500騎で十万を撃破したとか、講談としてもありえない話ばかりなんだけど
建康、襄陽を取り返したのは、南宋という国が国家の体を為すのに不可欠だったろうし。
>>500騎で十万を撃破
さすがに10万人殺しつくしたわけではないから。
信憑性はともかく、それくらい活躍がめだった、ということだろう。
で、それはなんの記事?
史料を研究すると、岳飛は朱仙鎮(500で10万破ったとされる場所)まで進出してなかったそうだ
へぇ。 でも洛陽を取り戻したのは岳飛なんでしょ。
中国の歴史シリーズにはそうなってた。
しかし、朱仙鎮では岳家軍総出と思っていたが…(総勢4万だっけ?)
農民出身の岳飛にはシンパが多いんじゃないかね?
だから神格化も進みやすかった
あと、冤罪(岳飛にも問題点はあったが、処刑理由は明らかに事実ではない)での最後という悲劇性
原因はおよそ以下:
1、忠君愛国、異民族との戦いで活躍
2、冤罪で殺された
3、「説岳」という説話が長らく民間で講談されている(これは重要)
「説唐」、「楊家将」と並ぶ人気説話でその影響は計り知れない。
4、岳飛は武将であるにも拘らず、残された数首の漢詩が
ほとんど名作(偽作の疑惑付きだが)、文人にも絶賛されてきた。
文民統制だった中国(宋は特にその傾向が強い)において極めて珍しい。
5、ついでに強い。「撼(うごかす)山易、撼岳家軍難」って諺がある。
あそこは昔っから南北が対峙した時の要衝
対モンゴル戦でも、ジョウ陽が落ちたら一気に南宋は壊滅した
(正確には一度取られて、孟キョウが取り返したんだが)
襄陽はわりと早い段階で取り戻しているみたい。
金が盟約を破棄したときの南下で、岳飛は河南府路の招討使に任命されている。
紹興10年の秋7月に、岳飛の部下、張應、韓清が西京に入っている(西京=河南府=洛陽)。
その前から、潁昌あたりをどんどこ攻めていて、淮河・漢水の線より北で戦っているのは岳飛だけのような印象(当然、陜西方面もがんばっている)。
韓や張らは、寿春や海州といった淮河あたりの要衝(揚子江の防衛を考えると必須の地)を次々と取り返していた。
小商橋の戦いでは、岳飛の部下楊再興が戦死、金軍の潁昌奪還では、王貴らの奮戦で固守。
しかしもういっぱいいっぱいで、一旦軍を引き金に取られるが、再び出て潁昌で完顔宗弼を遁走させている。
累戦皆捷つ、中原大震。
岳飛は軍を進め、朱仙鎮に出る。そこは開封から四十五里のところだった…
高宗本紀では潁昌や蔡州は金の手にわたった段階で、秦檜の和議となったような感じ。
そもそも朱仙鎮という語が記載されていない…?
そのとき、西京(洛陽)は再び金の支配下になった、と。
名将であったのは事実だろうね
敵軍からも尊敬される武将、というのは稀(爺爺、という尊称を金から使われたのは岳飛と宗沢だけ)
だからこそ逆に文官政府代表の秦檜としては処分に困ったんだろうね
外交交渉の時、金から「そっちは講和講和といってるけど、岳飛は北伐を連呼してるじゃないか!」って抗議されたし
そして岳飛って良く考えてみたら39歳で殺されたよな。
いわば武将の最盛期、惜しむ人が一杯出てくるのも不思議は無い。
ただ、秦檜以外であれば、冤罪で処刑まではいかなかっただろうとも思う。それはやはり秦檜が批難されてしかるべき点でしょうね。
さらに政府の言うことを聞かない
外交交渉では不利になることの要因をつくる
>>168のいうとおり、秦檜でなくても処分されていたのは容易に
想像できる。
歴戦の勇者で、民衆に人気があり兵をとりあげても私兵を集め
さらに政府の言うことを聞かない
秦檜でなくても処分されていたのは容易に 想像できる。
でも岳飛じゃなければ大人しく処分を受けないのも想像できるw
スケールの差はあるけど韓信が斉で軍を率いて連戦連勝の時に、
劉邦が助けてくれないから死刑って感じ。
いずれ反乱したかも、もともと韓世忠みたく、大局でものを考えられないのが岳飛じゃないか?
遅かれ早かれどっちかが消えてたんだと思う。
ところで、中国での秦檜を見直す動きは実際どの程度なのかな?
