(注)
李世民の議論をされている中で、相手のコメントを引用している部分において、引用部が直前のレスにないところは黄色で強調しています。
あと戦術指揮能力もかなり勝っている。
趙匡胤は個人武勇にものを言わせた破壊型だから。
軽騎戦術での連戦連勝は李世民ならではのもの。
海戦でどうやって個人武勇にモノを言わせるんだ?
おい。清流関と滁州の戦いを知らんというのか?
元々という字をしらんのか?
悪い、言わんとしていることがよくわからない。
趙匡胤が水軍を統率したのは、北伐行の時だし。
揚子江で南唐軍と対したときはあれど、それ以前の清流関~滁州~六合、さらには、楚州の攻防戦と、地に足をつけて戦うことが多かったと見えるけど…?
しかも、自身はハデ好きで、異様に目立ついでたちで乗馬にまたがっていたし。
元々海軍の将校というより、水戦にも長じているところが認められたから、北伐のとき統率を任されたということと理解していたが、違ったのか?
それはですね。韓通は後周の征淮南には従軍していないからですよ。
韓通は後蜀との秦・鳳奪還戦の援軍として赴いたあとは、京城の守備と外城建設を担当していた。開封は柴栄の軍師として名高い王朴と韓通によって守られていたということ。柴栄は韓通を、契丹防衛ラインの建設も含めて、戦場ではないところでその能力を用いていた。征の多い柴栄だけに、そういった頼れる将軍としては韓通があった。
趙匡胤は手元に置いたし、向訓は柴栄が戦線を離れるとき、替わりに遠征軍を統括させたし、李筠、王景らは、それぞれ北漢、後蜀方面に睨みを利かせて動かせなかった。韓通だけが、あっちこっちいろんな任務を任され、よく果したわけ。韓通が陸戦部隊を統括したのは、趙匡胤が水軍を率いた北伐行だった。征淮南においての、趙匡胤の爆裂勇猛ぶりは語り草。でも、その頃がピークのような感じ。
その辺りでも武辺者のイメージに一役買ってるんだろう
飛龍伝は極めつけで、宋太祖起源の武芸も結構あるみたいだし
李世民はやんやかんやで八柱国のプリンス。苦労知らずの貴人・君子のイメージが先攻する
李世民は父親が隋の皇帝の従兄弟だからね。
李世民の妃の一人に隋の公主がいたけど、考えたら再従兄妹の関係になるんだね。
煬帝の娘だね。
呉王李恪を産んでいる。
ちなみにこの人は世民死後に冤罪で長孫無忌に殺されている。
だから、それは北伐行のときだけだっつうの。
淮南平定直後は、帰徳軍節度使(宋州。趙匡胤より前にここの節度使)、侍衛馬歩軍都虞候。柴栄の禁衛、侍衛軍の副将だったわけ。
対して趙匡胤は、殿前都指揮使。少数精鋭のもうひとつの禁衛軍副将。
北伐行のとき、陸路都部署に充てられ、柴栄が趙匡胤と一緒に運河を水軍で遡っているのに平行して、韓通は高懐徳、石守信らを率いて陸路をいった。
後周軍のそのときの左右両翼が、韓通と趙匡胤だったので、陸の韓通、水の趙匡胤と呼ばれたわけで別に陸戦のみが韓通と決まっていたわけではない。
基本は、二人とも後周軍の主力である二つある禁衛軍のそれぞれの責任者だった、ということ。
しかし部下を上手く使うのが皇帝の仕事とすれば、唐太宗は1、2を争う能力がある。
実は則天大聖皇后の方が政治上手かったりして。
建国時の軍人政治家と、平穏時の政治家を較べるのは無理があるか。
なんの基準かによりけりだけど、宋太祖が唐太宗や弟より上ってことはないだろ。
一体、何やったんだ趙匡胤は。
軍才においてさえ、唐太宗は宋太祖より上だと思えるが、どうだろうか?
