責任問題ですよこれは
※この日、NHK大河ドラマ「風林火山」の放送があったようです。
にらみ合いの長期戦になっていたのを
武田と上杉の両軍とも霧が出たのを撤退のチャンス!と考えて
コソコソと移動を始めたのが偶然ぶつかって大混戦になった、
って説をやってたけど。
まぁロマンがあって良いじゃないか>>10で言われているように
NHK歴史番組や近年の研究では霧の中の偶然遭遇説が強い
遭遇したにしては、やたら武田側の被害が大きいような
撤退や殿というのは、ただ逃げるのではなく、
退路を邪魔したり、迫り来る敵に攻撃を加えながら行う物では謙信は陣を払う際、武田の気勢を挫く戦術、これを考えて撤退しなければ
多くの重臣達を失っていた筈
だからこそ武田の副将クラス、譜代の臣を討ち取って、武田を一時壊乱
しかる後に越後勢はほぼ無事に帰国できた
さらに年内にも、関東へ再度出兵までしてるようだし(唐沢山攻めか)
川中島のダメージ=越後兵の死傷者数も、
軍記物で言われてるほど多くなかった、とも取れる
あと戦後、謙信は血染めの感状を幾つも発給しているけど
これは合戦の最中、自軍の戦働きを監督&評価できる環境だったという事では
濃霧に覆われた乱戦だとしたら、諸隊の内、どの武将が活躍したかは把握できない筈
上杉の撤退のチャンスは、
あの霧に乗じるしかないわけでしょ。武田の援軍が来るという解釈だってあるから、
それで即攻撃とは断言できない。
兵力を二分する啄木鳥戦法は、明らかに邪道。
これでは御仏の御加護は得られまい。
宇佐美がヤン
くらいの用兵力の差があるな
生き残ったら後で何を言われるか。
でもそんなこと関係ねぇ
でもそんなこと関係ねぇ
兵力二分して主戦場で劣勢になるのはいかんなぁ
だんだん、きつつきの戦法の存在そのものが怪しくなってきたなあ。
敵(上杉軍)は平原に布陣しているのではないから、1万2千の兵でわっと攻めるわけにはいかないでしょ。山道を縦隊で進まないとならない。妻女山も薪をとったり陣地作りで禿山状態かそれに近いはず。武田軍の進撃が分からないはずがない。
1万2千は実質、城攻めに向かったのではないの?それが、上杉軍がどどっと降りてきた。それで、本陣がひき付けている間に、城攻めの軍が敵の横腹を突く陣形に変ったと。
敵よりも少ない味方を2つに分けるのは、南北戦争でロバート・E・リー将軍も2回やっているから、さほどおかしいとは思いませんけどね。一つは第二次マナサスの戦い、もう一つは忘れた。片方でひきつけておいて、もう片方で背後か横腹をつく。ハンマー&アンビルというのかな。
八幡原で討ち取った方がいい気が・・・リスク高いし、兵も山登って疲れるやん。
よっぽどこの策に自信があったのかな。
そうなんだよ。
きつつきの戦法を基礎にして上杉の敗走兵を待ち構えるなら、
なぜ武田本陣は川を前にして布陣しなかったのか
それが不思議なんだよな。武田別働隊は、かなり大掛かりな夜襲部隊で、
落ちていく上杉軍を武田本隊が政虎の首を取ろうと
海津城から打って出たのかもしれない。
そのまま見過ごせば、上杉の兵糧がある善光寺に逃してしまうから。
そうすると、一気に突撃できなかったので苦しい原野戦になった理由も分かる。
そこに籠もるといっても、
1万8千もの兵を全部山の上に置いておけたか、
はなはだ疑問で、
山の上には少数の兵しか居なかったのではないの?そうすると武田別働隊は
妻女山を含む上杉の布陣に対する先方攻撃隊という形になる。
奇襲作戦で上杉が慌てて移動したところを、
武田本陣が上杉本隊を横から突こうとして城から出てきたという解釈もできるし。
山に登る軍勢をさらに二つに分ける、
一方が山頂に奇襲をかけ、もう一方は山の下に待機して
