初代国王クローヴィス以前のファラモン、メロヴェ、クローディオ、スンノ、メロバウドゥス、Genobaud、Malcomer といった指導者もありです。
不思議だよな。
東フランク、西フランク、ブルグント、プロヴァンス、イタリア。
「分裂」「分国統治」「分割相続」がとにかく混同・混用されるな。
ローマ帝国は「分国統治」
フランク王国は「分割相続」
どちらも分裂というのとは違う。
結果的に分裂に繋がっている。どちらも。
サターン派ハビル三世は、イギリス王国が少しでも有利に働くように世界中に間者を送り込む事を提案したのが、フランク王国に漏れてしまい、ハビル三世はイギリスが暗殺さざるおえなくなった。
その為イギリスはフランク王国に只ならぬ憎しみを抱くようになったのが、本当の話w
自業自得なのに他人のせいになんかするから…悪魔崇拝のトップにまで上がったんだねw
フランスに乗り込んだイギリス人は、早速フランス王国の国王になったんだよな。
北部イタリアは、トルコユダヤ、ギリシャ人の混血だというのが正解。
未来のフランス人、特に女性は自堕落な生活を送るしかできなくなるような絵。
黒人が心配してうるさく言ってるが、フランス女性は生返事。
傷を癒す事もないまま、正義を重んじた後遺症だ。
生贄もかなり出てきている。
日本とは直接関係のないもの、アフリカが関係してくるもの。
フランス人はイーリスになる事になるだろう。
わかる事はあまりない。
隠れて一生を過ごすか他の国に逃亡するかしか選択肢がない女たち。
始祖ピピン3世の父カール・マルテルに因んでカロリング朝。
おかしくない。この時代のゲルマン人は姓が無いのでご先祖様の名前を家名にするわけだ。
フランク人には姓がなくカロリングは宮宰カール・マルテルに因み「カールの」程度の意味しかないらしい
カール・マルテルの父はピピン2世(中ピピン)でその父はアンゼギセル
アンゼギセルの父はメッツ司教のアルヌルフということからカール・マルテル以前はこの一族のことはアルヌルフィング(アルヌルフの)と呼ばれていた
あと現在のドイツで同じくフランクの血統を色濃く残してるのってフランケン大公領だった
ところの人達?
はいそうです
しかしながらカロリング家の血統はLudwig(IV.) das Kind の死(911年)で断絶してしまいます
その東フランク王位を継いだのは同じフランケンのコンラディナー家の Konrd I. です
しかし、彼には嫡男がいなかったのでザクセンのリウドルフィング家の Heinrich(I.) der Vogler を後継者に指名して918年に歿します
このコンラディナーも Konrad I. の弟のエーバーハルト3世が相続しますが、939年に反乱を起こし戦死し断絶してしまいます
この件によりフランケン太公位(領)は消滅し、皇帝(ローマ王)の直轄となります
Konrad I. 娘婿、もしくは妹の子がザーリアー家のヴォルムスガウ伯ヴェルナー5世であり、その子孫がザーリアー朝として後にローマ(ドイツ)王およびローマ皇帝を世襲することになります
ゲルマン起源の名前しか見かけん感じやけど
狼:Loup 発音:ル
8月:Aout 発音:ウ
で思った事
フランス語って綴りとか発音の面で他のラテン系言語とは一線画してる感があるけど大きな影響を与えたのはフランク人?ガリア人?
