72: 名無し 2007/01/29(月) 14:57:40
勢力の分布のバランスが悪い。特に東呉と西呉が近すぎる。
史実に忠実にすると揚子江下流を抑えれば勝ちということになるし、華北のモンゴル系軍閥を強くすると、らしさはなくなるし。
どっちかを割り切るしかないな。
73: 名無し 2007/01/29(月) 19:54:36
>>72 バランスが悪いというが、偏った情勢の方がシュミレーションとしての幅が広がって良いと思うぞ。
初心者は人、金ともに豊富な張士誠を使って物量攻め。
玄人は収入が殆ど無く、政治的にも八方塞な拡廓帖木児を使って、己の将器だけを頼りに元朝復興を目指すとか・・・
79: 名無し 2007/02/19(月) 18:48:11
本当に江南を占領するとそんなに有利なのか??少し誇張しすぎだな。そんなに有利なら南明三王たちが南下する清にそんなにあっさりまけるはずが無かろう。さらに言えば、日本軍撤収後、江南を押さえていた蒋介石は南下する共産軍にぼろくそ負けたようだが。
82: 名無し 2007/02/19(月) 22:27:05
>>79
江南を押さえるのが有利と言うのは主に経済面での話だね。
軍事力は北方、遊牧民とかの方が強いだろうけど、元末の場合、元朝は内紛で弱体化し、江南への介入どころじゃなかったから。
80: 名無し 2007/02/19(月) 19:15:53
元朝末期の江南の経済力をなめたらあかんぞ
江浙行省だけで、天下の富の1/3を産していたっていうからな。
江浙熟すれば天下足るって言葉は聞いたことがあるだろう。
だから、この地域には有力な群雄が幾つも割拠していた。
朱元璋、張士誠、方国珍、陳友定、楊完者、石抹宜孫etc
また、明代になると富の集積地は湖広の方に移っていく。
(湖広熟すれば天下足る)
81: 名無し 2007/02/19(月) 19:51:00
また、人材の面でも同様の事がいえる。
明の統一後、科挙を実施した時、及第した者の殆どが江南の人間ばかりで、これはあかんと考えた朱元璋が南北更調の制とかいう、中国の北と南で進士の数を同数にするという政策を施行したぐらいだからな。
83: 名無し 2007/02/19(月) 23:28:22
元の圧政・内紛と旱魃などの自然災害の下で荒廃しきった華北では兵糧の補給もままならなかったので、華北の兵の質は高くとも江南を真っ向から敵に回してはとてもじゃないが戦えない。方国珍や張士誠から江南の穀物を輸送してもらってようやくしのいでいたのが実情。
元官僚時代の劉基が方国珍討滅を建言し、退けられたのは有名な話。
その後も劉基は官を辞して郷里の処州に戻り、義兵を組織して、処州の元将石抹宜孫に協力し、賊軍と戦ってはいたけど、ここでも方国珍に睨まれ穀物の輸送を絶たれる事を恐れた元の中央政府によって劉基の戦功は握りつぶされ、(石抹宜孫と劉基の関係は良好だったようで、劉基が執筆した石抹宜孫の戦功を称えた石碑は今でも残っているらしい) 遂に劉基はアホらしくなって、朱元璋に仕官するまで郷里に引きこもってしまった。
85: 名無し 2007/02/20(火) 10:17:17
【江南有利にしては実に疑問の残る南中国の弱さ。】
明の残党の抵抗
⇒三王は江南を支配していたが清軍にあっさり敗れる。
三藩の乱
⇒反乱軍は江南を押さえるが、あっさり各個撃破される。
北伐
⇒軍閥北京政府は江南はもとより、中原まで支配していたが蒋介石に敗れる
日中戦争
⇒江南を本拠とする国民党なんの抵抗も出来ず。
国共内戦
⇒南下する共産軍にろくな反撃も出来ずに撤退。
89: 名無し 2007/02/26(月) 23:57:43
