秀吉と牛蒡(1)
羽柴秀吉が関白に就任し、豊臣秀吉と名乗り始めた頃の話である。人臣の位を極めた秀吉に、各国の大名や豪商、有力者達が祝いの品を贈っていた。
その頃、秀吉の故郷である、尾張中村でも秀吉に祝いの品を贈ろうと、農民達が話し合っていた。しかし当時の尾張中村は寒村であり、特に名産も無く、農民達は何を贈り物とするか決めあぐねていた。ある者が言った。
「そういえば、秀吉様が墨俣に城を建てた時や、長浜に城をいただいた時、この中村の牛蒡をお祝いとして差し上げたら、たいそう喜ばれた。今度も牛蒡を贈ったら良いのでは?」
皆、(関白さまに牛蒡など…)と戸惑ったが、他に換わる金品は無い。せめて丹精した牛蒡をと、農民達は選りすぐった牛蒡を持ち寄り、村の代表者に託した。
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秀吉と牛蒡(2)
大坂城に着いた尾張中村の一行は驚いた。城の大きさ、賑わう人々、そして城に続く長い行列。皆、立派な格好をし、金や刀や絹織物、中には精悍な駿馬を携えている者もいた。すべて秀吉への贈り物である。みすぼらしい格好で行列の端に並ぶ、中村の農民。
そこに羽柴秀長の一行が通りかかった。秀長は農民達の中に、見知った顔があった。
「おお!中村の者達ではないか、久しいのお!どうした、なぜ大坂に?」
農民達は秀長に、秀吉さまに牛蒡を贈ろうと思ったが、あまりにみすぼらしいので、貴方に預けて早々に帰りたい、と伝えた。秀長は言った。
「ばかもの。はるばる尾張中村からの使者を無碍に帰せるものか。よし、わしと共に城に来い。」
秀長は農民達を連れ、城に入った。農民達は城の台所で待つよう言われ、しばらく待っていた。
秀吉と牛蒡(3)
台所の奥からドカドカと足音が近づいてきた。それは秀吉であった。秀吉は駆けるように農民に近寄り、喜色満面で言った。
「中村の者達、よく来た、よく来てくれた!嬉しいぞ!それに、また牛蒡を持って来てくれたのだろう?ありがたい、まことにありがたい。」
農民一人一人の手を取り、感謝する秀吉。望外の歓待を受け、農民達も安堵した。酒宴が始まり、秀吉や秀長、おねや母のなかも加わって、しばし時を忘れ賑わった。
あくる日、秀吉は帰ろうとする農民達に言った。
「お前達を手ぶらで帰す訳にはいかん。土産として、尾張中村の年貢を永年免除とする。どうだ?土産になるか?」
農民達は秀吉に感謝歓喜し、意気揚揚と尾張中村へと帰った。
秀吉と牛蒡(4)
それから数年経った。年貢が免除された尾張中村では、農民達は裕福な生活を送っていた。ある者は家を豪華な屋敷に造り替え、ある者は蓄財し、商いを始めた。
皆が再び集まり話し合った。
「わしらがこんな贅沢に暮らせるのも秀吉様のおかげだ。お礼として何か贈ろう。皆で金を出し合って、刀や駿馬を取り寄せよう。」
こうして農民達は立派な刀や精悍な駿馬を携え、再び大坂城へ赴いた。
あの時のように、城の台所で待つ農民達。駆けんで来る秀吉。農民たちは言った。
「秀吉さまのおかげで、我々も豊かに暮らせる事が出来ます。立派な名刀と駿馬を買える余裕も出来ました。どうぞお納めください。」
すると秀吉は怒気を含めて言った。
「ばかもの!何故、牛蒡を持って来なかった!」
あっけにとられる農民達。秀吉は心底落胆して言った。
「墨俣に城を建てた時、長浜城主となった時、そして大坂城を建て関白となった時。お前達はいつも牛蒡を持って来てくれた。ありがたかった。まだ俺が中村の百姓だった頃を思い出せた。」
秀吉と牛蒡(5)
秀吉は続けた。
「わしは武士となって、信長さまのもとで必死に働いた。命がけで働き出世した。それは、わしは貧しい農民たちが戦など無く、豊かに暮らせる国を造りたいと思っていたからだ。だが、武士として働いている内にその思いが薄れ、民をないがしろにしようとする。欲が出るのだ。」
秀吉は農民を見渡し、言った。
「お前達の牛蒡は、その欲を消してくれた。自分が偉くなる度にあの牛蒡を食べ、農民達の事を思い出した。だからこそ再び働き、出世した。そして今は日本の王として働いておる。今こそ、この国の民達が豊かに暮らせる様にと思ってな。あの時の牛蒡はわしにとってどんな金品よりもありがたかった。農民達の期待に応えねば。そう思った。」
秀吉と牛蒡(6)
秀吉は毅然として農民たちに言った。
「それなのにお前達は暮らしが豊かになると、百姓の基本を忘れ、金品を集め刀や馬を俺に贈ると言う。そんな物は大名か商人のすることだ。お前達が牛蒡を忘れる様な国を造るつもりは無い。」
農民達は恥じ入り、秀吉に誓った。
「今度こそ、我々が丹精した尾張中村の牛蒡を贈ります。われら必死に働きます。お許しくだされ。」
秀吉は言った。
「お前達の牛蒡、待っておるぞ。」
天下人となった羽柴秀吉は「豊臣」の姓を賜り、豊臣秀吉と名乗り始める。秀吉は「豊臣」(しんをとませる)と言う姓に、己の真の理想を見ていたのであろうか。
~終わり~
初めて聞いたよ
確かに秀吉じゃないなw
性格的に信長あたりに感じる
信長といえばこんな話も
内政と戦の両輪で目の回るような忙しさの丹羽長秀を武田を討伐してもう後始末くらいしかやる事の無い
甲斐に派遣して「やる事が無い」と丹羽が連絡すると「そのまま草津に湯治に行け」と連絡が帰ってきたらしい。
まぁ、「下手な奴に任せるくらいなら五郎左に任せとけ」と言って丹羽の仕事を増やしてたのも信長なんだけどね。
その話は初めてだ。なんか戦国時代のツンデレみたいなエピだなw
光秀の怨恨とはどうしても思えないんだよね
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・家康の隠居所を設計する藤堂高虎、島津の戦中日記
・渡辺了を雇った藤堂高虎と加藤嘉明の会話、鮭様がみてる
・庄林理助を許す蒲生氏郷、農政家「大谷休伯」による公共事業