類の歴史は、言ってみれば「失敗の歴史」だ。たった一つの選択の誤りが、国や民族の行く末、さらには世界の運命を変えてしまったことさえある。歴史上、少なからぬ人々が、二者択一の選択問題を間違えてしまった。それらの判断の多くは、そのときには「一番良い考え」に思えたものばかりである。
ナショナル ジオグラフィックの書籍『失敗だらけの人類史』は、そのような歴史的な「失敗」の数々を取り上げ、何を間違ったのか、その結果どうなったのかを解説する本だ。
ここでは同書から、「象でアルプスを越えた英雄」として有名な名将ハンニバルの物語を紹介したい。傲慢さと性急さから判断を誤り、ローマ征服という野望を達成できなかった人物である。
ローマとの戦い
ハンニバルは紀元前247年、ローマによる征服の危機に瀕していたカルタゴ(現在のチュニジアの首都、チュニスの近く)で生まれた。偉大な交易国にして海洋国家だったローマは、海上でカルタゴ人と渡り合う戦法を編み出し、カルタゴ領だったシチリア、コルシカ、サルディニアの各島を手中に収めていた。
10歳になったハンニバルはカルタゴの将軍である父ハミルカルに連れられスペインのカルタゴ領に渡る。そこでハミルカル将軍は、現在のカルタヘナを含む新しい領土を次々に獲得。スペインで成長したハンニバルは、イベリア人の王女と結婚した。
ハミルカルの死後しばらくして、ハンニバルは22歳の若さでスペインにおけるカルタゴ軍の司令官に選出された。そして大胆にもスペイン西部の都市サマランカを攻め、これを占領。次いで、イベリア半島をすばやく横断してローマの主要都市の一つサグントゥムを包囲、陥落させる。これを受け、ローマはカルタゴに宣戦布告、第二次ポエニ戦争が始まった。
ハンニバルはイタリアに遠征し、そこで敵を叩くことを決断する。が、ローマ方はイタリア本土に侵入するルートが3つしかないことを知っていた。そのうち海上ルートはすべて自分たちが押さえている。陸路は長大な距離を踏破しなければならない。そして、アルプスを越える第三のルートは攻略不可能と考えていた。
しかし紀元前218年、ハンニバルはアルプスを突っ切ってローマに侵攻することを決断。5万の兵、9千頭の軍馬と荷役動物、それに37頭の戦象を従えてカルタヘナを出発する。彼がどのルートをたどったのか、確実な説はいまだにない。だが、行軍ルートについてほとんど情報のないまま駒を進めたのは、いかにもハンニバルらしい。ハンニバルの性急さはカルタゴ軍に勝利ももたらしたが、同時に最終的な失敗の種子にもなった。
アルプス越えの途中、ハンニバルは兵の半数と軍馬や荷役動物の大半を失う致命的なミスを犯し、肝心なローマ攻略が不可能になった。彼は敵地に攻め込んだ優位を生かすことができず、15年間にわたってイタリアの田園地帯を荒廃させたすえ、カルタゴ防衛のためアフリカに戻ることを余儀なくされる。そして最後は、ザマの戦いにおいてスキピオ・アフリカヌスに完敗を喫した。
今日、将軍としての彼の手腕を疑う者はいないし、ローマとの戦いにおいて彼に奇襲の利があったことは否定のしようがない。ただ不運にも、イタリアに着くころには兵の数は半分を割っていたうえ、連れていた象も片手で数えられるほどにまで減ってしまっていた。
そうした損失の大半は、ハンニバル自身の不注意によるものだった。というのも、アフリカで生まれてスペイン南部で育ったハンニバルの知らないことが、アルプスには山ほどあったからだ。その一つが、悪名高い雪崩である。
アルプス越えの代償
次々と問題が持ちあがったのは、アルプスを下る行程に入ったときだ。下山ルートについてほとんど何の知識もないことに加え、地元の案内人たちがおよそ当てにならないこともあって、カルタゴ軍は登りよりもむしろ下りのほうがはるかに難儀だということを思い知らされる。道は解けかけた雪でぬかるみ、その下につるつる滑る氷が張っているという危険極まりないものだった。特に馬と象は容易に前に進めず、ずぶずぶと地面に沈み込んだ。