他の軍閥みたいに、素直に兵権返すとか政府方針には私憤を堪えて従うとかすれば良かったのに
まぁ、そんな物分りのよい岳飛だったら後世人気なんてでないだろうけどw
事前に察知でもしていない限り、抵抗しようもない
漢民族マンセーのために死んだ岳飛こそ英雄で、現実的だけど屈した秦檜は民族の恥部
そういう感覚なんだから
岳飛について「彼を民族的英雄と呼ぶべきではない」とある学者さんが言ったらエライバッシングを受けたとか。
その学者さんの言い分としては、女真族も今の中国を構成する民族の一つである以上
女真族から漢族を守っただけの岳飛をそう呼ぶのはおかしい、ということだそうだ。
1)基本、金とは和睦したい(北宋の伝統)
2)その為、靖康の変の二の舞だけは避けたく、主戦論派を封じ込めたかった。
3)岳飛は和睦反対派の急先鋒、しかも兵権を取り上げても不穏な空気
ここまではわかる。
でも
4)攻勢のなか不利な条件で和睦
これがわからない
金に信じてもらえないのじゃないかと言う恐怖があった、とされている。
外交手腕としては日本政府なみの無能っぷりな気がするが…
ま、それは言わない約束というやつだろうか?
背信行為が何度もあるのだから。
靖康の変では、講和交渉中に主戦派の奇襲なんてあった。岳飛の存在をみると、また同じ
ことを企んでいるのではと疑っても仕方ないかも。
ともかく、早期和平を実現させるためには、相手ではなくこちら側が譲歩する必要があった
というのが、おそらく秦檜の言い分。兵が血で取り戻した河南を差し出し、和平策実現の手柄をもって我が世の晴を謳歌したのはまた別の問題ということなんだ
ろう。
岳飛の処刑も、相手に非があり自分は危険を排除した「だけだ」という。和平はいいが、それを利用して自分の利益にしまくるというのは、下層民にとっては苦々しく思えたのだろう。もし、秦檜を擁護する動きが当時からでもあれば、少なくとも鉄像は作られていなかっただろう。
鉄像を作ることによって、悪いのは秦檜だ、とする朝廷の印象操作もあったろう。その意味では、秦檜も犠牲者だが、体勢は秦檜に同情するむきは少なかった。よって、秦檜のやりかたは感情面で受け入れられない負の面が強かったといえるのじゃないか。
宋は同盟結んだ時期から無数
このあたりの負債処理が問題だったんだろう
あと散々言われているけど「本当の皇帝」である欽宗カードを金が握りつづけていた点も大きいと思う
勿論、金を征伐して宋が再統一を果たすっていうのはわかる。
でも、成功して欽宗を奪還すれば、今の主君の高宗の立場は悪くなるし、岳飛は、高宗によって引き立てられたようなものだから
結果的に、高宗に対して裏切り行為を続けていたことになるのかな?
うまく説明できないが、欽宗カードを、高宗・秦檜につきつけていた相手は、金ではなく岳飛だったということ?
岳飛のおめでたい頭(=忠誠心過剰)によると、欽宗を奪還できれば、高宗も欽宗も彼を誉めて讃え、高宗は潔く欽宗に位を譲ってめでたしめでたし。
(当然、それこそ後世から称揚されるべき高宗の潔くも美しい行為であるが)
だから岳飛の中には高宗に対しての裏切りなど思いもよらないことだし、欽宗の奪還と開封の奪取は忠誠心の証として最上のものだった。
そのために自分の能力を発揮することにも、ある種の楽しみみたいなのも感じていたかもしれない。で、秦檜が余計な知恵を吹き込んだために、高宗は道を誤った…
悪いのは秦檜!! となる。
ま、そんなとこじゃね?
