ)エーベルト通りは分裂時代はオットー・グローテヴォール通りだったみたい
とすればやはり大統領の方か?
ドイツ各地にあるからそうだろ
多分それなら親父の方だろうなぁ。ありがとう。
エーベルトか・・・
平凡なる非凡という気がする
危機的状況(カップ一揆、23年の危機)でも対処できてるし・・・
政治目的の訴訟のせいで治療が遅れそのせいで死んだとすれば残念と言う他無い
更にそれがほとんど軍備に使われていることが重要。
もっと悪いのは返す当てが無い借金(貿易の為の外貨すら無い)の為に
国債や国債モドキを、買ってくれる相手も買わせる手段も無いのに増やしたところ。
要するに現実が見えておらず、身の丈に合わない経済政策を実行していた。
>>644
ブリューニング内閣があと2週間続いていれば不況対策もある程度
実を結んだってのもあったような。
軍備に関しては当時の状況考えると装甲艦も要らんよねぇ。
>>647
>軍備に関しては当時の状況考えると装甲艦も要らんよねぇ。
うんにゃ、ドイチュラント級装甲艦で対抗しようとしていた仮想敵はポーランド。
そしてその背後のフランス。
ポーランドとはオーバーシュレジエンの国境問題を抱えてたから、結局圧力としての軍備は必要になる。
この問題の純理屈としては全く正しい・・・
ただこれが政治問題化した時のSPDの対応はどうなんだろう
結果は党指導部の弱体を顕わにしただけ(反対派に塩を送った)
「装甲艦よりバターを」はたとえ選挙に有利でも現在飢餓に瀕してるならともかく
責任政党なら国政レベルでは危険なスローガン(実態的な意味がないから)
>>652
政策としての一貫性の問題だね。
装甲艦よりバターを取るなら、じゃあポーランドとはどうするつもりだったのかって話だ。
しかもミュラー内閣でもシュトレーゼマンは留任だろ。
バターも結構だが
ポーランドをネゴシエーションで屈服させる気マンマンな
シュトレーゼマン外交の継続を認めるのは、
・装甲艦の意味をわかっていなかった
・シュトレーゼマンとその話を詰めないままドイツ人民党の取り分として外相を任せてしまった
のいずれかであって、意味と必要性を解さないままバターを選択しようとするのは決して正しいとは言えない。
んで、案の定政治問題化したわけだが。
>>651
ポーランド海軍はあの時期に防護巡買って使ってた位で
建艦計画立てて今から始まりな組織だから保有戦力で対処可能じゃない?
だからといってフランス海軍と戦おうと思ったら保有制限程度の
装甲艦があったところで勝てはしないよねぇ。
そうなるように海軍の条項作ったんだから。
圧力としての効果と国際関係上の信頼醸成を天秤に掛けると
けして良い方策じゃないと思うけどなぁ。
実際の所、政治なんざ知ったこっちゃない海軍さんとしては
新造艦取得が先でそれ以上は見えちゃいなかったんだと思うけどw
……私がもっと魔改造された前弩級を見たかったという欲目があることは認めるw
>>652
バターは、大砲の方に傾注したお隣のブルム内閣の方で、
教育とか育児とかそっちに回すっていう名目で、
赤ん坊にミルクを、じゃなかったっけ?
そっちも確かに大事なんだけど、目先の景気が。
>>657
>装甲艦があったところで勝てはしないよねぇ。
戦争は即、総力戦ではない。
勝てないからといって武器を手放したら
それこそ相手のなすがままじゃん。
現有戦力といってもギリギリ20世紀に起工したおんぼろ戦艦だけで、
ポーランドが当時計画していた新艦隊にどうやって対抗するの。
金のないドイツが、1隻で主要な仮想敵のポーランドとフランスのみならず
スウェーデンやソ連にまで睨みを効かせようとさせたのがドイッチュラント級装甲艦。
そのために1隻にやたらと装備を詰め込んで割高になったが、
担わせようとする任務を考えれば割安だと判断されたんだろ。
そもそも「圧力としての効果と国際関係上の信頼醸成を天秤に掛けるとけして良い方策じゃない」というけど
その点に腐心して最後は命まで削ったシュトレーゼマンが考えていないわけじゃないだろうと
国と国との信頼関係を好感度みたいな数値で捉えてないか?