漢文帝が唐太宗より上かも、というのはわからんでもない。
宋太宗と唐太宗はほぼ同レベルとみる。
自分をかっこよく見せようとしたところや、酒が飲めないこととかw
自分も李世民は好きじゃないが、さすがにこれを見たら可哀想になってきたな。
一時期の諸葛亮みたいだ。(今でも粘着アンチがいるが)
せめて軍事的才能ならば、永楽帝をのぞけば相手にならないとフォローしとこう
李靖ですら戦争からすれば、ある意味、李世民の弟子であった可能性も捨てきれない
(逆かも知れないけどね。実質は李靖はしきっていたとか。そうであっても、あの連戦連勝はすごすぎる)
好きでない理由はどんなの?
一応、後学のために教えてもらいたいのだけど。
>>一時期の諸葛亮みたいだ
よくあることだね。
で、それがひととおり終わると、どういうわけか再評価が始まるという…
「すべて朕の責任だ」と言って
これを呑み込んだという彼。
かっこよすぎると思いません?
しかもその工作はかなり成功してしまって、一般的には名君として定着している。
それが余計に反発を大きくしている。
積極的に(何も欠点の無い)兄殺して、親を幽閉した癖に聖人君子を(狡猾かつ現代に至るまで)アピールするっていう性格はおよそ好かれないだろうと思う。
対して、自分を飾らない創業者が多いからね(劉邦・劉秀・趙匡胤・朱元璋)
テストで100点じゃないと気が済まないタイプ
兄殺しの問題は中国でもしばしば指摘されるが、
ある意味武則天、呂后にも通じるけど、所詮宮廷内部の紛争に過ぎず、
国内の政治は上手く行っているからさほどマイナスにならない。
ただ、それで人気云々になるとまた別の話。
武則天も呂后も自分のやったコトを自覚して、怨みなら怨みで受け入れてる
自分の殺した男の娘を腹心にしたり、青い猫を自分の殺した愛人の霊と認めたり
清濁呑み合わせる王者の風格と言うべきなんだろうか
李世民は自分を正当化しようとしてる時点で、王者ではなく現代の政治家に通じるものがある
兄弟殺しても、史書に自慢を書きたがっても、名君に変わりは無い。
政治能力・軍事能力とは関係の無いことだ。
俺に限らず、大方の論旨は「軍事能力とかはあるけどどうしようもなくDQNだよね」と言ってるんだと思うんだ
チンピラとか、頭悪いとか、常識が無いとかって人じゃ無いからな。
謙虚じゃない、自信家って意味なら合ってるかな。
でも諫言を結構聞いてるけどね。
もう他人の目が気になって気になって仕方なく、世界は自分を中心に回ってて
失敗が恥ずかしくて恥ずかしくて仕方ないのは中二病でしょう
隋末の抗争で、自分の敗北を部下に擦り付けたり
諫言聞かずに遠征したり
多分、一歩間違えば名門高校に入ってプレッシャーで母親の首斬るような男
だが、失敗したにしても、節度を保とうとか、自制しようとする心構えは、中二病やDQNには根本的にない部分でしょ。
そこまで短所にハイパーブーストかけてクローズアップするなら、長所や成功したことも大いにクローズアップしないと公平ではないと思うぞ。
少なくとも、名君を演じようかっこよく見せようとして、失敗あるいは崩壊したのに比べれば、はるかにマシといえるもの。
偽善もできるくせにやらないよりはやったほうがいい。
そんな風に下をみて~よりはマシと程々に考えるにはプライドが高すぎたな
人を信用するが信頼しない男だろ。貴人人の心を知らずってな
小説の題材にはこの手のタイプは面白いんだけどね
自分の殺した男の娘を腹心にしたり、青い猫を自分の殺した愛人の霊と認めたり
清濁呑み合わせる王者の風格と言うべきなんだろうか
李世民は自分を正当化しようとしてる時点で、王者ではなく現代の政治家に通じるものがある
それは思いっきり多くの帝王がやっていることだから、今更驚かんが…
劉邦や朱元璋のことはよく知らないが、李世民を批判するとき、多くのひとが趙匡胤を持ち出している。
彼が先の皇族を保護したからなのだろうが。
だが、実力をもった政敵はきっちり排除しているのは、両者ともなにも変わらないのだ。
一方は好意的にみて、他方は嫌いだという。
それは個人の好悪の念だから仕方ないが、持ち出し方に公平さが欠けているのが鼻につくときがある。
それを持ち出すときの拠り所といえば、『小説・十八史略』だろう。
あるいは『中国の歴史』か。
あれで陳氏は李世民の為政者としての能力は認めつつ、友達にはしたくない、とはっきり書いているw
対して趙匡胤には非常に好意的だ。
その思想に影響されている人も多いかと。
キレて料理人殺したりするけどw
>それは思いっきり多くの帝王がやっていることだから、今更驚かんが…
まあ皇帝全てを対象に入れるなら多いでしょう
でもそんな平均値のような場所に李世民が居るとするコトは誰より李世民をショボいとキミが思ってるのかしら?
