無類の大酒飲みで福島正則にすすめられた大盃の酒を見事に飲み干し名槍・日本号を賜った逸話は『黒田節』(『筑前今様』とも呼ばれる)として今も語り継がれる。
無分別で向こう見ず、わがままな性格で武辺一筋の男だったが主君の如水は必ず役に立つ漢だと信じて重用し、生涯で76の首級をあげた家中随一の猛将として黒田家の筑前入国後に18000石を得た。
死の間際に少壮の頃に如水に「兄と思い、兄弟一体となって奉公せよ」と命じられたその兄貴分の栗山利安の見舞いを受けた。
その時友信は「これまではおこがましいと思い口にはせなんだが、御身の恩により人となることができた」と言って手を取り共々に号泣したと伝えられている。
母里と栗山は、張飛と関羽みたいな間柄だったのかな?ムチャクチャな母里を栗山がいつも制して面倒を見て、みたいな…
それを考えたら母里の臨終の際の逸話は何だかホロリと来ます。
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>>9
上杉謙信が関東へ遠征を行った際、上野平井城主千葉采女が降伏し、娘の伊勢姫を人質として送ってきた。
謙信は伊勢姫を目にした瞬間に心を奪われ閨房に入れようとした。伊勢姫も何かと気にかけてくれる謙信に惹かれていた。
だが重臣柿崎景家に「降将の娘を娶るのは傾国の元である」と諫められ、謙信は思いとどまった。謙信のもとに嫁ぐのは叶わぬ思いであると悟った伊勢姫は落胆し、青龍寺に入って剃髪しまもなく世を去ってしまう(一説には自害)。
これを知った謙信は深く悲しみ、生涯不犯の思いをより強くしたという。
何度も言うが真偽は定かではありません。
>>18
これは近畿を平定し、信長の勢力が日に日に盛んになっていった頃のことである。
近臣たちがへつらって「このように強大になるとも知らずに平手政秀が自害した(政秀は若い時の信長の素行
を改めさせようと諫死した)のは短慮でした」というと、信長は顔色を変えて怒り、「わしがこのように弓矢を執れ
るのは、みな政秀が諫死したことのおかげである。自分の恥を悔やんで過ちを改めたからこそだ。古今に
比類ない政秀を、短慮だというおまえたちの気持ちがこの上なく口惜しい」と言った。
信長は事あるごとに政秀を思い出し、鷹狩りや河狩りに出たときなどは、鷹が捕った鳥を引き裂いては、その
一片を「政秀、これを食べろ」と言って空に向かって投げ、涙を浮かべたことが度々あったという。
他にも死んだ平手の事をなじった家来を強く叱責する話もありますね
平手政秀の息子(孫?)を家康へ援軍として送り討ち死にさせてしまった信長の無念が聞こえてくるようです
そりゃギリシャでも有名な話だな。
10年たっても里見は小田原城を落とせず北条に勝てないでいた。
そこで巨大な木馬を小田原城の近くにおいて船で撤収。
北条軍は木馬についていた札を見て里見は撤退したんだと思い木馬を城内に入れてしまった。
勝利の宴が終わった真夜中に木馬から里見軍が行動を開始。
姫を救いだし、見張りを殺して近くに隠れてた里見の水軍を呼んで小田原は火の海とかした。
>>14
足利義明の娘、鎌倉尼五山の一位太平寺住持・青岳尼のことだろ。
実際は青岳尼を奪うためだけに鎌倉に上陸したわけではないようだ。
戦国恋愛物語として脚色されてるきらいはある。
詳細は(有隣新書「太平寺滅亡」三山進)でも読んでくれ。
体が不自由そうで、普通恵んでくれる人を求めて移動するはずなのにいつも同じ場所にいたので気になった信長は近所の者に事情を聞く
するとその男は先祖の罪(源義経の母を殺した)でそこから動けない物乞いだという
ある日、そこに立ち寄った信長は近隣の人々を集めて反物を与え、その物乞いの暮らしが立つようにしてやってくれと頼んだ
天下を左右する大名が、乞食一人にわざわざ情けをかける姿に人々はありがたいことだと言い合った
魔王と呼ばれる信長の意外な一面を現すエピソード
五助はうずくまっていたので勝負してみると五助は「待ってくれ。今、ここに主君の首を埋めたが、主君の面容を敵に見せるは恥辱となるので埋めたのだが、私の首の代わりにここに埋めたことを秘して欲しい」
と頼んだのを高刑は「武士の面目にかけて他弁は致すまいぞ」と誓い、五助の首を取った。
このことを伏せ、主君の高虎に同行して徳川家康に見せると「五助ほどの者が主君の行方を知らぬはずがない。もしかしたら五助は首を隠したのではないのか?」と聞くと高刑は
「私は知らない事はないが、五助と他弁をしないと誓って首を取ったので、このことはどなた様にも言えませぬ。どうぞ、私を御処分くだされ。」と言ったので家康は
「これほどの律儀者がいるとはな。首のありかを言えば高虎の手柄になる物を」と言って褒美を高刑に与えたという。
無類の強さを誇った島津義弘も
晩年は老いに勝てず、1人で起き上がり飯も喰えぬ有様だったという。
そこへ家臣の1人が「殿、戦で御座る!!」と告げると
城外で一斉に兵たちのトキの声が聴こえてきた
すると、今まで寝込んで起き上がれずにいた義弘の目がクワッと見開き
1人で起き上がり飯をたらふく喰らったという。
勿論、戦というのは、義弘を奮い立たせようとした家臣たちの嘘だった訳だが
老いても戦と聴くだけで奮い立った義弘の凄まじさが垣間見える逸話だね
粋な家臣達だなぁ・・・
>>34
これ凄い好き。
「義弘晩年の平和な一日」
みたいな内容で、三谷幸喜さんに脚本書いて欲しい。
九州征伐~自害までの島津歳久。
特に自害の時、兄の義久が放った追手がなかなか自分を殺してくれないので
自分で腹を切ろうとしたんだけど病気で刀が握れなかったから
そこらへんの石で頭をぶってみたけどやっぱり死ねなくて、しかもむちゃくちゃ痛かった。
その時に
「女性は子供を産むとき、死ぬような痛みを味わう。自分の死後はその痛みを少しでも和らげてやりたいものだ」
と言ったという。
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