韓国ネットが選んだアジアの5大名将
日本から1人、中国から2人、1位は韓国の名将―
2017年11月20日、中国のポータルサイト・網易に、韓国のネットユーザーが選んだとするアジアの5大名将について紹介する記事が掲載された。
韓国人が選んだというアジアの5大名将の第5位は「徳川家康」だ。
戦国時代後期に生まれた徳川家康は、安土桃山時代から江戸時代にかけての名将で、江戸幕府の初代征夷大将軍だと紹介。
江戸幕府はその後260年日本を統治し、日本の歴史上第一の名将だとした。
200年にわたって分裂していたベトナムを統一した功績は大きいとした。
第3位は「孫武」だ。
春秋時代に生まれた武将で、著書である兵法書「孫子」は中国人の戦闘に対する考えを大きく変え、欧米人が原野で野蛮な戦闘をしていた時期に、中国では作戦を用いた戦闘を行うようになったと伝えた。
漢の三傑の1人であり、劉邦も韓信の助力がなければ項羽に勝てなかったかもしれず、中国でも「兵仙」、「神師」などと呼ばれて称賛されているという。
第1位は韓国の「李舜臣」だ。
豊臣秀吉による朝鮮侵攻時に、明の援軍と共に勇敢に戦い、日本の侵略者を攻撃して敗退させたと紹介。
鳴梁海戦では300隻以上の日本側の船を撃沈したとされているという。
しかし記事は、李舜臣が韓国の歴史上第一の名将であることは認めつつも、アジア一とするのは疑問が残るとしている。
意外とそうでもない
自分の国の偉人一位になるのは分かる
逆に他にはベスト5に入れる候補すらおらんかったんか
何人か思いつくけど
こいつ含めて今で言えば北朝鮮の方の出身やからなぁ
南の方には誰もおらんししゃーない
停戦中に背後から襲って勝利した有能
違う。停戦直後に背後から襲ったが、島津に逆襲食らって死亡した有能。
鬼島津最強だな
>>61
朝鮮でこんだけ包囲されてからの逆転
これか
2004 - 2005年に製作された韓国ドラマ『不滅の李舜臣』では、主役の李舜臣の日本側における最大の敵役(「日本水軍第一の名将」「日本軍最高の名将」扱い)として登場する。
最強の李舜臣を打ち破ったワイの地元の脇坂さんの能力上げてや
韓国じゃかなりの大将軍扱いなんやろなあ
その後関ヶ原で伝説残したのは影武者扱いなんやろ(棒)
日本も元寇の時の元の将軍とかしらんしな
歴史の授業でも北条時宗が退けたって習うしなあ
元寇の時の将なんて日本にボコボコにされて情けないだけやん
初日に博多から大宰府まで引かされてるんですが…
それだけやん
あといいとこ無し
流れ弾に当たったんやっけ
明と秀吉軍停戦合意
→帰国する秀吉軍を背後から襲う
→火縄銃で死亡
文禄の役で活躍して
そのあと他の奴らに嫉妬されて
一兵卒に身分落とされて
慶長の役で
また朝鮮ボコボコにされたんで
将軍に復帰して
流れ弾に当たって
戦死
の流れはほんま可哀想
ライバルは日ノ本の名将脇坂安治やぞ
>>126
関ヶ原ではさぞ勇猛果敢な活躍したんやろなぁ
※関ケ原の戦い
約1千の兵を率いた安治は、東軍と内通の風聞があった小早川秀秋に備えて、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保らと共に配置されていた。午後に入り小早川隊が大谷吉継隊を攻撃するとそれに乗じて他の3将と共に東軍に寝返り、平塚為広・戸田勝成の両隊を壊滅させた。石田三成の居城・佐和山城攻略にも従軍した。関ケ原の戦後処理で元綱は減封、祐忠と直保は改易の処分を受けた。脇坂家は処分を受けずに所領を安堵された。
清なら雍正帝あかんのか?
白起韓信劉秀李請徐達
前漢やと衛青
唐やと李世民
南宋やと岳飛
永楽帝が有名過ぎて
まあ無難なとこやろ
対抗馬に光武帝がおるくらいか
清なら雍正帝あかんのか?
清ならヌルハチかホンタイジか乾隆帝だろ
豊臣も脱糞も政治家扱いになるやろ?
武田信玄とか入ってきそう
そら信長ですよ
源義経、織田信長、東郷平八郎とかやろ、おそらく
そもそもそんな区別すらついとらんから
真田幸村、織田信長、豊臣秀吉、伊達政宗、徳川家康とかになるぞ
チンギスハーン、孔明、秀吉とあと2名って感じか。
誰やろ?
