あの趙匡胤でさえ、親征して前線の督戦には出るけど、自ら先頭に立つことはしなくなったようだ。
劉邦の死因は矢傷
少なくとも英布の乱の時に矢玉を冒す場所にいて指揮してたことになる
サンクス
そういえば項羽の対面のときも、矢に刺さったんだっけ。勇敢だ。
どうも項羽敗死以降を知らないから、劉邦のイメージは卑怯者なんだよな。
ニュース
前線に出て指揮する者が多かったが
普通は皇帝に即位すると都を空けるのを自重して
将軍どもに遠征させるものな。
劉邦みたいに親征しまくるのは少ないよね。
でも、それが祟って呂氏に天下を奪われたんだから
自業自得と言えば自業自得だ。
遠征できる若い将校達を手許で育て
都の中枢で権力組織のバランスをとったり
どのように皇帝に権力の集中をはかるかに精力の大半を注ぎ込んでれば
呂氏に天下を簒奪される可能性は少なかったはず。
>>576
劉邦の場合、最大の敵項羽を倒して、皇帝就任したけど
実質は劉邦を宗主とした封建領主のあつまり、に近い感じだったんじゃないのかな?
そのへん、よくわからんのだけど、帝国として中央強化、周辺弱化はなされていないから
いわば死に際の劉邦もまだまだ建国途上だったのじゃないだろうか。
ふと頭をよぎったことなんで、たわごとだけどね。
ゲイフの反乱も起きなかったのにね。
韓信は遠征先で王を名乗ろうとしたり、
肝心な時に軍を動かそうとせず、
加増の約束をしてようやく動き出すような危険人物。
早めに消しておいたのは正解だったと思う。
ショウカとかにでもカマかけてたみたいだし、大物外様はなお危険か
明の朱元璋とだぶるね。
劉基が劉邦の真似をしろと言ってたんだけど、
粛正まで真似をするとは予想してたのかな?
張良は上手に切り抜けたが、劉基は切り抜ける努力をするも結局殺されちゃったし。
>>585
知らなかったから強かったんだと思うよ。
最後まで武人で通せば、劉邦在命中は
ああはならなかったと思うんだな。
中途半端に欲を出したからいかん。
項羽が四面楚歌された後にぐ(←字がわからん)の前で歌った漢詩を、白文のままで教えて下さい
書き下し文で『~駿行かず ぐやぐやなんじをいかんせん』みたいなやつです。
>>612
ググレカス(Gugurecus, 生没年未詳) 古代ローマの思想家
帝政ローマの時代に現在のアルバニアあたりで生まれたといわれている。
父は役人で、家の巨大な書斎にはあらゆる本が並べられていた。
このため物心ついた頃から興味を持ったものは何でも検索する習慣がつき
13歳頃からはほぼ一日中図書館で過ごすようになった。
それ以来さまざまな発見をしては、それを地元の図書館で検索するという日々を続けていた。
だが20代になると、故郷の図書館の蔵書はすべて制覇したのか、図書館通いに飽きてしまいローマに移住する。
ローマでも毎日多くの事柄を発見しては図書館で検索しており、その探究心と教養を買われて役人として出世する。
何でも知っていたググレカスは人々の注目を集めたが
やがて図書館で少し調べればわかるような事柄を質問されると即座に「ググれカス」という返答をすることが習慣となってしまった。
このため人々の反感を買い、ググレカスはローマで孤独に一生を終えた。
たかがローマ時代の若造がこのスレに来ていいとでも?
>>612
力拔山兮氣蓋世。
時不利兮騅不逝。
騅不逝兮可奈何。
虞兮虞奈若何。
力は山を抜き気は世を蓋(おお)う。
時、利あらず、騅逝(ゆ)かず。
騅逝ず、いかにすべき。
虞や虞やなんじをいかにせん。
『司馬遷 史記 4 逆転の力学』(徳間文庫)
興味ぶかい
いかにゲームとは言え、項羽とは戦いたくないな。
>>622
ビームは張良だろうから、
麦でも投げるのかな?
>>624
竹簡投げではいかがでしょう
南京玉すだれみたいに
陳平は葬式の肉をわけるのがうまかったそうだから
ナタと、あと効くのが遅いのが欠点の毒攻撃
「長城のかげ」みたいな、周辺の人々にスポットをあてた
作品をもっと読みたいなあ。ありませんかね?
近い感じの王同(字は子中)くらいじゃないかな。
有名なヤツじゃ彭越(字は仲)しか分からん。
半ば以降の人物は大抵漢書に字載ってる
弓で遠距離攻撃すればいいだけじゃないかな
相手は止まってなどいない。
でも運が良くないと当たらないしな
一斉射撃ですね
後半の少数の時などは一斉射撃すればいいのにと思うんですけどね
そんな命中率が悪いんですか
一斉射撃じゃ誰が討ち取ったかわからんから
みんな首が欲しかったから無駄に殺され続けたのでは?
現代みたいに統制とれてなさそうだし
何千人と相手にするための武器を一人を殺すために用いるなんて経済性の無い事やってたら負けると思う。
どうして項羽が先に来るんだろう
たぶん長与善郎の戯曲が初出
その頃に秦の正規軍ってなにやってたんだ?
>>674
項羽が章邯に黒星つけた邯鄲包囲戦だと
秦の正規軍が章邯の指揮下に戦っているんだよな
この正規軍は今まで何やっていたんだろ
オルドスを放棄して回されてきた軍なのか?
>>677
それは邯鄲でのうて鉅鹿のような
正規軍は蒙恬の死後に王離に委譲された兵という推測も
邯鄲じゃなくて鉅鹿でした
初歩的なミスを犯すとは恥ずかしい。指摘ありがとう
実力があるほうが上司として尊敬できるし
黒い噂もあるが虞が最後まで愛した事を考えると
言うほど悪い人だとは思えない
韓信は項羽の事を匹夫の勇・婦人の仁と酷評をしているが、
出世出来なかった事、見い出されなかった事を恨んでいるだけ。
逆に言えば
項羽の才能一つがあれば韓信の存在自体が無意味だった。
凡才は天才を憎む。韓信のあの潔くない言動、最後を取っても
無頼の劉邦以下の人格・人凡であることは疑いようも無い。
さらには項羽にやけについて回る悪評自体がどうも胡散臭い。
漢朝が無理矢理に付加した可能性もある。史記の成立も、項羽の死後すぐに成立したものでは無いせいもある。…歴史は王朝により歪められるのは大陸の常でもある。(剛直な司馬遷の例もあるが)
忌々しいが、韓信の言葉『匹夫の勇・婦人の仁』を噛み締めてみると、とても人間的魅力に溢れた英雄のような感が項羽にはある。
劉邦のバケモノ染みた不気味さなど微塵も無い。爽やかな若者なのだ。
31歳で死を迎えるに当たって、彼は満足して逝ったのだろうか?
自らの手で六国の天下を元に戻して、それを頑なに維持しようとして、奔命し、ついに果てた。劉邦に付いた彼の元部下達は、泉下で彼に顔向けが出来たろうか? …彼が戦国覇者の一部を取った『覇王』と呼ばれた意味を深く考える時がきっと来るに違いない。
彼はただ、平和だった『古き良き時』を取り戻したかっただけなのだと。
>>682
項羽は六国を戻してないよ
元の王族からは国を取り上げたり半分にしたりしてて、ほぼ全ての領域で争いや遺恨を生んでいる
爽やかだけど迷惑な若者だったろうな