明朝の戦闘で武田本隊とは別方向から上杉軍に攻撃しようと
考えたのではないか?という見方もあるらしい。つまり実質三つの部隊で上杉軍に攻撃を仕掛けることになる。
ただ上杉軍下山で予定通りの動きができなかった。
敵が川で足を取られている状態のところに
矢を放つ形にならないとおかしいんだよな。
武田本陣が敗走兵を待ち伏せするなら、
もっと後方の川を前にしないとおかしい。だいたい
信玄が「この霧は味方ばかりに有利とは限るまい」と言って
勘助が「ぎょぎょぎょ」となるなんて、有り得ない会話でしょう。
生き死にを賭けた戦いならあらゆる可能性を考えるはずで
会話が間抜け過ぎる。
勘助が恐れたのは
信玄が大将として言うべきではない不安の吐露であって、
作戦の失敗じゃないと思う。武田は政虎に別働隊の奇襲をかけて、それの成否がどうあれ、
撤退する予定だったんじゃないかな。
あれはこの作戦について自信満々で少々浮ついている勘助に対して
そう上手くいくとは限らないよ、という信玄の忠告と言うか
冷静な意見に見えた。
前夜なら「忠告」も分かるがね。
当日では、タイミングが悪すぎる。でもまあ、そんなこと言っていたら
小説的な面白みはどんどん減るんだけど。
生涯の総決算のような大事な場面で失策、
それをとがめない大将、
それに感じてカンスケが突撃して死ぬというほうが、
ドラマとしては面白いんだろうけど。
つまり上杉の本陣から乱していくというのは、
大いにありえることだ。九州南朝を作った筑後川の戦いが、それに近い。
夜明けとともに、山麓に籠もる敵の陣の片方の端から追い落としていくやつ。
上杉は思いのほか犠牲が大きかったのではないの?つまり、武田は深追いはできなかったけれど、
上杉は膨大な犠牲を払って春日山に逃げたと。
翌年、ほとんど関東での軍事行動ができていないよね。
大将がカリスマ的で攻撃型だと、周囲の犠牲も大きいはず。
そうすると、武田が2手に分かれたのも理解できる。城に籠もっていては
敵に善光寺に逃げられると分かれば、海津城から出ざるをえない。
確実に分かっている事。
妻女山は海津山を見下ろす位置にあるが、1万8千人も籠もることはできない。
武田別働隊は全軍突撃か山城攻撃か、その両方かのどちらかでなければ理解できない。
(ちょろちょろと兵を出せば犠牲を増やすだけ)
武田本軍は城から出ていた。待ち伏せは当時の戦法からして有り得ない位置にある。
(善光寺への道を取りきった、川を前にした位置に布陣していない)
当日は朝霧が濃かった。
主戦場は原野戦だった。
有り得ないと思うんだよね。
旧暦とはいえ9月上旬だべ?
いくら山奥でも出る日と出ない日が
あ、そう。すると前日に雨が降った。
翌日は深い朝霧というのは予知可能な経験測だろうか?
晴れるまでは予測できたかどうか、分からないけど。
勘助ならば予測つくくらいの勉強してるだろうに
気象予報士クラスの知識は持っててもらいたい。
地形と、寒冷前線の通過などによる温度変化が関わって、
霧が出るパターンだったんじゃね?
川中島が決戦の場となることは前から判ってるんだから
軍師勘助ならば気象のことくらいつかんどけよって感じなんだが。
なんだったら一ヶ月くらい住んどけ。
やっぱり武田本軍は待ち伏せ部隊ではないと思うね。
待ち伏せなら、なぜ犀川を前にして布陣しないのか、
合理的な理由がみつからない。上杉軍が善光寺にある程度の兵を残していたなら、
武田本軍は善光寺急襲部隊だったかもしれない。
それではかなわぬ、兵糧を奪われたらお仕舞いだと
上杉軍が移動した可能性もある。
つーか飯なんて毎日食べるんじゃないか?
対陣中はずっと飯食わないで、出陣の前にだけ飯食うものなのか?
