重商主義的政策が実現していたらどうだっただろうか。欧州列強はフランス
革命とナポレオン戦争の余波でアジア進出は一時的に停滞しており、一方
日本は産業革命に間に合った。史実より60年早く開国して近代化と経済成長が
始まった日本。しかしバブル崩壊により経済が低迷した隙に、貿易によって
力をつけた諸藩は、江戸幕府に反旗を翻した。10年にわたる内戦の末に成立
した大日本帝国は、20世紀初頭には世界第二位の経済・軍事大国に成長し・・・
という世界について語るスレです。
軍事以外にも日本史・世界史・経済・社会・国際情勢・生活・その他ネタ歓迎。
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の時代よりずっと後になる。日本がその前に外洋航海技術を身につけてたら、
制圧まではいかなくても、東南アジア諸国に交易拠点を設けて、警備の兵力を
置くくらいまではいけたかも?
だわな。ただ史実では黒船来航から明治まで大急ぎで何でもかんでも
やりとげようとしたのを、時間をかけて無理なく実現できたんじゃないか。
つまり、開国して、最初の2,30年くらいは外交を結んで技術導入・交易。
経済成長と軍事力増強はそれからだね。
・真鍮:亜鉛は無くても銅の方は日本は世界有数の産出国だった。いきなり
中国や欧州諸国と戦争するわけじゃないんだから、まずは必要な資源・
技術は輸入すればいい。
・木材&造船:菱垣・樽廻船、北前船などは幕末期には1500石から2000石
クラスのものが就航していた。外洋航海できる構造の技術導入を早めに
進めていれば、なんとか建造できたのでは。見よう見まねでヘダ号を
こしらえることができたくらいだし。植林を史実より大規模に計画的に
進める必要性はあったと思う。
日本の場合、江戸幕府主導で植民地獲得に乗り出すよりも、高田屋嘉兵衛
みたいな商人がまず貿易に乗り出して、現地人や欧州人との摩擦を経験して
武装商船を、てところから始まるんじゃないかな。幕府海軍は国内の治安維持
と本土防衛重視で。
サイパン島・グァム島も領土化していたはず。
運よければウェーク島やミッドウェイ島も日本領土になっていたかもね。
割譲された)だったから、日西戦争でもないと日本領にはならないね。
ミッドウェー島は1859年に発見されたから日本人がハワイ目指して航海
してて発見という可能性はあるかも。
ウェーク島はイギリス人が発見してたけど無人島として放置されたままで
領有権ははっきりせず(マーシャル諸島の住民が鳥や亀を捕獲しに行ってた
ので今でも領有権を主張してるらしい)アメリカが1899年に併合した。
アメリカと日本の進出がどっちが早いか微妙だな。
これなら船や大砲の問題も解決する。
問題は鎖国により技術向上の場を失ったことにある。18世紀では遅い。
>>18
鎖国しなかった場合の洋船はやっぱり「サン・ファン・バウチスタ号」
をタイプシップにしないと、航海術が身につかないんじゃないのか
なぁ。
隆慶一郎の「影武者徳川家康」で、家康(二郎三郎)が洋船の建造に
熱意を注ぐ話が出るが、そのようなIFがないと日本に洋船の航海術
が定着しない希ガス。
尤も、洋船が全盛になったら、利根川の上総方面への開削が無くなる
から、史実よりも江戸が発達しないかも知れん。
住み分けができるんじゃないか。実際、明治末期までは低コストの和船が
多数建造された。
あと、利根川の瀬替は水運だけじゃなくて伊達家への備えとか新田開発も
考慮されたと言われてるから、洋船が建造されても実施されたと思う。
まだロシア領になってません。といっても広大な寒冷地帯を日本人が欲しがる
動機が問題と思います。
史実のロシアに変わって、毛皮を中国に売り込むために進出するとか、
沿海州やカムチャッカ半島に造船需要に応じて木材を求めてとか?