>だが、実力をもった政敵はきっちり排除しているのは、両者ともなにも変わらないのだ
一応、建成は同じ唐という中の味方だった訳で。趙匡胤が“排除”したのは匡胤が自立した時点で敵になった連中だろ
曹彬らと話し合いで軍権を返上させたのは、誰がどう見たって穏健なやり方
無論、李世民の立場だってある。彼は次男で、殺さなきゃ自分が独裁者にはなれない。建国の功臣は約束されてたとしても
だからクーデターを起こした。それは自分の欲だろ。これは誰がどう見たってね
それを粉飾する姿を大抵の人間は好きとは言わないだろう。不公平かい?
いやぁ、李世民をそれほど過大に評価もしないが、反面、ケチつけるほど悪くもない、と思い、為政者としてポーズをとったにせよ、破綻していないのが、最終的に評価できるところだな、と。
一応、李世民のあの兄殺しについては、持論では、あれは粛清される側の反撃、という見解なんだ。分かりやすく言うと、源頼朝に排除されそうになった義経が、黙って殺されず反撃し、しかも兄よりよい政治をしようと心がけた、という感じ。
日本では、そういう手合いを激しく嫌うがね。既得権益や権力者に反抗するもの、として。
粛清される側がいつも黙ってやられてばかりではない、というひとつの事例だと思っている。ただし、それをもって、人道的に優れているなどとは思わんけどね。むろん、粛清した側にも、所詮は権力の亡者、というイメージを拭い去ることなどできないが。
>>自立した時点で敵になった連中だろ
名望が他に打ち勝ったのだろうとは思うが、趙匡胤より(たぶん)年長で経験も豊富な禁軍の司令官を立てるのではなく、自分がなったしかもその人が会見を望んでも承知せず無視し、反乱もやむない状況に追い込んだのは、やり口としては李建成に近いといえる。
ただ、李重進は李世民にはなれず、趙匡胤のために攻め滅ぼされたが。悪意に取ろうと思えば、取れる要素は誰にだってある。 しかしまぁ、それこそどこに基準を置くか、だな。
弘義宮が目障りだとしても、どこまでも我慢するしかない。
ヤるしかないなら汚名を恐れずに、初っ端から奇襲を掛けてぶっ殺すに限る。爪が甘いんだよ長男は。
また次男に徐々に勢力を削がれるのを黙って耐えろというのは、淮陰侯の末路を辿れと言ってるのと同じ。
ヤられる前にヤれ、はケンカの基本だが、それ以上に安目を引かないのは鉄則。
手柄に応じた報酬の配分がある。
長男も良く出来てる方だが、次男の手柄はそれにも増して破格。
なので、弘義宮の特権を認める必要が東宮にはあった。
杓子定規に「正常化」しようとすると、こういう悲劇がおこる。
次男が欲目で行動したことを自分勝手と非難するなら、長男にも同様の基準を適応すべきだろう。
俺には長男が嫉妬心にかられて、馬鹿な行動で既得権益を失っただけにしか見えないが。
徐々に勢力を削ったり、減らしたりは別に不味い手じゃないよ。失敗した例もあるが成功した例もある
李世民が劉蒼になりたくなかっただけだろ
特権を認めずに争うのが安目ではなかろうか?