話を聞いてるとちょっと単純すぎる印象をうける。
ポーランドに勝つことにどういう正当性があるのか?
反共の同士としてポーランドとは協力すべきだった
すでにポーランドの手に渡っていたシュレージェンなど要らない
敵視政策を止めなかったのはドイツに一方的な問題がある
>>660
下手に守備範囲を大きくするからあれもこれも必要な訳で
ポーランドだけだったら、沿岸は守れると思うよ。
あとは景気がもうちょっと好転して、英仏(と米)の脅威と思われない艦を
賠償しつつ造れる程度に関係が良くなってから造っても遅くないんじゃない。
国回すために金も借りなきゃならんし。
>>661
いやもっと、英仏に諂うべきだったと思ってる。
シュトレーゼマンのやり方は西側と仲良くして東側を取るタイプで
賠償金寄越さないで、筒先が自分とこに向くかも知れない艦を
造っていればフランスだって良い気はしないだろうし、
その後の仏海軍の反応を見れば、決してプラスの材料にはなってなかったと思う。
そもそも艦隊を外交圧力に使うってのは皇帝陛下が
やって失敗しているんじゃあるまいか。
読んだ限りだと、シュトレーゼマンはむしろ国内対策で命を削ってたと思う。
何をやっても妥協したって反対されるんだからw
>>662
孤立させて削るんだったら元々の領土を持ってったポーランドだろうよ。
>>665
ドイッチュラント級1隻と皇帝のあの大海軍構想を同じ列に並べちゃダメでしょ。
>賠償金寄越さないで
ちょっとまて、ドーズ案はもう走っててヤング案まで出そうな時期だろ?
なんで賠償金よこしてないことになってるんだ。
あといい加減にその「なかよくする」ことが信頼関係の構築だと思ってるお花畑を治して来い。
キミはキミで逆の意味でお花畑だけどな。
仲良くしないで信頼関係なんか築けるかよ。
>>667
たとえばシュトレーゼマンがやろうとしていたことは、西側と「仲良く」して信頼関係を築くのではなく
英仏vs独というWW1の構図でなく、英仏独で安全保障上の利害を一致させて
一種の運命共同体とすることで、集団安全保障による抑止力を働かせようというものだった。
お互いに剣は持っているし秘密も抱えている、
しかし「何をすれば、どう返してくるか」とある程度判りあった仲であることも
国際政治では立派に「信頼関係」と呼ばれる。
そもそも「仲良く」することが信頼関係なら、英と仏の関係が説明できんw
仏はよく独を締め上げて安全保障上のイニシアチブを握りたがったが、
そのたびに英はバランス・オブ・パワーの観点からドイツの肩を持つことも多かったぞ。
これは別にドイツとイギリスが「仲良く」していた結果ではないし、またイギリスとフランスが「仲が悪かった」わけでもない。
国家外交はご近所づきあいとは訳が違うのよ。
>>668
「友好」というものを相当勘違いしているな
友好とは絶対的ではなく相対的なものだ。
そしてイギリスに対して立場の相違があっても協調していたのはフランスかドイツか?
イギリスを含めた国際的な取り決め祖守っていたのはフランスかドイツか?
「友好」をはなから馬鹿にして、世界を機会主義的に見ている連中が、二次大戦を起こしたんだよ。
>>669
それお前の個人的な考えジャン。まったく具体例の裏打ちがないんだよ。
歴史として存在したのは、シビアにドイツの国益を追及し、
手段として西側との歩み寄りをした(例:ロカルノ条約)シュトレーゼマン
ポーランドと同盟してドイツに対抗しようとしたフランス
バランス・オブ・パワーの伝統的な戦略で、ドイツとフランスを天秤にかけたイギリス
そして国連という集団安全保障を築こうとして失敗したアメリカ
絶対的にしろ相対的にしろソフトパワー的な「友好」を基軸にして築かれた国際関係はあの当時のドイツにはないし、
周辺諸国もそんなことを考えていない。
あるんならさっさと具体例を出せ。
>>665とかもお前の書き込み?