アルプス山脈は世界一、雪崩が多い場所である。全世界で毎年100万回近く発生する雪崩のうち、実に半数がこの狭い地域で起きる。ささやき声で話さないと危険という谷が、アルプスには珍しくない。ほんのささいなことが雪崩のきっかけとなるアルプスでは、ハンニバルの行動はあまりにも無分別で、案の定、大きな雪崩を引き起こした。
多くの人と動物が雪に埋もれ、雪崩から逃れようとして崖から転落する者もいた。生き残った者たちが自力で雪から這い出し、山を下るルートを見つけるのに、4日を要した。カルタゴ軍がアルプス山中に分け入ってから15日後、下山できたのは当初の5万人の半数にも満たない兵士たちと、ごくわずかな戦象と荷役動物だけだった。
こうした甚大な損害にもめげず、ハンニバルは残りの軍勢を率いてイタリアのポー平原に侵入。ローマ方に完璧な奇襲攻撃を仕掛け、カルタゴ軍は2度の戦いで迅速な勝利を収めた。ローマは遅まきながら大軍を出動させ、カンネーの平原で消耗したハンニバル軍を迎え撃つも、この戦いでハンニバルは軍事史上屈指の名采配を振り、ローマ軍を撃破した。
だが、彼にはもはやローマの都を攻撃するだけの兵力は残っておらず、彼自身にもそれが分かっていた。残された戦象はたんなる珍獣と大差なく、兵員は疲れ、その数はあまりにも少なかった。
疲弊し切っての敗退
ハンニバルは、カルタゴ本国に援軍を要請。弟のハスドルバルが兄の足取りをたどってアルプス越えに成功したが、準備万端で待ち受けていたローマ軍によって全滅させられてしまう。待ちわびている援軍など来ないことをカルタゴ側に思い知らせるため、ハスドルバルの首がハンニバルの軍営に投げ込まれた。
やがてローマの若い将軍、スキピオ・アフリカヌスが登場。彼はハンニバルとの戦いを徹底して避け、代わりにイベリア半島を次々に奪回。ついにはアフリカまで進攻し、カルタゴ本土をおびやかした。カルタゴはヨーロッパではいまだ負け知らずのハンニバルに帰還を要請。疲弊し切ったハンニバルの軍勢は、北アフリカでスキピオに敗れ去る。ローマはカルタゴ人をヨーロッパから駆逐し、二度とその土を踏ませなかった。
しかしながら、ハンニバルのアルプス越えは、現代人の心をも虜にする伝説的な行軍として、今なお語り継がれている。つまり、人々の記憶に残るのは、勝者よりもむしろ敗者による、目を見張るような、それでいて、はかない偉業なのである。
3: 名無し 2017/12/24(日) 04:26:40.69
同時代に活躍していた 韓信が最強なのかね
しかし大元帥になる前は
働かない人で地元の有名人
ある意味東洋において歴史上最強のニート
それより少し前の時代の孟嘗君が最強でしょ
軍事政治に辣腕を振るってるし函谷関を諸侯連合軍で
初めて打ち破ってるし何ヶ国もの宰相に就任して
小さいながらも国家を持つまでに至り食客3000人は居たという
中華の歴史でも群を抜いてる人物だと思うよ
海戦に歩兵戦をを適用する戦法を編み出して、漸くシチリア沖の海戦に勝利した。
シチリアへも海峡が狭かったから辿り着けたが、それ以前は概ね陸続きの地にしか
進出出来ていない。
ローマに浸入後、遅々として首都陥落に取り組まずに気を失したのが失敗
カルタゴの評議員にお金をつかませてハンニバルを司令官から引き摺り下ろしたのが勝因でしょ。
弁明のためにローマ攻略ができなくなった。
補給の海軍を本国で出さないと全軍崩壊するわけだし。
いつの世も売国奴が国を滅ぼす。
リンク先がどうあれハンニバルがローマ侵攻後、連勝を続けたのちに首都陥落だけが果たせなかったのは事実。
カルタゴ本国の支援が得られなかったからで
象のせいじゃねーぞ
何言ってんだこの記事は
リンク先の続き読めば分かるけど
アルプス越えた時点で戦力の半分以上を喪失したので
ローマを攻略できるほどの戦力が無かった。
増援で同じくアルプス越えた弟の軍はローマに壊滅させられた。
カルタゴに関する文献書籍を読めばわかることだけど、アルプス越えた時点でのハンニバル軍の戦力は半分とはいえローマ首都陥落までに至る諸々の重要拠点の攻略可能な数だったし、現に連勝し続けた。
今ある知識と情報が、2000年前には無かったに過ぎない
2000年も後から無謀だなんだ言えるのは凡人でもできるわな
軍事的天才で間違いない