18世紀ロシアと開国バージョンなら、食料や日用品を極東ロシアに輸出、
毛皮や造船技術を輸入、その毛皮を中国に輸出して銀などを輸入となる
でしょうね。
>>42 イギリスは香料獲得ではスペイン・ポルトガルに全く出遅れ、
インドネシア・極東への進出ではオランダに出し抜かれていました。
イギリスの東アジア進出は18世紀半ばの7年戦争でインドを確保した後に
なります。18世紀末から19世紀初頭にかけてはナポレオン戦争もあって
ペナン島租借~マレー半島支配を確立するのが精一杯。従って江戸幕府の
鎖国・開国によらずイギリスの本格的な極東進出は、史実どおり19世紀半ば
まで無理なので、イギリスの極東進出を加速する「イフ」がなければ
その可能性はありません。
傭兵として東南アジアで活動していたらしい。IFとしては、鎖国しなかった、
または鎖国の条件がもう少しゆるくてオランダやイギリス支配地なら往来が
可能だったら、傭兵経験者から欧州の戦術や軍事技術が流入したのではないか。
秀吉は朝鮮出兵の前にゴアのインド副王(ポルトガル)とマニラの
フィリピン総督(スペイン)にも降伏勧告状を送ったという話だが、陸戦
以前に、大軍を送って維持するには海軍力が決定的に不足してると思う。
>>43
>大軍を送って維持するには海軍力が決定的に不足してると思う。
戦国時代の終了をもっての海外進出ならこの点は解決可能でしょう。
問題は技術と戦術。例えばインドではインド側の傭兵として戦った西
洋人もいたわけです。また小火器や大砲もインド側は十分に持ってい
た。イスラムも同じくかなりの西洋式の銃や大砲を持っていたわけです。
問題はその運用において西洋文明のバックグラウンドを持たない彼らは
それを有効に使うことができなかったことです。戦争目的一つとっても
西洋とアフリカやアジアは違います。アフリカやアジアにおける戦争とは
奴隷狩りです(日本は違います)。アフリカやアジアの住民が西洋の流入
時に一番驚いたのは西洋人は戦争で殺しすぎると言うことでした。
翻って日本はどうか?という点に絞られると思います。私は日本人は西
洋式の技術において開発された兵器の運用ができたと考えます。なぜな
ら実際に足軽に種子島を持たせて運用したわけですから。これとて騎馬
が花形だった時代から考えれば革命的なことです。
大名が領地を寄進するなんて言い出して、ヤバイと思った秀吉が禁教令を
だして、>>43にあるようにスペイン、ポルトガルに脅しをかけてる。
つまり「ああ?そっちがやる気だったらこっちもやったろうじゃねえか!」
と出たわけ。で、スペイン、ポルトガル側は国内がほぼ統一されて相当の
戦力をもった日本と正面きって戦争するのは無理と判断してあきらめた。
その後ポルトガルは1580年にスペインに併合されて、スペインはヌエバ・
エスパーニャ(メキシコ)で銀が取れるようになったので、ますますもって
日本はスルーすりゃいいやということに。
1637年 島原の乱
1702年 赤穂浪士による吉良邸討ち入り
1837年 大塩平八郎の乱
これくらいじゃないか。あとは未遂に終わった由比正雪の乱くらいで。
リアル江戸時代めざしたら幕閣は権謀術数、江戸の町人は平和で安泰って
描写になっちまうよな。
百姓一揆は無視ですか、そうですか。
>>61 戦闘に近い「世直し一揆」が起きるのは幕末なのよ。それまでは一揆と
いってもデモとか直訴が主流で、せいぜい打ち壊し。
一揆の首謀者が後で捕縛されて死罪になった例(たいてい武士の方も責任
とって改易とか切腹)はいっぱいあるけど、百姓VS武士が本格的な交戦に
なって死者が出た例ってあんまりないと思う。
浅間山が噴火したのはいつだっけ。
あれから飢饉が頻発するんだよな。
そこかしこにある「庚申塚」(地蔵みたいなものも)餓死者を弔うものだ。
やはり明治維新で徳川→天皇という大きな権力委譲が行われた体と思うんだけど、どうだろう。
例えば、徳川家が西欧的な絶対王政を敷くことは可能だったんだろうか?
もしこれが出来ないのならば、日本の近代化は早期開国によって、むしろ史実よりも近代化が遅れた可能性がある。
>>71
可能だったんじゃない?少なくとも鎖国による現状維持を選択したことに
より徳川に対抗する勢力が出てこなかった。技術が400万石によって養
われる兵力を凌駕すると考える大藩が現れればその藩が徳川を打ち破る
可能性が出てくる。無理であったとしてもその大藩が滅びれば徳川の中央
集権的な支配が強まる可能性が出てくる。
日の本を持って天下と定義し、天下が定まった以上もう戦争したくねって本
音もありーの、でも世界は広いよって連中が出てくるかが鍵だよね。
「江戸時代の日本は連邦制度」というテーゼを蒸し返すことになるが、
徳川家は実力は同アレ、天皇から軍政を委託(幕府/将軍宣下)された
建前だから、これを崩すと足利尊氏みたいな騒乱を覚悟せねば。
別に中央集権ならずとも、江戸時代の文化や工芸に見るべきものは多いが。
列強が競って肩入れし、内戦状態になる可能性大。
日本にそれだけのウマミがあれば、だけどね。清国への橋頭堡くらいにはなるか。
日本は当時有数の銀産出国だぞ。
立ち代わり入れ替わり列強が日本にやってきて、藩主を抱き込んで武器や資金を与え
植民地化を進めるだろう。
>>83
マスケット銃の生産が軌道に乗ってしまった国に何を供給する?
