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【六朝】魏晋南北朝3【五胡十六国】

397: 名無し 2007/04/21(土) 21:13:37
小説化されるとしても、主人公が絞りきれないんだろうね 
一番絡むのが慕容垂になるのかな? 
落ちが悲惨だが 

ハッピーエンドが存在し得ない時代の小説なんて暗すぎるだけだ 
晋書あたりでも読んで、際限のない惨劇をタップリと愉しんだほうがいい

398: 名無し 2007/04/21(土) 21:27:02
慕容垂は遠く望み見た敵陣の拓跋珪に旧主苻堅の姿を見るんだよ。
そんで自分らの世代の役割が終わったことを知り、次はきっと成功するだろうという予感に包まれて死んでいくんだ。一応、綺麗にまとめてみた。
400: 名無し 2007/04/21(土) 21:37:32
>>398
拓跋珪の最期も、あんまり褒められたものでもないからなあ

苻堅の政治路線は、石虎の独裁政権の影響が結構影を落としていると思うんだが、口では上手くいえないが、石虎政権の盛衰無くして前秦、苻堅の政治思想は生まれなかったと思う。後趙政権崩壊時の大虐殺→民族融和の理想国家への邁進ってな感じ

402: 名無し 2007/04/23(月) 07:48:30
慕容垂には華があるね、垢抜けてる
好きなのは拓跋燾だけど
416: 名無し 2007/04/27(金) 09:21:20
魏帝曹換の末裔はどうなたの?
417: 名無し 2007/04/27(金) 21:47:18
爵位をもらったんじゃなかったっけ?
孫ぐらいまでは跡を継いでるからおえるけどそれ以降はよくわからん
418: 名無し 2007/04/28(土) 01:22:28
意外とそれなりの扱いはされてたのか
438: 名無し 2007/05/03(木) 02:10:33
蜀漢討伐にでた魏の2将は
晋ではどうなったの?
439: 名無し 2007/05/03(木) 02:17:30
>>438
トウ艾は銀英伝のロイエンタールのような末路を迎えたよ。
劉禅とかに高い爵位を独断で与えたり、専権ふるって蜀行政の合理化やってたりしたら、ショウ会に嵌められて、失脚。護送車に乗せられて都に送られる途中で暗殺された。

鍾会は鍾会で、トウ艾居なくなった後に姜維に丸め込まれてまんまと謀反の策謀に乗せられ、蜀に居た魏の武将達を纏めて監獄送りにしたまでは良いが、残った連中にクーデターされてアボーン。しかも、都にはバレバレで、クーデター失敗してても、大軍に包囲される寸前だったりした。

つまり、二人とも晋の時代まで生きられなかった。

441: 名無し 2007/05/03(木) 03:27:11
そして劉禅は天寿を全うした。
442: 名無し 2007/05/03(木) 04:21:55
劉禅が賢君だったら、諸葛亮が魏呉を討ち果してただろうになぁ。
そう考えると悔しい。
444: 名無し 2007/05/03(木) 08:04:20
国力的に無理だと思うし、何より魏の中核をなす士大夫層、それも漢代から根を張っていた貴族たちの支持を得られないだろうことが痛すぎる。

もし蜀漢に負けると、蜀の有力者(幽州・荊州出身だが家格は微妙)とか地元豪族連とかの下風に立つ、ないしは同格の人間として付き合わねばならないわけで。

もし諸葛亮が涼州・雍州を上手くゲットできてたとしても、心情的に受け入れがたいものがあったんじゃなかろうか?

445: 名無し 2007/05/03(木) 09:32:13
蜀はしょせんド田舎なんだよ。今も昔も。
引きこもるには適してるけどね。

蜀出身者なんて中原から見たら異民族に近い認識でしょ?当時。

446: 名無し 2007/05/03(木) 09:49:11
確か王朗あたりが諸葛亮に「あなたが異民族の中に埋没してしまうのが心配だ…」と手紙を送ってたような気が…