「武田は動く。あれを見よ」が、意味わからなかった。
ちなみにウチは、毎日飯を食う。
そう毎日食べる
だから次の日戦うって解りきってるなら
次の日の分まで多めに作って弁当にする、
だから炊煙が普段より多くなるって事、
炊煙が上がってるかどうかじゃなくて
その多寡の問題。
たぶん他の日とは違う時間帯に、
炊煙が上がっていたんだと思う。
それで政虎に出陣を悟られた。
それにしても初歩的なミスだな。
数時間後には霧が出ることは分かっているんだから、
それから炊いても遅くない。
それ以前に、隠密行動をするなら、糒を食べればよいわけだ。
勘助は海ノ口あたりが絶頂期で、
その後は次第に劣化している。昨日はバカに見えた。
霧が出るのは夜明け前。
それまで、飯炊くの待ってたら啄木鳥組が出陣できない。
後でとってつけたような理由のように思えるけど。相手から城は丸見えなのに、間抜けすぎるでしょ。
山城の取り合いなんか、
武田の武将は無数にやっているはずなのに。
確かにマヌケだよね。
でも、篭城中は兵糧節約してろくに食べてなかったから
ここぞとばかりにみんなでご飯たべたんかなぁ・・
武田側は兵糧に困らなかったと思うんですよ。
上杉軍を迂回して甲斐・諏訪から兵糧を送り込んでもいいし、
城に蓄えもあっただろうし、
旧暦の9月9日といえば2ヶ月を足せば11月上旬だから、
あの盆地は秋の取り入れの直後でしょ。それに対して上杉軍は狭いところに
1万3千人(5千が善光寺か)が布陣しているわけだから、
事実上、携行していた糧秣ぐらいしかない。
馬に大豆を食わせなければならないが、それが尽きれば馬を使えない。
上杉の陣は周囲の山から見えなかったのだろうか。
見えたはずだし、スパイもいたなら、
両者はある程度相手の動きは分かっていて、
やる気満々でぶつかったのではなかろうか。
上杉にしてみると、雪が降ったら帰れないから
いつ撤退するか機会を探っていたはずですよね。
ウソがいっぱい入ってそうな甲陽軍鑑だけってのも不思議だなあ。徳川家康は甲信の侍を雇ったのだから、
もっと記録が残っていてもおかしくないはずだが。
武田氏が滅亡せずに公文書が残せる程度まで残っていたら、
また違ったんだろうけど。明智光秀側の書状が残っていたら
本能寺の変の真相も分かったろうに、というのと一緒。
降った直後だったりすると炊けないんだよ
それぐらいわかれよ
冬の陣のときに大坂城西方、豊臣方の砦も
炊飯時の煙数が少ないのを蜂須賀家の老巧な武将に察知されて
敵方は少人数だから攻めちゃえと
進言うけて成功してるんだよな
戦国時代の人間の生き様を描きたかったと言ってるからね。
主人公がスーパーマンでなく、
弱さ醜さ愚かさも兼ね備えた魅力ある人物だと思う。勘助たちが捨石になって
勝頼の時代に最大版図を広げ武田全盛期が来る。
滅亡したのは信玄の後継者を決める判断が甘く失敗したからと勝頼の力量。
光源は篝火と月の光くらいだろ。
昔の人は機械文明に頼らなかったから
視力がよかったんだよ
身体能力は今の人間の数倍はあったかもなあ
見える。白っぽく見えるから目立つ。
打ち上げ花火の煙が見えるのと同じ。
でも、上杉は炊かず、飢え過ぎになった?
そんなことはありそうにない。
つまり、両軍とも翌日の軍事行動は予感していたんじゃないか?
隠密作戦の為に干し飯食っていたかもな>上杉軍干し飯とは炊いた米をがりがりに乾かしたもの
保存食に利用した
これから行動しますとバラしてるようなもんだろ武田は頭悪すぎwww
城に入っていた武田
山に布陣していた上杉ほんの少しの気の張り方が、明暗を分けたような気がするんだが。
妻女山には1万人も収容できそうにない。
農家や寺に分宿するといっても、大軍で野陣となれば限度があるはず。
大将もテントみたいな幔幕のなかで、ほとんど吹きっ晒しですわな。
軍装は厚着だが、まだ木綿は普及していないはず。
かがり火や焚き火だって雨が降れば使えないし。
後半は策をことごとく宇佐美に裏をかかれて…。
最初から最後まで勘助の凄さが伝わらなかったのだが。
これで良かったのか?