大航海時代の欧州を過大評価してはいけない。仮に伊達がスペ
インと組んだところでこの時代ならできることは限られる。
>>86
火薬。特に硝石。
これは日本では産出しないため、世界一の保有量を誇った鉄砲が「宝の持ち腐れ」となる恐れが多分にある。
後にはウンコからの抽出が可能になったらしいが。
外国からの帆船での単発的な物資輸送では戦国期の膨大な硝石需要は満たせませんよ・・
大部分は土硝法による国内生産でしょう。
送れたとしてもガタガタの状態だろうな。
だから諸藩を抱き込むんじゃね?
>>87
この時代はテクノロジーの開きがそう大きくないんです。
おそらく織田信長や豊臣、徳川を抱き込まない限り日本の
制覇は無理でしょうw
産業革命以降はテクノロジーの開きが激しく大きくなります
が、それでも19世紀中に日本を制覇するのは厳しいと思う。
インカやアステカとは分けが違う。
本当に警戒すべきはヨーロッパの軍事力ではなくキリスト教。
キリスト教の影響も過大評価な気がする。確かに一部のキリシタン大名
が教会に土地を寄進したり、領地をあげてキリスト教にのめり込んだ例
はあるが、あれば全国的に起きたとは思えない。日本人の新しもの好き
の血が騒いだだけなような・・・。
Wikiより抜粋
加賀硝石で知られる越中五箇山(現在の富山県砺波郡)では、干草と土の
混合物に、糞尿などで腐らせた水をかけることで化学反応を発生させ、
硝石を生産した。この方法は毎年の再生産が可能な優れた製造方法であった。
外征で火薬需要が続いたら、肥溜めは肥料よりこちらに活用されたかも。
これが日本の化学工業のルーツになったりして。
>>93
肥料の組成は火薬に似てるし
農薬の組成は毒ガスに似てるんだよね…
窒素と塩素…。
にあつた、ゲリラ戦野戦陰謀騙まし討ち、毒矢。天草の乱並の戦いであつたそうだが。
日本が海外進出?
途中の食料はどうするのですか?
日本人の主食は米、炊飯には大量のきれいな水と薪炭が必要で、
しかも日持ちしません。ビスケットやクラッカーや干し肉とは違うよ。
しかも動物性の食品をとることに拒否感のある当時の日本人なんて
遠洋航海なんぞしたら一週間もしないうちにばてばてになるぞ。
たとえ一週間強行軍できるくらい鍛えられた人間でも使う体力の質が違う。
海外進出する動機もないし、国内市場開拓したほうがまし。
無理に海外に出ると幕府があっという間に破産してまた戦国に逆戻りだ。
>>121
日本にも保存食くらいあるぞ。糒とか知らんのか?
>海外進出する動機もないし、国内市場開拓したほうがまし。
朱印船貿易の時代には日本人町が東南アジア各地にあったことも知らんのか?
ないだろ。
ではあったけど、イノシシは食ってたはずだし、鳥は食ってた
ので、牛馬はともかく動物性の食品はくいたきゃ食ってた感じ。
ウサギも鳥の仲間だしな。
こういうことにいちいち口実をつける当時の人たちはカワイイw
干物・漬物・佃煮etc。
江戸時代でも白米を常食してたのは江戸・大阪の一部くらい。
(そのため江戸では脚気が流行って「江戸わずらい」と呼ばれた)
江戸時代、1年半漂流したときの実例な。
尾州名古屋の督乗丸(14名)は1813(文化10年)、江戸からの帰途、御前崎の沖合で
遭難。以後、ロサンゼルス南西でロンドンの船に助けられるまで、なんと1年5ヶ月
もの間、海上を漂流した。督乗丸船長の重吉がその体験を語ったものである。
幸いにも、米が5斗入6俵、豆が700俵あったので、豆を煎り粉にして、それに米を
少しずつ混ぜて食料にした。水は1人あたり3升5合しかなかったので、当時の漂流者が
したようにランビキ(蘭引)といわれる蒸留器をつくった。
http://www.nansenhokubasha.com/essay/hyoryu.html
朱印船貿易のころ、長崎―マニラ間が20日くらいだったらしいから、東南アジア
方面に進出するのは全然無理ないと思われ。ヨーロッパまでの航海なら途中で
補給すれば済むだけのこと。
鎖国は幕府による貿易独占のために長崎などに貿易を限っただけであり。
実際のところは、江戸時代にはオランダや中国に朝鮮など幅広い範囲で貿易が続いていた
>>139は昨日のテレビの受け売りに一票。
まぁ、実際そうなんだろうけどさ。
>>139
鎖国は鎖国だ。確かに物資の移動という意味では輸入の制限と言う
より輸出の制限だった。これにより国内物価は安定した。しかし技術