まぁ五胡とは関係ないけどね…

447: 名無し 2007/05/03(木) 11:15:12
>>446
あれは王朗が許靖へ送った手紙ですね
507: 名無し 2007/05/08(火) 23:03:47
姚萇って経歴みるとすごい面白いよな。才能は慕容垂には及ばないけど凄い人間っぽいヤツだ。小説の主役向き
514: 名無し 2007/05/09(水) 22:00:13
>>507
姚萇はヒ水の敗北後に反乱軍の鎮圧に成功して、苻堅の子が敗死してから恐れて逃亡してるんだよね。慕容垂と比べるとやはり格下になるんだろうかな…
515: 名無し 2007/05/09(水) 22:07:20
姚萇の不幸は、親父や兄貴には及ばない器なのに、それでも強敵たちにぶつかっていかなければならない境遇そのものにあると思うんだが
あれで、王猛や慕容兄弟、苻堅、桓温と比べられるのはかわいそうだよ
521: 名無し 2007/05/10(木) 22:33:57
冉閔って強いのか?最終的には負けてるとは云えなんってたって
あの慕容恪を10回も撃破してるんだし。
まあ相性も関係あるんだろけどね。
524: 名無し 2007/05/10(木) 23:30:11
>>521
冉閔は闘いには強かったと思うけど、将に将たる人物になれなかったという印象があるね…
522: 名無し 2007/05/10(木) 23:05:57
冉閔は、自ら苦境を作って壮絶に炎上する投手タイプ
延々と一人相撲をとっていたようなもんだからなぁ
もうちょっと、何とかならなかったものか……

慕容恪は弟の垂よりも戦上手だろうね
寡兵で大軍を迎え撃ち、奇襲し、撃滅するのがこいつほど似合う武将もほかにはおらんだろ
王猛とのガチ対決(最強の王佐の才決定戦)が見たかった

527: 名無し 2007/05/12(土) 18:20:50
晩年の劉裕の豹変ぶりは秀吉に共通するものがあるような気がするね。
528: 名無し 2007/05/12(土) 20:37:50
桓温、桓玄親子の失敗を見ているから、禅譲へもっていくまでに慎重に行動した結果だろ。
529: 名無し 2007/05/12(土) 20:56:21
同じ野心家でも桓温はなんか愛嬌があるけど、劉裕は親しみがわかないな
532: 名無し 2007/05/14(月) 22:16:48
一兵卒からはい上がってきて北府軍を解体された後に劉穆之と反乱を起こす辺りまでは好きだけどな>劉裕
534: 名無し 2007/05/15(火) 13:15:11
劉裕は南朝の皇帝の中じゃ最も質素な皇帝だったと聞いたことがある
535: 名無し 2007/05/15(火) 22:16:22
劉裕は字の逸話が好き
536: 名無し 2007/05/16(水) 14:53:19
>>535
「大きく書けば上手に見えます」って言われて、でっかく書きすぎた話か
質素な皇帝の、ささやかな紙の浪費とも解釈して笑ったよ
550: 名無し 2007/05/25(金) 15:38:13
劉裕に関するエピソードでは字をでかでかと書いたってやつも好きだけど、傷に効くという琥珀の枕を献上されたときに、喜んで受け取ったかと思うと、それを砕いて諸将に分け与えたっていうエピソードも好きだな。
545: 名無し 2007/05/22(火) 23:37:21
劉裕に仕えた連中はロクな死に方をした奴がいないな
547: 名無し 2007/05/25(金) 09:34:20
劉宋なんてすぐ滅んだしね
549: 名無し 2007/05/25(金) 11:15:41
三国時代を含む魏晋南北朝期の王朝は東晋と北魏を除いては殆んど短命王朝だからね
574: 名無し 2007/06/14(木) 22:57:10
北方系異民族がそれなりに力を持てたのに南方系がダメだったのは何故かな?

もともとあまり侵入意欲がなかったのかな?

575: 名無し 2007/06/14(木) 23:27:15
>>574
要因を挙げるといろいろあるんだけど、そのうちの一部として河南・徐州一帯、長江・淮水流域と四川盆地、あとは一部の海岸地帯以外を除くと点と線のような支配しかできていなかった。安定さえすれば国力の回復できた北朝と比べて そもそもの地力が低かった。

ただでさえ、そうなのに宋文帝期の敗北から梁の成立まで国内は常に不安定で内戦・粛正が相継ぎ、北魏の侵攻に対処できず生産性の高い漢中一帯や淮水以北を完全に失うことになった。

とか?

