最盛期の政治経済文化
ローマとの抗争・没落
人物
遺跡・世界遺産
カルタゴから学べること
みたいなお話を・・・
アフリカ北部、現在のチュニジアにフェニキア人が建設した古代植民都市。
前6世紀以来繁栄したが、ローマと地中海の覇権を争い
前146年、第三ポエニ戦争で滅亡。
首都チュニスの北郊にその遺跡が残り、1979年、世界遺産(文化遺産)に登録された。
セム族に属する一民族、カナーン人のギリシャ名。
前3000~前2000年ごろ、地中海東岸中部に多数の都市国家や植民市を建設。
航海に長じて海上交易に従事、その活動範囲は大西洋やインド洋に及び、各地にオリエント文明を伝えた。
「ポエニ」=「フェニキア」
フェニキア人はギリシャ語でポイニクス、ラテン語でポエヌス(ポエニ、プーニ)と呼ばれた
ポイニケは古くはXnaと書かれ、カナアンのギリシャ語訛りであり、フェニキア人は「カナニ(カナアン人)」と自称していた
カナアンの語源は「低地」で、アラム(高地)より低い海岸部に住むためという
・紀元前15世紀頃 都市国家を形成し始める。
・紀元前12世紀頃 盛んな海上交易で、地中海全域に進出。
紀元前15世紀頃~紀元前8世紀頃、繁栄を極める。
主なフェニキア人都市
ティルス、シドン、ビュブロス(現レバノン)、アラドゥス(現シリア・アルワード島)など。
フェニキア人(Phoenicians)はシドン・ティルスなどの都市国家をつくり、クレタ・ミケーネ文明がおとろえた後をうけて地中海貿易を独占し、またカルタゴをはじめとする多くの植民都市を建設した。
前6世紀のなかばごろ、イラン人(ペルシア人)のアケメネス朝がおこり、第3代のダレイオス1世は、西はエーゲ海北岸から東はインダス川にいたる大帝国を建設した。・・・(略)・・・海上ではフェニキア人の貿易を保護して、財政の基礎を固めた。
* * *
ついでローマは、地中海西方を支配していたフェニキア人植民市カルタゴの勢力と衝突し、3回にわたるポエニ戦争(前264~前146年)がおこった。カルタゴの将軍ハンニバル(Hannibal/前246頃~前183頃)がイタリアに侵入してローマは一時危機におちいったが、スキピオ(Scipio/前236~前184/183)の活躍などで戦局を挽回し、ついに勝利した。
* * *
属州
イタリア半島以外のローマの征服地をさす。第1回ポエニ戦争の勝利によって獲得されたシチリアが最初の属州となった。
ギリシア人 ←──→ アケメネス朝ペルシア
↑ ∥
│ ↓(商業活動を保護)
└─────→ フェニキア人
海上貿易ライバル関係
フェニキア人が主体だったそう
フェニキアの都市国家テュロスを攻めて陥落させている
さらにエジプトも掌中におさめてからスサやペルセポリスに向かった
紀元前332年、マケドニアのアレクサンダー大王の東征軍に対し、フェニキア人の中で唯一激しく抵抗したが、包囲され、要塞化されたティルスの島に立てこもった。
しかし、アレクサンダー大王は艦隊で海上を封鎖し、7ヶ月かけて島との間の約1キロメートルを埋め立て陸続きにしてしまう。その後の総攻撃によりティルスは陥落。
仲の悪さを利用して
ローマが拡大したんだよね
ポエニ戦争の発端じゃないっけ?
そうだね
カルタゴは中立宣言しとけば良かったのに
ビブロスの上に位置しているけど
どっちもフェニキア人の都市だったし。
語源がTri・ポリス(3つの町)だから、わりと簡単にできちゃう名前だわな。
ギリシャにもあるらしい。そこは近世に入ってからついた名前らしいが。
オエア、サブラタ、レプティスの三都市(トリポリス)を築いていた
のちフェニキア本国がペルシアに併合されるとカルタゴの傘下に入り、
カルタゴが滅ぶとローマの支配下に入って、属州アフリカの一部トリポリタニアとなった
3世紀にはレプティスからローマ皇帝を出すほどだったが、気候変動などで衰退した
カルタゴ人としては、使いたくないだろうね
余儀なくされ、フェニキア地方の諸都市は政治的な独立を失っていった。』
アッシリアというと、古すぎてどうもピンとこない
フェニキア人は重要物資としてレバノン杉を貢納していた。重税を課す有難くない支配者だったようだ。
サルゴン2世、センナケリブ、エサルハドン、アッシュールバニパルの頃は
エジプトまで支配したりとか絶頂期だし、ミタンニもヒッタイトも無かったから仕方ない
できなかったのか・・・
ペルシアもフェニキア海軍なくしてギリシャ遠征はできなかった
イベリア半島南端ちょこっとの領土をイベリア半島半分にまで拡げたのってカエサルのガリア征服級じゃないか?