さっきから観念的なコメントばっかりで具体例に乏しく、相手しづらいんだよな。
基本的な歴史の流れも知らないっぽいし。
>「友好」をはなから馬鹿にして、世界を機会主義的に見ている連中が、二次大戦を起こしたんだよ。
いつからここは裁判所になったんだ?
>>666
お花畑かorz
まあ、いろんな考え方があるし、実際、知識が不十分なのはその通りだから、
不快に思っているようならその点はお詫びする。
こっちとしてはスレタイにあった時代のネタで盛り上がるんならいいんで、
ついでだからもう少し教えてってくれ。
できれば、このときどうすればより良かったのか、なんかも。
装甲艦に関しては、独の政治家は自衛のためと主張したろうけど、
ポーランドの相手にするには建艦計画分入れても過剰戦力だから、
神経尖らせてるフランスを対ポーランドとして抱き込むにあたっては
どうかと思うよ。
賠償金に関しては全額払ってない訳で、両案は、条件の緩和だよね。
この辺りの装甲艦に回す予算があるなら賠償金に回せっていうのは
28年5月の選挙時の社会民主党の主張に基づいてみた。
詳しくは「社会福祉か、賠償金の全額支払いに」
あと、>>667とは違う人だ。
ヴェルサイユ条約下で艦の数を制限されてるんだから
そりゃ1艦で何でもできるよう詰め込む罠
ドイチュラント級を作らせたのはヴェルサイユ条約なのだから
それにフランスやポーランドが文句を言うのは筋違い
作ってみたら想像以上に使えそうな艦だったので
刺激されてさらに建艦競争が始まったけどね
「対ポーランド」とか「対フランス」とか1国や2国のみを仮想敵としてるわけじゃないんだし
その相手を「刺激するから」配慮する、という発想は
やっぱり戦後日本人ならではと思うよ
>>672
>この辺りの装甲艦に回す予算があるなら賠償金に回せっていうのは
>>28年5月の選挙時の社会民主党の主張に基づいてみた。
それが出来ないからドーズ案で経済を回してたんだろうに…
これ、SPDの選挙対策のいちゃもんか
でなきゃよっぽど世の中見えてなかったかだろう
シュレージェンの領土問題でポーランドにちらつかせる武器としての装甲艦を諦めて
その金を賠償金の支払いに充てろってのは、
・フリードリヒ大王がオーストリア継承戦争で勝ち取った栄光の地シュレージェン
そこを諦めるという行為がもつ意味
・さらにそれと引き換えに得た金を、高いと感じられていた賠償金に取られるという二重の屈辱感
・軍縮でナイーブになっている軍部がさらに神経を尖らせかねないこと
なんかもうこれ、内戦になってもおかしくないんじゃね
だからこそSPD政権も装甲艦の起工を認めたんだと思うが
>>673
反応に関してソースがある訳じゃないんだが、
28年当時のポーランドの海上戦力って
練習艦兼ハルクの仏製防護巡と350t位の沿岸魚雷艇6隻と砲艦2隻
(この辺は戦利品とか)と、掃海艇いくらかしかないんよorz
フランスの指導の下海軍建設はしてて、海軍の計画だと24年から12年で
巡洋艦2駆逐艦6魚雷艇12潜水艦12を揃える予定なんだけど、
あまり景気が良くないんで政府が中々予算下ろさなくて
最初の駆逐艦3隻と潜水艦3隻がフランスで大幅に遅延しつつ建造中。
ついでに軍港のグディニアも拡張工事中。というのが、28年の状況で。
これで、独海軍が軽艦艇の整備を進めるというのなら、まだ分かるんだけど。
(すでにKやらメーヴェ型やら入れ替えが進んではいる)
>>675
だから、全額は無理でも少しづつ返済に当てよう、ってことだ思うけどなぁ。
返せないからまけて欲しいので交渉してるけど、大きい軍艦は造りますよ、
というのは必要経費?として認められるのか?ってことじゃないかと。
当時の国レベルだとそういうものじゃないってことなのかもしれんけど。
>>677
中央党政権(マルクス内閣)が3月に予算通して、その後の5月の総選挙で
社会民主党が「装甲巡洋艦より子供にミルクを」(だとおもった)って