>宇佐美に裏をかかれて
物語はこれで面白いのですけど、史実ではありそうもないと思うんです。
「私なら軍を二手にわけて・・・」
炊飯の煙を妻女山の砦から見たとしても、なぜ「きつつき」作戦を思いつくのか?
武田が軍事行動を起そうとしていることは炊飯から分かる。
でも、それで「きつつき」は飛躍がある。
炊飯の煙なんか見なくても上杉には武田の動きが分かっていたのではないか。
北信濃は武田にとって新しい領地で、地元の豪族には上杉派がかなり残り、
武田軍に紛れ込んだり、策敵をして、武田の動きを察知していたのではないか。
武田が動き出したと聞いて、一番不安に思うのは、補給基地がある善光寺と、
その先の越後への道路でしょ。下手をすると延暦寺から冬に撤退した新田軍の
二の舞いになりかねない。
じゃあ、目の前に武田軍がいなければよし、いればぶっ叩いてやろうと全軍で
行動を起したのではないか。
山に封鎖すればするほど
勝機あるのにな
きつつきするなら
善光寺軍との遮断だろー
『少なくても上杉優勢』なのに『武田影響下のまんま』なんだよな。
霧で撤退~遭遇戦にしては武田の人的被害が大きすぎる。
信玄がアフォで油断しまくりってのが一番状況の合理性だけはあるけど
経歴がそれを否定してるしな。
うーん、わからん
新田軍か鎌倉を攻めるとき、分倍河原で対岸に渡れず、結局は相模の兵が対岸で夜襲をかけないと渡河できなかったのは、川に足を取られている間に、相手から猛烈な矢を射かけられたからですよ。
原野で待ち伏せても落ち武者狩りはできません。犀川を前にすれば、犀川が天然の堀となって、後方の武田別働隊と挟み撃ちにして、敵将たちをことごとく袋のネズミにできる。そのようにしたと断言はできないが、可能性の一つとして、当然考えたはずですよね。諏訪から善光寺に至る街道と犀川の交点を押さえるのは、戦略的に重要なはず。
武田が移動中に上杉軍が攻めてきたということなら、武田に本陣を踏み破られるぐらい甚大な被害ができたという蓋然性も高くなります。
もうひとつ、逆説を述べてコメントを終わらせます。可能性の一つとして、上杉の動きを武田が先にキャッチした可能性を指摘します。とにかく、戦いの実相はわからないのだから。
武田が自軍を二手に分けたこと自体は不合理とは思わないのです。
片方で退き陣をしている相手のしんがりを攻撃すれば、本陣は手薄になる。その手薄になっているところを武田が本陣を中心に攻撃するという作戦を立てたなら、それは合理的だし、犀川の手前で本陣どうしが激戦になった理由も肯定できます。
但し、上杉政虎としては、街道から越後に逃れることはできても、それはできない、自分のメンツにかけて武田信玄を倒さなければならない理由があったと思うのです。前年の小田原城攻めに失敗し、関東管領の威信に傷がついているから、殿軍のことなど気にしている余裕はない。しんがりを気にせず、全部のウェイトを武田本陣に持っていったかもしれない。
その場合でも、善光寺に抜ける街道を押さえるのは武田にとって大きな関心事だったはず。原野で待ち伏せしたって、相手はまだ指揮系統を維持している部隊だから、捕捉できなければ上杉本陣は街道から善光寺に抜けてしまう。その可能性を考えないのは間抜けすぎる。
いずれにせよ、きつつき作戦は話を面白くするための寓話だと思います。
すいません。
知略の限りを尽くして戦ったとか思わん方がいいのかもしれんね
近代でも日本軍が炊事の煙で米軍にモロバレとかやらかしてるみたいだし、
戦争に大チョンボは付き物くらいのおおらかな気持ちでひとつ
ほとんどが行き当たりバッタリの出たとこ勝負酒だ~ 気合だ~ 根性だ~ 逃げるやつは斬るぞ~
ってノリでしょ
大熊っていう上杉から決戦前に寝返った武将いたけど
