近世

【ボストン茶会事件】アメリカ独立戦争について語ろう【パリ条約】

2020年12月23日

1: 名無し 2016/09/14(水) 04:07:05.65 0

アメリカ独立戦争(アメリカどくりつせんそう、英: American War of Independence)は、1775年4月19日から1783年9月3日までの、イギリス本国(グレートブリテン王国)とアメリカ東部沿岸のイギリス領の13植民地との戦争である。

現在のアメリカではアメリカ独立革命(英: American Revolution)もしくは革命戦争(英: Revolutionary War)と呼ばれ、主にイギリスではアメリカ独立戦争と呼ばれている。

なお、日本の歴史教科書では、「アメリカ独立戦争」と表記することもあれば、単に「独立戦争」と表記することもある。

この戦争によって、植民地住民はイギリスの支配を拒否しアメリカを政治的独立に導くことに成功した。1775年、革命派は13植民地政府の全てを掌握すると共に、主に政治と立法を担当する第二次大陸会議と軍事を担当する大陸軍を発足させた。

翌年、アメリカ独立宣言を発して、正式にアメリカ合衆国という国家を形作った。戦争の全期間を通して、イギリスは優勢な海軍力によってアメリカ東海岸沿海を制し、海岸に近い幾つかの都市を占領したが、陸軍の兵数は比較的少なく、支配地域は限定的であった。

アメリカ大陸軍がサラトガの戦いで勝利して間もない1778年、フランスがアメリカ側に付いて参戦した。スペインやネーデルラント連邦共和国(オランダ)もその後の2年以内にアメリカ側に付いた。

1781年にフランス海軍がチェサピーク湾の海戦で勝利したことをきっかけに、アメリカ大陸軍はヨークタウンの戦いでイギリス軍を降伏させ、実質的な戦闘は終了した。1783年のパリ条約で戦争は終結し、イギリスはアメリカ合衆国の独立を認めた。

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2: 名無し 2016/09/15(木) 02:52:45.87 0
ボストン茶会事件で白人がインディアンの変装してもすぐにバレると思う

 

3: 名無し 2016/09/15(木) 07:18:49.85 0
白人である事がばれないではなくて
誰であるかがばれなければ問題ないのだよ

 

6: 名無し 2016/09/17(土) 11:54:21.40 0
>>3
「あいつらは何者なんだ」っていうことだね

 

7: 名無し 2016/09/24(土) 20:15:19.72 0
フランス人ラ・ファイエットは今でもアメリカの英雄

 

10: 名無し 2016/09/25(日) 22:55:17.94 0
ラファイエットの活躍には憧れるな

 

11: 名無し 2016/09/27(火) 00:09:52.93 0
ラ・ファイエット、フランス革命ではロベスピエールに負けたじゃん

 

12: 名無し 2016/09/27(火) 01:07:07.04 0
米国では、フランス革命での功績で評価されているわけじゃなし

 

13: 名無し 2016/09/27(火) 01:56:09.14 0
インディアンってどうしてたの?

 

14: 名無し 2016/09/27(火) 15:52:10.02 0

アメリカ先住民は革命軍についた人たちもいたようだが、多くの部族はイギリス側についた
フレンチ・インディアン戦争のときみたいに真っ二つではなかったようだ

ニューヨーク州にいたモホーク族は伝統的にイギリスから銃を買って開拓者の侵略から土地を守っていたので、当然ここでも王党派に付いたが(革命軍についた者もいた)敗軍の将「怪物ブラント」ことジョセフ・ブラントは仲間とともにカナダに移った

 

15: 名無し 2016/09/30(金) 23:23:53.16 0
そりゃまあ開拓者の肩を持つと、インディアンは自身の首を絞めることになるからね。

 

18: 名無し 2016/10/01(土) 23:35:36.87 0
戦略的かつ大局的に言えば、フランスが参戦した時点でイギリスの敗北と
アメリカ独立は決定していた。

 

19: 名無し 2016/10/02(日) 01:23:33.57 0

フランスはブルジョアジーの義勇軍じゃなくて
絶対王政の正規軍を援軍によこしたんだな
イギリスとの利益争いという点ではその後の米仏同盟含め
その選択でフランスにとって利益になったろうけど
それまで空想的な遊戯だった啓蒙主義思想が
アメリカで新しい政体という形を持ち自信をつけて
フランス王政に牙をむく結果になった事を思えば
自分の首を絞めたも同然だろう

フランスはこの戦いが全く新しい「イデオロギーの戦争」としての
側面を持っていたことに気付かなかったのだろうか

 

20: 名無し 2016/10/02(日) 02:24:50.46 0
ラ・ファイエットは理解していたと思う

 

21: 名無し 2016/10/02(日) 12:45:30.73 0
ルイ16世は理解していたと思う。そしてあえてそれをやった。

 

22: 名無し 2016/10/24(月) 10:35:59.09 0
サン・シモンはラ・ファイエットとコシューシコに比べて影が薄い

 

23: 名無し 2016/10/24(月) 11:57:44.03 0
>>22
その3人の中では、サン・シモンがいちばん後世に影響を与えている。
というか土俵が違うだろどういう比較だ。

 

29: 名無し 2016/10/30(日) 18:53:50.44 0
アメリカを助けて得をしたことがあったのか。
いつものフランスらしからぬぞ。お人好しだな。

 

30: 名無し 2016/10/31(月) 03:08:24.00 0
一般的にはイギリスに対抗する為と言われている

 

31: 名無し 2016/10/31(月) 04:23:47.05 0
神の国を建設するため、と英国史ではおそわります。

 