ことで大勝したんだけど、ヒンデンブルグ(装甲艦の予算入れさせた)が
党首のミュラーに組閣要請する際にグレーナー留任と装甲艦予算そのまま、
ってのを条件として持ち出したんだそうで、これを蹴って空位にすると、
政権不安定ってことで、ドーズ案やらブリアン協定やら外交交渉に影響が出るから
飲んで安定政権作ってくれって、シュトレーゼマンに頼まれて散々悩んだ挙げ句
条件付けて連立にして組閣したそうな。
>>662
「シュレージエンなどいらない」とか言えるわけ無いだろ。
あそこにはポーランド領内に取り残されたドイツ系住民(元ドイツ帝国臣民)がいっぱいいるんだから。
んなこと言ってみろ、彼らの親類縁者のドイツ国民が右翼と一緒になって反政府デモを起こすぞ。
ただでさえ政情不安なのに、火に油注ぐようなことしてどうする。
第一さぁ、あのときのポーランドってドイツとソ連への牽制のために作られた国でしょ。
ポーランドもやたらとナショナリスティックで、敵視政策はお互い様だったし。
「反共の同志としてポーランドとは協力すべきだった」って、それでポーランドが差し出した手を握るか?
ポーランドにとってドイツは、つい10年前かそこらまで、同化政策で〆られまくった相手だぞ?
>>664
>ポーランドもやたらとナショナリスティックで、敵視政策はお互い様だったし。
え?当時のポーランドでもドイツ系住民はポーランド国民として生活している限り迫害されてないよ?
政治家や政府の高官や軍の将校にもドイツ系がちらほらいるし
「ポーランド国民以前にドイツ民族だ」と言って反国家的行動をするなら容赦しなかったんだよ
あの国ではドイツ系だけでなくどの系統の住民に対しても制度的にそういう扱いだったんだが
一方でドイツは19世紀から露骨な少数民族排他政策を取っていたが
>>676
>「ポーランド国民以前にドイツ民族だ」と言って反国家的行動をするなら容赦しなかったんだよ
当たり前だ、その人たちついこの間まで国籍もドイツ人だったんだから。
「容赦しなかった」のか、そりゃあまた…
ドイツ側から見たら十二分に迫害だな。
で、こういうことが積み重なって1939年が訪れると
ドイツだって同じことをするのに、自分達は許されると思ってるから始末に終えなかったんだよなぁ。
1939年の戦争はドイツ側の財政事情と侵略の意図の発露であってポーランド云々は単なる口実。
要するにポーランドがエスニック問題の処理に失敗しただけって話
そりゃ大戦の原因を他に押し付けたいドイツ側の事情。
ナチスドイツの国内向けの言い分ってだけの話。
>>684
いや、そういう押し付けられる理由を作っちゃう時点で失敗なわけ
エスニック問題に正解なんてないけど
ドイツの政権が大ドイツ主義を掲げる過激派右翼になった時点で
何らかの方策は欲しかったかもね
>>685
>いや、そういう押し付けられる理由を作っちゃう時点で失敗なわけ
いや、何をどうしようがヒトラーはポーランドに侵攻する気だったから失敗も糞も無いんだよ。
それまでのオーストリア併合、ズデーテン併合、チェコ併合までの政治と
侵攻前のヒトラーの発言にはっきり表れている。
始めから正解どころか、成功するはずのない悪魔の問題だったわけ。
>>686
ヒトラーのポーランド侵攻の意思決定プロセスなんてこのスレじゃ関係ねーだろ。スレタイ読め。
1933年までの時点で、大ドイツ主義を掲げる過激政党が台頭しつつある隣国を横目に
ポーランドがその方向でケチつけられかねない火種を作ってるのがミスだっつってんの。
そっちが最初に独ポ関係が戦争の火種云々と始めたんだろーが、それこそスレタイ読めや。
ポーランドが在住ドイツ人をより恭しく丁重に扱おうが何しようが開戦には関係無いんだっつの。
>>688
1920年代の時点では、独ポの間に実際に開戦するという未来の事実は知られていない。
が、1930年ごろの情勢では、すでにドイツ国内における急進的右翼の伸張は覆いがたく、
民族問題で難癖をつけられないためにポーランド政府は何か手を打ったのか?
