中世欧州 イスラム

【マイナー】メロヴィング朝フランク王国

1: 名無し 2006/06/22(木) 23:10:54 0
5世紀初頭のローマ支配崩壊から、751年のカロリング朝成立まで。
古代といっても中世といってもしっくりこない移行期王国。
世界史的にもマイナーですが、なんとか語りましょう。

参考文献は
「世界歴史大系 フランス史 1」(山川出版社)第2章・第3章
「メロヴィング王朝史話 上」(岩波文庫)
「メロヴィング王朝史話 下」(岩波文庫) 

他にいい本あったら教えてください。

7: 名無し 2006/06/24(土) 10:38:14 0
中央公論版の「世界の歴史 中世ヨーロッパ」で
末期の王たちは12、13,14歳で父親になり、へい妾たちの遊びものとなって夭折したなんて記述があったけど、
正直萌えた。

8: 名無し 2006/06/24(土) 22:46:34 0
>>7
傀儡としても、王の血統が必要だったから、早めに女あてがったのかな。 

5世紀末成立したメロヴィング朝も、
7世紀半ばには幼王が即位したりして、グダグダ。
689年のテルトリイの戦い以降は、宮宰一族の完全な傀儡。
で、751年、最後の王が王位剥奪の上、修道院に追放。
カロリング朝が成立する。

10: 名無し 2006/06/25(日) 20:23:38 0
クローヴィスの母バシナは、もともとテューリンギアの王妃で、夫を捨ててシルデリック(クローヴィスの父)のもとに走ったといわれている。

11: 名無し 2006/06/26(月) 19:52:05 0
傀儡化してからカロリング朝成立まで結構間があいている。
簒奪に教皇の権威を借りるぐらい簡単に思いつきそうなものだが
当初はキリスト教の権威もそれほどではなかったのだろうか。

12: 名無し 2006/06/27(火) 22:31:38 0
>>11
ものの本に「良心が咎めた」って出てたよ。

25: 名無し 2006/07/03(月) 20:38:44 0
>>11
>当初はキリスト教の権威もそれほどではなかったのだろうか

中世初期のローマ教皇は、「キリストの代理人」ではなく「聖ペテロの代理人」
と名乗っていたぐらいだからな。
ローマ教皇が「キリストの代理人」を名乗るようになるのは、インノケンティウス
3世(在位1198年 - 1216年)の時代から。

13: 名無し 2006/06/28(水) 01:42:48 0
良心というよりは、メロヴィング家の王に宿ると考えられていた
霊威への信仰が非常に厚かったという事の方が大きかったかと思います。
メロヴィング家の最後の王の追放は、キリスト教の権威に頼るのではなく
王の霊力の源であると考えられた長い髪を切り取る事で行われました。

14: 名無し 2006/06/28(水) 02:18:36 0
>>13
それにしては、メロヴィング期は暗殺がやたら多かったな。
国王・宮宰がやたら暗殺され、そのたびに局面が変わる。
特に6世紀段階。
フランスもカロリング朝・カペー朝以降は
国王が殺されることはまず無いのにねえ。

16: 名無し 2006/06/28(水) 03:13:25 0
>>13
髪を切ったというのはそういう意味があったですか

15: 名無し 2006/06/28(水) 02:27:21 0
王を殺すのは良いんだよ、メロヴィング家の血を引く者を引っ張ってこれば良い話。
メロヴィング家を丸ごと放逐するのとはワケが違う。
メロヴィング朝の継承方法では兄弟間の対立は必至だから、王が死ぬって事が
不自然に感じられなかったという事もあるんだろう。

17: 名無し 2006/06/28(水) 14:28:07 0
メロヴィングの王は長髪にしてたから、
髪を切るのは、まあ、象徴的な処罰・失権の烙印として、おこなわれていた。
宮宰でも、髪を切られ、修道院追放された者いるから、
長髪は当時のゲルマン王侯貴族の風習なのか??