577: 名無し 2007/06/14(木) 23:34:50
>>侵入意欲
士気の問題で言うと、無いと言うより、「できない」状態が長かった。軍事力を統一指揮下に置いて、なおかつ政治的な安定を確保できる政権が無かった。

宋文帝と梁武帝期には可能だったが、宋文帝は不運にも北魏の軍事力絶頂の時代に直面し、梁武帝期は結構締め上げたものの安定した国力のぶつかり合いになりトータルで互角以上にはなれなかった上、浮山堰の不首尾と蕭綜の反逆以後は武帝が軍事的な意欲を明らかに失った。

584: 名無し 2007/06/17(日) 21:11:50
>>577

結局北から亡命してきた皇族や成り上がり軍人を在地の豪族がおしたてて作った連合政権なので、そんなに強力で安定した国は作れない、ってことでOK?
585: 名無し 2007/06/18(月) 18:54:34
>>584
上ばっかり盛り上がってて、実際に戦う人間がやる気がなかったらうまくいかないような
579: 名無し 2007/06/15(金) 01:55:57
よくいわれるのが南は温順な気候で作物もおいしいものがたくさん取れて北方は寒くて食料も少ないから南方から本気で北伐する奴がいないといわれるな
578: 名無し 2007/06/14(木) 23:57:48
>>574
この場合、南方系異民族のことを指しているのか?
580: 名無し 2007/06/15(金) 03:17:28
ベトナム地方のこと言ってるんじゃないの?
581: 名無し 2007/06/15(金) 03:29:29
そういう意味だと、北も南も同レベルになると思うんだが。
南でも蛮人・リョウ人[僚の獣偏になった奴]・越人・テイ人なんかは自分のテリトリーとその周辺で暴れまくってる。

匈奴・鮮卑・柔然・突厥は異民族というか、中原の帝国と対等の隣国って感じだし。比較対象にするには何か違うような気もす。比較対象なら羌人とか奚人とか南下した丁零人とか、そっちの方じゃね?

582: 名無し 2007/06/15(金) 22:09:00
言葉足らずでしたm(_ _)m

南方系は南方系異民族を意図していたので578さんの言う通りで、580さんの言う通りそれなりに体裁を整えていた林邑あたりを意図してました

581さんの挙げていた南方諸族はどちらかと言えばテイを除けば生活の為に衝突してしまったという印象があります
北方系では匈奴や鮮卑は中国本土に王朝を建てようという意欲が感じられます

583: 名無し 2007/06/15(金) 22:28:24
南朝については577さんのお話に近い印象を持っていました
東晋時代の王敦以降から政治の中心と軍事の中心が別れてしまったように思います

575さんの点と線の支配というお話については逆に北において起こっていた現象かと思っていました

588: 名無し 2007/06/25(月) 09:17:15
北朝に異民族王朝が多いのは地勢から?
589: 名無し 2007/06/25(月) 20:51:02
>>588
寒くなってきたので異民族が暖かい方に移動して来た
曹操が安い労働力や軍事力になると思って拉致して来たら、何代か後にそいつらが蜂起した
590: 名無し 2007/06/30(土) 21:44:19
石氏って今で言う何人なん

現在の中東の方の人種だって説があるけど本当かな

591: 名無し 2007/06/30(土) 21:57:37
民族が枝分かれしたり滅びたりしてるから、今でいう何人かという考え方は難しいと思う
魏晋の漢民族と今の漢民族もほとんど別種の様な気がする
592: 名無し 2007/06/30(土) 22:52:35
なるほど今の漢民族も他の民族との混血って事か