という話をしている。
でもおたくさんは1938年以降の事情(オーストリア併合云々)を前提に話してるよね。
だから「スレタイ読め」なわけ。
わかった?
君はポーランドが悪いと言うことにしたくて論旨がむちゃくちゃになってる。
>>689
別にポーランドの対応は常識に沿っただけの話であって
それが受け入れられないというのは単に1930年のドイツ側の問題。
で、あんたはそれをポーランドのミスだと言っているが自分はそうは思わない。
何故かと言うと、戦争に繋がったという点でポーランドのミスだと言うけれど
実のところ解決策はドイツに完全に屈服する位しかないから。
相手の意図は始めから決まってるんだから、何を言おうと同じ。
これはNSDAPの綱領や政権獲得時にも表明されてるんで、何も1938年に限った話じゃないよ。
あんたさんが自分で言っている通り、1932年以降は常識が通じない政権になった。
その段になってそれまでのポーランドの民族政策がミスだと言うのはフェアじゃあるまい?
だからスレタイ読めと申し上げた。
>>676は1930年代にポーランドが今更その方針を始めたとは言ってないっしょ。
>>690
やっぱりそう思ってたか。うすうす感じはしていたが。
どっちが「悪い」「悪くない」の観点からとにかく離れろ。
ドイツ国内の政情不安と民族主義の隆盛に対して、
ポーランドが領土問題がらみどのような手を打ったのか(或いは打たなかったのか)、
そしてその結果としてやはり民族問題の処理に失敗した
……ということを言っているだけなのに。
ヒトラーのポーランド侵攻の直接的な理由がシュレージェンの民族問題だなんて言ってないぞ。
そこはどうなったんだ
でも確か1920年か1921年ごろにシュレジエンで武力衝突やらかしてたよな
あれはどー見てもミスだ
だからエスニック問題に「正解はない」んだよ
ポーランドがオーバーシュレージェンを保持すると決めたら、
その膨大な統治コスト(直接統治だけでなく外交や軍事も含む)を払い続けるしかない
当時のドイツの不満は(敗戦国だから仕方が無いのに)
・ダンツィヒはドイツ系が圧倒的多数なのに住民投票も無かった(ポーランドの外港のために,形式的には国際連盟の管理下)
・上シュレジェンの住民投票の結果に基づいた国境の線引きも不公正と感じた
理屈の上でたとえ正しくても国際政治力学の上からはなあ・・・
WW2の後何百年も純粋なドイツ都市だったブレスラウ、ケーニヒスベルク等が失われた事を考えれば全然マシ
>>700
国内飢餓にさらされていても、前線では戦闘に完全に敗北していない状況で
降伏しても納得しないんだな
横レスだけど、そこまで失敗を拡大解釈したいなら、その考えを一歩進めれば、成功じゃん。
ドイツ人はポーランドの土地から永遠に一掃される結果となったからね。
しかも自ら犯した犯罪の償いとして。
ポーランド、ドイツ人の犯罪によって多くの犠牲を出したとしても、結果的に大勝利じゃない?