農園開発・鉱山開発・新都カルタゴノヴァ建設など、行政の長としての能力も存分に発揮したし。
カルタゴの部将。ハンニバルの父。
シチリアに上陸してローマ軍を破り、イタリア半島沿岸部をクーマエまで略奪する。しかし本国から十分な救援が得られず、前241年シチリアのアエガテス沖の海戦に敗れてローマと和を結ぶ。
なにこれ、Wiki?
> 前241年シチリアのアエガテス沖の海戦に敗れてローマと和を結ぶ。
ハミルカルはこの海戦時、離れたペレグリーノ山を拠点に4年間陸戦を続けており負け知らず。この海戦で敗れた指揮官は帰国後に死刑になっている。
> イベリア半島へ渡ってガデス(現カディス)からアンダルシア地方を支配下に収め、勢力を拡大。
ハミルカル死去まもない前226年には、女婿ハシュシュドゥルバルとローマとの間で協定が結ばれ、エブロ河(タラゴナ~サラゴサのすぐ南側を流れる)より南はカルタゴ領域と定められた。
イベリアに行ったのかな?
他方、ハミルカルは貿易商たちの頭目で、重商主義的政策を指向していた。これが政争の背景。
第一次戦役後、シチリア・コルシカ・サルディーニャを失い西地中海貿易での権益が縮小する中で、ハミルカル一派はジリ貧に陥らないために新天地イベリアに飛び出した、という側面がある。
結果論にすぎないが、ハンノの道をカルタゴが歩んでいれば、200年くらいは延命できたのではなかろうか。
どうしてカルタゴはすぐに負けてしまうん?
北朝鮮=ローマ
韓国=カルタゴ
違うか
むしろカルタゴの歴史が日本とダブるんだが
カルタゴ
・昔は大国であるローマに匹敵するくらい強力な国だった
・そのローマに負けて軍備を制限された
・軍備を制限されたおかげで逆に商業に力を費やす事ができるようになって経済大国になった
・その経済的な成功の反面、人々は豊かさに浮かれ再軍備を求める声すらもなくなっていた
・経済的に台頭してきたカルタゴがウザくなってきたローマに潰された
日本
・戦前は世界有数の軍事大国だった
・アメリカに負けて軍備を制限された
・軍備を制限されたおかげで逆に商業に力を費やす事ができるようになって経済大国になった
・その経済的な成功の反面、人々は豊かさに浮かれ平和ボケして再軍備を求める声すらもなくなっていた
・経済的に台頭してきた日本がうざくなったアメリカに潰された
まるでカルタゴは日本だわ………
アメリカがローマなら日本はカルタゴってところか
そもそもカルタゴはフェニキア人の殖民都市だが
日本にはフェニキア本国に当たる存在がない。
だいたい第二次ポエニ戦争で海外植民地を失っているので、商業・鉱業は衰退した。
代わりに国内農業に力を注いだから「カルタゴのイチジク」のたとえも出てくる。
また、カルタゴの軍備は基本的に傭兵によるもので、市民兵などはない。
経済面ではたいしたことなくても、一応の金があれば傭兵は集められる。
隣国ヌミディアとの紛争でローマの調停を受けた際、ローマの弱腰と見たカルタゴ政府は、
調子に乗って集めた傭兵でヌミディア本土を侵略し、しかも負けた。
その後のカルタゴ側の交渉もまずく、ちょうどギリシャでも反ローマの動きもあったため、
イラついたローマに取り潰された。
日本=カルタゴ論とは、日本の外務省のアメリカンスクールが、80年代のアメリカのジャパンバッシングを懸念して海外での日本のバブル的企業活動を押える為に言い触らされた対米配慮のプロパガンダ。
フリーアナウンサー森本毅郎の兄で、日本の文明批評の第一人者として知られてた森本哲郎が盛んに「日本=カルタゴ論」のマスコミ宣伝活動を行った。
日本の安保問題は核武装と日印安保条約締結で問題解決する。
これで対中牽制と同時に対米自立にもつながる。
アメリカは、核武装国家には、絶対に手を出さない。
日印がシナを挟み撃ちにしたらシナは身動きできない。
シナの三峡ダムを日印が同時に核攻撃したら、シナは防ぎようが無く、華南と華中が壊滅する。
大日本帝国でハンニバルっぽい人物といえば山下奉文だろうな。
1000kmを越えるマレー半島を55日で攻略したマレー作戦の司令官。
ローマ本国と戦ってローマを後一歩のところまで追い詰めたハンニバルとは比較にならんよ
ぶっちゃけ、ローマの同盟市の離反を期待して無謀な戦争起こして
カルタゴを滅亡に追いやったカルタゴ最大の国賊だろ?