あれが実は上杉への内通者だったんじゃないの。
決戦以降確か上杉へ何のお咎めもなく帰参したような記憶あるし。
これが公になると謀略を嫌う謙信の面子丸つぶれだし
謙信と大熊で全て計ったんだと勝手に推測。
大熊は最後まで武田に尽くして死んだと記憶しているが…
wikiで確認したが確かに大熊は上杉にその後帰参してない。むしろ長篠以降織田、徳川に寝返る輩多い中、
最後まで勝頼に付き従ったとある。
大熊は勝頼に最後まで忠義を尽くし、天目山で自害している。
天目山じゃないが、武田家に殉じた事は確かだね。
子孫は、代々松代藩の家老を勤めたのが凄い。
……そういえば本間江州ってやつがいたな
大熊の心は上杉にあったが、武田からも恩を受けたので
敢えて天目山で死んだとかなら泣く
やる気満々だったのは武田の方、管領就任の示威行動の上杉としては二百日対陣の時のように相手から妥協を引き出して武田にすんませんもうお帰り下さいとでも言わせ、面子が立ってあわよくば領土も少し妥協してもらえりゃそれで御の字だった。
ところが信玄はやる気満々、管領なんぞに就任した輝虎にライバル心剥き出し、上杉の方も相手が本気だと解ったもののこのままスゴスゴ帰ったらそれこそ面子丸潰れ、かくて両軍意地の張り合いでにらみ合い。
(信玄はあまりに気に食わなかったらしく生涯上杉とは呼ばず長尾言うてた)
しかし降雪したら洒落にならんので上杉も霧が出るのを良い事に撤退開始
この時信玄の方はよせばいいのに管領に負け戦させてやりたくて追撃開始
帰る方向が解りきってる上杉軍は一丸となって行軍したものの、敵軍補足が目当ての武田は文字通り五里霧中の行動、別働隊でも何でもなく霧中の索敵失敗でバラバラになっただけ。
で霧が明けて見たら八幡原で鉢合わせ、この時も寡兵で無理に突っかからず道明けてやれば良い物を武田ムキになって通せんぼ、上杉もこうなればもう武田が集結する前に戦うしかないので全員死兵になって攻撃開始
以前戦国板にあった川中島スレでの見解にこんな説があったな。
両軍の記録をつき合わせるとこんなのが浮かんでくるんだとか。
元亀二年九月一色藤長に宛てた書状に「上杉輝虎」と書き送ってる
足利義昭に対し、
どうか謙信と和睦できるよう力添えをしてくれと頼んでる
謙信も義昭の頼みだから渋々承諾した
和睦したい相手に礼を失したら纏まる物も纏まらん
(信玄は~生涯上杉とは呼ばず長尾言うてた)
これを否定した訳だが あと
「二百日対陣の時のように相手から妥協を引き出し」たい上杉が
「降雪したら洒落にならんので上杉も霧が出るのを良い事に撤退開始」
???
一月足らずで撤退じゃ前段の狙いと矛盾してるじゃん
まるでちゃうし。 >一月足らずで撤退じゃ前段の狙いと矛盾してるじゃん
最後に書いてるが別のスレで語られて他人の説をこんな説もあったよと引っ張ってきただけだ。
あえて俺の見解付け加えるなら、矛盾してようがそのまま睨みあってても埒があかんし別段おかしくは無いだろ、元々やる気無いと仮定すりゃ上杉が退いても潰れるのは面子だけだが武田が退いたら川中島の失陥で絶対退かないのは目に見えてる訳で決戦する気がないなら留まってもまるっきり益の無いのは上杉の方だろ。
何が気に入らんのかしらんがこんな仮定もあるよと紹介しただけで、これが真実だとか言うつもりねーよ。
「二百日対陣を狙って相手から有利な条件を引き出す」
という戦略なら
それを行う時期、季節、準備が揃って始めて行う物だろう
しかし現実は二百日どころか一月前後の対陣で終了 つまり何を根拠に上杉側がそんな戦略を立てていたと主張してるのか
サッパリ伝わってこない
『普段口にするのと外交文書で書くのとではまるでちゃうし。 』
こんなの屁理屈もいいとこだろ
普段信玄が誰に何を口にしてた事なんて誰が分かる?