>>300
信長家康
近世国家を創り上げた傑物を脱糞と呼んでいる連中がいるからな
関西その他では無さそうやけど
東京やけど全く人気無いで
関東やけどないで
江戸が本拠地なのになあ
家康は明治期のサゲが半端なかったから関東だと逆に不人気な印象
駿府だろ 江戸にいたの5年だけだし
三河は知らんけど尾張では家康全く人気ないで
所詮はこねられた餅を座って食っただけの人間や
日光は猿のほうが人気あるで
場所考えたら北条やけどそんなイメージあんまないで
そらもう佐竹義重よ
常陸でも知名度怪しいレベルやろ
村雨貰うために辻斬り→診察して投薬→辻斬り繰り返したなあ
【李舜臣とは】
文禄の役勃発
・主力である慶尚水軍壊滅(李舜臣は救援を拒否)
・李舜臣率いる全羅水軍は
日本軍の主力が釜山東部に集中している間隙を突き
釜山西部で小規模な勝利を挙げる
・李舜臣、日本軍輸送部隊を妨害。補給基地を奇襲して戦果を挙げる
・日本側が対策を取ると、手を出せなくなり着々と補給は進む。
休戦
・李舜臣、功績が認められて朝鮮南部水軍総司令に抜擢
・嫉妬を受けて謀略で失脚、粛正、拷問を受けて死刑判決
(後に許され兵卒に落とされる)
慶長の役
・李舜臣を陥れた将軍が大敗。朝鮮水軍はほぼ壊滅
・李舜臣復帰
・日本軍の追撃で小規模な勝利を収めるも、そのまま撤退。以後戦力温存
・明軍と合流した李舜臣だが、日本側の勢いは止まらず明軍はほぼ壊滅、李舜臣は逃亡
・明と講和して撤退する日本水軍を騙し討ちするも、逆襲食らって戦死。享年53才
【後世の創作が確定している物1】
「李舜臣は海戦で連戦連勝して日本水軍を多いに苦しめた」
→嘘。文禄慶長とも李舜臣は大規模な水軍を率いた事は無い。南部総司令に就任したときも既に元均が大敗した後で、僅か12隻しか残っていなかった。当然、出来る事は日本軍主力を避けてのゲリラ戦となり。ゲリラ戦ではいくつか小規模な 戦術的勝利を収め、ある程度苦しめたのは事実だが、戦略的な貢献は殆ど無い。
(追撃の先頭に立っていた来島通総を戦死させたが、日本軍主力が到着すると李舜臣は撤退し、追撃を防ぎすらしていない。実際その後、朝明連合軍を退けた日本軍は慶尚の主な根拠地を占領した)
因みにこの海戦を描いた、韓国の大ヒット映画「鳴梁」では、李舜臣率いる13隻が、日本軍333隻を撃破したことになっている。
【後世の創作が確定している物2】
「李舜臣は日本の補給を遮断して、結果日本軍は撤退することになった」
→嘘。日本軍の補給が滞っていたのは、平壌まで進出した小西隊だが、これは補給線が 伸びきっていたことが原因であり、日本軍橋頭堡には普通に潤沢な補給物資があった。 撤退した原因も明軍の騙し討ちで小西隊が大敗・碧蹄館で明が大敗と、秀吉の死去であり、補給不足は関係無い。
【後世の創作が確定している物3】
「李舜臣は文禄慶長の役で唯一、豊臣政権の大大名を直接討ち取った英雄」
→歪曲。来島通総は1.4万石の小大名に過ぎないし、豊臣政権の中心人物でも無い。明軍を壊滅させて追撃し、突出した来島が単独の小規模海戦で逆襲されて敗れたという事例。後続の日本軍主力が到着すると李舜臣は引き上げてその後引き籠もり、結局は日本側の攻勢を許した。
(公平に言うと、これは李舜臣の手持ちの戦力が極めて弱体だったため、その範囲で出来る最高に近い仕事をしたと言え、過剰に李舜臣の功績を貶めてはいけない。彼が文禄慶長の役で全く重要な役割を果たさなかったのは事実だが、それは彼の能力によるものではない)
【日明戦争(朝鮮出兵)にて戦死した武将】
「日本(一万石以上)」
来島通総 ※1万4千石
「朝鮮(三品以上)」
鄭撥、尹興信、宋象賢、洪允寛、李宗張、申石吉、元豪、元喜、柳崇仁、徐礼元、鄭湛、高敬命、趙憲、鄭運、金時敏、沈岱、金千鎰、崔慶会、黄進、元均、李億祺、李福男、任鉉、崔湖、呉応鼎、黄世得、郭越、李舜臣、李英男、金澥、李薦、裵蘿立、李渾、金貴栄、李瑛、黃赫等、李範、李錘、文夢軒
「明(遊撃以上)」
載朝弁、史儒、廬継忠、李新芳、蒋表、毛承先、楊万金、李寧(副総兵) 、李寧(参将)、廬徳功、鄧子龍
当時の朝鮮軍の中では有能
勝つためには何をすれば良いかが見えてた
まぁ、相手が悪かった
島津に立花、毛利を中心にした西国オールスター相手じゃな
コレメンス、戦国期九州とかいうマジモンの修羅の国生き抜いた武将はちょっとおかしい