彼にとって忠誠の対象は国であって高宗だの欽宗だのといった特定の個人ではないと思うが
いや185の言うこと一理がある
当時の岳飛が挙げたスローガンの一つは「二帝奉還」です。
歴史にも例が見られない皇帝が攫われたことは、
いわば宋の士人にとっての最大な恥辱で、岳飛の人気の源の一つ。
高宗についてウィキで調べると確かに即位当初から正統性に疑問を持たれていたてのはあるみたいね
で、それが秦檜による岳飛以下抗戦派との対立の背景にあったてことか
高宗政権(秦檜含む)からすれば危険視せざるを得ないだろう。
>>187
細かいことですが、初ってわけでもないですよ。
蛮族の捕虜になったというのなら西晋の皇帝がいますし、同じく捕虜として北方に連れ去られた皇帝としては五代後晋の皇帝がいます。
秦檜の行動は納得できるもの。
その後の行動は、賞賛されるものではないが
支配者あるいは権力者の論理としてなら、秦檜の岳飛謀殺はわかる、というかよくある行動なんだが…
わかったからといって、それを容認したり奨励したりする気には全くなれん。
だから秦檜は功績の部分さえ意図的に無視され、銅像に唾を吐きかけられるというちょっと中国人以外は引きまくる扱いを受けつづけている
秦檜のお陰で助かった者やその子孫が秦檜を憎むという矛盾
岳飛一党の子孫ならまだわかるが……
まぁ、勝手に泥沼化しておいて、救ってやったぞ、って勝手な理論ではある。たしかに、戦争が慢性化すれば、国境付近の民衆はひどい徴発を蒙っていただろう(あくまでも国家に)。
とはいえ秦檜は浙東とかの利権と絡んでいたから、素直に認めることもできなかったのだろう。どうであれ、民衆というものは最初は被害者側の立場に立たされるから、文句も言いたくなるだろう。
だが、鉄像に唾をかけられるような仕打ちは、未確認だが、孝宗の国内宣伝もひとつの原因なんじゃなかろうか?秦檜は自分のやったことが民衆や他の官僚武人たちにとって、どういう意味を持つかはわかっていたようだ。
その論拠となるのは、岳州の改名。岳飛が真に謀反人なら、彼の名を思い出させるからと言って岳州を改名させんだろう。で、そういう民心を納得させるためには、悪役が必要で、孝宗は秦檜を最大限に悪役に仕立て上げまくった…
まぁ、火のないところに煙は立たず、だから、もともとある秦檜憎しの念を増幅させたにすぎないのだろうが。
勝手に泥沼化した時点では
秦檜にはどう見ても責任ないぞ
宰相クラスですらなかったんだから
秦檜憎しは勝手だが、暴論はいかんよ。
それは徽宗期以来の宋歴代政府首脳の連帯責任だ
岳飛が徽宗を奪還していたら
民衆からは総スカンだったような気がする
何しろ常態化した重税に加えて
自分の趣味のための徴発・労役を当たり前とした暴君だから
もし南宋の実権を再度握るようなことになってたら
今度こそ破滅しただろうね
徽宗は奪還の対象だが、帝位の正統性はもう欽宗に移った。
大差ないかもしれないが、一応欽宗の場合親政時期短すぎて、
政治における能力は未知数。そこに想像の余地があって、
現政権への不満もそのまま欽宗政権への期待に転じたと思う。
社会党は駄目だったとはいえ、もしかして民主党なら…いやなんでもない。
でも欽宗も中々素敵な皇帝だよ
開封から金軍が攻囲に疲れて撤退する時は追撃を抑えたくせに
三鎮割譲の時の万全の金軍にいきなり部下に喧嘩売らせて滅亡の直接原因を作っている
金軍に抑留されたときの台詞が「大臣達がわれら父子を誤まらせた」という嘆きの責任転嫁
まぁ、そういう話は一般民衆には知られないだろうけど
民衆からしたら、宋という国がやったことだから、そのときの為政者がとても慈悲深く租税も少なく労役を課さないのであれば称揚するし、そうでなければ文句を言う。秦檜に責任がないとかあるとかではないだろう。で、なんで岳飛が称揚されるかというと、たぶん農民出だからだろう。
>>秦檜憎しは勝手だが、暴論はいかんよ。
おれが秦檜憎しの論を張ってるんじゃなくて、当時の民衆や周囲の人にどうだったかを考えているのだが?ま、多少毒は含んでいるだろうがなw
>>徽宗期以来の宋歴代政府首脳の連帯責任
言われるまでもない。
その崩壊の尻拭いで、岳飛らはようやく金陵以南を回復して国家の体裁を整えることができたわけだし、さらに秦檜復帰後は淮北から洛水まで北上できるくらい勢いを盛り返していたのだから。