バカらしい
それより後世残る形で謙信が山内上杉を継いだ事を認めてる方がよっぽど重みが有る
示威行動と最初にいってるだろうが
新管領として威勢を示せればそれで充分、いつもやる気ねー信玄相手ならその辺汲んでさして激戦にならずに済むだろうし、いきなり退いたんじゃかっこ悪いから少しは対陣って所だろ
その間に交渉して領土でも得られりゃタナボタでラッキーと思ったが、どうにもそうなりそうにもない、それどころか下山したらガチで激戦になりそうだ、んじゃ霧に紛れて帰るか
って所だろ。
つか受け売りで紹介した説にそこまで噛み付かれても困るっつの。
と言うなら、交渉を持ちかけた文書でも残ってるのか? 「どうにもそうなりそうにもない」
訳が分からない
前回は二百日対陣してようやく交渉が始まった
それなら百日~百五十日でも留まって様子見するのが普通
交渉を引き出そうと対陣した上杉が
一体何をもって「このまま対陣しても交渉は不可能」と判断したのか
それをまず書かないと意味不明
停戦交渉してくりゃラッキーと思ってたって事だろ。上杉から交渉する必要はないっつか相手が交渉持ちかけてきて、こちらが承諾する形で堂々と引き上げられりゃ大成功だが、それは最も成功した場合の話。
示威行動だってのが解ってるだろうし、信玄も適当にこっちをあしらっていつもの展開になるだろう、ぶっちゃけ北信濃に出陣した段階で最低限の目的は達成してる、後はなるたけ
威信を損ねない形で引くかだけ。
要は上杉軍に対して相手が下手にでてくりゃ何でも良かった
という「仮定」だろっつの、いい加減しつけーよ
「一月対陣すれば武田から停戦交渉をしてくるだろう~」という物だった
という仮定も異常だし
上杉軍が八幡原を横切ってるし
若槻山城布陣説なのかと思ってたら、川中島南部まで上杉が来てるのかよそしたら「停戦交渉してくりゃラッキー」どころか
「停戦交渉してこなかったら、決戦も考えられる」
敵地に入り込んでるじゃんか
あと自分が支持したい(?)仮定を貼ったんだろうし
その文に変な箇所が有れば、そこを指摘されるのは当然起こり得る事だろう
噛み付く、噛み付かない、なんて言うなら初めから貼らなきゃいい
勝手に拡大解釈してんなよ、してくるだろうじゃなくて
してくりゃラッキーくらいだったんだろって何回言えばいいんだ。俺の解釈を箇条書きにしてやる
1
上杉の狙いは示威行動、だからできるなら戦いは最小限にしたい。本音を言えば睨みあい位が望ましい。
2
武田は出てくるだろうが、向こうも大決戦なんぞしたくないだろうし敵領深く侵攻した(が今回もうやむやだった)と言う事実が欲しい。向こうがもっと消極的なら交渉してくるかもしれない、そこまでは考え難いがそうなれば更によし(上杉側にとっての最良の展開)
3
ところがいつもと違って武田はやる気満々、決戦も辞さない姿勢を見せて困った上杉軍、武田は退路は断つわ横っ腹みせて海津に入って下からうなるわやりたい放題、出てきてすぐに退いてもかっこ悪いし、どうしたもんかと立ち往生。
4・元々武田が上杉さんにゃかなわねーから、今回も手堅い布陣で長対陣にしますよ、とでもすりゃとっとと引き返して武田は恐れをなした!とでも気炎を吐けば充分だった謙信
5・やべーちょっと洒落になってねーぞ、今回は武田を舐めすぎた冗談じゃねーやと霧を利用して帰ろうとしたら戦意満々の信玄が追撃かけてきた。
そう考えると両軍の訳わからん機動に説明がつく、なるほどな、と。俺はこう解釈してる所に、交渉なんて有り得ない、訳が解らないと言われたから俺の解釈を言ったまでだ。
要するに上杉は武田の戦意を読み誤った、停戦交渉してこなかったら、決戦もなにも、武田が決戦してくる事は絶対ないだろう、今回はいっちょ派手にいったるか、という謙信の過信と読み違い。
あくまで仮説で変な箇所はあるだろうが、突っ込まれた所が交渉の実現性とか言ってくりゃ、解釈の前提ににズレがあるって説明せざるを得んだろ解った?