>>85
だから、いつの時代においても江南有利とは限らない。
まあ経済面ではいつでも有利だったかも知れないけど、軍事面では、遊牧民の軍事力と縁がなかったりするし。
90: 名無し 2007/03/06(火) 23:59:41
少なくともこの元朝末期、北方の元朝自体が内紛やらで弱体化していた時においては、江南を制する者が天下を制する、的な状況が生じていた。
84: 名無し 2007/02/20(火) 09:29:04
この時代だと朱元璋を主人公にした小説が多いが
劉基とかの視点の方が面白いだろうな
86: 名無し 2007/02/20(火) 13:32:51
>>84 劉基を主人公にすえるとなると、宋濂、章溢、葉琛などの他の浙東の四先生や、同じく処州出身の武将 胡深などもクローズアップされるだろうな。
劉基
、章溢、葉琛、胡深はいずれも処州の出身で、皆、義兵を率いて石抹宜孫に協力していた経歴のある人物なので、この四人のつながりは相当深かったみたいだ。宋濂は処州ではなく婺州の出身なのでこの四人と少し距離がある。
章溢と胡深はともに王毅という人物に学んだ同門の士だし、胡深が陳友定に討たれる直前、将星が堕ちるのを劉基が目撃するという逸話も伝わっているし、その陳友定討伐に際して年齢の問題で従軍できない章溢の代わりにその息子である存道が朱元璋のはからいで討伐軍に加わっている。
また、劉基等が皆亡くなった後、朱元璋は彼等四人をしのんで、四人の息子を宮城に招いて、家族の様に親しく語り合ったとという話もある。
87: 名無し 2007/02/21(水) 17:29:03
宋濂を出すとなると必然的に胡惟庸の獄の話がエンディングになるな。
88: 名無し 2007/02/21(水) 22:49:46
いや、主人公は劉基だ、息子の劉璟にバトンタッチさせれば、靖難の変まで引っ張れるぞ。『明史』「劉璟伝」にある劉璟と燕王とのエピソードは結構好き。
91: 名無し 2007/03/08(木) 19:03:39
元末の元の残党軍閥弱過ぎ。
明玉珍の夏も今ひとつ中途半端だったな
92: 名無し 2007/03/08(木) 19:28:34
>>91 明玉珍政権だけど、やっぱり歴史が証明している(公孫術、蜀漢、張献忠etc)ように、蜀に拠った時点で、地方政権で終わる事は運命付けられたようなもんだったね。
ただ、他の地域が戦いに明け暮れていたなか、支配領域の平和を保ち続けたその業績は称えて良いと思うよ。
劉禎等、在地の地主たちの支持を獲得し、戦乱を避けて多くの人々が蜀に身を寄せてきたそうだし。
93: 名無し 2007/03/08(木) 22:14:46
確かに同時代人にとっては後北条氏とか劉表みたいな軍閥っていうのは戦鬼みたいな軍閥より有り難いのは確かだね
94: 名無し 2007/03/28(水) 14:42:09
元朝の上都開平府って
どの程度の都市だったのかな?
95: 名無し 2007/04/01(日) 23:48:15
紅巾軍に荒らされたね、上都。
夏の都で、テント主体の都市だったのかな?
96: 名無し 2007/05/02(水) 22:34:44
開元府のある辺りって、砂漠に近い荒れた土地のイメージ。
大きな城市は想像しづらい。
カラコルムのあった場所も、今は何もないね。
98: 名無し 2007/05/19(土) 23:35:51
カラコルムって最盛期の人口はどれぐらいあったんだろう?
99: 名無し 2007/05/21(月) 18:57:23
草原の真ん中のようなところだし、天幕主体となると、数万人規模が限度じゃないかな?