匈奴と羯人の違いもよく分からんが、羯人はペルシャ系の移民って説を聞いたことがある。実は絶滅してないってのも聞いたことがあるし

中国人=漢民族ってイメージがあるけど
五胡の時代は明らかに違う人種が存在してたのかな イメージが沸かんw

三国時代の劉備とか孔明とか五虎将や蜀・呉の人間はみんな漢民族だったのかな。馬超あたりは違う部族のような匂いがするんだけどどうなんだろ

699: 名無し 2007/11/07(水) 10:43:53
>>592
羯族がイラン系であることはほぼ確かかも知れないね
羯族が建国した後趙が瓦解し石氏の養子だった漢人の冉閔が羯族に対するジェノサイトを開始した時、羯族兵3000がゾロアスター寺院(胡天)で冉閔に対し籠城したと『晋書』に書かれているらしい

3000人を収容できる大寺院となるとただ単に少数の交易に来たソグド商人のためだけとはいえないと思われるからやはり羯族がイラン系であることは妥当では?

593: 名無し 2007/07/01(日) 01:16:25
石氏は今はほとんどいないけど、学会の流行で言えばゾグド人。
五胡~北朝では、人口の半分近くが非漢族だったという説まである。
とりあえず「興亡の世界史」シリーズの森安氏の本を読むといろいろ印象変わるかもね
595: 名無し 2007/07/02(月) 15:27:45
>>593 漢人から
おまいの顔は彫りか深いので(眼病の治療に)尿を眼にガボガボ流し込んでも大丈夫。
って皮肉を言われた羯人が激怒して石虎(?)にチクって漢人皆殺し。
ってエピソードがあったな。
599: 名無し 2007/07/05(木) 23:21:46
沮渠氏の北涼は牧【牛建】で滅んで無諱と安周は高昌国として扱われるのは何故だろう?

牧【牛建】が囚われの身になって残党がこれを受け継いだのは夏の赫連昌から定のケースとあまり違わないように思うんだが…

602: 名無し 2007/07/06(金) 05:25:18
>>599
無諱は一度、北魏に降伏してから再反逆してるから(北涼との非連続性)。
高昌を占拠してから、しばらくの間、高昌の主だったから(支配の実態)。
宋が安周の高昌王位(河西王位)を承認してるから(第三者からの承認)。
などなど。

特に一番上は赫連定との相違点。
でも、二人とも沮渠蒙遜伝に付随されてるから、実際は北涼残党として見なされてたのは確かだと思いますよ

604: 名無し 2007/07/07(土) 00:57:59
>>602
ありがとうございました
宋書はほとんど手つかずなので高昌王承認は知りませんでした

何年か前に仏教美術展を見に行ったら涼王大沮渠安周という名が刻まれた像があったので、涼王を称していたのかと思ってましたよ

605: 名無し 2007/07/07(土) 02:28:08
>>604
あくまで南北正統王朝側の記録だけ抜き出したので、自称や沮渠無諱・安周側の視点についてまでは何とも。彼らが涼王を称していたか、現地では涼王と見なされていたとも思われます。

後、こちらの書き方が悪かったようで、宋は河西王(従来の宋側から見た北涼沮渠一族に認めた王位)を承認しただけです。ただし、拠点が姑臧から高昌に移っていることは把握・承認しているというところです。
中国側から見た高昌国王という名称は、その後の柔然を後ろ盾とした[門+敢]氏政権に始まっていますので。

606: 名無し 2007/07/09(月) 23:21:43
>>605
重ねてありがとうございます

他国から称号を受けていた勢力は自称との違いがちょっと面倒ですね

南朝だけでなく北朝との両属状態だったりすると、双方で違った称号を受けたりして更に複雑になりそうですね

608: 名無し 2007/07/17(火) 09:23:54
三国志の人物の子孫があまり見えなくて残念
610: 名無し 2007/07/17(火) 22:30:16
>>608
三国志が好きなら…

諸葛氏の一族は東晋にいるよ
諸葛誕の孫だったかな

611: 名無し 2007/07/18(水) 22:10:47
諸葛亮の孫は江州刺史まで昇ってる。
その後はどうかは自分は知らない。
612: 名無し 2007/07/18(水) 22:46:49
>>611
諸葛京だね。
俺もその後はどうかは知らない。
663: 名無し 2007/09/16(日) 17:47:56
(東西)晋と(南北)宋が武力で争ったらどちらが強いかな?
664: 名無し 2007/09/17(月) 01:44:39
>>663
人口・国力・軍事技術ともに両宋期のほうが上。
ただし戦場はナマモノだから、条件の設定しだいで戦術局面では晋が勝つこともありうる。
666: 名無し 2007/09/17(月) 03:39:09
>>664
まがりなりにも晋には相手のミスとはいえ符堅を敗走させた実績もあるしな
670: 名無し 2007/09/21(金) 23:20:23
(南北)宋って言っているから、劉宋ではなく10~13世紀の宋朝なのでは?
西晋→東晋への流れとよく似ているし。

