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せめて同世代の
最上義光vs伊達輝宗なら
もう少し話すこともあるだろうけど
伊達も勝てる見込みないから戦いを避けてたんだろ
それは関ヶ原以降の話だろ。
でも、24万石でも相手が直江じゃなくて政宗だったら圧勝できたな。
正解
領地の拡大 義光>輝宗
人材の発掘・登用 輝宗>義光?
外交 義光>輝宗
織田にいち早く通じたのは輝宗なのだよな。
何か、郡を抜いて早い。はや!!!と思わず思ったほどw
何か輝宗って目立たないけどいい
合戦はあまり強くなさそうだけど。
もし輝宗が天寿を全うしたら政宗の生涯もまた変わったかもしれないなあ。
まぁな、けっこう輝宗の代に侵略されてたしな。
でも何故に織田に対してあんなに俊敏だったんかな。
ちょっとした政治的な機微は輝宗は優れてるんじゃん?
織田と親交を深めたのは何時ごろだったの?
1573年10月下旬に輝宗(30)が織田(40)に手紙出して
鷹を贈った。7月に将軍足利義昭追放の知らせはまもなく奥羽に
も届き、輝宗は織田といち早く好を通じる。
12月28日付けの信長の返書は翌年2月21日に届き、それには
義昭追放のいきさつや、来年には甲斐に出兵し関東を攻める予定など
書かれていた。で、輝宗は書状の写しを桑折、亘理に送る。
1575年には鹿毛の馬を贈る。喜んだ信長は虎や豹の皮を輝宗への
返礼とした。
ちなみに信長が佐竹義重や田村清アキと初信を交わすのは1575年11月末。
地理的なこともあるかもしれんが、陸奥や薩摩が鷹を贈るのは更に4年後
だった。以上。早!って思ったやろw
サンクス。
将軍足利義昭追放の知らせで輝宗は織田といち早く好を通じてたなら、
1573年にすでに織田がいずれ天下を取ると思っていたのか。
毛利、武田、本願寺がまだ健在なのにその読みは確かにすごいな。
案外輝宗は人の実力を見抜くことには非常に長けていたのかもしれない。
輝宗の実績
相馬の侵略を受け劣勢に立たされる。
政宗の才覚を信じ人材の登用に努め(遠藤、片倉、成実など)織田や徳川に使者を派遣。
政宗が初陣してから徐々に相馬を押し返すのを見て
家督を譲り背後から全面的に政宗をバックアップ。
家臣団も輝宗の信頼を受けた政宗に忠誠を誓い団結。
侵略していた相馬を追い出だす。
こんな感じかな。
戦の実力はアレなんだろうけど
盛り上がってるところ悪いけど
早くても何の意味もないだろ
それだけじゃ
その後に織田の東北侵略が合ったとしても見逃してもらえるか
織田と共同作戦するくらいのメリットはあるだろうさ。
信長にしても伊達は奥羽大名の雄の1つだし、
手紙を通じて奥羽の大名の情報が手に入るのだから、
奥羽を攻める際に自分の勢力の浸透が容易になるだろう。
もっとやり取りがあったかもね。>>39みたいに。
メリットはあると思うけど。
奥羽じゃ見えにくい中央の動きがわかるのはいいと思うよ普通に。
情報が入って、いち早くしっかり連絡、挨拶をしにくる
ところってやっぱすぐに覚えるよ。
少しばっかし早くても全然意味ないやん
1574年頃、長久が名馬を贈って、返礼に織物や紅花を貰ってたはず。
最上はどうだったんだろ?
>>45
最上は逆に白鳥、大宝寺あたりに最上川握られてるんで、
そう言う外交は無理なんじゃないかいね
最上の中央進出や情報収集も最上川支配が固まったくらいからじゃないかと
1577年ごろ、白鳥が信長に名馬を贈って出羽支配を認められたので、
義光は志村伊豆(光安)に家系図と槍とかの贈り物を持たせて越後まわりで、信長のもとへ向かわせた。
そして志村伊豆が持ってきた最上家の家系図を見た信長は即座に、
「最上殿こそまことの出羽の守」と言ったんだ。
後から通じた連中はもともと同様の立場だったんだしょ。
だから先に通じた方が良いでしょうが。
中央の動きがわかる、情報収集には価値があるじゃないですか…。
信長の対応も十分良好だしね。
いや、信長の伊達に対するあつかいも他の連中に対する扱いも
結局同じだったって事
せっかく先に好を通じてもそれだけで終わっちゃ何の意味もない
伊達は何代も前から常に中央の天皇・公家や天下人なんかと好を通じていた
輝宗もその習慣で早くから信長と親交をもっただけで別に戦略的な意図とかがあったわけではないと思う
>>48
正解。
もしも戦略的な部分がもしもあるとしても、天下を狙うとかそういうのではなく、
奥羽で優位にたつ為に「奥州探題」や「陸奥国守護」のような職を得ようとしていたのではないでしょうか?
するとあれだ。目的は達成してるな。でも冒険心の強い伊達はイスパニア
とかやっちゃうとこがおもろいな。家康の許しも得てたんだろうけどさ。
輝宗に戦略みたいなものがあるとは言いがたいし、奥羽っていう
地理的な問題もあるし、積極的に通じて情勢見てく必要があると思う。
てか輝宗って戦国大名にしては控えめ
家督を継いだ時点での状況を見ると、義光は最悪もいい所だな
年齢も20代後半くらいで父弟を敵に回して義光包囲網だし
頼りになったのが中立勢力で父弟方、伊達方の和平仲介を受けた白鳥長久くらいか
最上義守は後継者問題以外においては
意外と名君
俺も最上義光は戦国武将としては優れた人物だと思うよ。別に特別好きなわ
わけではないけど。もちろん嫌いでもない。
いや80が言ってるのは義光のオヤジだよ。
義光の祖父義定の時代は、義定の後見が伊達稙宗であり完全に伊達の属国、
でも義定が伊達稙宗の妹を娶っても子が生まれず、伊達の最上取り込みもそこまで
中野家からの養子義守が最上家を継ぎ、氏家伊勢守定直等家臣の尽力もあり
天文の乱では最上領を増やし、伊達に義姫を嫁がせるなどして伊達の支配から抜け出した、
てな感じかな。
そのおかげで伊達は勢力や影響力を拡大したのだが
息子に家督を譲ってからも孫が家督を継いでも相変わらず口を出してきて息子と対立して
冷戦のような状態になったとか言う話だ。
ワンマンなあたりは政宗に似ていなくもないか。