フランク語の末裔の一つといわれるオランダ語もようつべ聴く限りだとフランス語ほどには綴りと発音が乖離してない感じだし,8月を意味する
語彙の綴りも
オランダ語:Augustus
フランス語:Aout
って具合にオランダ語のほうが本来の原型をとどめてるような…
っていうクラインになるんだっけ。
日本では大半の書籍では、フランス語読みの「クロヴィス」でなく、英語ないしドイツ語読みに近いクローヴィス1世の表記が用いられる。
「メロドラマ、芝居(481)がうまいクロービス」と覚える
夏が恋しい(751)カロリングにピピンときた
ベルギー最古の町であり、フランク王国初代のクロヴィス1世が生まれた地であるため、フランス揺籃の地とも言われる。
世界遺産も2件登録されている。フランス国境に近い。
フランク王国の首都をパリに置いた
千年の古都・パリの歴史はここに始まる
カロリング朝は、そうではなかった
シャルルマーニュ大帝は、帝国の中心をライン川沿岸に移した
そらそうだろうよ
カロリング(アルヌルフィング)家の根拠地がアウストラシアなんだから
メロヴィング朝の歴史は彼らがローマ帝国の遺産を背景にしてガリアを中心に覇権を打ち立てた時代。
カロリング朝の時代は、ガリアを本拠地とするフランク王国がゲルマニア方面に前線基地を置いてゲルマニア征服を遂行した時代。
クロドウィクス、クローヴィス、ルートヴィヒ、ルイ
これらは同義異形の人名なんだよな。
ヒトラーの親父の名もこれらと同系だったなんて
フランクとイングランドの接点
カール大帝がアルクィンを招聘したことと、西フランクから土地をもらったヴァイキングの子孫がイングランドを征服して同地にフランクの文化をもってきた事ぐらいしか知らんかった(´・ω・`)
そもそも、カール(カルル)って人名そのものが、アングロサクソン語のケオルル(チェオルル)=「自由身分の男」に由来しているという説もある。
それから、サリー系フランク人の葬送文化に石棺を埋葬するときに行列状に並べる、というものがあるが、この風俗がイングランドにまで伝播していて、アングロサクソン小国群にフランク王国が大きな影響力を及ぼしていた証左とされている。
(シャルルはルイと並ぶフランス王室の典型的な名前)
↓
シャルル=ジェームズ本人はジェームズと名乗る
(スコットランド王としてはジェームズ6世、イングランド王としてはジェームズ1世)
↓
シャルル=ジェームズは自分の子供にもシャルルと命名
↓
シャルルがイングランド王チャールズ1世として即位しチャールズの名が英語圏に広まる
という感じで英語圏におけるチャールズという名の歴史が人名関連の書籍で触れてあったけど,それまではカール,シャルルに相当する名が英語圏では用いられてなかったとも書かれてた。>>59氏が挙げてるケオルルがこういう形でイングランドに逆輸入されるなんて…
というか、相当ローマ化された連中だけどね。
ゲルマン系戦士の墓から、良くローマ軍支給のベルトとかスパタが出てくるんだよね。
そういやフランス語はフランク語由来の単語が結構あるみたいですが
ドイツ語やイタリア語はどうなんでしょ
ガリア語由来もあるそうです。
南フランスの言葉は、フランクの影響がほとんどありませんが。
フランク王国が北から来た征服王朝だから
要は中国の首都が北京なのと同じ
カロリング朝の本拠地は、ライン川の上流・中流
誰かいい人いないかしら」
王 「そうか、探しておこう」
王 「妹御の相手、決めたぞ」
王妃「それはよかったわ。で、どなた?」
王 「ん・・・この国第一の騎士だ・・・」
王妃「え?」
という逸話、メロヴィング王朝史話にあるはずなんだが、見つからない
この国第一の騎士ということは、王自身
正確に言うと騎士はまだいない
重装騎兵部隊が成立してくるのがカロリング朝期、封建制で養われる騎士身分が成立してくるのが10世紀くらい、だったっけ。
確かそうです。
スコラだったかそんな名前です。
「この国第一の男を夫にしてやったぞ」
じゃなかったかな。
いや、もっと後世のキルペリクとかそこら辺の話じゃなかったっけ。
ガリア系の名にすればよかったのに
西フランクはメロヴィング朝以来のフランク王国の本土。
東フランクはフランク王国によって軍事占領されたゲルマン系諸部族の部族大公の地。
カール大帝の帝国は「フランク王」と「ローマ皇帝」を一人の君主が兼ねる体制だったが、そのうちフランク王国本土たる西フランクでは君主がフランク王位を継承。