世民死後の後継者たちの盆暗ぶりをみると、子の代まで持ち込めば解決したのではと思ってしまう。
もちろん結果論だけどさ。
弘義宮は所詮李世民一人の力で成り立つあだ花でしかない。
勝負を引き伸ばして建成が勝てたかは分からないが、
実力行使の決断を促して、弘義宮を東宮にそのままスライドさせたのは最悪だろ。
アホ兄説も欲弟説も個人の想像の域をでないわ
平行線だからアンチスレでも立てることをオススメする
部下に罪をなすり付けるのは李世民個人への弁護としては最悪だろ。
最終的な責任はこの兄弟両方にあると思うが。
どっちにしても、反対意見は貴重だから、よくよく耳にしたいと思う。
アンチスレなど不要。
それに自分も、李世民の個人としては別にして、為政者としての態度はあまり好ましいとは思ってはいない。
李世民と趙匡胤、どっちがいい? と言われれば趙匡胤だし…
>>李世民が劉蒼になりたくなかっただけだろ
劉蒼ってのを知らない無学者だけど、それなら李建成だって皇太子の座を手放したくなかっただけ、と言える。
手柄あるものを排除せず、譲渡するという聖人君子な選択肢はどちらにもないのだろうけど。
こんなコト言い出す時点で公平性なんて持ってないでしょ?
それこそ陳御大じゃないが「建成は元から皇太子なんだから、普通にしてればいい」
皇太子であるのが当たり前なのに、なんで手放す必然がある?建成が全くの無能で、唐朝設立に何の貢献もしてないなら兎も角。
これも李世民の情報操作の賜物だけど、唐朝設立が李世民によるプロデュースの如くされてるが李淵、李建成、李世民、みな非凡だったからなしえたことだろう
確かに、李世民は虎牢で敵対勢力を纏めて葬る大金星で唐朝の統一を加速度的に上げたが。
(そういや、秦王時代の李世民なら高句麗遠征はしなかったと思うんだけどな。皇帝になると視野も変わるんだろうね)
すまないね、そこは過剰に反応してみせた。
つまるところ、皇太子と決まっている方が(つまり既存権力者が)、そうでないほうを粛清するのはいいが、その逆はダメとする論法に疑問を持っている。
李建成が凡人の平均より無能、というのではなく、この場合李世民と比べてどうか、というところが問題となる。
仮に李世民がおとなしく飼い殺されたとしたら、それは権力者の傲慢でしかない。
自分に叛逆されたら嫌だから、相手のちからを殺ぐ、というのが論法だね。
クーデターは李世民側の粛清される危険を感じ取った側の、生きるための手段とすれば、
生き死にのギリギリのところでは、李世民のほうに軍配が上がったとみる。
その後、政治を混乱させてたら、李世民はなんの言い訳もできなかったろうけど。
道徳で言えば、肉親を殺しているわけだから、政治の功績でそれが払拭されるわけがないが、それでも無責任に落ち込まなかったあたりを評価できるということ。
これは政治の成果を言っているのだけどね。
態度としては、皇帝としての矜持の高さをびんびんに感じ、かっこうにこだわっているあたり、たしかに気に食わないところもある。
遠征については…… 老害??w
>その逆はダメとする論法に疑問を持っている。
個人的に思うのは自由ですが、法の立場からすれば疑問なんて生じません。
それと、建成と世民を頼朝と義経に例えているので誤解が生じてしまいますが、
別に、建成側は無抵抗で従順な弟を無理やり弾圧粛清しようとしたわけではない
でしょう。弟側は功績を盾に皇帝位を狙った。すでに皇帝位の継承を法的・制度的に
約束された兄側は己の権益を侵害しようとする者の排除を必要とした。
李建成≒相続権のある蕭何
李世民≒寝技にも強い韓信
とみると三者の役割分担と帰結が分かり易い気がするが。
中世の時代の価値観に現代的視点で疑問を持たれても……
大体、建成が世民を粛清するって決定事項的な見方をしてるし
>李建成が凡人の平均より無能、というのではなく、この場合李世民と比べてどうか、というところが問題となる
それこそ源頼朝と義経じゃないけど、両者をどちらが有能かなんて比べようが無い訳だし
皇帝としての李世民は後継者問題を多いにしくじってる。少なくとも李家の家長としては落第だった。
>仮に李世民がおとなしく飼い殺されたとしたら、それは権力者の傲慢でしかない。
>自分に叛逆されたら嫌だから、相手のちからを殺ぐ、というのが論法だね
コレを否定すれば皇帝独裁権も中央集権も成り立たない
コレに疑問を持つようなら、歴史を読んでてイライラしっぱなしだと思うけど?