>>666
南宋も、采石機の戦いで、金の皇帝が親征した大軍を撃退している。

671: 名無し 2007/09/21(金) 23:31:19
>>670
あ、そうかw
宋は皇帝が率先する気概をもっているときが一番精強。
そういう軍事態勢だから。
その反面、皇帝にやる気がないと、とたんに「弱卒」と化す。
673: 名無し 2007/09/23(日) 02:55:09
>>671
澶淵の盟の時も、嫌がる真宗のケツを寇準が引っ叩いて無理矢理現地に連れ出してっただけで、戦況が一気に宋有利になったもんなぁ。
667: 名無し 2007/09/21(金) 20:51:09
宋朝は、軍事面においてかなり構造的な欠陥があるし、いざという時に大ポカをやらかしそうな気が・・・・・・
668: 名無し 2007/09/21(金) 20:51:51
特に靖康の変の時なんて、信じられないくらいいい加減な対応で、国を滅ぼしてしまったし……
672: 名無し 2007/09/21(金) 23:41:00
皇帝自身の権力なら、南北朝期よりも宋朝の皇帝の方がずっと上だね。
皇帝独裁権力体制の確立が進んでいるから。
674: 名無し 2007/09/23(日) 09:19:11
宋朝は皇帝の資質が、国の興亡に直結しやすい。
後の明朝では更にそういった面が強まるけど。
676: 名無し 2007/09/28(金) 09:22:36
独裁が強まるのは恐ろしいが、そのほうが責任は持てるんだよなぁ
677: 名無し 2007/09/28(金) 16:51:33
反面そういう制度は肝心の君主が馬鹿だと国そのものまでこけるともいえる
680: 名無し 2007/10/11(木) 13:28:05
五胡十六国について載せてる史料って何がある?
『晋書』『北・南史』『魏書』以外にある??
708: 名無し 2007/11/10(土) 04:16:28
>>680
『資治通鑑』の他に
『北史』
史書ではないが『洛陽伽藍記』で当時の状況がわかると思うが
682: 名無し 2007/10/13(土) 18:40:53
>>680
輯本だけど、『十六国春秋』なんかがあるよ。
ただ、標点本は元より影印本すら入手しづらいのが難点だけど。
中華書局あたりで新たに標点本を出してくれるといいんだけどなぁ。
681: 名無し 2007/10/13(土) 17:22:31
>>680
資治通鑑でもけっこう載ってるよ
684: 名無し 2007/10/15(月) 22:59:16
>>681
資治通鑑って負け惜しみの中華史観の権化みたいなもんだからなぁ
688: 名無し 2007/10/16(火) 21:12:51
>>684
確かに…。
南朝の年号だけを標記したり、北朝の皇帝たちを「主」とか言ったりしてるもんなぁ。
陳の滅亡の年から、陳の皇帝を「主」と呼び、隋の文帝を「皇帝」とか呼び始めるところなんかも…。
このあたり、契丹に対して劣位にあった当時の宋の状況と、その士大夫の精神状態の反映だろうから、資治通鑑は負け惜しみの中華史観、と考えても良いかもね。
燕雲十六州問題、ということもあるし…(北宋あぼ~んの一要因)。
689: 名無し 2007/10/16(火) 21:23:40
>>688
あなたの言っていることは正しい。
司馬光は今の世でいう、勝ち組の論理で政治および歴史を語っている。
司馬光のその姿勢は、自分も(かなり)嫌いだ。
しかし、特に散逸された史書の多い中、資治通鑑は貴重な文物となる。
壮大な歴史小説である《史記》と、その辺は同類とみなすことができる。

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