100: 名無し 2007/05/28(月) 20:07:13
盛期のカラコルムの人口は30~40万人程度だったらしい。
あれだけの大帝国の首都としてはちと少ないような。
しかし、現代(モンゴルの人口が約260万人、首都ウランバートルの人口が約80万人)と比較して考えてみると、逆にかなり多いような気もする。
101: 名無し 2007/06/10(日) 23:57:03
遊牧国家の首都だし、天幕が移動してきたりして、季節によってもかなり人口が変動していそうだね。
102: 名無し 2007/06/13(水) 09:53:15
ルブルクとかカルピニの記録を読むと
西方で捕虜になった連中が大勢連れて来られてたらしい
このスレの扱う時代の一世紀ぐらい前だが
103: 名無し 2007/06/18(月) 19:18:05
そういえば、フビライとアリクブカが争った時、カラコルムは経済封鎖でアッサリと干上がってしまったんだよね。
やっぱ、自給可能な人口ではなかったんだろう。
107: 名無し 2007/08/15(水) 23:24:15
朱元璋と劉邦の対
決が見たい。
えげつない手を次々と繰り出す朱元璋に対して、なぜだか運だけで乗り切ってしまう劉邦。
109: 名無し 2007/09/13(木) 23:25:17
>>107
朱元璋は、皇帝即位前は、特別目立つほどの残酷な逸話があるわけでもないし、そんなにえげつない手ばかりを繰り出すとは限らないと思う。
108: 名無し 2007/08/20(月) 19:24:55
朱元璋と劉邦の対決となると
実質的に劉基と張良の智謀合戦になるな。
それはそれで見てみたい。
110: 名無し 2007/09/14(金) 23:11:47
天下統一過程の朱元璋ってのは凄く親しみを持てる感じなんだよね。
即位後とのギャップがまた魅力なんだろうけど。
111: 名無し 2007/09/15(土) 03:10:01
統一前の朱元璋って
決して処刑しませんから降伏してくださいよといって降伏させた敵将を
体中の肉を切り刻みながらジックリゆっくり殺していくという
中国至上最悪の刑罰で処刑したようなやつだろ?
113: 名無し 2007/09/16(日) 02:08:03
>>111
これって具体的に誰を処刑した時の話ですか?
114: 名無し 2007/09/16(日) 17:46:07
>>113 国初事績よりの引用(意訳)
(謝)再興の弟の謝三と謝五は余杭を守っており、李文忠がこれを包囲した。
李文忠は天に二人を決して殺させないことを誓って、説得を行い、謝五は城をもって降伏した。
しかし、太祖(朱元璋)は言った
「謝再興は我が親類でありながら、我に背いて張士誠に降った。情けなどかけて許すべきではない。」
言い終わると、太祖は謝五を凌遅の刑に処した。
115: 名無し 2007/09/17(月) 00:43:00
>>114 有難う御座いました。
謝再興(一族)での話ですか。
まぁ、一説には、朱元璋が人を信じられなく成って残忍に成ったのは、信頼しきっていた謝再興の離反が引き金だったって言う説も有りますからね。
112: 名無し 2007/09/15(土) 15:21:33
戦時は、残酷なことは珍しくなく、そういったことも埋没しがちだから、相対的にイメージの点で目立たないんだよ。
116: 名無し 2007/10/01(月) 01:47:25
それにしても陳友諒って何故あんな巨艦主義に走っちゃったんだろ?
彼の上司だった倪文俊は、小回りの効く高速船を主力とした水軍で元朝軍に連戦連勝してたんだろ?