そこでいささか象徴的な事柄だが、かつて「金に屈さず」を説いてそれなりの軍略を提示したものの、軍との共同歩調がとれずに結果、単なる騙まし討ちしかできなかった李鋼の死去した年というのが、岳飛がついにあきらめ、前線から軍を返した年だったという。
下に対してうまく立ち回ったとはとても思えんが
だから嫌われるんだよな。
それでも像に唾を吐くとか小便かけるとかは理解できないが。
唾を吐くことなど、確かに数年前から禁止されたよ。
あれでも文化財になったからw
しかし秦檜は一介の文官の身で、金に逆らった(傀儡皇帝としての張邦昌擁立の時)
結果抑留されたが、殺されてもおかしくなかった
真の勇気という意味では、秦檜のほうが岳飛風情よりはるかに上
岳飛や、志の低い卑民どもに大鳳の心などわからんよ
いや、それはいいすぎ
たしかに岳飛との攻防まではそうかもしれないが、その後は駄目。
むしろそのことが、後の評価を見誤らせてるわけだし
なんのかんのいって、岳飛の謀殺やら秦檜の政権独占にゴーサインを出したのは高宗
しかし、後世の悪評は一身に秦檜に
自分も被害者気取りだけど、岳飛のように命を失ったわけでもなく天寿を全うしている
岳飛も秦檜も、高宗の踏み台という点では一緒だと思う
一番ヒドい奴は、高宗だろう
それはこのスレのデフォなんじゃないか
それは法律の不備であって日本人の感性じゃねぇ
法律の不備…
なんか、そっちのほうが救いがないな。
つまり、無能な為政者とそれを是正できない国民…
多分、俺は最後まで秦檜を理解できないだろうな。
それが衰えて、今まで出来たことが出来なくなると自分が殺されたような感覚に陥るだろうからな。
まあ未来永劫売国奴として恥を晒すのがお似合い。
岳飛を冤罪で殺して無謬の忠臣にしてしまったのだからな。
実際は危険分子の一人だったろうが処置が苛烈にもほどがある。
では、どのような処分だったらよかったとお考えですか?
無理だろ。私兵を雇ってたくらいだし・・・
むしろスレの統一見解としては、
1、岳飛は軽率
2、秦檜の行動の理解できる
しかし
3、金との交渉過程が理解できない
だったと思う
中国に編入されれば当然そうなる
岳飛=蒋介石、毛沢東
秦檜=汪兆銘
金=日本軍
>岳飛=蒋介石、毛沢東
さすがに無理があるんじゃない?
秦檜は実際に和平を結び、和議が成立して20年弱は金からの侵攻がなく平和になった。その間に内政を充実させ(江南の開発など)、政権基盤が安定し、南宋発展の礎を築いた。
結果論だが、この点は評価していいんではないのだろうか。結局軍閥縮小させても、秦檜死後の金による侵攻をはねのけているし。秦檜が正義かというと怪しいが、政治的に功績がなかったとはいえないはずだ。
あと、素朴な疑問。どっちかっていうと売国政治家って視野狭窄に陥ってる場合が多いんじゃ?自己の利益のために国を売るんだから。大局的な国益を重視する人が売国していたら、それはスパイか工作員じゃないの?
岳飛が悪とは誰も言っていないといったのが、あんたなら、ちょいとアレだが・・
まあ、いいだろう
>結果論だが、この点は評価していいんではないのだろうか。
評価に値しない。
まず、かなり譲歩した上で和平し、名将を獄死、引退に追いやり、軍閥を解体している。ここで金が再度、条約を破れば、マジでやばい。上司の扱いに不満を持つ軍部の一部が造反して、南宋の防衛ラインの一点が敗れれば、南宋は滅亡しかねない。(元の侵攻の時と同じ)
金が条約を必ず守る国なら、講和もありえようが、宋が過去にどうあろうと、その前提の上で結んだ条約を破って攻め込んできているという前科もある
すなわち、講和には、金がなぜか次回は守ってくれる、もしくは、もはや戦う国力がない、という前提が必要となる。
後者なら、あれほど譲歩する必要はない。岳飛たちは軍閥解体に抵抗してないのだから、もっと有利な条件で、講和すればいいだけ条約違反を責めて、黄河まで奪い、歳貢を大幅に減額し、対等の条約を結べば、後々の侵攻も未然に防いでいた可能性も十分にある
前者だとしたら、なぜ、それが分かる?
弱腰な講和を結び、岳飛たちがいなくなったと知れば、金の主戦論がまた持ち上がるかもしれない。南宋の宰相が、それほどまでに金の政策を操れるはずもないし、深い意図を知ることができるはずもない
すなわち、南宋に対して、功績などはどこにも存在しない
あるのは、高宗個人に対しての保身と恐怖に関する功績のみ
まあ、人は誰しも岳飛にはなれないのだから、これに関しては理解できぬわけではないが・・
>大局的な国益を重視する人が売国していたら、それはスパイか工作員じゃないの?