歴史的視点では、ポーランドが戦争の呪縛から解放されたのが1989年。
それ以後、安定的に経済成長もしていて、国際金融バブル崩壊の混乱期の今でもヨーロッパで唯一成長している。
戦争が無く国際情勢が安定している時代のポーランドは歴史的にいつも繁栄するよね。
もともとそういう能力がある国なんだよ。
ドイツには国家主義者や民族主義者が多いから、これを妬んでなんとかポーランドの足を引っ張ろうとする。
そのやり方が、ポーランドに対する暴力だったというわけだ。中世の昔から20世紀まで伝統的に。
>WW2の後何百年も純粋なドイツ都市だったブレスラウ
シレジア
住民投票では707605人がドイツへの帰属に、479359人がポーランドへの帰属に投票。
そのうちドイツから「戦略的に送り込まれた」者が179910人、ポーランドから「自主的にやってきた」者約10000人。
これらを差し引くと527695人がドイツに、469359人がポーランドに投票したことになり、まだドイツ側が58336人多い。
しかし…
ルール地方に出稼ぎに行っていたポーランド系シレジア住民約50万人(!)が投票のための一時帰郷を許可されていない。
ドイツの政治的陰謀の典型例。
何百年も純粋なドイツ都市だったならこの地域になぜこんなにポーランド帰属派がいるんだ?
>>697
結局、スターリンの東欧支配で最終解決とあいなった
その後、東西ドイツの再統一となっても、ミッテランが恐れた大国ドイツの誕生にはならなかった
かえって旧東独のほうが、ポーランドやチェコに競争力で負ける結果になってる
もともとの東独マルクが西独の5分の1にもかかわらず、無理やり等価にしたツケ
自然国境でない国境は潜在的紛争の元でしかない、なんてのはアフリカだけに適用されるとか思ってるのかと
日本だって海が国境なはずなのにあちこちで争ってる
ただしドイツ・ポーランド国境は現代の国際法による条約と圧倒的な人口構成により今後数世紀は変更が無いだろう
しかも数世紀後までドイツという国家は存在しているかな?
たぶんドイツという統一国家は消滅して数カ国に分裂して言語さえも異なっていると思うぞ
>>712
その確率はポーランドが消滅しているのと同程度だろうな
しかし数百年後の話などこのスレの対象外だしここらで打ち切るか
ドイツは自然に分裂して統一国家が消滅、ありうる。とはいえ小国に分裂すればかえって安定的になり幸せだろう。
ポーランドはフランスなどと同じで内部での国民統合がドイツよりももっと進んでいる気がするんだよね。
だから地域による分断はないと思う。
ドイツを見ていると地域主義がかなり激しいと思うんだが。
チェコとスロバキアが分裂したように分裂しそうだ。
その前の何百年はポーランドだったし、歴史とはそういうもんだろう>ブレスラウ
ブレスラウ
ドイツ人が移住して作った都市でそれ以前には無い
もとから在ったものを乗っ取ったと誤解してない?
ブレスラウの本当の名前はヴロツワフで、ドイツ人が移民してくる前に既にシレジアのピアスト家の都市だったわけだが。
ピアスト家とはポーランドの初代王家でシレジアのは分家。
ピアストのポーランド王ボレスワフ1世がここヴロツワフに教区を設置したのが都市の始まり。
西暦1000年の時点で人口約1000人の城塞都市でシレジア地方の商業の中心地。
ポーランドの最も基本的な構成要素となる重要な都市だぞ。
ボレスワフ1世は占領して司教座を置いただけ。
元々誰が作ったで言うならドイツでもポーランドでもない、ボヘミア(チェコ)だ。
ドイツ野郎もポーランド野郎も侵略者だ。
どっちも他人から見れば似非国士だよ。
え~ボヘミアがヴロツワフを領有したのはずっと後だろ
14世紀にカジミェシュ大王が領土紛争を棚上げしてボヘミアに渡ったのがボヘミア領となった最初
だからもとはあくまでポーランドだよ
ピアストの公達が建設したの
992年までボヘミア
992~1038がポーランド
1038~1054でまたボヘミア
1054~1202までまたポーランド
その後シロンスク公国郡(ポーランド系)の分裂期
そしてモンゴルが来てシレジア一帯が荒廃
復興策としてドイツ系移民を大量に誘致した結果ドイツ化
ドイツとのシレジアの確執の始まり