21: 名無し 2006/06/28(水) 20:26:19 0
>>17
トンヌラも言っているが、髪は霊力や権威の象徴と考えられていた。

22: 名無し 2006/06/29(木) 01:06:57 0
メロヴィング朝にゲルマン的イメージを与えるのに
グレゴリウス歴史十巻は大きく寄与しているとされる。
衣装とか見ると、5世紀のローマは既に中世っぽい装束だから、
グレゴリウスによって与えられたイメージがなければ、
5~7世紀くらいは、同じようなローマ社会が見られたのかもね。

ただ、そもそも歴史映画などで大量に出回っているローマ帝国の
イメージが、2世紀以前のものだから、4,5世紀のローマの映像が
もっと出回れば、そもそも後期ローマ帝国のイメージが変わり、
より、「移行期王国」との連続性が印象上でも、見られるかもしれないね。

23: 名無し 2006/06/29(木) 01:24:59 0
>>22
逆に、ゲルマン的要素を、グレゴリウスがあれだけ強調してるのは、
6世紀段階でも、ローマ的基盤がしっかりしてたのでは。
グレゴリウスの感じだと、「ゲルマンの野蛮人風情が!!」
ってニュアンス濃厚。
所詮、ガリアに流入したゲルマン人は人口的に圧倒的少数派。
一種の征服王朝でしょ。
ちなみに、グレゴリウスのおかげで、メロヴィング諸王のイメージ、
かなり下落してるような。

35: 名無し 2006/08/08(火) 14:58:04 0
>>23
南部にはゲルマン人はあまりいなかったが
北部は相当数いたらしい
ゲルマン人はローマ時代もあわせて1000年かけて北仏に移住してきたからね
実際、仏語単語の15%はフランク語起源といわれる、しかも基本語や生活関係語が多いことから
ゲルマン人がラテン化したことを示す

26: 名無し 2006/07/05(水) 10:29:47 0
クローヴィスの孫の時代は兄弟間で戦争ばかりしてたのに、よく近隣から攻め込まれ
たりせず王朝がもったと思うよ。
当時の西ゴートなんかは国力弱かったのかな?

27: 名無し 2006/07/05(水) 11:52:38 0
>>26
政略結婚のおかげだろうか?
ジギベルト1世の妻は西ゴートの王女だったし。

28: 名無し 2006/07/12(水) 02:04:05 0
>>27
弟のキルペリックも真似をして西ゴートから王女を迎えたけど、あまり魅力のない
女だったせいか飽きて殺しちゃったんだよな。

48: 名無し 2006/10/02(月) 23:05:36 0
>>47
それ話が逆。戦時罰令権の通常時への伸張がメロヴィング朝の王権確立に繋がったの。

41: 名無し 2006/09/18(月) 12:43:31 0
トゥールのグレゴリウスの『歴史十巻』に「ソワソンの甕の話」というのが
出てくるね。

クローヴィスがまだキリスト教に改宗する前、略奪品の中で壷を分け前に
くれるように戦士達に言ったところ、一人が「籤が正当にあなたに当たえる
もの以外に、あなたはここから何も取ってはいけません」と叫んで戦斧を
壷に突き当てた。

国王といえども、略奪品を自分の好き勝手にはできなかったという話。

43: 名無し 2006/09/22(金) 01:26:21 0
>>41
でそのあとしばらくして、
閲兵中にその戦士に手入れがなっていないと難癖をつけて武器を叩き落とし、そいつが拾おうとしてかがみこんだ瞬間に斧で一撃して曰く
「ソワソンではこんなかんじで壷に一撃食らわせたよなw」

その壷というのが掠奪先の修道院長からそれだけは返してくれと頼まれたので分け前として要求。
それを知ってた他の部下はおkと言ったのに、そいつが原則論を振り回したせいでクローヴィスの面子が潰れることになった。
いつの時代にも空気の読めないバカはいるということか。

45: 名無し 2006/09/23(土) 02:55:07 0
>>43
それは王の根回し不足が原因だったのに逆恨みしただけの様な…
というか、一度正当に配分してからでも、代価を払って返還させれば済んだことを
王権を振りかざして特別扱いを押し通そうとしたことが問題なのでは?

47: 名無し 2006/10/02(月) 13:57:53 0
>>43
なんか、同類の話あったよね。戦時には、王といえでも、
勝手な処罰できないので、戦争終結して、みんなが集落に帰還した頃に、
問題人物あぶりだして、処罰したとか。

48: 名無し 2006/10/02(月) 23:05:36 0
>>47
それ話が逆。戦時罰令権の通常時への伸張がメロヴィング朝の王権確立に繋がったの。

46: 名無し 2006/09/25(月) 00:16:20 0
特例をちょっとづつ既成化して王権を伸長させていく地味な王様萌え

51: 名無し 2006/10/06(金) 14:59:04 0
クローヴィスはキリスト教に改宗した後、キリストの受難と死の話をきいて、
「わが勇敢なフランク軍を率いて、おれがその場に居合わせたら、キリストのお受けになった危害に復讐せずにはいなかったろうに」
と叫んだ。