支持してるかといわれりゃ、成る程それならあの会敵地点も頷けるって思ったんで支持してるんだろうが、そうだったに違いないとかまでは言うつもりねーって何度言わせるんだ。
敵陣深く入り込んで、八幡原渡って、停戦交渉も無い、
さらに武田は手堅い布陣で長対陣に持ち込んだ~
こんな状況で一体どうやって
「(謙信が越後へ)とっとと引き返」
す事が出来るんだっつーの >交渉してくるかもしれない、そこまでは考え難いがそうなれば更によし
つまり謙信は(敵領深く侵攻した事実が欲しくて)八幡原を渡った頃、「停戦交渉の可能性は低い」と見てたんだな?なら帰路をどう確保するつもりで八幡原を横切ったのよ?
まさか「霧に紛れれば易々と越後まで帰れる」と最初から謙信は思ってたんだよ~
なんて言い始めないよな
>交渉なんて有り得ない、訳が解らないと言われたから
「一月の対陣で停戦交渉なんて有り得ない」と指摘してる。それを上杉側が当初から目論んでいた~という仮説を否定してるだけだよ
>そうだったに違いないとかまでは言うつもりねーって何度言わせるんだ。
別に・・・誰が、どれだけこの説に入れ込んでるか、なんてどうでもいい話だけど
謙信が武田はあくまで決戦をさけると避けるだろうと頭から思い込んでるって仮定であって、退路をどう確保するもなにも整然と退けば武田は手は出して来ないだろうって思い込んでるのが前提だ、冷静に理屈で言えば確かにそんな都合良くはいかねーよ、一方的な謙信の過信と言ってる。だがやってみたら武田はガチで決戦するつもりだった。謙信にすりゃ完全に予想外、本音は決戦なんてしたくねーけど、こうなったら霧にまぎれて脱出すっか…やべ追ってきた。こーゆー仮定だ。
まとめるとだな、戦略面で謙信が調子こき過ぎたそれに尽きる
だが信玄も完勝狙った戦術で分進合撃のタイミングが霧で狂って大損害って仮定なわけだ。
両軍の戦術機動のおかしな所に当てはめた推測だろうよ。謙信はそこまで馬鹿じゃないと言われればそうかもなとしか言えん。
もう俺の方から言いたい事は無いが、最後にあんたの思う川中島の経緯を聞いてみたいもんだな。
第4次川中島の発端に理由があるんじゃないの?
迷ったら原点に帰る。第5次は退陣だけで終わり、それ以降は終結している。
第4次には、それなりの意味があった戦であったことは確か。
そりゃそうだ。
で、発端というか、経緯、政治状況、当日の伝えられている資料というか伝聞、etc-----と同様にどう思ってたというのもこういうスレじゃ意味あると思うよ
第四次川中島決戦の謙信の行動が示威行動だったとすれば、なぜ海津城を背に越後への退路を立たれるような妻女山に陣を敷いたのか?
越後との連絡を絶たれるような位置に陣を敷くということは、退路を立たれるだけでなく兵糧の補給もできなくなり、雪隠攻めされる危険もあり、このような危険な行動がただの示威行動とはとても思えない。
その通りです。
示威行動じゃなくて挑発行動に近いような気がする。
何のためにやったのかは、このスレで意見を出し合う要素だと思うが。春日山に政景の15000~20000人を確保しながらなんだよね。
一方、武田は駿河に近いところの兵まで動員してカツカツ状態で臨んでいる。
なんとなく両方とも決戦覚悟のような・・・うーん。
何のため…
やはり上杉としては対信濃防御壁を完璧な形で固定したかったんだろう。
武田が北上を諦めるって意味でね。
領土欲の希薄な上杉にとって、稼ぎがしらである日本海交易を守るのが最重要。
関東管領の仕事もしなくちゃならん。
それと今川義元亡きあと、いずれ駿河が草刈り場になり
信玄の心がそっちに向くって読みもあったと思われ。
どんどんやってよ