一方、フランク王国による被征服地で部族大公の寄り合い所帯だった東フランクでは、この寄り合い所帯の盟主を部族大公たちが持ち回る体制が確立されていき、その盟主がローマ皇帝位を継承した。
こういう下地があるので、西フランク>フランス王国ではカロリング朝の断絶後の地方分権化をカペー家の歴代の王たちが中央集権の回収に向かい
東フランク>神聖ローマ帝国では分権化が温存され、
部族大公>領邦君主の連合政権としての方向性が強化されていくことになる。
実際、文明度、人口、経済活動密度ともに
ネーデルラント>ラインラント>スイス>北イタリア
という土地の連鎖、いわゆる「ロタリンギア」地帯が
フランク王国旧領のなかで隔絶した地位を保ち続けるんだよね。
産業革命より前の段階で、この地域の人口密度は旧西フランク、旧東フランクの主要部分よりひとケタ高かったらしい。
結局、フランク王国分割後の歴史を大雑把に言うと、西フランク>フランス王国と東フランク>神聖ローマ帝国がロタリンギアの領有、覇権を奪い合う歴史になったと言ってもいい。
それが、ポストモンゴル時代、ルネサンス時代に金融制度が革命的に進歩すると、このロタリンギア地帯が独自の政治勢力として台頭してくる。
最初は北イタリアの諸都市で、次いでネーデルラントで高度な産業社会が勃興、両地域を結ぶスイスの峠道の関税利権が重要度を増す。
この流れで起きたのが、スイスとネーデルラントの独立闘争。
21世紀の今でも「ブルーバナナ」と言われていて、「長兄の国」エリアの経済・人口的中枢っぷりは健在だよね。
だが不思議なのは、このエリアが一貫して、エスニシティの境界地域であり続けたこと。そもそもフランク王国3分割の段階で、ラテンとゲルマンの言語境界線は、現在とそれほど変わっていなかったはず。ラテン圏もゲルマン圏も、よりによって端っこが一番発展していたことになる。
だから、後に「独自の勢力ガー」といっても、どうしてもここを中心にまとまらない。無理に国を作ると、ベルギーのように宗教を揃えても言語的な分断国家になって政府が長期崩壊する事態になる。
結局、ロタリンギアで政治的独自性を樹立できたのは、アルプスの峠道を押さえたスイス連邦と、北ネーデルラントから台頭したオランダだけだったんだよね。
特にオランダは近世ヨーロッパ初代の「ヘゲモニー国家」となり、投資、アウトソーシングによってスウェーデン、ロシア帝国のみならず、大英帝国、アメリカ合衆国という次世代「ヘゲモニー国家」を生み出していくことになる。
そうですが、オランダやベルギーでフランク人としてのアイデンティティが高まっていた時期はあったんでせうか
アラゴンはバスク(ナバーラ)だけでなくカタルーニャも包含していったからな
確かフランスのブルボン王朝の諸王はナバラ王国の国王であった訳だがどういう経緯でナバラ王位を継承したんだったっけ?
確か、フランスのカペー王家のブルボン家がナバラ女王に婿入りして、それでナバラ王位を継承している。
むしろアラゴン王国はナバラの分家。
バスクは先住民族の中のエリート。
まあぺラーヨの実在や素性からして嘘くさいけど
スペインに伝わる化け物がペラーヨw
スペイン南部に伝わる神を冒涜した白人に対して。
レコンキスタの初期の担い手もバスク。
ヒャッハーなゲルマン人の子孫だったから?
インディオは、スペイン人に虐殺された人口より、彼らが持ち込んだ伝染病で死んだ人口が多かった
案外バスク人の比率が高いんだよなぁ。
バスク人は「山岳民族」という印象が強いが、実はビスケー湾を舞台に活躍した海洋民族という側面がある。
中世にはバスク人によるビスケー湾捕鯨が盛んだったし、北西ヨーロッパ人がカナダを「発見」する前からその沖合にバスク人漁師がタラ漁に来ていた。
天然痘と麻疹(はしか)が双璧だった。
江戸時代の日本でも「疱瘡(天然痘)のきりょう定め、麻疹のいのち定め」と称せられるほどに多くの命を奪っていた。
ましてや、成人になるまでに麻疹感染経験のなかった新大陸やポリネシアの先住民はバタバタ死んでいった。
最近アマゾンの密林で続々と弥生時代の環濠集落みたいな農耕集住地のネットワークの遺跡が高密度に埋まっているのが確認されているので、「アマゾンの未開の先住民」というのも、実はこの時の天然痘と麻疹による大量死で文明が維持できなくなって原始生活に後退したのでは、という話もちらほらうわさされる様になってきている。
という事は、スペイン以前にも新大陸に旧大陸から誰かが来ていたってことか。
