お城の乞食
肥前にある歌舞多城には、城の近くに乞食が住んでいた。家臣から、
「みっともないので追い出してしまえ」との声もあったが、
城主、大村筑前は、それもかわいそうだと、なんとなく許していた。
この歌舞多城が、後藤貴明の軍勢に攻められた。大村側は硬く城に篭り、戦線は膠着した。
さて、この歌舞多城の城兵に、込屋玄蕃と言う男がいた。彼は大の博打好きで、籠城の最中にもかかわらず、ちょくちょく城を抜け出し、後藤領にある博打場へ双六を打ちに行っていたのだ。
ある夜、いつものように玄蕃が博打から帰ってきた。酷く負けが混んだらしく、気が立っており、城へ続く道の側に寝ていた乞食を「失せろ!」と蹴飛ばした。
そこからしばらく歩いていると、何者かが近づいてきた。後藤方の者たちであった。彼らは歌舞多城の城兵が博打に出入りしている事を知り、彼に接触してきたのだ。
「我らの合図と同時に、城門を開くのだ。そうすれば博打の借金も帳消しにし、さらに褒美として、欲しいだけの銭もくれてやろう。」
玄蕃は、承知した。
約束の夜。後藤勢はひそかに歌舞多城の城門前に集まった。そして秘密の合図を送る。
するとかねてよりの約束どおり、城門が開いた。この城はもらった!そう思ったとき、城の中から軍勢の前に、何かが投げ込まれた。込屋玄蕃の首であった。
城門が開ききると、そこには、完全に武装した、大村筑前をはじめとする大村勢が待ち構えていた。
「おぬしらの企み、それを聞いた乞食が逐一我らに教えてくれた!汚い者どもめ、討ち果たしてくれる!」
驚く暇こそあれ。大村勢は一斉に突撃をかけた。後藤勢は何も出来ず蹴散らされ。
壊乱した。
戦後、大村筑前は乞食に褒美を与えようとしたが、乞食は「殿様に頂いたご恩を、少しお返ししただけでございます。」と、それを断ったという。
ニュース
やる気なさすぎ・・・
そんなんじゃせん滅できないだろうに・・・
大坂のときも橙武者が遊びに行っていたじゃないか。
地方の小勢力の合戦で、そんな完全な包囲を求められてもw
池田輝政と福島正則
大坂の陣後の酒宴で正則が輝政に言った。
「俺は槍で大国を賜ったが、お主は大御所の婿ゆえ、一物で大国を賜ったのだ」
輝政は笑って答えた。
「その通りだ、確かに俺はこの一物で52万石の大名になった、だが、もしも槍を使っていたら天下を取っていたさ。」
これには正則も大笑いで酒宴は最後まで盛り上がりました、とさ。
利休の石灯籠
千利休は、とある古い石灯籠を大切にしていた。自ら色々手をいれ、これこそ天下一の石灯籠だと自慢していた。その石灯籠は、利休の高弟としても有名な細川忠興に譲られた。
間もなく、利休は秀吉の命で切腹をした。石灯籠は、利休の遺品となった。
忠興はその石灯籠を、領地の丹後田辺城へと大切に持ち帰った。その石灯籠に込められた利休の精神を、失ってはならない、そう考えたのだろう。
やがて世が転変し、忠興自身が小倉へ、また熊本へと身を移しても、その石灯籠は常に忠興とともにあった。
今、その石灯籠は、京都大徳寺の塔頭、高桐院の細川忠興の墓に、墓石として置かれている。
これは涙なしには語れない
利休がずっと生きてたら仲違いしてDQNな結末に終わった可能性もかなりあるがw