32: 名無し 2016/10/31(月) 10:53:31.26 0
フランスは別にお人好しじゃあない。
ルイ15世時代の七年戦争でフランスは海外植民地をごっそりイギリスに取られてしまった。
そのパワーバランスを回復する手段として、アメリカ独立の援助はコストパフォーマンス最高だった。

 

33: 名無し 2016/11/01(火) 14:34:41.04 0
ラ=ファイエットは現在ではフランスでよりアメリカでのほうが人気がある

 

34: 名無し 2016/11/03(木) 09:09:30.13 0
そりゃ、動機が名誉心であれ革命の理想であれ、
19歳が大海を渡って独立軍の助太刀に参じるとか、
そんな真似できるかい君たち。

 

35: 名無し 2016/11/03(木) 09:29:02.89 0
どんだけ兵率いていったわけ?
1000人くらい?

 

37: 名無し 2016/11/16(水) 19:45:57.82 0
バレン・ヒルの戦いで、2200

 

39: 名無し 2016/12/14(水) 08:09:45.22 0
初期のミニットマンの司令部・病院・基地となったのはタバーン(居酒屋兼宿屋)
レキシントン・コンコートの戦いでは、ミニットマンはバックマン・タバーンに、英軍はマンロー・タバーンを使用した。

 

58: 名無し 2018/07/15(日) 08:50:50.13 0
>>39
逆に考えれば、独立軍が使える、ある程度の広さがある建物といえば
当時は居酒屋ぐらいしかなかったということだな。

 

68: 名無し 2018/10/31(水) 08:39:47.19 0
>>58
教会があるけど、日曜日の旅にスペースを空ける手間がある
裁判所があるけど、裁判の度に空ける手間がある。

 

40: 名無し 2016/12/17(土) 06:36:57.01 0
ラファイエットが有名だけどロシャンボー伯も活躍している。
1780年に7000名を引き連れて米国に上陸。
英語ができないので通訳を介してワシントンと会談している。

 

42: 名無し 2017/05/29(月) 15:25:43.45 0
アメリカは独立支援に奔走してくれたカロン・ド・ボーマルシェも顕彰すべきだね。
フランス政府に参戦するように働きかけ、独立軍に大量の物資を送ってくれた。

 

43: 名無し 2017/05/30(火) 02:09:27.77 0
アメリカにはラファイエット通りとラファイエット公園というのがある

 

44: 名無し 2017/07/23(日) 08:22:29.25 0
アメリカ海軍のミサイル駆逐艦にもグラース侯爵号というのがあった
この人のおかげで独立できたわけだからね

 

59: 名無し 2018/07/15(日) 12:20:16.37 O
独立前の,大陸会議って組織は
司法権と立法権はあるに,行政権が無いという
特殊な機関だったんですよね

 

68: 名無し 2018/10/31(水) 08:39:47.19 0
>>59
対外部との団体交渉権と各植民地の共同歩調の枠組み形成ぐらいしかない。
だから大陸議会ではなく大陸会議と訳しているんじゃないか。

 

63: 名無し 2018/09/11(火) 04:22:51.84 0
フランスの参戦なしで勝てたろうか

 

64: 名無し 2018/09/11(火) 16:30:41.42 0
それは無理だったでしょう

 

65: 名無し 2018/09/12(水) 22:05:22.76 0
スペイン軍も手伝ったのです
忘れないでください・・・

 

66: 名無し 2018/10/04(木) 20:14:26.36 0
見方を変えれば、8年間の独立戦争を経たからこそ、
アメリカの植民地群はひとつの国家としてまとまったと言える。
イギリスが最初から独立を認めて独立戦争がなけれな
13植民地バラバラの小国群になったのではなかろうか。

 

67: 名無し 2018/10/04(木) 20:45:44.44 0

国家としてはまとまっていない。
旧英国米植民地連合、協同にすぎない。

13個の自衛隊の司令官の上に統合作戦本部のような組織
外交代表

連合会議で連邦国家としてまとまりはじめた。

 

70: 名無し 2018/12/02(日) 05:15:47.62 0
トマス・ペインの『コモン・センス』って何が常識なのですか?

 

71: 名無し 2018/12/02(日) 05:25:31.95 0
世間の常識として広めたい俺様の意見

 

75: 名無し 2018/12/09(日) 08:03:53.93 0
『常識』で世に知られたわりに
筆者のペイン自身は周りからかなり浮いた人物だったのだ

 

76: 名無し 2019/01/27(日) 11:00:59.50 0
ナポレオンに「ペインさん、もう結構です」と言わせた。
いついかなる時も空気を読まない男それがトマス・ペイン。かっこいい。

 

77: 名無し 2019/01/30(水) 06:43:43.09 0
トマス・ペインが『コモン・センス』を出さなければアメリカは独立しなかったのですか?

 

78: 名無し 2019/02/02(土) 06:47:26.38 0
植民地を独立させただけでは飽き足らず、イギリスでも革命を起こそうとする
イギリスからみると超迷惑な人物。

 

79: 名無し 2019/03/18(月) 01:49:49.37 0
お前ら年号とかどういう語呂で覚えてる?

 

83: 名無し 2019/05/06(月) 11:07:34.26 0

>>79
1776年は、「アメリカ独立宣言」、「アダム・スミスの国富論」、「ジェームズ・ワットの蒸気機関」と、英米の近代を象徴するものが3つもいっぺんに登場した印象的な年

自然と記憶に残るので、語呂合わせするまでもない

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