インカ帝国がそれで壊滅しているのだから、アンデスから伝わってとは思えないしな。
いや、アマゾンの農耕コロニーネットワークが壊滅したのが、どうもイベリア人の侵入のタイミングと一致するみたい。
で、本格的なイベリア人との接触寸前に先行して流行していた感染症で人口崩壊していたということ。
まぁ、14世紀後半から19世紀半ばにかけて、絶賛「小氷期」ただなかだからねぇ。
結果(バスク系だった)王や貴族もラテン語話者になってしまった
ほどほどでやめときゃよかった
九世紀末ごろの時点ですでにアストゥリアス王国内ではラテン系が多数派になったという
イスラム圏に長く入ってたおかげで、アラビア語からの語彙が多くなったけどね。
西ゴートもアリウス派の消滅とともにゴート語は消滅したし、アストゥリアス王国やカスティーリャ王国では王や貴族はバスク語からラテン語に乗り換えていった
一方、ローマ人やアラブ人は先住民に自分達の言葉をしゃべらせていった
文明度の違いか。
アルプスを挟んで北のロタリンギアと南のイタリア。
上の方でも述べてるけど、当時、というより産業革命以前の歴代の時代を通じて、この地域こそが、西ヨーロッパ社会で人口密度も産業活動密度もけた違いに大きい、もっとも豊かで繁栄した地域だったんだ。
ライン川の沿岸から、北イタリアの平野にかけての細長い領域
そこは「黄金のバナナ」とも呼ばれる、ヨーロッパで最良の地
黄金のバナナは、ドンキーコングだよ
その「ブルーバナナ」の南北ユニットを結ぶ交通の要衝がスイス。
ハプスブルク家がスイスを出発点に発展し、ハプスブルク家が留守にしたスイスが独立するぐらいに力をつけたのも、「ブルーバナナ」におけるスイスのポジションに秘密がある。
皇帝マクシミリアンがインスブルックに首都を置いたのも、それだな
ビンゴ!
ロタールの国=ロタリンギア(ラテン語)=ロートリンゲン(ドイツ語)=ロレーヌ(フランス語)
貴重な財源の一つでもあったんかな?
ありがとう。ゲルマン系のいずれかなんだね。
関係ないけどYouTubeで「ケルト系音楽」とか検索して聞くと、中2病みたいな連中がケルト大好き!とか書き込んでるんだよ。
でも、笑えることにケルトについて全く知識が無いんだよな。
ケルト音楽ファンだからと言ってケルト民族に詳しい必要がどうしてあるのかね。
ハワイアンをうたってる人だって、ハワイイ人の悲しい歴史にはほとんど興味ない。
ケルティックもそうだけど、ゴシックも相当意味やイメージの一人歩きが激しいね
建築のゴシックの時点でゴート族とほぼ無関係だけど、その後の小説や絵画や音楽やファッション等のあれこれはゴート風とは一体何なのかという思いを呼ぶ
フォントのゴシック体は現代では簡素、対称的な部類の字体でゴシック建築とは正反対
ゴスロリファッションの人にゴート族の事聞いても何言ってんだこいつと思われるだけだろうな
「両王はラテン語でも自国の言語でもなく、お互いに相手国の言語を用いて兵の前で宣言し、両国の兵はそれぞれ自国の言語で誓いを行った。これは、この頃までにカロリング朝フランク王国が東西に分裂した証拠と考えられてきた。」
それぞれの王は相手国の言語で両国の兵に宣言した。東フランク王国の住民はもともと使ってた古高ドイツ語を使った。のちのフランスに当たるガリアではゲール語が使われていたが、古代ローマに征服されて俗ラテン語が広まってガロ・ロマンス語が成立した。ガロはガリアの事。ガロ・ロマンス語はラテン語の方言だったが、古フランク語の影響で大きく変化して古フランス語が成立した。古フランク語はフランク族が使っていたであろうと考えられるゲルマン系の言語。
以上のことから古フランク語と古高ドイツ語とは関係ないようだ。
そして在命中に息子を分王国の王として任命。
王位継承の安定化を図ったが、この構造は学習者には覚えにくい。
私も中世初期の史跡を訪ねてヨーロッパに出かけますが、西ゴートやカロリング期の建物はあっても、メロビング期のものはなかなかないですね。どこかご存じのところがあれば、教えてください。
創建がメロヴィング朝時代なのは、トゥールのサンマルティン教会、サンドニ、サンジェルマンデプレ(パリ)だけど残っておらず、比較的残ってるのは、ヴィエンヌのサン・ピエール教会のようです。
厳密にいえば創建は西ローマ時代(5c中ごろ)だけども、一部にメロヴィング時代の建築技術が反映されているようです。
まあイベリア半島のほうはゲルマン祖語まで遡ればBlancと同源なゴート語に由来してるかもしれんけどw