こういう姿勢が、国家の利益につながると信じているサヨがこのスレやこの(ry
当時の金にとって南宋は、金内部の派閥抗争や女真の本拠から離れていることもあって侵攻するほどの体力はないが、南宋から攻めてきたら華北を防衛する程度の体力はある
日本が外国と戦うのと違って、これは地続きの中国の話なんだから
この金が抱える問題は、同じく南宋も抱えている。派閥抗争もあるし、補給線の問題も同じ。
それに歴代の南朝亡命政権の持つ、華北出身者を食わせる為に、華南の地から搾取しなければならない事による反発を処理しなきゃならん
>南宋から攻めてきたら華北を防衛する程度の体力はある
自分の講和の失敗を隠蔽しようという気まんまんの秦檜よりも、前線にいる常勝の名将、岳飛の判断の方がはるかに信頼できるのだがな
とにかく、常勝の岳飛なら、現地調達で補給できていた可能性と同時に、補給を軽視していた可能性も認めよう
しかし、だからどうだというのだ?
なぜ、せっかく奪回した土地どころか、以前の条約で決めていた領土を条約破りを起こした上に、敗北し、恥知らずにも再度の講和を願う虎狼の国家と化した金になぜ、あの条件で和平を結ばないといかんのだ?
あの条件でむすぶなら、軍閥の一つでも敗退するか、戦線が膠着してからでもよかろう。そうすれば、軍費がかさんでいる現状や軍閥への反発から、南宋の人々も秦檜を支持するだろうこれなら、多少の敗北でも南宋が滅亡することはない
勝てるなら、もっと、有利な条件で結べばいい
あの条約になんの根拠もない
ただ、ひたすら国益など度外視して和平(秦檜にはなんのデメリットもないw)だけをこいねがったか、金から相当なキックバックがあったか、そう考えるのが普通だろう
大体、金に防御する国力があるなら、あの条件でなぜ和平を結ぶ?
それなら、岳飛たちがいなくなった後で、金が投機的に侵攻すれば南宋滅亡も不可能ではないことになる。その危険性をなぜ、考えなかった?
秦檜がバカでない以上、その時はその時は南宋朝廷をみやげにして、自己保全を考える用意があったと考えても、妄想とまではいえまい。ただし、用済みにされる可能性や、南宋朝廷が主戦論に傾き、自分が殺される可能性があるため、積極的に望みまではしなかっただろうが
よって、秦檜にはなんの功績も存在しない
寄生主を殺さなかった賢い趙高という評価がぴったしだろう
はじめの条約で岳飛が主戦論を主張して曲げなかったのなら、確かに人格的にも名将としても惜しい人物であるが、南宋の国是としてなんらかの処分されるのはある意味仕方ないとは考えている。
この場合、韓信や白起と同等の評価になったと思う。しかし、秦檜は蕭何や范雎とは全く違うだろう
金にとって華北は本貫の地ではない
宋にとっては奪回し、経営していく土地
一気呵成に奪回して、その後の支配を円滑に行えるならいいんだが、数年、数十年の単位で戦って、最後っぺで金に略奪されて満州に引き籠もりされたら
宋としては目も当てられないですな
通常営業で華北の赤字をの華南の黒字で賄ってきたってのに、華北再生の為に華南に負担を強いるとすれば、その内華南の方で反乱起きるな
補給は全て現地調達案なんて、相手に現地を焼かれたら調達できねーし、調達した土地からは怨嗟を食らうし、馬鹿じゃねーのって感じですわ
「どうせ続かねーから荒らしてまた南に帰ろうぜ」
っていう南北朝時代の北伐と同じ発想かよ
その時なら、あの条件で和平を結んでも分かるって言っているし
>補給は全て現地調達案
勝っている状態なら、できていた可能性を言っているだけだろう
基本は背後からの補給。南宋の補給が限界に達していたというソースもあるのか?
高宗や秦檜が、それを理由に目の前の和平をただ、こいねがった可能性もあるのだぞ
>馬鹿じゃねーのって感じですわ
あ、そういう人ね・・
こんな煽りをするようではこちらこそ話にならんわ
こちらの論説の重箱の隅つつきや、曲解しようとしているようにしか見えんし
じゃ、華北の奪還が無理という前提で(俺も無理だと思うが)
あの条約でよかったという理屈を教えろよ
ズルズルと戦い続ける国力があるのに、なんで金が条約を破らないと分かるんだ?
