成長著しい時元の拗れ具合は脚本都合過ぎだよね
全成事件の時に子供を安全なところに預けろと言われて実衣が拒否(多分畠山が退避させた?)した後、結局どうなっていたのかさっぱりわからない
見えるところだけを追うと「誰も恨んではいけないよ」の全成の言葉を実衣が反故にするとも思えないから、余計に意味不明
逆にどうしても全成のことが許せない、それを子供に伝えた設定なら、時政パパとオンベレブンビンバさせるべきじゃなかったよな
ニュース
りくや時政が率先してやったことにしないとドラマとしておかしくないか
もしかしたら最終回で政子が義時を毒殺するのかもね
そして誰も居なくなった
命が軽いからね
あまり誰に殺されたとかどう死んでも
残された人達は一時的には悲しかったり恨みに思ったりするがすぐにケロリという世界
過去にすがるより今どう生きてどう死ぬかが重要なのよ
現代の感覚過ぎるとこのドラマ矛盾だらけでしょ
現代人とは帰属意識が違うんじゃないの
婚家と実家の関係もそうだし養子頻繁に取るし
>>141
そういうこともあるだろうけど
政子が頼家処分をやむを得ないものを認めてその下に頼家は暗殺されたのだろう
政子は頼朝死亡の直後から尼御台として18歳の頼家の後見人の役を果たして事実上の鎌倉のトップであってドラマよりずっと重い責任を負っていた
頼家は親裁願望が強く頼朝に新恩給与された所領の再配分を行おうとするなど御家人が受け入れようもない施策を強行しようとした
このまま所領を血で贖う時代に逆戻りで鎌倉幕府の存続が危うくなり頼家を除くことはやむを得ないと政子は認めた
つまり親子の情より政権への責任をとったということだろ
朝雅だろ
最後は実朝と公暁かなと思った
実朝は鶴岡八幡宮に参拝するなら衣冠束帯だろうし
公暁は八幡宮別当だから僧形でしょう
千日参籠と称して籠り髪を伸ばして将軍になる為の下準備をした、と言うのが草燃える
義時はそれを察知していたと思われるのでやはり
三浦説(義村が公暁を煽って実朝を襲わせた)と言えど結果的共犯とも取れる
流石の義村もそこまでは分からなかった
義時の方が上手だった
鎌倉殿は何でもありなので解りません
神社に坊主がいる事とか異常でしかない
社僧なんじゃね?
それは明治維新の時に行われた神仏分離のせいで現在の感覚ね
この頃は八百万の神さまは仏が化身して日本に現れたなんていう神道と仏教が融合されてるよ
本地垂迹説とか神宮寺とか日本史で習った記憶は無いかな?
神社とお寺が別々になったなんてのは最近の話。
例えば足利氏の本拠地にあった樺崎寺は足利氏の氏寺だけど境内には八幡神を祀った樺崎八幡宮があったりしたしね。
本人の前では母上だったよな
もう母だと思ってないんだろ
小四郎とりくはそこまで打ち解けてないような
りくの方は亀焼き騒動で政子を庇ったりしてたけれども
最終回は
「頼朝、義時、泰時の遺志を継いで遥か先の時代に戦なき世の中を目指す男が現れるのは・・この次の物語・・」
とか長澤まさみがナレーションして完だったりして
家康は頼朝を尊敬していたし
真田丸でも向こうにも向こうの物語があるとか言ってたし
秀吉から毛利元就は竹中直人のコントで無理やり繋げたけど(総集編)
アサシンは不意打ちだからこそ
善児は頼家にも苦戦してるしな
あの時の義村は完全武装していたし、後ろに何人も郎党がいたから善児ならずとも無理
え?いた?
今確認したが八重の前で義村と善児の戦った場面は誰も居なかった
まあ後ろには郎党は当然いるのだろうけどこのドラマでは描かれてない
・【悲報】鎌倉殿の13人、戦場がショボすぎてキツネダンスにすら負けるwww
・稲毛殿は稲毛区の稲毛?足立殿は足立区の足立?
・名だたる武将の亡くなった場所に塚や寺建てて日本人はやさしい
・時政もリクも憎らしくて素晴らしい義時もシビアな顔になったな
・畠山殿の晴天の昼間に魂抜けたようにフラフラ退出していく演技うまかった
・殴り合いはいいとして、あの展開でなんで義時を斬らなかったのかが疑問
・三浦胤義や大江長男は承久の乱でなんで京についたのか?
・吾妻鏡は時政の横暴を際立たされるために畠山を「武士の鑑」と持ち上げたと思う
・市原隼人良いね「おいしい給食」の時に気づいたがとても声がいい