それを陳友諒自身も配下の一人として見てきたはずなのに・・・
長江が幾ら広いとはいっても、海上ではない限られた空間で行われる
水上戦での小型船の重要性は陳友諒も充分すぎるほど熟知していただろうに。
125: 名無し 2007/11/10(土) 01:32:12
>>116 200年後の明の武将いわく
「海上の戦いに特別な戦術というものはない。大きな船が小さな船に勝ち、大きな銃が小さな銃に勝つ。船の多い側が船の少ない側に勝ち、銃の多い側が銃の少ない側に勝つ」
太祖の意見を聞きたいものです。
117: 名無し 2007/10/01(月) 21:29:12
陳友諒って漁師の家の出身らしいから、水軍には精通していそうなイメージだけどね。
119: 名無し 2007/10/06(土) 11:00:16
>>117
漁師出身だからこそ、自分は水軍関係には精通していると思い込んで、かえって視野が狭くなってしまう場合だってある。
118: 名無し 2007/10/01(月) 22:41:59
そうは言っても、巨艦による水上要塞は、攻撃する側から見ると大きな脅威だぞ。
三国時代では、孫権が黄祖の水上要塞を攻めあぐねて、決死隊を募って艦と艦をつなぐ鉄鎖を切断して、要塞を崩壊させてようやく勝ってるし。
192: 名無し 2012/08/30(木) 14:30:39.94
>>118
なんでも金王朝は、北宋を滅ぼしたときに北宋の女性の皇族、皇后とか日本で言う遊郭にあたるところで働かせていたらしいからな。それのばちでもあったんだろう
121: 名無し 2007/10/08(月) 18:55:42
自分たちが機動力で勝ってるなんて思ってないんだろ。
基本的に、船の大きさが勝敗を決する。
ウチも船がデカけりゃ、もっと強かったって思ってたんだろ。
勝因、敗因なんて、そのつど分析して、次に活かしたりしないし。
129: 名無し 2007/12/04(火) 23:54:20
この時代は漢人は、基本的にみんな成り上がり者だよな。
130: 名無し 2007/12/07(金) 00:25:06
群雄はだいたいそう。
朱元璋や張士誠配下の知識人層には名家の人が結構いるけど。
131: 名無し 2008/02/06(水) 15:06:19
おまけに、異民族政権で、支配階層に漢人がほとんどいなかったからね。
132: 名無し 2008/02/07(木) 13:56:34
元朝の場合、いないことはないけど、かなり冷遇されていたのは確か。
ただし、漢人でも根脚(コネ)を持ってる家柄なら、かなり高い地位まで出世できた。
まぁ、政権内における漢人の権威は明>>清>>>>>元なわけなんだが。
142: 名無し 2008/07/06(日) 06:48:35
この時代で一番の名将ていったら誰だろう?
やっぱり徐達かココ・テムルかな?
143: 名無し 2008/07/09(水) 23:08:01
ココ・テムルは先代もなかなか
144: 名無し 2008/11/07(金) 13:37:46
北伐では徐達が勝ったけどモンゴル高原ではココ・テムルに負けてるしな
145: 名無し 2008/12/17(水) 02:38:49
ココ・テムルの叔父のチャガン・テムルもなかなかの名将
152: 名無し 2010/11/15(月) 20:59:59
朱標が長生きして後継いでたら違う王朝になっていただろうな
都も北京に移さなかっただろし宦官による政治腐敗もなかっただろうし
153: 名無し 2010/11/15(月) 21:15:55
朱標が生きてても、地方に強大な軍事力と広大な領土を持つ諸王がいて危ないんだが。
それに温厚すぎるから、諸王や重臣を抑えられなくて、内乱に突入する気が。
154: 名無し 2010/11/30(火) 16:55:55
それじゃ結局、燕王を皇太子にする以外
明朝の生き残る選択肢が無いってことじゃない?
155: 名無し 2010/11/30(火) 20:19:44
答えは簡単。地方に巨大な軍事力と封土を持つ王を立てなければよかった。
159: 名無し 2010/12/08(水) 18:43:38
>>155
それじゃ対モンゴル北方国境の守りは誰がするの?
160: 名無し 2010/12/08(水) 18:54:18
>>159
他の王朝の皇帝がやったように、信用できて有能な将軍に大兵を与えて守らせればよかったんじゃないか?