52: 名無し 2006/10/06(金) 21:02:37 0
>>51
いいですね。素朴な感情を発していて。

54: 名無し 2006/10/08(日) 10:21:49 0
>>52
人気取りのための建前だがな

55: 名無し 2006/10/16(月) 14:50:03 0
クローヴィスが父の死によりサリ族の指揮権を継いだとき、その支配領域は、バタウィア(ライン河下流とその分流ワール河との間に挟まれた地域)と、トゥールネイとアラスの二つの古代からの教区だけに限られており、彼がカトリックの洗礼を受けたとき、戦士の数は5000を越えなかった。

現在のベルギーにあたる地域、スケルト、ムーズ、モーゼル、ライン等の流域に根を据えていたフランク族にゆかりの各部族は、それぞれメロヴィング系に属する独立した王に統治されていた。

クローヴィスは彼らを束ねてアエギディウスの子シアグリウス、アレマンニ族、アルモリカ族、ブルグンド族、西ゴート族などを破ってフランク王国の版図を広げ、東ローマ皇帝アナスタシウスからローマ執政官の称号を授けられる。

58: 名無し 2006/11/11(土) 13:21:27 0
シャルルマーニュは、ラテン語の読み書きは出来なかったけど、話す方は不自由なかったらしいね(違ってたらゴメン)。
クローヴィスはラテン語は全くダメなんだっけ?自民族語のゲルマン語だけだったっけ?

59: 名無し 2006/11/14(火) 01:01:46 0
カールはドイツ語話してた
西ゲルマン語の東フランク方言を話してた可能性がたかいらしい
俗ラテン語とラテン語は理解できたが
文字は読めなかった

フランスは中世から強国だったけど
圧倒的に強かったのは17世紀だけだな

60: 名無し 2006/11/18(土) 13:11:29 0
メロヴィング王朝史読んでるけど、自分の先祖を夷狄呼ばわりしてバカにしてるのは何か妙な感じだな。

62: 名無し 2006/12/01(金) 23:16:30 0
メロヴィング王朝はイエスキリストとマグダラのマリアの間の子のユダの血を引くというふかしをきいたことがある。
それゆえフランスの真の王家はメロヴィング王朝のみなのだとかいう・・

もしもフランク王国が分割相続されずにメロヴィング王朝が残ってたらこの王朝は日本の天皇家のような代物になったんではないかと思えてしょうがない逸話だった。

63: 名無し 2006/12/02(土) 12:54:16 0
イエス裔であるメロヴィング王朝→テンプル騎士団→レンヌ・ル・シャトー→カタリ派の流れは西欧オカルティズムの背骨だよ。

67: 名無し 2006/12/13(水) 10:28:54 0
だいたい8世紀ぐらいまでロワール川以北は
ゲルマン人とガリア人が別々の言葉話して生活していて
言語のモザイク状態だったらしい
カペー家の祖先は記録の上ではサクソン族まで遡るみたいだ

69: 名無し 2006/12/16(土) 01:51:38 0
メロヴィング時代の人名で今も残ってるのって
クローヴィス(ルイス)、クロタール(ルーサー)くらい?
女性名のガルスヴィンタとか、ブルンヒルドなんて見る影も無く残ってないね。

70: 名無し 2006/12/16(土) 08:10:19 0
いまどき「ピピン」なんて名前付けたら冗談にしか思われない。

71: 名無し 2006/12/16(土) 08:32:14 O
>>70
かわいいじゃないか

73: 名無し 2006/12/26(火) 19:47:15 0
長靴下のピピンって知ってるか?

74: 名無し 2006/12/27(水) 16:50:45 O
この時代に興味あるんだけど
欧州では日本の大河ドラマみたいなのはあるんだろうか。
大河でなくても映像作品で風俗とか見てみたいんだが…。

75: 名無し 2006/12/27(水) 20:39:24 0
日本でも飛鳥や奈良時代の大河ドラマってあったっけ?
大体、源平以降だろう

80: 名無し 2007/01/09(火) 12:21:58 0
>>75
確かに日本の大河でも一番古いもので平将門(十世紀)どまりだからなあ。
メロヴィング朝はちょっと時代が古すぎるのだろうか。
「メロヴィング王朝史話」、「ピピンーカール・マルテルーピピンのカロリング三代記」、カロリング朝になってしまうが「カール大帝」(←単発ドラマならありそうだ)、などをやったら面白そうだと思った。

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