どこかの国のブサヨみたいに、ひたすら戦争反対の秦檜信者さんよ(←あえてのってやろう)
条約後暫くの間、歳幣が負担になった事があった? なかったろ?
宋は経済どころか人材まで南に依存してきてるじゃん。華北出身者を優遇して登用してたまでに
つーか金と南宋は日本と同じ状況じゃないって何度もいったよね?
日本は海に囲まれてるんだよ。攻め込まれたら開戦しても余裕で守れるよ。低姿勢でへーコラする必要はない
>よかったも何も、実際あの条約の後で南宋が経済発展しているのが全てだろ
おいおい、俺の質問は、
>ズルズルと戦い続ける国力があるのに、なんで金が条約を破らないと分かるんだ?
だぞ? わざと、曲解しているだろうが
>条約後暫くの間、歳幣が負担になった事があった? なかったろ?
これが本当なら、俺の案「あのまま退かずに、はじめの条約で案で再び飲ませるか攻撃して勝ち続けるなら、黄河を境に、歳貢を大幅に減らした上で、条約を結ぶ」にどこに不都合があるんだ?
>華北再生の為に華南に負担を強いるとすれば、その内華南の方で反乱起きるな
じゃなかったのか?
華南だって、河南より南なら、それなりに豊かだから、金よりも宋であった方が流通としてもいいし、北からの防波堤にもある。メリットも大きいだろう。減らした歳貢を復興にあてればいい。
華北の人たちも華南から多少でも援助のある宋の方が、収奪されるだけの金よりいいだろ
別に都は開封にもどす必要もない。
>日本は海に囲まれてるんだよ。攻め込まれたら開戦しても余裕で守れるよ。低姿勢でへーコラする必要はない
『必要』はなくても、したがっている奴が腐るほどいて、奴らが政府とマスコミを(ry
守るまでもなく、軍の指揮権をもっている奴が、無抵抗で降伏したら、海があっても、終(ry
要は、秦檜は運が強かっただけ
もっとも、金が攻め込んできて、降伏しても、「危害を出さないよう賢明な判断をした名宰相」といって、信者どもは称賛するんだろうけどw
「岳飛がいなくても、劉錡、張俊、韓世忠、呉玠、呉璘、楊沂中、李顕忠らが健在だから大丈夫では?」
という意見があったが、岳飛が殺された時には、呉玠は死に、張俊、韓世忠は軍閥を解体され、引退し、劉錡は抵抗して免職になっている。
呉璘は色々な意味で蜀を動けないし、残った楊沂中、李顕忠は、宋全軍を率いるほどの地位にはない。張俊、韓世忠を戻しても、軍閥が解体された以上、今までの力は発揮できないし、一旦、引退に追いつめた人物をもどすのは、政策に反するし、秦檜が韓世忠を再度使うとは思えない。
しかも、秦檜のやり方に軍部から相当反発があったはずで、暗殺未遂事件までおきており、士気の低下はまぬがれない。
再度、金が条約を破ったらこの状態で国防ができるのか、滅亡までしなくても、長江以北は
とられた上、再度、さらに南宋に不利な条約をぬけぬけと結ぶつもりか。
秦檜信者の意見は理解に苦しむ
孫がかわいくても主席の人間を2席にすればいいだけの話だし岳飛の件だって、兵権を奪ったのならなにも殺すことはなかった。和議は正しくても名宰相とは到底言えんわな。
危なくなったら普通に政策なんて反転して秦檜の首切って韓世忠登用だろ
そうやってコロコロ皇帝自ら政策を変えて、臣下の首切ったから
金との和平が纏まらずに南に追い落とされたのが宋じゃないw
政策に対する誠実さとか信念とかあると思ってるのかw
まあ、あんたの言うとおり、「張浚」を登用して、韓世忠に軍事権を任せ、秦檜を「罷免」して、(首切りが処刑の意味ならさらに(笑)だな)あっさり、政策転換して、金からの侵略の危機を乗り越えたとしても、南宋や高宗の評価は変わっても、秦檜の全く擁護にはならんな
今は、秦檜の評価と実態の話をしている
とにかく、秦檜は内ゲバだけが得意な強欲で冷酷かつ不公正な「無能」か、用済みにならない程度に南宋をうまく売り渡した「売国奴」かの二者択一でほぼ決定だろうな
どんだけ人材難の国家だよw
※以下、喧嘩になってしまっていました