劉邦も劉秀も趙匡胤も朱元璋も、全員やり方に疑問をもって傲慢だと思うってコトだし
粛清については、当方その線を拠り所としているから、李世民の単なる野心としているあなたの論拠とは、交わる点が少ないのは確かだ。そこは今さらながら気がついた。
李世民が李建成より、というのは政治手腕では比較はムリですわな。
どこが李世民が勝ったか、といえば…
クーデターとするならば、そこは謀略のあたりから、駆け引きにおいて、李建成は相手がそう出てくることを予想していて出遅れた…
あるいは、それさえも予想せずただおとなしく自分の命を聞くと思っていた。
李世民の部下を異動させて動揺を生んだのなら、それを活かしきる必要があったように思う。どちらにせよ、甘さが出ているのは否めない。
誤解されそうだけど、クーデターだから立派、といっているわけではないよ。
その後で、李世民も単なる破壊者だけだったなら誰も誉めないだろう。
>>歴史を読んでてイライラしっぱなしだと思うけど
しっぱなしだね。いやほんとに。
あるいは失笑の連発か…
だけど、カタルシスを与えてくれる帝王がこの歴史にはいる。
自分が評価している類の帝王というのは、その政権内での一番の実力者であることを行動で証明し続けている人物ということになる。
一般の常識から鑑みるとその両者に比べて余りにも批判は少ないね。
自己弁護的な改竄宣伝による効力は大きかったと見るしかない。
改ざん宣伝は、唐という国が一旦女性に主権を握られて、その不名誉(と士大夫は思っている)でさらに加速したということはないのかな?
どちらにせよ、本人も後世の人も、それぞれすごかったんだぞと言い募った結果でしょうがね。
その三人は動物としては一様に優れてると思います。
ただ人間として唐太宗だけが似非君子の仮面を被ってる為に、ほとんど批判を免れてるように感じます。
高句麗遠征は幕僚の誰もが反対したのに何故やったんでしょうね。
魏徴に依存してた面が大きいのでしょうか?
遠征の真なる理由まではわかりませんけど、なにかもっともらしい理由付けがなされているのでしょうよ。 権力者のエゴとして起こしたものと思いますがね。
1回で終らせるならともかく、3度やっているのは、そうとしか思えない。
ブレーキ(魏徴)がなくなったからだけど、そのブレーキをともかくも用いていたのは、かっこうだけであれ、うるさいと切り捨てる皇帝が多い中では、まぁ立派でしょう。権力者には制度上でもブレーキが必要だからね、絶対に。
そういう意味では、北宋初期はよい国家体制だったと改めて思う… しかし長く続くと腐るのは人間社会での運命ですかね(これは脱線だな)。
それだけ見ても相当なモンだと思うけどな
李淵の天下取りに李世民が大きな功績を立てたのは事実ですが、だからって
実質的な建国者だのなんだのと李世民を持ち上げる(李淵を貶める)のは李世民の
罠にひっかかってるとしかいいようがない。
重箱の隅みたいだけど、李淵は天下統一してないですよ。
李世民が強引に帝位についたのは28歳(単なる世襲としてでなく、ね)。
実質的な建国者というニュアンスで言ったのならそうだろうが。