半独立の軍事力と行政権を持った巨大な藩国を作るより、軍事指揮権だけを持つ将軍に守らせた方が、反乱される危険がはるかに少なく、中央の統制が効きやすいのは歴史が証明してる。
161: 名無し 2010/12/09(木) 03:08:42
有能な将軍を片っ端から粛清してまで孫の皇位を守ろうとしたのに、よりにもよって一番危険な奴(息子だから皇位継承権を主張できる)に大軍任せておくとは皮肉っつか何つーか
162: 名無し 2010/12/09(木) 05:03:44
劉邦にしても、朱元璋にしても、将来の事を心配して粛清したけど、身内に甘かったな・・・。
両方とも身内に乗っ取られちゃってる。
163: 名無し 2010/12/09(木) 05:43:54
劉邦の封じた宗室諸王の中で呂氏の時代を生き残った人間の子孫が呉楚七国の乱を引き起こしちゃったし、司馬炎の封じた宗室諸王が司馬炎の死後に八王の乱を引き起こして亡国を招いちゃったし、身内に大きな権力を与えるのは、実は実力のある大臣や将軍に大きな権力を与えるよりずっと危険なんじゃないかと思う。
地方の大国に封じられた宗室の実力者が、団結して王朝の危難を救ったなんて事、中国の歴史上では一度も無いしね。
166: 名無し 2010/12/10(金) 17:43:23
>>163
思い浮かぶのは周王朝ぐらいか
でも、あれは反乱側も宗室の実力者だったな
164: 名無し 2010/12/09(木) 06:24:53
朱元璋は青年期に天涯孤独の身になってるから、家族に甘くなる気持ちは痛いほどよくわかるんだよな。
165: 名無し 2010/12/10(金) 10:16:28
だなあ。
孫がピンチになったら、息子たちが一生懸命助けてくれる予定だったんだろう。
それを信じていたところに、朱元璋の業の深さを感じる。
167: 名無し 2011/02/24(木) 20:32:43.29
しかし、この時代は楚漢の戦いや三国時代に匹敵する白熱した、群雄割拠の時代なのに小説や漫画では扱いが少ないよな。
168: 名無し 2011/03/05(土) 22:40:41.82
そりゃ晩年のこと思えば筆も鈍るだろうし、陳友諒討伐で終われば変態皇帝の真骨頂が見られないし、ましてや中途半端な書き方をしたら変態皇帝万歳のここの住民がゆるさない
183: 名無し 2012/08/04(土) 19:47:31.84
農民から天下人になった者は劉邦、朱元璋、豊臣秀吉、毛沢東くらいだよな
184: 名無し 2012/08/24(金) 17:35:34.50
三国志って明初の出来事と重なっている
黄巾の乱ー>紅巾の乱
劉備ー>朱元璋
張飛、関羽ー>徐達、湯和
諸葛亮ー>劉基
余談だが毛沢東と朱元璋も似通ってる
農業重視で商業軽視
知識人弾圧と文化大革命
忠臣虐殺と文化大革命
186: 名無し 2012/08/27(月) 19:03:53.46
唐の皇帝が一番悲惨
太宗、玄宗が目立つけど
高祖 玄武門の変で軟禁
高宗 中宗、睿宗 女禍
粛宗~昭宗 宦官
昭宗 哀帝 貴族 朱全忠による虐殺
唐の皇族の子孫は(朱全忠のせいで?)途絶えているのではないか
朱全忠というのは、どんでもない男だな
188: 名無し 2012/08/28(火) 21:09:41.03
一番悲惨なのは金王朝の最後の皇帝
即位半日後にモンゴル軍によって虐殺される
197: 名無し 2012/08/31(金) 20:43:34.24
唐VS日本 白村江の戦い
元VS日本 文永・弘安の役
明VS日本 文禄・慶長の役
清VS日本 日清戦争
中華民国VS日本 日中戦争
宋以外とは戦争しているね
200: 名無し 2012/10/20(土) 20:20:44.91
南京から天下統一を果たしたのは朱元璋ですが、そもそも北から南へ攻めるのは優しく、南から北へ攻めるのは難しいのは何故でしょうか?
201: 名無し 2012/10/22(月) 17:17:34.68
北のほうが人口が多いからじゃないですか
黄河流域がおおい。