の流入という面で見るなら間違いなく鎖国。国を閉ざすことにより徳川
家の安泰をはかったものです。
もしテレビ番組で幕府による貿易独占と言っていたなら番組制作者は
徳川幕府の貿易政策の一面すら見てなかったと言わざるを得ないで
しょうな。
それを言っていたのはそこに出ていた歴史担当の教諭。
技術とか知識の流入に関しては、出島経由で日本にもいろんな情報は伝えられてた。
ただ、幕府は軍縮してその分を国内の生産力増強に充てる政策をとってたので、
軍事関連の新技術を導入する動機付けが乏しかったのが大きい。
当時、欧州諸国の植民地化がどういうものか、地理的に日本に近い事例はインドネシア
だったけど、オランダが自国がアジア人を痛めつけた話を日本に伝えるわけもなく。
個人的な見解だが、初期の鎖国政策のうち、ポルトガルやスペインとの断交よりも、
日本人の海外渡航を禁止したことが欧州諸国の脅威に対して鈍感な、平和ボケにした
点で(加えて東南アジアの日本人町を衰退させた)後世に影響したと考える次第。
もっとも、禁止しなかったら地理的に有利な西国諸藩の国力が史実以上に向上する
ため、徳川による治世が不安定になったり幕末・明治期の内戦が前倒しで発生する
可能性も出てくるのだが。
技術情報の例としては、出島の以前だが朱印船の航海技術はヨーロッパ
由来。鎖国完成後に不要となり失われてしまったのはご存知のとおり。
農業主体の江戸時代の日本にとって「生産力」には第一に農業技術が
求められたが、連作障害対策に三圃制をとってたヨーロッパの技術は
連絡障害の出ない水田稲作主体の日本には無意味。
それ以外では、有名な「解体新書」のように長崎から洋書を手に入れて、
翻訳して国内に広めるというルートは別に禁止されていなかった。
ただ、そのためにはそれなりにコストと時間を投入する必要があったから、
たまたま蘭学者がその分野に興味を持って幕府に売り込むようなことが
なければ広まらなかった。江戸時代中期の蘭学は医療技術が売りだったが
後期には次第に幅広い分野で技術が広まるようになった。
高島秋帆が1829年式オランダ歩兵操典をもとに洋式戦術を売り込んだ
ように、軍事技術を含め、技術情報を入手する意図さえあればいくらでも
可能だったということです。
「流入した」というと、ほっといても情報をオランダ人が垂れ流した
ようなニュアンスに受け取れるけど、それに近いものとしてはオランダに
交易の条件として定期的に「和蘭風説書」を提出するよう求めていた。
アヘン戦争のときには「別段風説書」を臨時に発行したりした。中国からも
「唐国風説書」が出ていた。但し、どちらも内容は国際情勢全般が中心。
細かい技術情報が対象ではない。またオランダはフランスに併合されたこと
など自国に不利な情報は秘密とした。長崎奉行が翻訳して老中に機密文書
扱いで提出したので知りえたのは幕府上層部だけだが、結構漏洩してたとか。
オランダから臼砲を導入しており、その威力には一目置かれていた。
ただ幕府が秘密兵器扱いして、たいした数は作られなかった。
だいたい平和な日本では、いかに強力でも兵器の類はたいして普及しなかったろう。
日本が備えてたらなんでもありだろうが、戦争のときには日本兵を一番危険な
ところに弾除けがわりに投入されて、戦後日本が「台湾クレ」と言ったら
「台湾はオレがもらう。日本は澎湖諸島で我慢しろ」とか言われそうだ。
江戸時代、アジアの先進国となった日本。対日貿易の大幅赤字に悩まされた
イギリスはアヘンを日本に売り込むことを決定。
アヘン窟が広まり貴金属の流出を懸念した水野忠邦はアヘンを押収・処分
するが、それに対してイギリスは日本に宣戦布告・・・
下手に日本がリッチになったらこんなこともあるんじゃないか。
イギリスが対清貿易赤字に悩んだのは別に清が先進国だったからではないし、
ホントに先進国だったら、イギリスと一戦交えるのも怖くないのではw
一戦交えるのも怖くなかったっぽいが・・・。
鎖国しないにしても18世紀開国するにしても、欧州諸国との外交関係
しだいではナポレオン戦争やクリミア戦争に巻き込まれる可能性が。
史実でもナポレオン戦争では長崎でフェートン号事件が起きたし、
クリミア戦争では海戦がカムチャッカで起きたりロシアが樺太を占領しようと
したり。
ヨーロッパ正面で戦争が起きている時は日本に取って利権と領土の稼ぎ時。
外交さえ間違えなければだけど。