ローマの支配は特殊なんだって所を見極めて
何かいい方法を考え付いてたら成功してたかもな
カンネの前にもかなりやっつけて、とどめのカンネでも完勝したのに
まだ抵抗続けるとか常識が通じない相手とは普通は思わないだろうしなw
地政学では半島国家は付け根を押さえられるとジリ貧になるそうだしね。
ルピコン以北にはイタリア最大のポー平原があるし、そこを拠点とすれば良かったのに。
ローマを包囲して牽制しつつ、カナリア諸島に殖民都市を建設して
フェニキアが滅んでもカルタゴが生き残ったことの再現を狙う
これ最強
ハンニバル将軍は、カンネー後、最悪の道を選択してしまった、とか?
ローマを封じ込めたいならガリア・キサルピナに拠点を設けて南イタリアへの侵攻は控えるべきだった。
同盟市を離反させるって作戦が、結果として裏目に出た印象。
絶対無理。
同盟市が殆ど離反しないってことを知っている現代人の感想でしかないけど、
ハンニバルはカルタゴを滅ぼすためにアルプスを越えちゃったのか
どうあがいても、紀元前後にはローマ化?
なんだかんだで問題が起きて、結局ローマにお取りつぶしにされる国が多いんだよな~w
2世紀初頭にナバテア王国が属州化され、いったん全滅したんだったけか?(※パルティアの牽制が存在するアルメニア王国を除き)
近すぎると取り潰されるので、サハラの南やアメリカ大陸あたりに国を移してれば大丈夫だろう
いや、日本はカエサルの英雄伝ばかり読んでローマ皇帝にでもなったつもりの
人が多いけど、実際はアメリカの子分なんだから、滅ぼされた国がどこで
間違ったかを検討するのは大事でしょ
ローマ属国滅亡史はそういうモデルが山のようにある
パルミラもゼノビアが調子こいてつぶされたし
カルタゴの歴史なんかは日本そっくり
あるいはブリタニアを
日本はハンニバルをアメリカ本土へ突撃させればいいの?
経済力を軍事力に転換すべきだったな
軍備を整えろという声すらも出なくなったカルタゴの経済的な台頭を危惧したローマによりあっという間に滅ぼされた
そうすればローマも容易にカルタゴに対して侵攻は出来なかっただろう
状況が違うからアメリカが日本を滅ぼすなんて事はないだろうけど
蛮族=中国軍に攻められて日本=カルタゴ=ブリタニアを放棄するローマ=アメリカという構図はありうる
そのローマ自体も平和ボケて、兵役をゲルマン人に任せて弱体化を招いた
明日はわが身だな
“必要なのは人を殴れる人間だ”
カルタゴが滅びたのはヌミディアとの紛争をローマ人に許可無くやっちまったせいだろ
ローマに断り無く勝手に戦争しない事って約束したのに、破ったから酷い目にあうんだよ
ローマと仲のいいヌミディアが調子こいたせいもあるけど
自力で解決しようとせずに、ローマに行ってヌミディアが攻めてくるんでなんとかしてくれって
調停を求めていれば問題なかったはず
結果オーライでカルタゴ滅亡の教訓に学んだのと同じことか。
強大な軍事力のローマに対抗するための武力を持たないのがよくなかったなんて意見は
愚の骨頂としか言いようが無い
それこそ日本人が実地に体験してる太平洋戦争からすらなにも学んでいないという事にw
第一次ポエニ戦争では、ローマとカルタゴは、圧倒的に戦力に差が有る訳でもない。
第三次ポエニ戦争は、もはや自殺的なカルタゴの暴発ですがね。
ローマを黙って見てただけなのだろうか
長靴の底あたりに拡大してきた頃
「ヤバイ」と思わなかったのかね