毎回返り討ちにあってるイメージ
ねーよ
非情になりきれず頼朝と義経の命を助けたあげく反乱されるわ
藤原氏の真似事して娘を天皇に嫁がせるわで
時代遅れの政治家
頼朝
「今わしはつくづく思う。
平治の戦ののち清盛は何故わしの命を取らなかったのか。
池禅尼殿の命乞いがあったとは申せ、
何故それを拒めなかったのか。
情のしがらみに負けたか、我らを甘く見たか。
あの世から清盛は我らをどのように見ておろうか」
総合力で考えたら徳川家康一択
治世においても
日本史上最も子孫を維持繁栄させる仕組みを構築させてるし
乱世においても政治能力
総合的な戦闘能力によって天下統一を成し遂げている
足利義満はそもそもが世襲だし
南北朝を終わらせてはいるが
環境的に圧倒的に有利な条件での成功に過ぎない
治世においても一時的な繁栄は手に入れてるが
子孫の維持繁栄の仕組み作りと言う意味では
徳川幕府と比べたら極めて不安定な仕組みと言わざるを得ない
義政の出現は防ぎようがなかったにしろ
その前から政情の不安定は常に発生してるし
将軍も暗殺されてる
>>9
家康は室町幕府の脆弱性を反面教師して
支配体制が強固な江戸幕府を開いた感じがしますね。
室町幕府は将軍が二人も暗殺されてるし、
一族の関東公方家(江戸幕府の徳川御三家みたいな存在)からも
公然と謀反を起こされてるし。
常に争いが絶えなかった室町・戦国時代に比べ、
天下泰平の世が200年以上続いた江戸幕府はすごい。
いや、義満は就任からしばらくはまだ若年だったから
細川や斯波の重臣に翻弄されてヘタレ将軍だったみたい。
特に斯波義将に花の御所を包囲されて「細川頼之を罷免しろ」
と圧力をかけられたなんてことがあったみたい。
義満が勢力を拡大したのは出家して息子の義持に譲ってからだね。
詳しいことはWikipediaを見てみて。
頼朝とかもそう
将軍で武士って感じは尊氏とかだな
鹿苑寺金閣の造りにそれが現れてる
全ての権力を手にしたとな
有能なわけねーだろ
後世に多大な影響を与えたのは実は銀閣寺の方なんだよな
侘びや寂びの文化が戦国時代に花開くんだよ
茶の湯でな
松永三好軍バッタバッタと切り捨てた剣豪将軍
武骨な将軍は足利では義輝だけだよ
義昭とかヘタレだし
だったら土俵にも上がれないと思うが
新田氏の流れだから源氏なのでは?
それは将軍になるために家康がついたウソだよ
新田の系図を金で買い取って無理やり子孫って設定にした
実際は関東から流れて来た乞食僧侶が
三河の土豪の後家さんちに入り込んで土着したと言われてる
義満に目立った武功なんかないだろ
こいつは日明貿易で稼いだ生粋の商人
芸術に金かける天下一品の社長みたいなもんや
優秀な武士ってのは
武勇の上杉謙信とか
智略の黒田官兵衛、太原雪斎とか
国政に優れた武田信玄とかだろ
ラキチン信長の完全ラッキーパンチがまともに入った感じ
本来なら関東から山陽まで制覇したハズ
伊達政宗だな
18歳から当主として最前線で戦い
蘆名とか佐竹を滅ぼしたり撃退している
大身をキープし続けて生き残れたのは
20代から秀吉や家康から舐められずに渡り合えた結果
よくあと10年早く生まれてればというが
10年早ければ東北はおろか佐竹あたりまで南下して
北条と連合組んで秀吉ともう少し有利に交渉してしていただろうな
まあ運の良さもあるんだが
それはほかの戦国大名にも言える
織田信長の場合は桶狭間とか
信玄謙信のタイミングの良い死亡とか
無能な朝倉当主とか
徳川家康は三方ヶ原大敗のあとは
信玄の気まぐれで滅ぼされなかったし
秀吉や前田利家より長命だったことが大きい
豊臣家の大一番である小田原攻めにも参加せず死装束で参陣
豊臣家と徳川家の天下分け目の関ヶ原にも参陣してないよね
黒田官兵衛なんて九州を平定するくらい裏で動いてるのに
所詮は小僧がイキってるレベルだったが正解だ
足利義満より城東工業のラスボス
山田敏光の方がレベル高いわ
テル曰く「敏光は別だよ、化け物みたいな奴だし・・・」
ビーバップでの話だけどな