ハンニバルと言ったら、
なんと言っても「カンネーの戦い」でしょう。
他にも彼の戦術の優秀さを示す戦いはあるけど、
平地で両軍が真っ向からぶつかって
しかも兵力が少ない方の軍が多い方の軍を壊滅させた戦いなんて
世界史上にも他に例が無いだろうから。
ローマ軍は90%以上もの兵や指揮官が殺されたと言うから、驚異的です。
この戦いでハンニバルは天才と呼ばれるとともに、
ローマ人からは虐殺者として忌み嫌われるようになった。
>>20
そうですね。
私も色々な戦術の本持ってますが、カンネの戦いは絶対に載ってます。
自衛隊の教本でも必ず載ってますが、この戦いが後に与えた影響は、各国でよく研究してます。軍人には少数で相手を殲滅することにロマンを感じている人が多い様です。
わかっててもできないよな
上には弓兵がいるのに象の足元にまで接近してやるってのがさ
勝ったスキピオより評価は上。
あれはなんだったか。
いろいろ記憶がごっちゃになっとる。
メフメト2世のコンスタンティノープル攻略戦だな。
そしてそれが破れた
象がどうとか瑣末
戦像なんか居なくても
トレビア・トランジメーノ・カンナエと
ローマ相手に赫々たる戦果を挙げているわけだが
逆に戦像が居たザマの戦いで負けているわけで・・・
食料など現地調達する必要がある。
15年も戦えたというのはどれだけ凄い事か
逃亡したり反乱されて終わってもおかしくないのに
象が凍死しまくりで効率的ではなかったが
インパクト大だったのが第二次ポエニ戦争だが
後のローマでハンニバルとローマの将軍が銭湯で偶然遭遇して戦談義したり
その後二人とも暗殺されてるあたりネタ度は高い
カルタゴのハンニバルに興味があったから
本屋でハンニバルって題名の本を見つけて買ったんだ
家に帰って読んだら殺人鬼の小説だった
古代最高峰の戦術家じゃん
その度に海で沈められて届かなかった。
増援がきっちり届いてたらローマ落としてたよハンニバルは。
ハンニバルが凄いのは昇り調子のローマを徹底的に叩きのめしたこと。
ハンニバルの攻勢をしのぎカルタゴを屈服させた後は、マケドニア、シリア、エジプト、ガリア、ブリタニア、北アフリカを征服し続け欧州、地中海世界を制した。
世界帝国ローマに唯一立ちはだかり、首都ローマに迫った男。
勝っていれば歴史は全く今とは変わっていたものになるだろう。
て誰もが思うルートだったから裏かけて
イタリアまで到達できたのに何言ってんだ
まともなルートは全部ローマの監視下だったから、
イタリアまでたどり着けずに終わってたよ
義経のひよどり越えや
トウガイの蜀責めと同じで
完全に裏をかいたな。
名采配としか思えない。
カルタゴ本国が無能だったから失敗した
アフリカ象が通れる道は、アルプスの山中にあったの?
アフリカ象は、風邪をひかなかったの?
アフリカゾウは気性的に集団戦闘をさせるのに向いていないので
カルタゴが使っていたのはインドゾウに似た小さいゾウ
象なんて、 ほんとうに強いの?
大きいから、弓矢にあたりまくるぞ
投げ槍にもあたりまくるぞ
ローマ軍は、火薬球を発射するカタパルトが主要兵器だぞ
象で 勝てると思えない
よく品種淘汰やってる馬でないから、
火を見ただけで逃げ出すのでないかな
ローマの戦術は基本、陣地構築して、事前に投擲兵器で相手にダメージを与え、
重装歩兵の壁で敵を受け止めたところに、騎兵で裏に回って包囲殲滅。
重装歩兵程度では象の突撃は止められないって事では?
勢い留まる所を知らないローマを他に誰が止めたのかと
落ち目の頃は蛮族が破ってるけど同化の成果だし
その後今に至るまでの支配民族だしね
・滝川一益とかいうマイナーなのに信長の野望でいつも良い能力もらってる謎の男
・三国志が歴史の教科書で一瞬で終わってしまうの怖すぎだろ・・・
・昔の人「俳句は5・7・5、決まりです。すこし余る位ならOKです」種田山頭火「…」
・歴女「えまって。武将の家系図に母親の名前ないのって女性蔑視じゃない?呆れる」
・島津家ってよく考えたら、とんでもない畜生じゃね?
・アメリカ人「原爆を落とさないと戦争は終わらなかった原爆は必要悪」←論破できる?